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片思いするなら君がいい  作者: 青子
とどかない秋
17/27

17

 江畑くんの言葉が心から離れないまま家に帰った。玄関には黒色の革靴が、行儀よく並んでいる。

 その隣に何気ない感じで自分のローファーを脱いでみた。靴の種類がローファーというのが良くないのか、親子か兄弟のものが並んでいるようにしか見えない。やっぱりハイヒールじゃなきゃ絵にならないと思いつつも、私はそんなもの持ってないんだった。

「あ、春香。おかえり」

 リビングから出てきた将門は、私を見つけて愛想よく笑う。スーツの上から身につけているのは、黒いエプロン。

「何、そのエプロン」

 ただいまを言うのも忘れて、私はそれを指差した。

「あ、えーっと。ご飯。ご飯を作ろうと思って」

「お姉ちゃんは? 今日遅いの?」

「冬奈は、あの、実は」

 さっきから話の歯切れが悪い彼は、時々遠くのほうを見たり、ポケットに入っている携帯電話を見たりと落ち着かない。

「……実は病院にいるんだ」

「え!?」

「あ、でも大丈夫。いつもの貧血がひどくなっただけで、点滴打ってるだけ。さっき仕事早退して様子見に行ったら、大したことなさそうだったから一回家に戻って来たんだ」

「何で戻るの? ついてればいいじゃん!」

 思わず大きな声がでて、私がびっくりしていた。病院みたいなところで一人きり、姉は不安になってないのか。どうしてそんな姉を置いて、エプロンつけて家にいるのか。

 どうしてだろう、将門のこと好きなのに、こんなふうに思ってしまうんだろう。

「冬奈が」

「え?」

「……せっかく春香がご飯一緒に食べるようになったのに、みんないなかったら寂しがるから帰れって」

 苦笑いしながらも白状した将門の言葉に、私はとんでもない居心地の悪さを感じた。何なのよ、たかが一日一緒にご飯を食べただけなのに、体調悪い自分を後回しにして気を遣うなんて。

「ばかみたい……」

「あはは、そう言わずに。僕の料理だけど我慢な? えーと、米が、どこにあったっけ」

 廊下をうろうろと右往左往している将門は、いつものスラッとした印象とはまるで違う。

 一緒に住んでいるとこんな面も目の当たりにしているはずなのに、今までずっと避けていたからあんまり見たことがない。

「……米がこんなところにあるわけないじゃん。キッチンだよ」

「え、でも戸棚全部見たけど」

 私はキッチンに入っていき、床下収納になっている箇所で立ち止まった。

「米はここ」

「……なるほど。ありがとう」

 感心したように床下収納の前で頷いている将門を置いて、私は冷蔵庫を開けた。オレンジジュースを見つけ、グラスに注ぐ。

 その隣で、将門は米をとぎだす。ぎこちない仕草に、ちょっと心配になる。

「……何作るの?」

「チキンカレーだよ。春香好きだったよね、カレー」

「カレーは、好きだけど」

「だよな? 冬奈が言ってた、何食べたいってお義母さんが聞くと、春香はいつもカレーだって」

 将門は嬉しそうに、といだ米を炊飯器にセットする。

「春香は中辛が好きなんだよな?」

「ど、して」

「違った? 冬奈が言ってたよ、姉妹で好みが違うって。あいつは甘口派だからな」

 姉の話ばかりしている彼は、声も弾んで楽しそう。

 こんな様子を見ていると、病院にいる姉よりも私を選んでくれたなんて都合のよい発想は湧かない。ただ単に、自分の妻が心配している妹の面倒を見ているだけのこと。将門と一緒にいると、特に結婚してからはずっと、みじめな気分になる。


