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片思いするなら君がいい  作者: 青子
おいかける冬
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 何かきっかけが必要なのかなと思う。このままじゃ平行線で終わる。

 大学は思ったよりも広い。同じ学部にならまだしも、違う学部は接点がほぼない。春香いわく、その好きな人は「スポーツ健康学部に進むらしい」だそうだ。語尾が若干曖昧なのは、本人から直接聞いたわけではないから。本人にちゃんと確認してみたら?なんて言ってみたが、すでに春香が合格している学部は文学部だと決まっていて同じ学部になる確率は低いとのこと。図書館司書の資格をとりたいらしい彼女は大学名こそ不純な動機で決めようとしているが、それなりに自分で譲れない部分はあるようだ。

「クリスマス近いし、誘ってみれば」

 いつものように車で学校まで送迎しながら、試しに提案してみる。

 バックミラーには、口を尖らせた顔。

「……やだ。クリスマスって恋人同士のイベントじゃん。相手、彼女いるのに」

「あー……まあ、そうだけど」

 僕は思うんだよな、春香は頑に彼女がいるからっていうけれど、相手は時々メールをしてくるんだろう。普通、彼女がいるのに他の女の子にメールするか?って。

「ところで」

「ん?」

「その好きな人に、彼女いるってのはどこ情報なの?」

 大学の学部さえ聞き出せない春香のことだ、もしかしたら彼女がいるという情報だって曖昧なものかもしれない。

 しばらく無言だったが、ゆるゆると喋り出した。

「……その人のことを、好きな子がいて。1年生のときから、ずっと。すごくいい子だし、可愛いし、周りはみんなその子のこと応援してた」

「うん」

「その子……木下さんていうんだけど、木下さんに彼氏ができたって聞いたから」

「うん」

 続きの言葉を待っていると、また無言。

「……で?」

「でって、それで終わり」

「え、木下さんて子の好きな人が春香の好きな人だから、つまり木下さんの彼氏が春香の好きな人ってこと?」

 思わずバックミラーではなく、後部座席を直接振り返る。大きく頷く顔が見えたのを確認して、すぐまた前を向く。通学路に向かう大通りは、春香と同じ制服を着た生徒がたくさん。

「木下さんに彼氏ができた、っていう情報だけ? 本当に?」

「……うん」

「それは」

 情報としては信憑性が低いよ、と言おうとして止める。むやみに期待を持たせるのはもしかしたら、残酷なのかもしれない。いつまで経っても僕の告白を受け入れず、振ってすらくれなかった冬奈の顔が浮かぶ。

「春香は、信じてるの?」

「分からない」

 だからどの大学に行くのかも、ずっと決められない。

 ぽつりと呟いたその声に、僕は返事ができなかった。


 クリスマスも正月も過ぎて、2月に入ると春香の学校は自由登校になった。そのため朝送り迎えをする必要もなくなったが、春香自身は昼前には勉強しに登校していたようだった。

 ある日の夕方、いつもの時間に帰宅するとキッチンから甘い匂いが漂ってきた。玄関まで届くそれに、僕はピンときてしまった。市役所の女の子たちが大きな袋を持って、各男性の机をまわる行事。今年のバレンタインデーは土曜日だから、前日の今日に配る子が大多数だった。冬奈は僕に対してチョコレートを手作りするなんて発想はないはず(むしろ僕が貰ってきた会社の子からのチョコレートを自分が食べる)だから、きっとこの匂いの犯人は。

「ただいま」

 背後から声をかけると、制服のままエプロンをつけた彼女は驚いた表情で振り返った。どうやら僕が帰宅したことにも気付かなかったようだ。

「わっ……びっくりした」

「美味しそうな匂い。チョコレートだ」

 恥ずかしそうに俯いた春香は、また黙々と作業に戻る。

 今日僕が貰ったチョコレートの形状と似ている。もうベテランになるマダム職員からタッパーのまま貰った。昼から戻って茶でも飲もうかとしているところに、「おひとつどうぞお」なんて言われた。

