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片思いするなら君がいい  作者: 青子
はじまりの夏
6/27

 1500m走は競技場のトラックを3周半する。そのためスタート地点とゴール地点の場所が違う。私は遠くに見えるその集団から大谷くんを探し出そうとさっきから凝視している。でも背があまり高いほうじゃない大谷くんは、うじゃうじゃとしているその群れに隠れてしまっているようだ。

「いやあ、今年は陸上部率が高いなあ」

 隣でしみじみと話しかけてきたのは、運営委員をまとめてくれている森先生だ。1500m走は毎年接戦で、ゴールに判定が必要な場合もあるため陸上部の顧問を引き連れ、ここで一緒にスタンバイしてくれるという。

「そうなんですか?」

 私が尋ねると、深く頷いたのは顧問の先生だ。この人は、もう定年間近のおじいちゃん先生で、でも陸上に関してはウン十年の経歴を持つという重鎮らしい。

「まあ本命は陸上部主将の3年高木だな。次点は2年斉藤……次が3年飯塚」

 やっぱり大谷くんの名前は出ない。陸上部じゃないんだから当たり前か、と私は肩を落とした。そんな私に、森先生は言った。

「三波さんのクラスからは誰が出てるの?」

「えーと、お、おたに、くんです」

 なぜかしどろもどろになりながら答えると、おじいちゃん先生が私のほうを向いた。

「大谷? 2年の大谷か?」

 目つきは真剣だ。私は大谷という名字の人を他に知らないため、頷いた。

「先生、ご存知なんですか?」

「大谷か……あいつ、陸上はもうやらんって散々俺の誘いを断っておいて」

「誘い?」

 森先生が不思議そうに首を傾げる。

「大谷修は、中学のとき陸上の全国大会に出たことがあるんだ。あいつがうちの高校に入学したって知って、1年のころからずっと誘ってはいるんだが、頑に拒否しやがる」

 そんなにすごいんですね、と森先生は感心している。

 私はと言えば、大谷くんがそこまでの実力だったなんて知らなかったことに少しショックを受けていた。もちろん知らないことのほうが多い。当たり前なのに、大谷くん本人からじゃなくて、他の人から知らされると複雑な気分だ。

「この間も誘ってはみたんだが、最後のほうは機嫌悪くしてしまってな」

「先生がそこまでされるの珍しいんじゃないですか?」

「まあ、素質あるからなあ、大谷は」

 私は思わず、もう一度そちらに目をやる。もうすぐスタートするのだろうか、さきほどは談笑していたその集団が皆前を向いて姿勢を正していた。

「飯塚は、危ないかもな」

 おじいちゃん先生がそう呟いた途端、ようい、という声が聞こえた。

 一番手前の真ん中の列に、大谷くんらしき人を見つけて私は息が止まる。彼が走り出したと同時に、私の心臓も大きく鳴りだした。


 1周目、2周目は皆様子をうかがうように、団子になって走っていた。でも3周目になった途端、3年生の色の体操服を着た人がひとつ前に飛び出した。一人一人の感覚が広くなり、後方にいる子たちは少し疲れているようなフォームで走っている。だんだんとこの場所に近づいてくる顔を、私は一人ずつ確認していく。

「あれは、高木ですね」

 森先生がおじいちゃん先生と小声でやり取りしている。1番でここを通り過ぎたのは、例の高木という3年生みたいだ。次もおじいちゃん先生が予告した通り、2年生の斉藤くんが通過する。斉藤くんは1年のとき私と同じクラスだったので顔を知っていた。その斉藤くんのすぐ後ろをついていたのが、また知らない顔。さっき名前を聞いた飯塚という3年生だろうか。そんなことを考えていると、3人分くらいの感覚をあけて走っていたのは、大谷くんだった。大谷くんは1周目も2周目も誰かに重なりながら、ひたすらに前だけを見て走っていた。けれど今度は、真っ直ぐに私の視界に入る。彼の視界にも私が入ったのか、ちらりとこちらを見た。

 ほんの少しだけ、笑った気がする。

 あっという間に行ってしまったその背中をぼうっと眺めていると、すぐに2人3人と追いかけるように他の生徒が続いた。

「4番目に通ったのが、大谷ですよね? 確か体育祭の運営委員でした、あの子」

 森先生は、そうだよな、と私に同意を求めた。

 そんなことに答えている間に大谷くんの姿を見失いそうで、私はもどかしい気持ちで返事をした。

「はい、そうです」

「結構やるじゃないか。半分は陸上部が出場している中で、今のところ4位なんだから」

「……いや、3位になったぞ」

 おじいちゃん先生が言った途端、わあああと大きな歓声が上がる。その主は私たちのクラスの応援団で、いつの間にか大谷くんの前には2人という人数になっていた。しかし抜かれた3年生も負けじと彼と差を詰めようとスピードをあげている。

