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片思いするなら君がいい  作者: 青子
むすばれる春
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 真新しいスーツは、数日前に買ったもの。慣れない窮屈感に身をよじらせながら、大学までの道のりを歩いていた。坂の上にあるキャンパスは、キレイなれんが色でひと際目立つ。私と同じような格好をした学生に次々と追い抜かれながら、私は一度大きく息を吸った。

 お母さんを始め、お父さんもお姉ちゃんも、なぜか将門も、今日の入学式に来たいと言っていたが丁重に断った。卒業式の悪夢もあって、私は頑に拒否したのだ。

 卒業式。江畑くんに告白して、どんな結果になろうとも受け止めようと決めていた日。まさかインフルエンザになるなんてこと思いもよらなかった。入試もあったから体調管理には気をつけていたし、もちろん予防接種だってうけていた。何なんだろう、この悪運の強さ。

 熱にうなされながら、江畑くんが会いにきてくれる夢をみた。私が起きると江畑くんが枕元にいて、優しく笑っている。彼はまだ私を好きでいてくれたんだって、舞い上がっていたら目が覚めた。もちろん枕元には江畑くんなんていないし、私に残っているものは体のだるさだけ。だから将門から、家の外に誰かいたと言われても、何も考えたくなかった。近所に同じ高校に通う子はたくさんいるし、近所じゃなくても単に通りかかっただけという可能性もある。すべてを自分の都合良く考えるのはやめよう。

 将門に告白して変われると思っていたのに、まだまだ自分は甘ったれなまま。

 いつか将門が私を迎えにきてくれると昔思っていたように、江畑くんがまた前と同じように私を誘ってきてくれるんじゃないかと期待していた。でも彼からは時折メールがくるだけ。まるで私が江畑くんを忘れないよう魔法をかけているかのように、近況を報告するメール。そこには、サッカーの試合を観に来ないかとも、勉強を教えてくれとも書かれていない。

 そして私の耳に入ったのは、木下さんに彼氏ができたという話だった。3年生にあがってから、同じクラスの子が噂しているのをたまたま聞いた。

 私は2年生のとき同じクラスだったメンバー、千紘や麻理子、もちろん江畑くんとも違うクラスになってしまっていた。連絡をとったり会うときはどうしても久しぶりになるので、わざわざ木下さんのことを話題に出すのが不自然にも感じた。

 ……いや、これも言い訳だな。本当は真実を知りたくなかった。また失恋するのが怖かった。もう将門のときみたいな思いをしたくない。結局は私は、弱いまま。


 大学の門を通り過ぎると、途端に人口密度があがる。あちらこちらで写真を撮っている人や、早くもグループになってはしゃいでいる人。気後れする自分を奮い立たせ、入学式が行われるという講堂を目指した。

 座席は自由らしく、空いたところに適当に座る。自然と行き交う人の顔を確認してしまう。特に高い身長、色黒の肌の人を見ると意識せずとも胸が高鳴った。私は自分でも知らず知らずに、江畑くんに会ってしまったときのシミュレーションをしていた。

 まず、第一声はどうしよう。

(あれ、偶然だね)

 いやいやいや、私は彼がこの大学に進学してるってことを知っているんだからまずい。白々しすぎて自分でも笑える。

(同じ大学にきちゃった。びっくりした? えへ)

 ……私のキャラじゃないし。こういうとき女子力が高ければ可愛く見せてごまかすのも手だが、私がやったところでぎこちなさ満載で怪しいだけだ。

(本当はH大に行きたかったんだけど、センター試験で大失敗しちゃってやむをえなく滑り止めの大学に来るしかなかったんだ。本当はH大が良かったんだけど、落ちちゃったんだから仕方ないよね。浪人するなんて嫌だし、滑り止めでK大には受かったんだから選択はひとつしかなったんだよね)

 なんだこれ。この言い訳祭りは。しかもこういうこと言う人って面倒くさい。嫌われる人の典型だ。頭に浮かんだ言い訳を打ち消して、行き交う人から視線をそらす。


 私はH大の入学手続き期日ぎりぎりまで、決めかねていた。

 H大なら実家を出なくてもいいし、地元に残る千紘もいる。K大のあるこの街は家からも遠く離れ、一人暮らしの不安もあった。

 でも私はK大に進むと決めた。

 それからは怒濤の日々だった。大急ぎで賃貸のマンションを探し、各種手続きや必要なものの調達に走り回った。

 引っ越しもつい一昨日完了したところ。まだ街にも慣れない。家に帰ると独りぼっち。私は自分から望んで家族を避けていたこともあるというのに、誰もいない家に帰るのがひどく辛いと感じていた。せめて友だちがいればなあ、なんて思いながら入学式をやり過ごした。


 式が終わると学部ごとに必要書類を受け取り、今日はそのまま帰っていいという説明を受けた。文学部はA棟の3Fで書類を準備してあると言われるが、そのA棟の場所が分からない。周りには同じ学部の者同士連れ立って歩いている子がたくさんいて、羨ましい気持ちを抑えながら地図を睨んでいた。

 講堂の外は朝よりもなお混み合っていた。新入生の他に、サークルや部活の勧誘をする人たちが増えているためだ。あちらこちらでチラシや看板を持った私服の学生が、スーツの学生に話しかけている。

「テニスサークル興味ないっすか〜?」

 私の前にもにょきにょきと、チラシを持った手が差し出される。受け取っていたらきりがないような気がしたので会釈をしながら断り、その間にも迷ってたまるものかと地図から目を離さないでいると。

