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片思いするなら君がいい  作者: 青子
はじまりの夏
8/27

 数歩ずつに設置された電灯を頼りに、大谷くんを追いかける。少し息が切れる。

「あ……あの」

 今日、2人で笑い合ったことが嘘みたいに、彼をまとう空気が重い。斜め後ろまで追いつき、おそるおそる話しかけるも後が続かなかった。

 コンビニまでは、まだ距離がある。


「……ばた、が」

 視線は、私の少し前。咄嗟にちゃんと聞き取れずに、私は尋ね返す。

「江畑くん?」

「……うん。江畑が、気になる?」

「え? 何で?」

 どうして江畑くんのことが話題にあがるのか分からない。でもそう反応した私のほうを、大谷くんは不思議そうな顔で見てくる。

「江畑のこと、気にしてたように見えた」

「え……あ! 違う、そうじゃなくてっ」

 誤解の行方が分かって、自分の両手も使って慌てて否定する。荒くなる鼻息を落ち着かせながらも、どう言い訳していいのか分からない。江畑くんと春香を近づけたくないと言うと、絶対に理由を聞かれる。木下さんの秘密を誰にも言うわけにはいかない。

「えっと、何て言ったらいいのか。気にしていることは、本当なんだけど、そういう意味じゃなくて」

「ふうん。どういう理由で気にしてんの?」

「それは、ちょっと、言えない……」

 はあ、と息を吐き出す音が聞こえた。

「俺、今まで生きてきて、初めてかも」

「初めて?」

「うん。今日一日で、江畑にすげえ、嫉妬してる」

 一瞬何を言われたのか分からないくらい、頭が真っ白になった。当然のように足は止まり、私の口はあんぐりと開いたまま。

 後ろについてきてないのが分かったのか、大谷くんも立ち止まる。

「三波さん?」

 大谷くんは、嫉妬してるなんて言ったことが何でもないようだ。私だけが動揺して、私だけがドキドキしているみたい。もしかしたら深い意味なんてないのかもしれない。冷静になれと自分に言い聞かすけれど、ずっと憧れてて好きだった人にあんなことを言われて平然とできる女の子がいるなら教えてほしい。それくらい私の心臓は鳴りっぱなしだった。

「……はい、大丈夫です」

「何で、敬語なの」

「いえ、ええと……すみません」

 また敬語になってしまった、と口を噤みながら私を待ってくれている大谷くんにゆっくりと近づく。気まずくて目を合わせることができないので、斜め下のほうを見たまま何かいい案はないか考える。そうだ、別に木下さんの名前を出さなければいいじゃないか。ナイス自分、とぐっと拳を握りしめた。

