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片思いするなら君がいい  作者: 青子
むすばれる春
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 初めての履修登録はあんまり上手くいかなかった。人気の講義は抽選になることもあるなんて知らなくて、しっかりと予定に入れていたため落選すると空きコマができてしまった。毎日最初から最後まで授業の入っている日もあれば、お昼で授業が終わってしまう日もあり、アンバランスだ。失敗したと思ったのも登録した後だったし、ぎりぎりになって計画し直すのもちょっと面倒だった。どうせサッカー部のマネージャーになることは(今のところ)叶わないのだし、バイトもしていないのだからどのように授業が入っても問題はない。

「わ、春香。けっこうびっしり授業入れるんだね」

 倫子は私の時間割を見て言った。今は史学科だけの授業なので、いつもの騒がしいメンバーはいない。ちょっとホッとしつつ、倫子の時間割も覗いた。

「倫子は4限で終わるのが多いんだね」

「あったりまえじゃん。5限の時間はバイト入ることも多いし、サークルも入りたいしね」

 サークルか、私、どうしよう。今が勧誘のピークだから、入るならこの時期だ。でも明日は姉と将門がこっちに遊びにくる日だし、来週明けのほうがいいかな。そうやって先延ばしにして、何も状況が変わらないことばかり。自然とため息が多くなる。

「春香は、サークル入らないの? 部活とかは?」

「あー……今のところ決めてなくて」

「高校のときは部活とかしてなかったの?」

「高校のときは帰宅部。中学のときはバレーボール部だったんだけど」

 練習がきつくて嫌になったなんていうのは、かっこ悪いから言うのはやめた。倫子は鞄からクリアファイルを出すと、色んなチラシを机に広げた。

「私ね、入学式のときにありったけのチラシ貰ったんだ。色々あるよ。バレーボールサークルってのも、確かあった気がするなあ……あ、これだ」

 彼女が見せてくれたのは、小さな紙に『女子限定!バレーボールサークルメンバー募集』と書いてある。女子限定っていうの、結構魅力的かも。活動も週に2回程度で、たまに近隣大学と交流試合をしているらしい。

「もし良かったらそれあげるよ。私は、もう入ろうかなと思ってるサークル決めてるし」

「ふうん。どこにするの?」

「テニスサークル。やっぱり大学生っていえばテニスだよ、テニス」

 嬉しそうにそう話す倫子の手元に、見たことのある紙が見つかった。思わず私はそれをじっと見て、息をのんだ。

「それ……サッカー部の……」

 サッカー部のマネージャー募集のチラシ。倫子も貰ったんだ。

「ああ、でもこれマネージャーだよ? しかもサッカー部って超人気で、説明会参加したあと申し込んでも絶対マネージャーになれるとは限らないんだって。ここのサッカー部強いもんねえ。春香、興味あり?」

 江畑くんに会いたくて、近づくきっかけが欲しくて、ただそれだけで。

 サッカーには興味がない。中学のときにやっていたバレーボールのほうが、スポーツとしては好きだ。それに私は誰かの世話をするよりも、自分がプレーヤーになるほうが向いていると思う。動くの嫌いじゃないし、週2回という程よい活動時間もちょうどいい。強豪サッカー部なら毎日練習があるはずだ。

 それに、江畑くんに会えたからって、私が望むような反応をしてもらえるとも限らない。

 そもそも、江畑くんがK大にいるのかどうかも分からないんだったけれど。

 色々考えて、スポーツ推薦を辞退したとは考えにくい。例えば怪我をしてスポーツを続けられなくなったとかなら分かるが、江畑くんは高校生の最後まで部活をしていたし、メールでもそんなふうなことは言ってなかった。だとしたらスポーツ健康学部じゃないという可能性。思えば、その学部に進んだということは私が一方的に思い込んでいただけで本人から聞いたわけじゃない。文学部ではないことは確かだけれど、だとするとどこだろう……。彼は3年生のとき文系クラスにいたから、まさか理系学部じゃないだろう。