「斉藤も、まずいぞこれは」

 大谷くんは斉藤くんをも抜いてしまう勢いで追い上げる。でも、未だ1位をキープして走る3年生には遠かった。

 もうあと半周というところで、ついに大谷くんは斉藤くんを追い抜いた。

 おじいちゃん先生は我慢しきれないように、ゴールテープの近くまで歩み寄る。私もそうしたい、でも、得点係はここにいろという指示に縛られてゴールから少し離れたこの場所から動くことができなかった。

「修ー!」

 大谷くんの名を大きく呼ぶ声がする。高い声。

 明らかに私のクラスの応援団のいる方向からではないことに気をとられてしまう。女の子の声だ。今日はずっとクラスメートの名前を叫びっぱなしの、麻理子ちゃんの声でもない。

 私だって応援したいのに。大声で名前を呼びたいのに。

 苦しい思いをぐっと堪えながら、頑張れと強く念じる。伝わらないかもしれないけれど、大谷くんだけを見て、強く思っていた。


 ゴールテープを切ったのは、高木という3年生だった。

 少し遅れてそこを通過したのが大谷くんだった。ゴールした瞬間、地べたに倒れ込み、体で大きく息をしていた。

「1位3年高木、2位2年大谷、3位2年斉藤……」

 森先生が順位判定を手伝ってくれていることに甘えて、私は横目で大谷くんばかりを見ていた。

 クラスの応援団はすぐに彼に駆け寄り、タオルやスポーツドリンクを渡している。

「修、よくやった! すげえじゃん」

「陸上部じゃないのに2位なんて」

 口々と聞こえてくる賞賛の声。

 皆の輪の真ん中にいる大谷くんは、その姿はきちんと分からない。その隙間からちらりと、ようやく起き上がって髪をかきあげているのが見えただけだった。


 得点係の仕事が終わり、クラスの皆がいるところへ戻る。今はクラスリレーが行われている。そのあと3年の創作ダンスなので、自分の学年のレースを応援したらすぐにスタンバイに行かなくてはいけない。せっかく大谷くんの姿を目に焼き付けられる日なのに、結局バタバタとしたまま終わってしまいそうだ、と私は憂鬱だった。

「あ、おかえり。千紘」

 春香が出迎えてくれて、隣に並ぶ。

「お疲れさま。顔が疲れてるよ」

 笑われながらそう指摘し、自分の頬に手をあてるとじんわりと熱かった。

「何か、心臓に悪い」

「あはは、でも、すごかったよね」

 何が、とは声に出さなくても通じるのが嬉しいような、情けないような。そういえばまだ、春香にはまだ大谷くんとのことを話していない。体育祭が終わってゆっくりできる機会があれば、ちゃんと話そうとは思っている。

「かっこよかったね」

 春香は嬉しそうに、私の顔を覗き込む。頷こうとして、やはり春香には知っていてもらおうと思い直す。

「春香」

「ん?」

「今日、一緒に帰ろうね?」

 こんなふうに約束しなくても、おそらく一緒には帰っただろう。でもあえて約束をすることで、あとから自分を怖じ気づかせないようにプレッシャーをかけていた。

 ちなみに体育祭の片付けは、準備をしていない運営委員がやることになっている。

「うん。あ、そういえば……」

 春香は何かを思い出したように口に手をあてる。

「うちのクラスで打ち上げやるって言ってたような」

「打ち上げ?」

「まだ優勝できるかどうかも分かんないのにね。大谷くんが2位になってから妙に盛り上がってさ。多分終わったあと皆で行くんじゃないかな」

 打ち上げか、と私はため息が出た。そういった賑やかな場所が苦手だった。もちろんクラスの皆と行くわけだから、知らない人ばかりではないのだが。何となく疲れてしまうのだ。

「……春香は、行くんだよね?」

「どっちでも良かったんだけど、江畑くんが行こう行こうって言うから」

 さらっと江畑くんの名前が出てきて、私は目を丸くしながら春香の腕を掴んだ。

「えっ……江畑くんと、仲良く、なったの?」

「仲良くっていうか、前よりは話すようになったかな。何、やきもち?」

 春香は冗談ぽく言ってくるけれど、こちらは笑えない。江畑くんが春香を気にしているように見えて仕方ない。木下さんのことを知ってから敏感になっているのかもしれないと思いつつも、気にせずにはいられない。

 しばらくもやもやと2人のことを考えていたが、ふと思い出してその姿を探した。大谷くんはこの場にいないのか、見当たらない。春香に聞いてみようと思ったが、おそらく知るはずもないし、ちゃんと話す前に話題に出すのも躊躇われた。結局2年のクラスリレーが始まっても大谷くんは現れなくて、私はやきもきとしたままその時間を過ごした。

 あっという間にまた得点係の仕事の時間となり、クラスの応援団を離れる。

 3年生は最後の体育祭だ。皆お揃いのコスチュームを着て、最後のリハーサルを行っている。審査員席には先生が集まり始めていて、少し離れた場所を指示されているのでそこで待つ。ここで3年生の創作ダンスを全部見ていては、明日は恐ろしく日焼けしていることだろう。顔はパックでごまかすとしても、体の日焼けはどうしたらいいのだろう。ボディクリームとか塗っても効果あるんだろうか、持ってないから買わなくちゃいけないけれど。帰りに買いに行こうか、いや打ち上げあるんだった。つらつらと一人で考え事をしていると、突然視界に影ができた。