「あのですね」

「うん」

「江畑くんのことを、好きな人がいて」

 へえ、と少し高い声が聞こえた。

「江畑くんが、ちょっと春香に絡んでるのが気になって……だって、普通は、自分の好きな人が他の女の子と一緒にいると、嫌な気持ちになると思うから」

 思うから、じゃない。そう言ったのは弱気な自分が顔を出したからだ。

「まあ、それは分かる」

「だよね? だから、気にしてたの」

「じゃあ、その江畑を好きなやつってうちのクラスの子なの?」

 まずい……墓穴掘ったかも。

 私は返事できずに黙っていると、三波さん?とまた呼ばれる。

「……それ以上は、言えないので」

「あー、うん。分かった」

 納得してくれたようで、私はホッと息をつく。何とか乗り切った。

「三波さんは、江畑みたいの、タイプじゃないの?」

「え」

 安心していた私をよそに、大谷くんはとんでもないことを聞いてくる。軽い話題のつもりかもしれないが、しかしこの話題、前にもあったようななかったような。

「タイプ……じゃない」

「じゃあ、どんなのがタイプなの?」

 間をまったく貰えずに尋ねられ、私は返事に困った。

 本心では、大谷くんみたいな人がタイプですって言えたらと思っていた。だってほぼ一目惚れのようなものなのだ。でもチキンな私にまさかそんなことを言えるわけもなく。

「……う、えっと。えーっと」

「そんな悩むこと?」

「じゃあ、大谷くんは?」

 わ、聞いてしまった。自分で自分の発言にびっくりしてしまうのが情けない。まさに口が先に出るというやつだ。

「俺は……」

 ふんわりと体が浮かび上がるような緊張感が体を走る。自分から聞いたくせに、自分から答えを求めたくせに、今耳を塞ぎたくてしょうがない。

 でも、死ぬほど聞いてみたい、大谷くんのこと何でも知りたい。


 向こうのほうには、月が見える。まんまるいの、綺麗な月だ。はっきりとその形をかたどるクリーム色は、私たち2人を頼りなく照らす。

「え……?」

 聞こえなかったわけじゃないのに、聞き返してしまう。もう一度聞きたいなんて贅沢だろう。でも、無意識にそうしてしまった。許してほしい。こんなこと、きっと人生で一度きりだから。

 大谷くんは困ったように笑う。嘘だろ、と。

「もう一回なんて、言えるわけない」

 私も無理やりに、口角をあげる。でも上手くいかない。多分ぶさいくな顔してる。

 そのとき頬を涙がつたって、私は泣いているんだとようやく理解できた。

「え……」

 とまどう彼の声が聞こえて、慌てて両手で頬をさする。

「ちが……ごめ、な、さい……」

「三波、さん」

 一歩ずつ近くなる2人の間の距離。それを詰めたくて、近くに行きたくてたまらなかった。でも大谷くんは自分の足で私に歩み寄ってくれる。

「泣いてる?」

「……ううん、あの」

「え……なんで……」

 滲んだ視界の向こうで見える、苦しそうな顔の大谷くん。困らせるつもりじゃないのに。でも自業自得だよね。さっきよりも強く頬を擦る。

「大丈夫?」

 うんうんと強く頷く。

 こんなふうに泣いてしまう子は嫌いかもしれない。本当は聞こえたのに聞こえないふりしてもう一度聞こうとする子は嫌いかもしれない。どうしよう、嫌われてしまう。

「赤く、なっちゃうよ」

 顔を覗き込むように、近づく。

 違う、顔が赤くなったのは私が頬を擦っているせいもあるけれど、大谷くんが近づくからで。

「泣かないで?」

「……うん」

「何か、どうしていいか分からなくなる。ごめん。いつも俺のせいだね」

 いつも。

 私が顔を上げると、大谷くんは数秒経ってから視線をそらした。

「あのときだって……そうだったんだろ。ごめん。俺に、こういうこと言う資格、ないのに。まだ、許してもらってないのに」

 大谷くんを怒らせてしまったあの日、私がさんざんに泣いたのは彼が教室からいなくなってからだ。その姿を見られたのは春香だけ。あのときクラスメートは誰も現れなかったし、先生だって帰宅時だってはちあわせなかった。

 でもそれがどうしてなのか考えるほど、今は頭がまわらない。胸がいっぱいで、溢れ出る涙を止めることしか、頭になかった。

「この、顔。すげえ苦しくて、困る。ずっとそればっかり考えてた。俺のせいで、こんな顔させたんだって、こんなふうに」

 私のものではない手のひらが、すぐそこ、顎に触れそうなところまできて止まる。

「三波さんが泣くの、俺は、すごく辛いんだ」


 これはうれし泣きだって言うひまもなくて、私の涙はいつの間にか引っ込んだ。

「コンビニ……行く?」

 そういえば私たちはアイスを買いに行くという目的があったのだった。人通りの少ないこの道中で、ずっと2人同じ場所で立ったまま。大谷くんは私が泣き止んだのを見計らってそう問いかけた。