「春香? サッカー部の、チラシいる?」

 私が黙りこんだので、倫子は気を利かせてそれを寄こしてきた。

「でも……これ」

「どうせ私は興味ないからいいいよ。サッカー好きなの?」

 そう問われて即答できない。

「マネージャー希望なんだったら他にもあるよ。バスケ、野球、ソフトボールに、ラグビー……」

「あ、ううん。サッカーだけで、いい」

「もしかして……」

 江畑くんがスポーツ推薦でここに進んだということは、前に話していたことがあった。だからだろうか、倫子は何かを察したようににやりと笑った。

「春香の好きな人、サッカー部なんでしょ」

 私は咄嗟に俯いて、サッカー部のチラシに視線を落とす。少し下手な絵は、前に見たのと同じ。

「結局あれからメールしてないの?」

 倫子は私に気遣ってか、他の友だちがいるときにはその話をしてこなかった。江畑くんの話をするのは、初めて相談をした日以来だ。

「まあ、マネージャーになるのもいいけどさ、2人きりできっちり話をするほうがいいと思うなあ。せっかくメールできる状況なんだし。そうだ、あえて同じ大学だって言わないで2人で会う約束をするとかは?」

「2人で!? そんなの……無理。断られたらショックだし……」

「春香は自信なさすぎるよ。もっと自分から行かないと、それこそ江畑くんていう子、今は彼女がいなかったとしても、他の女の子にいっちゃう可能性あるよ」

 倫子の厳しい言葉は、私がずっと向き合いたくなかった現実。

 私が知らないだけで、もう訪れているかもしれない現実。

「……ごめん、ちょっと厳しいこと言い過ぎた」

「ううん、本当だよね」

「あ、でも、マネージャー考えてるなら説明会だけでも参加したほうがいいと思う。後悔するのが一番良くないから。今日、サッカー部行ってみたら? そこで、会えるかもしれないしさ」

 フォローするように、肩をぽんぽんと撫でる倫子の手は優しかった。

「私、実はマネージャーよりも、バレーボールサークルのほうが興味あるの。もうちょっと自分でも考えてみる。せっかくの大学生活だし」

「うん、よく考えて決めるといいよ。仮入部とかもあるだろうし」

 にっこりと言う倫子に私も笑い返すと、右手と左手に持った2枚のチラシを見比べた。同じ紙なのに、サッカー部のチラシを持つほうの手はずっしりと重かった。


 授業が終わったあと、私はまたR町の駅に下りていた。倫子に言われた言葉が心に残っていて、居ても立ってもいられなかった。もし今日会えなかったら、夜にメールしてみよう。そう決めて、K大のグラウンドに向かう。前に来たときよりも人の往来が多く、似たような人が通り過ぎるたび江畑くんじゃないかとドキドキする。

「あ、この前の子だよね」

 またグラウンドの周辺でうろうろしていると、この前話をしたサッカー部のマネージャーさんと遭遇した。

「チラシ貰えた?」

 私のことを覚えていてくれたことに嬉しく思いつつ、倫子から貰ったチラシを渡した。厳密に言えば私が貰ったものではないが、一度貰ったことはあるので問題はないはずだ。同じもののはずなのに、それがバレないかハラハラした。

「今日ね、ちょうど説明会の日なの。もし良かったら参加していって」

「え、今日ですか?」

 そんな展開になるとは思っておらず、何の準備もしていない。もちろん、サッカー部のマネージャーになるとも決めていないのに。

「今日を逃すとマネージャーの枠埋まっちゃうかも……ていうか100%埋まるから、興味あるなら参加したほうがいいよ。説明聞いてから、興味あれば入部希望出してもらう形だから、即決しなくてもいいし。どうする?」

 そう言われると、もう頷くしかなかった。

 行くように指示された場所は、グラウンドの近くにあるK大のキャンパス内の学生会館。K大にはいくつかのキャンパスがあるが、私がいつも通っているところが本校で、今から行く場所は分校で規模もこじんまりとしている。

 勝手が分からず少し迷ってしまったが何とか間に合った。5限も終わった時間なので、学生の姿はあまり見かけなかった。

 学生会館の小会議室にはたくさんの女の子が所狭しと詰め込まれていた。そんなに広い部屋じゃないから二十人程度なのだが、それでもマネージャー募集枠が3人らしいので約7倍の倍率だ。しかもキレイでおしゃれな女の子ばかりで、自分がその3人に入れる気がまったくしない。

「K大サッカー部についての説明を始めます」

 上回生らしき男の人が、サッカー部の沿革、活動内容、諸経費などについて説明を始める。その後、女の人に交代しマネージャー業務についての説明をしてくれた。体力的なキツさはなさそうだが、ほぼ毎日の活動や、力仕事が多そうなのもますます私に向いていない。それに倫子のグループのことで思い知った通り、私は騒がしい雰囲気が苦手だ。大所帯の体育会となればそれはきっと避けて通れない。