 自分の体の右側。誰かいると思って顔をあげた。

「あ……」

 ぽかんと口を開けたまま、私は自分の体の内側から熱がのぼせあがってくるのを感じた。

 大谷くんはどこから持ってきたのか、畳まれた段ボールを私の頭上にかざしている。

「あり、がと」

「うん」

 何を意図してそうしてくれているのかは分かる。お礼を言うので精一杯。でも何となく周りの視線も気になって、距離の近さも恥ずかしくて、私はその影から逃げ出したくなった。

「あの、いいよ。大丈夫」

「恥ずかしい?」

 照れくさそうに言われて、頷きそうになった自分を止める。きっとそれは、大谷くんのほうが大きいに違いない。そうまでしてここにいてくれることに、感謝すべきなのに。

 私は首を横に振った。

「……1位になれなかった」

 大谷くんは遠くのほうを見ながら、少し悔しげに言った。

「でも……私」

 とっくに許してる。

 というか許してもらうのは私であって、大谷くんではない。そんなふうに罪悪感を感じる必要はないのだと伝えたい。でも、どう表現していいのか分からなくて、言葉に詰まる。

「なあ」

 大谷くんと目が合う。髪の毛がいつものさらさらじゃなくて、少しずつ束になってざっくばらんな方向を向いている。それも何だかかっこうよく見えるのは、私がすっかり落ちているからだろう。

「何か、ないかな」

「なにか?」

「うん。三波さんに、許してもらう方法」

 思わず私は、大きな声で言っていた。

「許してるよ!」

 驚いたように、大谷くんは目を丸くした。

「私……許してもらうとか、そんな立場じゃない。私こそ、許してもらわないと、いけないのに」

「許すって、俺のノート見てたこと?」

 そうやって言葉にされると、今更ながらに愚かな行為だ。

「……じゃあ、決めて。これしてくれたら許すって、いうの」

「これ、してくれたら?」

「何でもいい……ていうのは、キツいけど。ちょっと頑張ればできそうなことなら、やってみるからさ」

 そんなのすぐに思いつくはずもなく、私は黙り込む。向こうのほうでは、軽やかな音楽がテストで流れていた。

「俺も、決めるから。三波さんにしてもらうこと」

「え……?」

「これで、お互い様だろ?」

「お、おたがいさまって……」

 どういう約束なんだろう、これって。まるで頭が真っ白になる。

「決めといてね?」

 段ボールを掲げた腕から、可愛くこちらを覗き込んできた。ううううう、可愛い!!

 発狂しそうになる感情を抑えながら、こみあげてくる熱を隠すように俯いた。

 決められるわけないのに。そんなの一生決められない。そうなると大谷くん理論からいくと私と彼は対等にはならないわけで。 

「じゃあスタートしまーす! まずは3年1組から」

 創作ダンスが始まることを告げるアナウンスが流れる。大谷くんはずっと段ボールを私の頭上に掲げたまま。

「あの、大谷くん? これ、もういいよ?」

「いいよ、俺は別に」

 でも絶対に腕が疲れているはずだ。ただでさえ1500m走で疲れているはずなのに、こんなふうにさせていると思うと胸が痛い。どう言ったら止めてもらえるか、少し考えて、自分にしては良案が思いつく。

「はい!」

 控えめに手を挙げてみた。

「何?」

「これ……止めてくれたら、許す、みたいな」

 言うのが妙に恥ずかしく、最後は少しごまかすしかなかった。

「は……? あー、なるほど」

 大谷くんは納得したようにうんうんと頷きながら、ちょっと考えて豪快に笑った。

「すげーな。そっか、うん」

「……だめ?」

「いや、そうじゃなくて。色々、俺の意図が、ずれていくなあって思っただけ」

 まだ考えるように、3年生が踊っているのをしばらく見ていたあと、突然口を開いた。

「だめ。これは、俺がこうしたくてしてるんだし」

「そっ、か……」

「だって、日焼けするの嫌なんだろ? 三波さん、白いから」

 自分を白いだなんて思ってはいない。黒いとも思ってないが、つまりは標準的な色だと思っているだけだ。なのにそんなふうに言われると、散々さらしている腕や足を、急に隠したい衝動に駆られる。

 それにしても許す条件を決めてくれと言われて、決めたら却下されるというのも変な話だ。

 でも大谷くんとこうやって、同じ時間を同じ場所で過ごせることが嬉しい。こうやって、隣で。

 ゆらりと影が揺れたので、隣のほうを見ると大谷くんもこちらを見ていた。さっきから目は合わせていたけれど、今は言葉もなくそのまま時間が経つ。

 大谷くんのことが好きだ。

 言葉にしてしまいそうなほど、私は心が浮かび上がる思いだった。

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