 四角いチョコに、ココアパウダーがまぶしていて。

「あ、生チョコだ」

 思わず頬を緩ませながら言うと、春香の顔はますます赤くなった。

 しかし、これは僕はもちろん義父に向けたものでもないだろう。

「明日、渡すの?」

 聞かずにはいられなくて尋ねると、やや時間があってから僅かに顎が動く。

「ん?」

「……明日ね」

「うん」

「学校で、後輩の練習試合があるから観に行くんだって。私も学校行くし……会えたら」

 そこで聞こえなくなった言葉に、春香の思いを知る。もし会えたら渡したい、それは自分の運命を天に委ねて勇気を貰っているかのようだった。

「その練習試合観に行くっていうのは、本人からの情報?」

「あ、うん。この前、メールしてて……」

 またメールしてたんだ。脈ありなんじゃないのかって、思うけれど。

「会う約束しちゃえば?」

「えっ……無理そんなの。だって、向こうは試合の応援してるんだし」

「これ渡すんだろ?」

 泣きそうになった顔の春香は、それきり喋らなかった。もうできあがったそれをお皿にうつし、ラップをして冷蔵庫に入れる。てきぱきと後片付けをして、冬奈が帰ってくるまでには自室にこもってしまった。

 

 次の日の朝、僕はいつもの癖で土曜日は目覚まし時計もかけずに惰眠を貪ってしまった。ふと目覚めると、10時。隣の冬奈は布団に入ったまま携帯をいじっている。起きてはいるが、起き上がるのが面倒くさいようだ。我々の休日の朝なんて所詮こんなもんだ。

「……おはよ」

 僕に背を向けていた冬奈に、ぎゅっと抱きつく。一瞬肩を震わせたが、すぐに意識を携帯の画面に向けたのが分かった。

「ふーゆーなー」

「……暑苦しいなあ」

「うわ、酷くない? ていうか寒い季節なんだから、これくらいいいでしょう」

 もこもことした感触のパジャマから、彼女自身の形を探す。僕たちは交際履歴がなく結婚したわけだけれど、もちろんそういう行為もまったくなかった。キスさえなかったんだから、僕からしたら夢のまた夢だった。よく耐えたな自分。今だって嫁実家で同居だから100%羽を伸ばせているとは言い難いが、それなりに楽しむことができて幸せだ。ああ、幸せ。

「やだ、やめてよ。もう」

 指がもぞもぞと動き出したところで、冬奈は布団から出てパジャマのまま部屋を出て行ってしまう。タンタンタンとリズムよく階段を下りていく音は、布団の中からでもしっかり聞こえた。

 仕方なく僕も布団から出て、適当に着替えて冬奈のあとを追う。一階はしんとしていて、どうやらお義父さんもお義母さんも出かけているということが窺えた。

「冬奈」

 パジャマのまま湯を沸かそうとしている彼女に声をかける。

「コーヒー飲む?」

 にっこり笑って頷くと、冬奈も笑顔になった。

 春香もきっともう学校へ行っているのだろう。さきほど玄関をちらっと見たら、いつものローファーが見当たらなかった。ということは、今日は少なくともしばらくは冬奈と2人きりだ。それもまた良い休日だなと頬杖をつく。

「朝ごはん食べる?」

「いや、僕はいいよ」

「私も。何か最近食欲なくてさ」

 顔色は悪くないけど、いつもの貧血かなと話していると、冬奈が時計を気にしているようにそわそわし出す。

「ねえ、春香もう起こしてもいいかな」

 何を言うかと思えばそんなこと。実の妹なんだから好きに起こせばいいじゃないか。それよりも前に出かけてると思うけど。

「春香なら学校だよ」

「え? そうなの? 土曜日なのに?」

 そういえば土曜日だな。でも受験前だし、どうせ部活もやってるし、土曜日を開けている学校は多いんじゃないんだろうか。

「学校のほうが勉強はかどるんじゃない? 今だって自由登校だけど毎日通ってるし」

「そうじゃなくてー……なんで将門が春香のスケジュール知ってんの? ずるくない?」

 ずるいって……どういう感覚でその発想になるんだ。

「たまたま聞いたんだよ。昨日は帰るの、冬奈のほうが遅かっただろ」

「そうだけど、最近2人仲良くない? 春香も私より将門のほうに話しかけてるしさあ……」

「そんなことないよ。ほら、勉強の質問ばっかりだよ」

「むー……こんなことなら私も専門学校じゃなくて、大学受験の勉強しとけば良かった」

 妹からの勉強の質問に答えたいがために、大学受験を選ぶ人なんて聞いたことがない。その時点で未来予知してることになるし。その奇想天外な冬奈の思考回路が、僕は愛おしくて仕方がない。

