11 和平の使者
森の中を二人の男女が駆けていた。
二人は着の身着のまま、手を繋ぎ、何かから逃げるように時折後ろを気にしながら走っている。
「ここまで来たら……大丈夫か……」
青年は肩で息をしながら、連れの少女の肩を抱き寄せた。薄緑色の髪から汗が滴り落ちる。
「でも、なんで女帝はあんたを庇ったんやろう……」
「さあな……」
空色の髪の少女は首を傾げた。
帝国にとって罪人である自分を逃がすメリットは無い筈だ。しかも、機密を握る側近との駆け落ちである。
「結局、アルスが防波堤になったみたいだったしな……」
ペガサスの上から、アルスに矢の雨が降り注ぐ様を見た。彼はどうなってしまったのだろうか。
青年はそれを見ようとして頭痛に顔を顰めた。
「フィアード、無理せんとって」
少女が優しく青年の背中をさする。
「ツグミ……」
二人は見詰め合い、抱き合おうとした。
「おい、いい身分だな」
いきなり声を掛けられ、二人は息を飲んだ。周りに人影はない。
「こっちだ」
頭上から声が聞こえて、上を見上げた瞬間、二本の矢が二人をそれぞれ貫いた。
闇色の猛禽類がバサリと二人の前に舞い降りるのと同時に、二人は地に膝をついた。
猛禽類は一瞬にして黒髪の青年の姿を形作る。
「……ヨタカ……」
アルスの従兄で親衛隊に所属していた男だ。確か内通者として追われている筈だった。
「……なんで……?」
ツグミは何故、彼が自分に弓引いたのか理解できない。彼はなんだかんだと言いながら、自分達に協力的だったのだ。
「アルスが死んだ……。その報いだ……」
ヨタカが静かに言い放った言葉を、二人は薄れゆく意識の中で聞いていた。
◇◇◇◇◇
ダイナは動揺していた。
なんとか二人を見逃し、兵士達を落ち着かせるのに成功したと思った矢先に、世界が色を失ったのだ。
自分以外に動いている物は無い。これまで何度か経験したこの感覚。
しかし、今回は今までとは明らかに違う。
「嘘……、私の目の前じゃなくても……?」
目の前でフィアード達が死んだら時が止まるものと思っていた。
今、彼等は目の前にいない。にも関わらず、時が止まってしまった。
ダイナは事実を知ろうとフィアードの元へ転移しようとした。
この空間でも転移可能か分からなかったが、どうやら問題はないらしく、気付けば目の前に二人が倒れていた。
その背中には矢が深々と刺さり、それを射ったと思われる青年が二人を見下ろしていた。
「なんで……逃げ切れないのよ!」
二人を見逃してやろうと思っても、結局、何処かで殺されてしまうのか。
ダイナはギリと奥歯を噛み締めた。
やはり、二人が駆け落ちしなくて済むように、碧の少女が罪を負った、あの襲撃が起こらないようにしなければならないのだろうか。
その為には……まず、魔族との友好な関係だ。
ダイナは切っ掛けとなりそうな出来事を思い浮かべた。
「戻れ!」
彼女の中から強大な力が湧き上がり、モノクロの世界を一気に塗り替えた。
◇◇◇◇◇
ダイナは目の前の懐かしい景色に目を見張った。遷都する前、神族の村だ。
「……という事で、碧の村に攻撃を仕掛けることに……」
傍らで報告しているのは彼女の側近、フィアードである。
ダイナは思わず彼の顔を覗き込んでしまった。
フィアードだ。私のフィアードが生きてる! あの女に会う前のフィアードだ!
