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片思いするなら君がいい  作者: 青子
むすばれる春
24/27

24

 明日からはオリエンテーションが始まる。ご飯を食べて早めに寝るに限るが、あいにく食欲が湧かない。新しい部屋は落ち着かず布団に寝転がっても睡魔はやって来ない。部屋の真ん中に置かれたテーブルの上には、コンビニの買い物袋。中身はお茶とカップ麺。一人暮らしするなら自炊をしなければと思うけれど、この辺の地理にはまだ詳しくないからスーパーの場所も分からないし、そもそも気が進まない。

 ごろんと寝返りをうつと、目の前には携帯電話。

 メールこないかな、と強くそれを睨む。いつだって忘れたころに、ふとしたときにきていた江畑くんのメール。でも私には、同じ大学に通っているということをメールで彼に伝える勇気がない。メールだとすぐに反応が分からない。画面の向こうで彼がどんな顔をしているのか、何を思っているのか、計り知れないからだ。もし嫌な顔をしていたら、それとも無反応だったら。それがどうしたのって、そう言われるのも怖い。だから直接伝えられる機会を待っているんだけど……やっぱり私は、待ってるだけ。

 突然、高い音が部屋の中に響いた。継続的に続くその音は、メールではなく電話だ。

「……はい」

 名前を確認したあと、ためらいなく通話ボタンを押した。

『もしもし? 春香』

 将門はいつもの穏やかな声で私の名前を呼んだ。

『元気でやってる? 一人暮らしは順調?』

「うん、大丈夫だよ」

 初めて一人で寝る夜には、お母さんから電話があった。電気を消すと真っ暗で、しんとした部屋に早くもホームシックになっていた。壁の向こうに家族がいないだけで、こんなに落ち着かないんだと実感した。だから、お母さんや将門の声を聞くことが私の支えになっていたのだ。

『今日は入学式だったんだろ。どうだった? 友だちできたか?』

「友だち……」

 エリカの顔が浮かぶものの、親しげに話しかけてきてくれたときと、別れ際のあっさりとした態度のギャップが気になっていた。でも大学の人間関係は中学高校よりも広く浅くになると聞いていたし、そんなものなのかとも思う。

『まあ、これからいくらでもできるから安心しなよ。僕も大学入ってすぐは一人で行動してることが多かったけど、専門科目とかだと受講メンバー大体一緒だしグループワークとかで仲良くなるきっかけもできるから』

 私の無言で事態を察したのか、フォローの言葉が連ねられる。

「うん。そうだよね」

『……で、その、江畑くんは?』

 将門は、多分私の次に、江畑くんのことを気にかけているようだ。

 前に好きだった相手に、今度は恋愛相談しているなんて、ちょっと変だと思う。あんなに将門のこと好きだったのに、振られて大泣きして時間が過ぎたら、家族になった。いつも優しく話を聞いてくれるだけじゃなくて、時には強気にアドバイスをくれる。本物の兄のように、別の意味でかけがえのない存在になっていた。

「まだ、会えてないんだ。今日は入学式だけだったし、すごい人だったから」

『K大ってキャンパス3つもあるんだよな確か。全部のキャンパスの新入学生がそっちの講堂に集まるんだからすごそうだな』

 講堂はどこかのコンサートホールのような大きさだった。その1階から2階まで学生や保護者で埋め尽くされていたのだから、その中からたった一人を見つけ出すのは至難の業だ。

「明日からオリエンテーションだから、しばらく見つけるのは難しそう……今日の人の多さ見たら、会うのも無理なんじゃないかなって思っちゃったよ」

 笑いながら言うと、至って真面目に返される。

『サッカー部に行けば絶対会えるんじゃないのか?』

「え、でも……それは、そうだけど」

 何しに行くの。何て言えばいいの。咄嗟に思うだけで、声には出ない。

『K大サッカー部でインターネットで検索したら、活動場所はR町のK大グラウンドだって。スポーツ推薦で入学したんなら即入部してるはずだから、もう練習にも出てるんじゃないのかな。R町だったら春香の住んでるマンションからも電車で3駅だから遠くないよ』

「詳しい……何で、そんなに」

『それはこっちのせりふだよ。春香は江畑くんを追いかけてK大に行ったんだろ? じゃあ自分から会いに行かなくてどうするんだよ。サッカー部のことだってもっと自分から調べなきゃ。マネージャーとして入部するっていったって僕は驚かないよ』

「……うん」

 まるで自分のことように一生懸命に話す将門に、曖昧に頷くしかできなかった。私にそこまでの勇気あるのかな。

『春香?』

「ん?」

『勇気はあるものじゃなくて、出すものだからな』

 あれ、私今声に出してたのかな。と思うくらい、心の声に返事をくれた。

『H大に合格したとき、正直、春香はH大を選ぶんじゃないかって思ってた。こっちにいれば僕たち家族もいるし、友だちの千紘ちゃんもいるんだろう? でも春香はK大を選んだ。それだってすごい勇気だ。春香自身だってずっと迷っていたから、選ぶときに勇気が出たんだよ。江畑くんのことを思って、勇気が出たんだ。だからこれからだって、自信をもって、勇気出していけばきっと上手くいく』