「そんなことよりさ」

 向かいに座る冬奈は、変な金魚が描かれたマグカップに口をつけている。

「冬奈。今日何の日か知ってる?」

「今日?」

 少し宙に視線を泳がせたあと、口をぽかんと開けたまま目が合う。冬奈の職場は女の人ばかりだから、多分気付かないんだろうな。でもこのご時世、友チョコとかあるんじゃないのか?

「……あ、そうだ」

 冬奈は目をキラキラとさせて、僕のほうに両手を差し出してくる。

「いやいやいや、逆でしょ。それは僕のせりふ」

「えー、だって用意してないもん」

「まあ分かってるけどね。会社で貰ってきたの、あとで渡すよ」

 自分もコーヒーに口をつけると、ほんのり苦さにまろやかなミルクの味。冬奈との関係も、苦さなしには語れない。でもこのミルクのようなまろやかさも絶対に与えてもらえる。苦いばかりじゃないから、やめられない。

 僕の顔をじっと見ていた冬奈は、少し考えて口を開く。

「……あとで、買い物行こっか」

「うん。何買うの?」

「チョコレート。私が選ぶから、将門が買って」

 何だそれ、と笑ってみるものの、僕はやっぱり言いなりなんだろうな。

 お金を出してもらえるとか、何か物を貰うとか、そんなことはまったく重要じゃない。冬奈が僕のことを考えてくれることこそが、真の愛情。

 僕がそう信じて疑わないのだから、それでいいのだ。


 夕方、お義父さんとお義母さんと一緒にリビングでゆっくりしていると、玄関でバタバタっとした音が聞こえた。春香かなと思ってその足音に耳を澄ませていると、こちらに真っ直ぐやって来た彼女は小ぶりな箱を手にもっていた。

「春香、おかえ……」

「これ、あげる!」

 お義母さんの言葉を遮って、僕たちにその箱を差し出してきた。

「4人で食べて。できたら今すぐ」

「今すぐって……え? 何これ」

 おそるおそるお義母さんが受け取った箱をあけると、少し不格好な形のチョコレートが顔を出す。

「ああ、チョコレート? 春香が作ったの?」

「……受験の、気分転換に、作ったの。あの、今日のおやつに、食べて」

「ありがとう。じゃあ貰うね」

 お義母さんは箱をリビングのテーブルにもってくる。シンプルな箱に入った、6切れのチョコレート。明らかに4人では割れないその数に、春香の切なさが表れていた。

 そのまま自室に戻った春香とは裏腹に、冬奈は初めて貰った妹からの手づくりプレゼントに興奮していた。さっきから何度もカシャカシャとカメラの音がうるさい。お義父さんもまんざらでもないようにチョコレートを眺めているし、お義母さんはコーヒーを入れようとキッチンに立っている。

 そんな3人の目を盗んでこっそりとリビングを抜け出し、僕は春香の部屋の前に立った。思春期の女の子の部屋だし、普段は極力近寄らないようにしている。でも今は、彼女の話を聞いてあげる人間が必要だと思うんだ。