嬉しくてつい、その腕にすがりついてしまった。
「ダイナ様……?」
フィアードは怪訝な顔でダイナを見る。
「あ……ごめんなさい。何の話だった?」
ダイナは慌てて取り繕う。やり直し成功だ! と内心でガッツポーズを取る。
「ですから、明日、碧の村に総攻撃をすることに……」
その内容を聞いて、ダイナは青ざめた。
「ダメよ! ダメダメ!」
「え……?」
まさか反対されると思っていなかったフィアードは目を丸くした。
「魔人とは友好的な関係を築きたいの! お父様に直談判に行ってくるわ!」
ダイナはすぐにその場からかき消えた。
「……どうしたんだろう……」
フィアードは人が変わったような女帝の態度に首を傾げた。
◇◇◇◇◇
「お父様……」
懐かしい父親の執務室に入り、そこに座っている父親に詰め寄った。
「……どうした?」
ダルセルノは心なしか顔色が悪い。
「碧の村に攻撃を仕掛けるのはやめていただけますか?」
ダイナの申し出に、ダルセルノは一瞬キョトンとして、やがて眉を顰めた。
「何故じゃ? 奴らは我らの進行の妨げをしておるのだぞ」
遷都の為の建築が進まないのは、碧の魔族による妨害の為なのだ。
「お父様、魔族と協力し合って行くことは出来ませんの? お互い、言葉を解する事も出来ますのよ?」
言葉が通じない訳ではないのだ。まずは話し合いが必要だろう。
ダルセルノはしばらく考え込み、そしてダイナを見た。
「どのように話し合うつもりだ」
「私が参ります」
ダイナはニコリと笑う。
「私が直接出向けば、きっと先方も納得してくれますわ」
危険だ、と言いかけてやめる。よく考えたら、この娘が危険に晒される事など考えられないのだ。
「供は誰をつける? フィアードか?」
いつもならば二つ返事で頷くところだが、ダイナは首を振った。あの女と出会わせる訳にはいかない。
だが、一応自分は女帝という立場だ。流石に一人で行くのは不自然だ。誰か適任者はいないものか、と考え、ふと思い出した。
「……アルスの従兄が確か、親衛隊にいましたよね? 彼を仲介役にして話し合いに臨みます」
「……何故その者なのだ?」
ダルセルノの何かを探るような視線が少し気になるが、ここはなんとか説得したい。
「彼は碧の魔人の血を引いているからですわ」
知っていて当然、と言わんばかりの笑顔で言い切った。
ダルセルノはしばらく思案してから小さく頷き、ダイナを真っ直ぐに見据えた。
「それならば……よし、向こうから出向かせよう」
ダルセルノの言葉にダイナは焦った。もし碧の魔人をこちらに呼ぶと、あの女が来る確率が上がるではないか。
「いいのよ。私が行くの!」
「こちらから出向くと、足下を見られるぞ。あくまでも、帝国が魔族を認める、という立場を取るべきだ。ダイナ、お前は軽率に動いてはならん」
「……!」
名を呼ばれた瞬間、ダイナの中に漆黒の腕が入り込んで来るような錯覚に陥った。
ーーダメ! ここで言いなりになったら……!
油断していた。気を張った状態ならばある程度は防御出来たのに。
漆黒の腕は彼女の心の中を這い回り、そこにあるダルセルノに対する反抗心を虱潰しにしていく。
「やむを得んな……。魔族との和平は叶えてやろう。だが、こちらから出向くのはならん」
二人の魔力には大きな差があるが、この能力においては名付け親である事が有利に働く筈だ。
「よいな、ダイナ」
念の為にもう一度名を呼ぶ。
「……はい。お父様……」
悔しかった。やはり、面と向かって反抗など出来ないのか。
ダイナは唇を噛み締め、クルリと踵を返して部屋から駆け出した。
「……意思が強くなっとる……気を付けないといかんな……」
乱暴に閉められた扉を見ながらダルセルノが溜め息をついた。
◇◇◇◇◇
やはりと言うか、案の定、あの女がヨタカの案内で妙齢の女性を連れて挨拶にやって来た。
「碧の族長、ミサゴです。こちらはツグミ。よろしくお願いします」
空色の髪と目の見目麗しい二人は、広間に跪いていた。
フィアードはダイナの後ろに立って冷ややかに魔人を見、ヨタカは親衛隊としてアルスと共に広間の入り口に控えている。
「……表を上げなさい」
ダイナが命じると二人は顔を上げ、ダイナの色彩に目を見張った。
緩やかに波打つ豊かな髪の色は薄緑色。闇を映し込んだかのような漆黒の右目、眩しい白銀の光を讃える左目。