 話を聞けば聞くほど、私はマネージャーに向いていないのだ。

「では、説明会は以上です。マネージャーを希望される方は今から配布する入部希望用紙に必要事項を記入して、一週間後までに提出してください」

 入部希望用紙には、氏名や学科のほかに希望理由を書く欄もあった。私はここに堂々と本当の理由を書くことができない。きらきらとした笑顔で、マネージャーになりたいと言っている周りの女の子たちとは、私の気持ちはまったく別のところにあるのだ。


 帰り道を歩きながら、江畑くんへ送るメールの内容を考えた。ぽちぽちと文章を打っていく。

『話をしたいことがあるので、時間を貰えませんか?』

 いや、だめだ。何これ。

 唐突すぎるし、意味不明だし、こんなんじゃ返信を貰えないかもしれない。もっと雑談を盛り込んだあとに、言いたいことを言うのが良いだろうか。また、ぽちぽちと打つ。

『大学はどう? もう部活は始まった? 私は履修登録失敗して、空きコマできちゃったよ。江畑くんは履修登録もう終わった? ところで』

と打ちかけたところで、全消去した。こんなにはてなマークばっかり入れたら、江畑くん返信するの大変だよ。聞きたいことは2つくらいまでにおさめないといけないような気がする。もしかしたら本当に聞きたいことをスルーされたら意味がないし。ここは私の近況報告を言うしかない。

「近況……」

 友だちはできたけれど、その人間関係に戸惑っているだとか。大学の雰囲気にはまだ慣れないだとか。ネガティブな近況ばかりで指が動かない。

 考えすぎながら歩いていると、いつの間にか自分の部屋に着いていた。真っ直ぐ帰ってきてしまったが、相変わらず私の冷蔵庫は空っぽだ。その場その場で必要な食材を買っているだけで、お米もない状態。お米くらい、買わないとなあ。

「そうだ、明日」

 一人暮らしを始めて、独り言が増えた。私はまたメール画面を開いた。

『明日来るとき、できたらお米を持ってきてもらえたら嬉しい』

 姉に、必要なものがあれば金曜日までに連絡を、と言われてたことを思い出したのだ。江畑くんへのメールは後回しにして、いったん送信しよう。送信ボタンを押して、また新しくメール作成画面を起動させる……ところでとんでもないことに気付いた。

 さきほど送ったメールのアドレスを、姉に設定した覚えがない。


 頭がぐらんと揺れるような感覚の後、私はその場にへたり込んだ。送信履歴を見るのが怖い。どうか間違いであってほしい。

 送ったメールをなかったことにする裏技とかないのかな。某知恵袋で検索しようとして、やめた。

 そんなのあるわけないじゃん。

 震える指を、何とか動かして送信履歴を確認した。もしかしたら私の勘違いという可能性もある。どうかお願いします神様、と念じながら目をこらした。

『19:54 無題 江畑裕貴』

 送信履歴の一番上には無情にもそう書いてあった。

 お米持って来てほしい、という何とも間抜けな内容を、よりによって江畑くんに送ってしまった。

 原因は、宛先を彼に設定していたのに、そのまま姉へのメール送信へと切り替えたためだ。とにかく私にできることは、今すぐに謝罪のメールを送ることだ。きっちり2人で話、どころではない。しばらく彼には合わせる顔もない。

 泣きそうになりながら、『ごめんなさい、メールの送信先を間違いました』と打っていると、自動的に画面が切り替わる。そこに表示されたのは、さっき見た名前。

 江畑くんからの電話は、しばらくして切れてしまった。


 どうしよう、電話、くれたのにとれなかった。とる勇気が出なかった。何て言われるのだろう。変なメール送って来ないでって言われちゃうかな。ちゃんと謝らなきゃ。間違えるなよって怒られるかな。でもちゃんと謝らなきゃ。