 将門の作ったカレーは、水気が多いのかちょっとさらさらしていた。

「ごめん、ちょっと失敗。味は大丈夫だから」

「うん、美味しい」

 少しめの量を、スプーンですくって口に運ぶ。彼が家に来てからは、お腹がすいているからと大口で食べることもなくなった。非常に気を遣って疲れる。

「学校どう? 順調?」

 カレー皿は、私の前にだけ。将門はコーヒーを飲みながら、私を見てる。そういえばお父さんも今日は遅くなるって連絡があったらしい。

「ふつう……」

「普通? 悩み事とかあればいつでも言えよ? 冬奈も心配してるし」

 もう、お姉ちゃんのことはいいよ。

 わざとらしいと思うくらい、将門の言葉からは姉の名前が出てくる。

「勉強は大丈夫? 教えられる科目なら教えてやるからな、いつでも言えよ」

 昔もそうやって言って、姉妹2人で勉強をみてもらっていたっけ。夏休みの工作、ほとんど将門に作ってもらったら学校で表彰されてしまって、ズルしたくせに誇らしい気分になったんだよな。そんなこともつい最近のことのように思い出される。私と将門の思い出は全然色褪せなんてせずに、ずっと私の中で生きている。

「……まさ、とは」

 ふいに名前を呼んでしまい、私は口を噤んだ。

 何を軽々しく。姉の夫なのに。十個以上年上なのに。

「あはは、何? 春香に名前で呼ばれるの、久しぶりだなあ」

 小さいときはそりゃ、分けも分からず周りが呼ぶように私も名前を口にしていた。年頃になって、相手は自分と随分体格も違って、男の人だと意識すればするほど呼ぶのが恥ずかしくて。でも嬉しくもあった、将門のことを、将門と呼ぶのが。

「お姉ちゃんと、どうして、結婚したの」

 ずっと聞けなかった。どうして今聞けたのか分からない。

 江畑くんが私に勇気を分けてくれたのかな、なんて都合のいいように考えてみて。

「……冬奈のこと、好きだからだよ」

 あっさりと、当たり前のように言った将門は優しそうに笑っている。

「そう……でも、付き合ってなかったじゃん」

「うん。付き合ってはなかった」

 カレーは、どんよりとした焦げ茶色。さらさらと、お米も一緒にスプーンをすり抜けていく。

「……何で、結婚しようと思ったの?」

「実は結婚のことは、もっと前から考えてたんだ。俺が大学生で、冬奈が高校生のとき。いつか結婚しようって、僕がプロポーズした」

 スプーンとお皿のぶつかる音が、止まる。

 聞き間違いであってほしいと、数秒間のうちに100回くらい思った。誰がなんと言おうと、私はそれを願った。目をつぶって、また開いても、目の前にいるのは優しそうに笑っている将門だ。

「……そう」

 やっとの思いで返事をすると、将門はコーヒーを飲み干した。

「何度告白しても返事をもらえないんだ。振ってもくれないし、付き合ってくれるわけでもない。それで冬奈が高校を卒業した春に、これが最後だって自分を奮い立たせて、プロポーズしたんだ」

 将門は空になったはずのマグカップを大きな手で、大事そうに包む。ふと、姉のマグカップだと気付いた。白地に不細工な金魚が描かれた、変なマグカップ。

「僕は何をそんなに冬奈にこだわってたのかなあって自分でも時々不思議で、思い切ってプロポーズしてみて、オッケーがもらえて、やっと分かったよ。冬奈との将来が欲しかったんだって、そのとき気付いた。見えないものだけど、もちろん保証なんてなかったけどさ、冬奈が結婚してくれるって約束してくれたからいつまでも待ってやろうって気になった。冬奈は大学に行って、就職してどんどんキレイになったけど、不安もなかった。結婚するのは僕だって信じてたから」

「……結婚が」

 もう聞いていたくないのに。耳を塞いでしまいたいのに。

 私が彼に問うたのは、少しでも縋りたかったから。姉の、気持ちを知りたかったから。

 もし姉が将門のことを好きじゃないのなら、ただ単に自分を愛してくれる男に甘えているのなら、店長に言われたように私にだってチャンスがあるんじゃないかと思った。いつか離婚して、いつか私と。

「去年だったのは、どうして」

 うちには跡取りがいないと両親が嘆いていたのは事実。

 それを聞いて将門の両親が、自分の息子を薦めたのも事実だ。

「うん」

 将門は、大きく頷いた。

「僕もプロポーズしてきり、冬奈には何も言ってなかったし、冬奈もそうだった。その空白の時間に、冬奈が何を考えてたかなんて分からないけど……うちの両親が婿養子に僕をどうだって冗談混じりに差し出したときに、冬奈が首を横に振らなかった、それが理由かな」

 つまり、結婚の話が出たからそれに乗った。

「僕はもともと冬奈にプロポーズしたくらいだからその話は願ったり叶ったりだし、冬奈だって、僕の当時のプロポーズを受けたんだからいいよねって、2人で話し合って決めたんだ」