そしてその身から溢れ出る凄まじい程の魔力と存在感。
「……我々魔族との和平を認めて下さり、誠にありがとうございます」
全身を震わせながら、ミサゴが再び頭を下げる。
それをダイナの隣で満足気に見ていたダルセルノは大仰に頷いた。
「ふむ……。それでは、恭順の証として何か差し出せる物はあるか?」
ダイナは驚いて父親を振り返った。そのような物を受け取るなど聞いていない。
「お父様!」
「これは大切な事だ。口約束で済むと思うな!」
父娘は客に聞こえないように小声でやり取りする。
二人の魔人も慌てたようにお互い目配せしている。
そして、しばらく何かやりとりをした後、ツグミが一歩前に出た。
「……この者は、我らの中で最も魔術に秀でています。帝国の為にお役立て下さい」
「……よろしくお願いします」
ツグミが深々と頭を下げた。
ダイナの目の前が真っ暗になった。
◇◇◇◇◇
ツグミが魔術師として軍部に配属されるようになって数ヶ月が過ぎた。
遷都の準備も着々と進み、慌ただしい毎日が飛ぶように過ぎていった。
そんな中、国内では流行病が猛威を振るい始め、体力の無い年寄りや子供が次々と命を落とし始めたのだ。
薬師達は対応に追われたが、既存の薬では全く役に立たず、魔人による治癒しか方法は無いという噂が立ち始めた。
「ツグミ、貴女は皓の魔族とは繋がりがあって?」
ダイナは呼び付けた魔術師に問い掛けた。彼女は明るい性格で、軍部にすぐに馴染み、非常によく働いてくれている。
何より、風の魔術は遠方との連絡を可能にするので、遷都の準備に大いに役立っているのだ。
「いえ……、族長ならばあるいは……」
ツグミは少し考え込んだ。魔族同士には横の繋がりがあまり無いらしい。
「では、至急ミサゴから皓の族長に連絡を取らせて。協力を仰ぎたいの」
「……はい……」
人懐こい笑みが少し気に障るが、基本的に裏表の無い信用できる人物だ。このままフィアードと何もなければいい、とダイナはニコリと微笑み掛ける。
「では、俺も同行しましょうか」
いきなり隣に控えていたフィアードが声を上げた。
ダイナは振り返ってゴクリと息を飲む。
「あ~、それは大丈夫や。多分、うちらだけの方が行きやすいよって……」
ポロリと零れたツグミの砕けた口調にダイナはドキリとした。ツグミとフィアードを交互に見やる。
まさか自分の預かり知らぬ所で、もう二人はその仲を深めているのだろうか。
フィアードの自室を覗き見るような事はしたくないが、やはり見張っておくべきだったのかも知れない。
心の動揺を誤魔化すように、務めて明るい声を出す。
「……じゃあツグミ、頼んだわよ」
「はい」
ツグミは一礼して部屋を出て行った。ダイナはヨロリと立ち上がり、フィアードにしがみ付いた。
「大丈夫ですか? 陛下」
フィアードはいつもの優しい目で覗き込んでくる。ダイナは小さく頷いた。
「猊下に相談なく、皓の魔族に協力を仰いだりしてよかったんですか?」
「いいのよ……」
不安が胸を締め付ける。フィアードはあの女をどう思っているのだろう。
「最近の陛下は随分積極的ですね。前は国に興味が無いのかと思ってましたが……」
「ねぇ、フィアード……。疲れたから、部屋まで連れて行って……」
震える唇で言葉を紡ぐ。
「どうしたんですか? 陛下らしくないですね」
フィアードは苦笑しながら、ダイナをエスコートするように歩き出した。
「あのね、フィアード……」
「はい?」
フィアードが首を傾げる。
「……なんでもないわ……」
ツグミの事を聞きたいような、聞きたくないような、複雑な気持ちを押し殺すように、フィアードの腕に身体を押し付ける。
「では陛下、お大事になさってください」
ダイナを部屋に送り届けて、フィアードは大きな溜め息をついた。
最近、ダイナが色気付いて来て困る。
やたらと腕に抱きついてきて、その小さな胸を押し付けてくる。
もうすぐ十六歳、そろそろそういう事に興味が出るのは仕方がないが、厄介事はごめんだ。
色々と覗き見て、好奇心だけが膨らんでいるのかも知れない。
「フィアード」
ボンヤリと歩いていると、空色の髪の少女が声を掛けて来た。
「……連絡取れたのか?」
フィアードの顔が僅かに緩む。
ツグミは当然のようにフィアードの腰に手を回し、空色の目で顔を覗き込んでくる。
「うん」
その細い肩を抱き、フィアードは自室に向かった。