「……あ、うん。行きます」

「三波さんて、時々、敬語になるよね」

 はは、と軽く笑った。確かに。自覚はあるのだが、法則は分からない。

 ゆっくりと歩き出す。今度は並んで、大谷くんは自分が前になりそうになると、合わせるように少し歩幅を狭めてくれる。

「……あのさ?」

 視線だけをそちらに向けると、ちょっと苦笑いしている彼の顔。

「本当に、聞こえてなかった?」

 だとしたら、ちょっとへこむんだけどさ。

 大谷くんがしょぼしょぼと喋るので、私はもったいぶるように唇を尖らせた。

「……ううん」

「あ……そう? なら、いんだけど……」

 後ろに言葉は続かない。もちろんこの瞬間は、愛おしい。それなのにたった数分前の言葉にしがみつくのなんて、馬鹿だなって思うんだけど。

 もう一度聞きたい。大谷くんの言葉で。その口で。さっきは不意打ちすぎて、自分の脳に心に胸に、全身に染みこませる準備ができていなかった。

 私は思いついた瞬間、また再び、小さく手を挙げていた。

「はい」

「え……? 何」

「もう一回、聞きたいです」

 そしたら、大谷くんのこと許します。

 さすがにそうは言えなかったけれど、彼は私の意図を汲んだようで目を開き口を開けた。

「なっ……え? マジで?」

「はい」

「ま、じかー……」

「一言一句同じでお願いします」

 いたって真面目にそう言うと、大谷くんはぶっと吹き出す。しばらくお腹を抱えて笑ったあと、はあと大きなため息をついて項垂れた。

「あのー、俺ね」

 少々息が乱れている大谷くんは、私の望む言葉ではなく、一人で喋りだす。

「告白って初めてしたんだけど、まあ、そりゃいつか言おうと思って準備してた言葉だけどさ、そんな2回もするとか思わないから、もうさっきので一生分の勇気使い果たしてるんだけど」

「……あ。でも勇気は、いらない、よ」

 その声で、その言葉をくれるだけでいい。そう思っていたからすんなりと伝えた。

 自分の思いがそこに詰まっているなんて、気付きもせずに。

「じゃあ」

 大谷くんが一歩前に出て立ち止まる。

 私よりも少しだけ高い背。時間が止まったような感覚。

「俺がほしい返事をくれる?」

 彼が振り返って、私に体を向けた。

「くれるなら」

 優しいその口調に、私のわがままも、心も全部見透かしていることがうかがえた。

 今日彼が言った、対等になりたいという言葉。前に進めないという言葉。

 ようやく分かった。私は深く頷いた。


 すうと息を吸う音がした。

「俺が、今好きな子は、タイプっていうか、気付いたら好きになってた。最初は、謝る目的で姿を目で追ってたんだけど、笑うと可愛いとことか、ちょっと運動音痴なとことか、すぐに好きだなって思うようになった」

 一言一句同じでって言ったのに、ところどころ付け加えられてる。私の目にはまたじんわりと涙が浮かんだ。でもそんなことで言葉を中断させたくないから、ぐっと我慢した。

「時々、三波さんが切なそうな顔するんだ。授業中とか、掃除してるときとか、一人のときよく、ぼーっと遠く見ながら、悲しそうで切なそうな顔してて。そういうとき俺、無性に傍に行きたくなるんだ」

 ぐっと息を詰めたのが分かった。

「三波さんが、好きだよ」

 返事をしなければ、と思うのに奥歯に込めた力をなかなか抜けない。言い終えた大谷くんが、首を傾げて私を覗き込む。返事を催促するように、視線を合わせてきた。

「……三波さん?」

「あ、あの」

「うん」

 大谷くんがしたように、私も息を吸う。でも上手く吸い込めなくて、ばくばくと鳴る心臓は静まらなかった。

「私も、」

「うん?」

「私は、ずっと」

 きっと時間は止まったままなんだ。動き出すには、私の言葉が必要なんだ。そう思い込むことにして、私も一生分の勇気をその言葉に込めた。

「ずっと前から、大谷くんが、好き」


 遠くのほうで、がやがやとはしゃぎ声が聞こえた。我に返った私たちは暗闇の中で、その音のするほうに目を細めて確認する。おそらくクラスメートではないが、私たちと同じようにここで打ち上げをしていた集団と思われた。

 顔を見合わせて、お互いに照れ笑いをした後また歩き出す。

 残念ながら甘い空気はどこかへ行ってしまった。でもようやく対等に前に進めるようになった私たちは、お互いの様子ばかりを気にしているのではなくちゃんと前を向いていた。まるい月はさっきよりも、明るく強く私たちを照らしてくれているような気がした。

第一章「はじまりの夏」はこれで終わりです。次のお話から主人公が変わります。

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