「……春香?」

 控えめに声をかけると、すっと息をひそめる音が聞こえた気がした。

「入っていい?」

 返事は聞こえないが、努めてゆっくりと引き戸を開ける。ほんの少しの隙間から中を覗くと、制服のまま部屋の真ん中にへたりこんでいる姿が目に入った。

 そうっと中に入り、音を立てないように彼女に近づく。

「大丈夫か?」

「うん……平気」

 涙もろい彼女だが、泣いてはいない。諦めたように、笑顔を顔に貼付けていた。

「あの、チョコレート……」

「渡せなかった。ね、馬鹿みたい……あんな思いつきで渡そうって決めたから、やっぱり上手くいかなかった」

「その、好きな人には会えたのか?」

 春香は握られた自分の拳をじっと見つめ、ふるふると首を横に動かした。

「試合の応援に来てなかったってこと?」

「来てた……と思う」

「じゃあ、どうして」

「うん」

 自然と春香の肩を抱いていた。

 やらしい気持ちとか、そんなのとは全然違う。昔からの幼なじみとして、義兄として、家族として。この女の子を支えたいと思った時、不思議と腕が伸びていた。

「春香? 話すだけで、楽になるから」

 至近距離で交わった視線。

「……うん」

「今、大事な時期だろ? 春香にとって一番いい方法、考えよう?」

 僕の言葉を聞いて、春香はやっと、柔らかくふんわりと笑った。


「……サッカーの試合、グラウンドでやってるって聞いてたから、終わったあとに渡そうと思って待ってた。グラウンドから近いところに進路相談室があるから、そこで勉強してたらね、他にも女の子がいて、多分下級生だと思うんだけど、チョコレートを持ってきててその話をしてたの。江畑くん……その、私の好きな人に、渡すんだって、言ってた」

「うん」

 そんなの構わず春香だって渡しちゃえば良かったんだって、言いたかった。でももう遅い。僕は黙って話を聞くことにした。

「すごくキレイにラッピングされてて、箱だって可愛いし、リボンもかけられてて……私なんか素っ気ない箱にいれただけ。あの女の子はずっと前から準備してたのに、私は昨日思いついて、それで……」

「それは関係ないよ。春香だってずっと好きだったんだろ? 気持ちに大きさも長さもないよ」

 我慢できずに春香の肩を揺らした。

「もう私それで……その女の子の後になんて渡せないと思って……思わず進路相談室出ちゃって。グラウンドのほうに行ったら、休憩だったみたいでその、選手とか、いっぱいいて」

「うん」

「監督っぽい人がいたから、その人に声かけたの。えば……私の、好きな」

「江畑くん?」

「……うん。江畑くん、いますかって。聞いたらね」

 話が途切れる。春香の喉が僅かに動いた。

「それで?」

「監督っぽい人は、分かんなくて、近くにいた選手に聞いてくれたの。あいつどこ行ったんだって。そしたら、その子が、『約束があるからちょっと抜ける』って、言って校舎のほうに行ったって」

「……ああ、うん」

「進路相談室で会った女の子たちは、私と同じで試合が終わるの待ってるみたいだったから、また別の子かな。彼女、かもしれない。とにかく江畑くんの周りには女の子がたくさんいて、私なんか、追いかけても無駄なんだってことが、よく分かった……」

 その約束が男か女かなんて分からない。単に先生に呼び出されただけかもしれない。

 春香を慰める方法はたくさんあるが、それが正しいのか。本当に楽になる方法なのか。僕は安易な可能性を口に出せないでいた。

「春香は、無駄だって分かったら追いかけないのか?」

 彼女は顔を上げた。泣いてはいないが、目はぼんやりと僕の向こう側を見ている。

「確かにそういう人もいるよ。僕だって恋愛経験ゼロに近いんだから、それが正しいか間違っているかなんて分からない。でも、追いかけないなら終わっちゃうよ。春香の気持ちは一生届かないし、追いつかない。江畑くんとの関係は、始まりもしない」

「けど……無駄だもん」

「無駄のどこがいけないの? じゃあ春香はこれからの人生で無駄なことは一切しないの? それに無駄は結果論だろ。始まってもないのに、無駄だと決めつけるのは自分が諦めたいからだよ。無駄なんて甘ったれた言葉で納得して、春香は江畑くんのこと諦めてこの先絶対後悔しないのか?」

 歯を噛み締めた小さな女の子は、ようやく大粒の涙でスカートを濡らした。

 泣けばいい。いっぱい泣いて、余分なもの出せばいい。僕は余ったほうの腕でその体をぎゅっと抱きしめた。冬奈を抱くときとは違う、ドキドキや心地よさはまったくない。壊れてしまいそうなその心を、守らなきゃいけないという思いで必死だった。

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