 次の日は、起きる予定だった時間よりも早く目覚めた。まだスカスカのクローゼットを前に私は思考能力が停止する。

 なんだって私は、こんな愛想のない服しか持ってないんだろう。

 入学式の日はスーツだったが、当たり前だが今日からは私服になる。高校のときは制服があって良かった、ということは今さらながらに噛み締めた。ハンガーにかけられた春物のコート。これは着ていくとしてベッドの上に放り投げる。今度は透明な収納ケースの中を漁り、シャツやカットソーなど手当たり次第にベッドへ放っていく。どれもこれも高校時代に買った安物ばかり。

 進学先を決めてから、新しい部屋に必要な家具や電化製品ばかりに気をまわしていて、服が必要なんて思いつきもしなかった。

 はあとため息をついて、うす水色のボーダーのシャツに手を伸ばした。


 文学部は男女比率が3:7と圧倒的に女子のほうが多い。オリエンテーションの行われるA棟で一番大きな講義室に入ると、華やかな服装に身を包んだ女の子がたくさん。地味の一言でしか言い表せない格好をしている私は、彼女らの間に入っていくなんてとても出来ず、昨日知り合ったエリカを探していた。一言でも話したことのある相手がいるのは心強かった。

 講義室の一番後ろ、端の席にエリカはいた。昨日よりもさらに派手な出で立ちの彼女の周りには、似たようなタイプの子たちがすでに数人いた。どうしよう、話しかけてもいいのかな。そう思いつつも、これくらいで怖じ気づいていたら、江畑くんに会いに行くなんて一生無理だ。エリカが私に気付いてくれないかなと期待しながら、ゆっくりと彼女らに近づいた。

「お、おはよう」

 私が声をかけると、その場にいた女の子たちが一斉にこちらを見た。迫力に圧倒されつつも、必死に笑顔をつくる。

「えーっと、おはよう?」

 エリカは首を傾げながらも挨拶を返してくれる。周りの子たちが、ぼそぼそと「知り合い?」などと耳打ちしているのが聞こえる。

「ここ、空いてるかな?」

 引っ込みがつかなくなり、空いた席を指差す。

「……他に、誰か来るんだっけ? ミオの友だちが来るんじゃなかった?」

「うん、マコトも来るはず」

 ああ、随分と大所帯のグループなんですね。そうとは知らずすみません。

 私は心の中で棒読みでそう思ったあと、

「わかった。じゃあ、大丈夫」

ともう一度笑ってその場を離れた。

 そこからまたどこかのグループに特攻する勇気なんて出なくて、私はぽつんと前のほうの席に座った。

 お昼の時間が一番きつかった。一人で食事をすること自体は何の抵抗もないが、周りが楽しそうな同年代の子たちばかりとなると話は別だ。そんな中で独りぼっちなところを江畑くんに見つかりでもしたら、私は死んだほうがマシだと思うだろう。友だちもろくに作れないなんて、私のことつまらないって思われてしまう。

 昨日の夜も結局何も食べず、朝も食欲がなくて、お昼も図書室で本を読んで過ごした。

 夕方ごろには、部屋のテーブルの上にあるはずのカップ麺が恋しくなっていて、でも今日はR町にあるK大グラウンドに行くという目的があった。大学を出た後はマンションではなく、駅に向かった。

 将門からの励ましも一因だが、入学式の日にマネージャーに勧誘されたことにも後押しされていた。


 グラウンドの最寄り駅に着くと、ジャージを着て大きな鞄を抱えた学生がたくさんいた。きっとK大の体育会の人たちなんだろう。その中にもし江畑くんがいたら。そんなふうにドキドキしながら歩いてみたが、見たことのある顔は私の目に映らなかった。

 グラウンドにはすでに練習している人が何人かいて、声をかけるのをためらう。あと数メートルというところで立ち止まり戸惑っていると、2〜3人の女の人が部室に入って行くのが見えた。もしかしてどこかの部のマネージャーさんかなと思って見ていると、そのうちの一人が早々に部室から出てくる。Tシャツに書かれた英字からサッカー部だと分かり、私は思わず駆け寄った。