「ねえ、どこ行くの?」

 グレーのパーカーに明るめの髪の毛の男の人が、私の前に立ちはだかるように現れた。

「……えっと」

「何学部? 連れていってあげようか?」

 その人はチラシも何も持っておらず、にこにこしている。

「あの、A棟は、どちらでしょうか……」

 連れて行ってもらうつもりはなかったが、方向だけ確認したかった。自分が向かっている方角が正しいのかどうか。

「A棟? てことは文学部?」

「あ……はあ」

「おっしゃ、つれてったげるよ。こっち!」

 その人はなんと私の腕を掴み、人ごみの中をどんどんと進んだ。

 大きな大学の敷地内にはたくさんの棟がある。文学部の講義室や研究室があるA棟、社会学部のあるB棟、法学部のあるC棟、スポーツ健康学部があるのはD棟だ。

 私はなぜか江畑くんがスポーツ健康学部だと信じて疑わなかった。大学が決まったときにメールで連絡をくれたのだけれど、そのとき「自分が興味のある分野で希望が通った」と言っていた。江畑くんは体育以外の科目に興味がないといつか言っていたし、絶対にスポーツ健康学部のはずだ。あとK大にあるのは確か医学部とか理学部とかの難しそうな学部だし、文系学部で江畑くんにしっくりくるのはそれだけなのだ。

「俺は、スポーツ健康学部の2年。よろしくね」

 振り向き様にさらりと自己紹介しながら、その人は爽やかに笑った。

 スポーツ健康学部。ということは、江畑くんと一緒だ。江畑くんのこと知っているかな。そんなわけないか、まだ今日が入学式だし。

「サークル何に入るか決めたの?」

「え……」

「せっかく大学生になったんだし、入るでしょ? 高校時代何か部活とかやってた?」

 その人はまだ腕を離してくれない。向こうにA棟と書かれた案内板が見えた。

「いえ、何も、してません」

「じゃあ、マネージャーしない? そういうの興味ない?」

 A棟はもうすぐそこに。腕を、離してほしい。

「俺、サッカー部なんだ。今マネージャー募集してるんだけど、君、やってみない?」

「さ」

 サッカー部。

 声にならず、私は口を開けたまま固まる。そんな姿を見て、その人はようやく腕を離して今度は困ったように笑った。

「サッカー嫌い? 可愛い子がマネージャーになってくれたらみんな燃えるんだけどな。どう?」

「……で、でも」

「うちのサッカー部結構強いよ。推薦とかでも優秀な奴集めてるし。今年の1年も結構有望なのが多いって聞いてるんだ。試合とか近いところで見たくない? あ、夏と春は合宿もあるよ。まあ練習が中心だけどみんなで海に行ったり、去年はキャンプも行ったり。楽しいよ?」

「ええっと……」

 もごもごとしている私に、その人はポケットから一枚の紙を取り出す。

「今すぐじゃなくてもいいから、興味あったらここに連絡ちょうだい、ね!」

 名刺サイズのカードに、サッカー部マネージャー募集中!という謳い文句。余白には少し下手な絵でサッカーボールが描かれていた。


「サッカー部はやめておいたほうがいいよお」

 書類を貰いにいった先で、一人の女の子から話しかけられた。エリカと名乗った彼女は、厚めのファンデーションに濃いめのアイシャドウが目を引く、ちょっと派手めの子。高校のときはそういうタイプの子と付き合った経験がないので、変なことを口にしてしまわないかドキドキした。せっかくできた友だち一号なのに、失いたくない。

 何のサークルに入るか決めたかと言われ、思わずサッカー部のマネージャーに誘われたとこぼしてしまった。

「やめておいたほうが、いいの?」

「あんまりいい噂聞かないもん。結構遊んでる人の集まりらしいよお? サッカー部ってだけでモテるのにさあ」

「……ふうん、そっか」

 江畑くんもそういうふうになっちゃうのかな。高校のときは決して遊んでいるなんてイメージなかった。でも環境が変われば、性格だって変わってしまうかもしれない。貰ったカードを眺めていると、きれいに塗られたマニキュアの指がそれを抜き取った。

「何これえ? 小学生が描いたみたい」

「あはは、そうだよね」

「とにかくサッカー部のマネージャーはだめ。エリカね、先輩から色々噂聞いてて、本当にやばいらしいんだからね。春香ちゃんみたいな子、すぐに狙われちゃうよお。やめときなあ?」

 エリカはそのカードをくしゃっと丸めると、自分のポケットに入れてしまった。

 ああ、どうしよう。でもそんな話を聞くと、マネージャーになるのも躊躇われてしまう。ていうか江畑くんがそんなやばい部に入ってしまうことのほうが心配だ。サッカーのスポーツ推薦だから絶対入部するはずだし。教えてあげたほうがいいのかな、どうしよう。

「あ、電話だあ」

 彼女は携帯を耳にあて、ひと際高い声で相手と喋り出す。並んで歩いていた私は立ち止まり、電話が終わるのを待った。

「ごめ〜ん、友だちが待ってるから、エリカ行くね」

「あ……うん」

「また授業で会ったらよろしくねえ?」

「うん、あ、えっと」

 できたらメールアドレス交換したい……と思っている暇もなくエリカは小走りで行ってしまった。せっかく友だちができたと思っていたのに。

 仕方なく一人で帰ることにする。

 明日からオリエンテーションが数日続き、履修登録があって、来週からは早速授業が始まる。たくさん人がいるのに一人ぼっちなのは多分私だけで、江畑くんに出会えるのなんか到底無理なんじゃないかとすら思えた。会えたとしても、私は胸を張って彼に向き合える自信がない。

 笑って言えるかな。

 あなたが好きだと。あなたを追いかけてここに来たんだと。

 江畑くんに出会ったとき、下手な嘘や言い訳じゃなくて、そんなふうに伝えることができたらどんなにいいだろう。傷つくことや失恋することを恐れずに、いつか思いを打ち明けられる日がくるのだろうか。

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