 電話は、もう一度鳴り出した。さっきから1分も経ってないのに、また江畑くんの名前は携帯の画面に表示される。

 ちゃんと、しなきゃ。私はひとつ深呼吸をして、通話ボタンを押した。

「も、しもし……」

 電話の向こうは静か。息をのむような音が聞こえた気がした。

『江畑、ですけど』

「うん、ごめん、メール……」

『あ、やっぱ、間違いだよな。うん、だろうなと思ったんだけど、気付いてないと大変だなーと思って、電話しちゃってごめん。あの、うん、ごめん』

 私以上に謝る江畑くん。彼が怒るわけない。いつだって優しくて笑っている人だ。怖がっていたのが馬鹿みたいに思えるほど、電話の向こうの江畑くんは前と同じだった。

『えと、元気……?』

 しばらくの沈黙があった後、そう尋ねてくれた。

「うん。元気。江畑くんは?」

『俺も、何とか。こうやって喋るの、久しぶりだな』

「そうだね、本当に、何か、変な感じだね」

『百田さんからメールくること、ないから、すげえ嬉しかったのに、内容が米のことだったからちょっと笑ったよ。面白かった』

 おかしそうに言う江畑くんに、私は自分の顔が熱くなるのが分かった。その話、蒸し返さないでほしいのに。

「ごめん……うっかりしてて。あの、お米のことは、忘れてほしくて……」

『忘れらんないよ、衝撃的すぎる』

 今度は、2人で声をあげて笑う。少し間をあけたあと、

『誰と間違えてたの?』

と気まずそうに言った。

「あの……お姉ちゃん。明日こっちに来る約束だから、お米って、重いし、一人で買うの大変だから」

『え? 百田さん、一人暮らし? 地元離れてるの?』

 大学が同じだって、今、言えるチャンスかもしれない。電話ならすぐに反応が分かるし、勢いにのって言っちゃえばいいんだ。

「そうなんだ。地元離れてて、」

『そっか……』

 江畑くんは急に沈んだ声になる。

『大学どう? 楽しい?』

「うん、まだあんまり慣れてないけど、楽しい、かな」

『そっか』

 さっきと同じ返事をした江畑くんは、それきり黙ってしまう。私の胸はざわざわしたものに襲われ、何て切り出したらいいのか分からなくなる。

「えっと、私ね」

 もう言っちゃえ。言っちゃえば楽になるんだから。

 思い切って言いかけると、電話の背後で声が聞こえてきた。ぼやんとした声だが、おそらく男の人でわいわいと喋っている。

『ごめん。俺、寮に住んでて、同室の奴が戻ってきた』

「そうなんだ。寮……って、そのK大のだよね」

『うん。4人で一部屋だからすっげうるさい。仲良いからいいんだけどさ』

 江畑、電話してんの?という背後の声で、急に大学のことを伝えるきっかけを失う。

『何かうるさいやつらで、ごめん……』

「ううん、私は、あの」

『百田さん?』

 江畑くんの呼びかけに、背後はいっそううるさくなった。女の子と喋ってる!という妙な盛り上がりで、本当に騒がしい。

『あーもう、お前ら黙っとけよ。ごめん、ちょっと、場所移動するから……』

「いい、大丈夫。ごめんね、こっちこそ。切ったほうがいいよね」

『あ、切る……? うん、分かった』

「うん……」

 だからといって、私が自分から通話ボタンを押せるわけがない。何も言わないまま、しばらく無言が続いた。

「えっと」

 またね、と言いかけたところで、再び後ろから冷やかすような騒ぎ声。私はその言葉に、体が固まった。

 ーーたぶん、ゆいちゃんだよ、ゆいちゃん。

 ーーああ、また?

 ーー仲良いよなあ。

「ゆ、い?」

 私の呟いた声が届いたのか、江畑くんは慌てたように後ろの人たちへ言葉を投げ返す。

『おい、マジでうるせえって。ちが、あ、違うよ、もも、たさ』

「ごめんなさい、あの。ごめん」

 私は誰に謝っているのか分からなかった。江畑くんに対してなのか、もっと違う人なのか。

「切るね、ごめんね、ばいばい」

 さっきまで動かなかった指が嘘のように、すばやく通話を終了した。

 息が苦しい。ゆいという名前。木下さんの顔が浮かぶ。3年生のときに聞いた、木下さんに彼氏ができたという噂。やっぱりその相手は、江畑くんだったんだ。

 私の間違いメールに電話をくれて、ちょっとでも期待してしまったさっきまでの自分を呪いたい。


 片思いなんて、やめてしまいたい。

 いつか江畑くんは言った、片思いをするなら私がいいと。

 自分が相手を諦めない限り、ずっと終わらないのに。江畑くんはやめてしまったんだ。私を好きでいるの、もうやめてしまったんだ。

 私はどうなの?

 江畑くんじゃなきゃ、いやだ。江畑くん以外の人を好きになる私は、きっと私じゃない。

 あのグレープフルーツの匂い、もう一度だけ。それが願うなら、片思いでもいい。

 片思いするなら、江畑くんがいい。

 もう繋がっていない携帯電話を握りしめて、届かない彼への気持ちをずっと心の中で叫んでいた。

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