「す、すみません!」

 私の声にびっくりしたのかその人は目をまるくして振り返った。

「何ですか?」

「あの、サッカー部の、方ですか?」

「はあ……」

 突然話しかけて来た私を訝しげに見つめている。

「私、マネージャー希望なんですけど……」

「ああ、なんだ、そうなの」

 急にくだけた口調になったその人は、持っていた荷物を地べたに下ろした。

「カード持ってる?」

「え……カード、ですか?」

「うん。手書きで、マネージャー募集って書いてあるカード。それ貰ってないと説明会に参加できないんだけど」

 説明会? そんなこと、あの人言ってなかった。興味があれば連絡、とだけ。

 それにあのカードはエリカに捨てられてしまった。

「カード……貰ったんですけど、すみません、捨ててしまって」

 その人は考えるように黙ったあと、また口を開く。

「じゃあ誰から貰ったか分かる? マネージャー勧誘は部員が自分たちでしてて、カードを配った人から説明会に来てもらってるの。そうじゃないと応募が殺到するから大変で」

「誰から……えっと、名前は知らないんですけど、グレーのパーカー着てて、その」

「ごめんね、それじゃあ無理だわ。また誰かからか貰う機会があればそのときに来てくれる?」

 その人は置いた荷物を再び両手に持つと、そのままグラウンドのほうへ歩いて行ってしまった。

 あのカードにそんな役割があるなんて、思ってもみなかった。確かエリカはあれを自分のポケットに入れた。そして今朝の態度。まさか、と思ったところで、ぶんぶんと首を横に振る。むやみに人を疑うのは良くない。自分の思っていた通りにならなかったからといって、人のせいにするのはだめだ。

 それに、エリカはサッカー部はやばいところだから止めたほうがいい、と言っていた。あれは私のために言ってくれたのかもしれないし。

 せめて江畑くんに会えないかなとしばらくその辺りをうろうろしてみたが、目的の人は現れなかった。


 やはり今日も近所のスーパーを探す気になれなくて、真っ直ぐ家に帰った。思えば今日一日、何も食べてない。さすがにカップ麺を食べようかなと、テーブルの買い物袋を引き寄せる。自炊しなきゃいけないし、服も買いに行かなきゃいけない。服か……私ってあんまりセンスが良くないのだ。何が自分に似合うのかよく分からない。しばらく考えて、携帯を開いた。

『大学に着てく服がないんだけど、余ってるのあったらくれない?』

 宛先は、お姉ちゃんだ。

 私が家を出る前、若いときの服が余ってるから欲しくなったら連絡してと言われていた。お姉ちゃんとはあんまり連絡をとらない。将門のほうがよくメールも電話もくる。決して仲が悪いわけではないが、将門とのことがあって私が勝手に避けていたのと、年齢差があるために喧嘩もあまりした経験がなく普通の姉妹とは少し違うのだ。

 でも、お姉ちゃんに嫌われていない自信はなぜかあった。あの人は、何か面白くて可愛い。

 送ってすぐに携帯が震える。返信早いな、と苦笑いしながら画面を開くと、それは私の思っていた人からのメールではなかった。油断していたから、私は思わず息がとまった。

『久しぶり。こっちは大学始まったよ。忙しくなると思うけど体調とか気をつけてな』

 表示される名前に、私は泣きそうになった。江畑くんからメールがくるのは、いつも突然。

 私がK大に通っているなんて知らない文章だ。返信を求める内容じゃないのが、少し寂しい。どうやって返そうかと思っていると、昨日も聞いた高い音が聞こえた。電話だ。

 江畑くんからきたメール画面を開いたまま放心していた私は、びくっとした反動で通話ボタンを押してしまった。

『もっもしもし!? 春香!?』

 お姉ちゃんだ……。相変わらず、テンション高いなあ。

「あ、もしもし。うん、そうです」

『メール、見たよ。服送るから。今日送るから。ねえ、どんなのがいい?』

「えーと、何でも。私、服全然持ってなくて……」

『今ね、クローゼット全部ひっくり返して……上だけじゃなくて下もいるでしょ? スカートとか、あと、ショートパンツもあるよ。あ、でも春香冷え性だから、そういうの足冷えちゃうかな。ちょっと将門、そのワンピースも出して。それと、そのジャケット』

 でもこれ冬物だよ、という将門の声が後ろから聞こえる。ありがたいが、それどころでない私は考える余裕がなかった。

「あ、あの……うん、スカートください」

『スカートいっぱい送るからね!! あと、カーディガンとか年中使えるやつも……きれいめのシャツとか、あ、そのチュニック、絶対春香似合う!! 将門、そのチュニック!!』

 チュニックって何?という将門の声が聞こえてきて、私は思わず吹き出した。

「他、いるものない? アクセサリーとか、帽子とか、鞄とかは? 靴も、あでも、さすがにサイズ違うか……もし良かったらこっちで買って送って……あ! 次の休みそっちに行くから一緒に買い物行く!? 一緒にショッピングしよっか!?」

 姉の気迫におされて、私は拒否できなかった。まあ、拒否する理由もないのだが、その後ろで「僕も行きたいよー」と言っている将門にちょっとホッとした。仲が悪くないといっても、姉と2人きりはやや気まずい。

 また日時が決まったら連絡すると言われ、電話を切った。

 すぐ服を送ってくれるということで胸を撫で下ろしつつも、再度メール受信画面を開いた。返信画面に切り替えるも、親指はすぐに動かない。

 江畑くんは、どうして私にメールをくれるの。私から、どういう返信を待っているの。

 そうやって送っちゃえばいいのに、私は勇気が出なかった。

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