「……変なの。2人とも、変」

「うん。だから、友だちとか同僚とかに、嫁さんとの馴れ初め教えろーって言われても、上手く説明できたためしがないんだ」

 でもそれが僕らの形だから、恥ずかしいわけでも、後ろめたいわけでもないよ。

 そう言って笑った将門は、紛れもなく、自分の奥さんを世界で一番愛している男の人だった。


 将門が姉のいる病院へ行って、しんとした家に私は一人きりになった。ソファに深く座って、テレビのリモコンを手に取るも指が動かない。テレビなんてどうでもいい。本当はどうでもいいのに、何かしていないと頭の中が考えたくないことでいっぱいになる。

 いっそのこと向き合ってみよう。自分がズタズタになるまで考えてみよう。そう思うのに、弱い自分が顔を出す。

「……うっ……うう……うー……」

 どうしようもない、気持ち。行き場はなく、途方にくれる。

「っうあ、うわああああん、うわ、うあ」

 無理やりに声を出して、涙を垂れ流す。

 いつも家族が過ごしているこの場所で、思いっきり泣くこと。それが自分に必要だったのか知らないけれど、涙はどんどん溢れてくる。止まらない声と涙に、私は心のどこかで「ご近所迷惑になってるかも」なんて冷静に考えて、持っていたリモコンのスイッチをいれた。同時に、ぎゃはははという笑い声が家の中に広がり、私の泣き声は作られたそれにかき消される。

「ばかっ……まさ、とのばかやろー……」

 ずっと言いたかった。大声で叫びたかった。

 諦めたように自分を納得させて、人にも過去形で喋って、そうじゃないんだ。本当は私の中で終わってない、将門に伝えたくてしょうがない、好きだって、言いたくてしょうがない。

 それで何が変わるの?

 今日の将門の話を聞いて、告白するなんて無謀だ。きっと彼の気持ちだって変わらない。

 違う、私は自分が変わりたいんだ。将門から解放されたい。あいつを好きな気持ちを、ゴミ箱に捨ててしまいたい。姉のことが好きで好きでしょうがなくて、付き合ってもないのにプロポーズしちゃうような男なんかとっとと忘れたい。

 どうしたらいい。泣いたって変わらない。大声を出したって変わらない。

 私、どうしたらいいの。


 今のこの心境を誰かに聞いてほしくて、私は次の日、帰ろうとしていた千紘を呼び止めた。

「うん、どうしたの?」

 千紘の少し向こうで、彼女を待っている大谷くん。2人とも仲直りできたみたいで良かった、そう思っているのに邪魔するようなことして。

「春香も一緒に図書館で勉強する?」

 中間テストはもう数日後。私は笑みを顔にのせながら小さく顔を横に振った。

「えっと……春香?」

「聞いてほしいことが、あって」

「うん、いいよ。あ、大谷くん……」

 先に図書館行ってて、と千紘が言いかけたのに気付いて私はそれを遮った。

「あの、5分で終わるから。できたら、大谷くんにも聞いてほしくて」

 2人には迷惑をかけた。私のことで振り回して、喧嘩までさせてしまって。

「俺? え……」

「うん、ごめんね? ほんと、5分で終わる」

 案の定戸惑っている大谷くんを横目に、私は自分の席に座る。席の近いメンバーだから、各々が自分の席に座れば秘密の話もしやすい。でも、教室はいつの間にか私たちだけになっていた。

「……私、彼氏と別れたんだ」

 月島くんとのこと。

「ていうかね、付き合ってもなかったというか、本当に、お騒がせしました」

 ぺこんと頭を下げた。

「付き合ってなかって、どういうこと?」

 千紘が疑問に思うのは当然だ。

 私は2人の顔を交互に見た後、正直に言うことを決めた。

「千紘には話したけど、大谷くんは知らないと思うから、最初から言うとね。私にはずっと好きな人がいて、でもその人は私の姉と結婚したんだ。だから気持ちは届かなくて、今も届いてない、んだよね」

 ずず、と鼻の鳴る音。

「それで、もう辛くて、そんなときに男の子から告白されて、私その人に、逃げた。まだ好きな人のこと忘れられてないくせに、告白された人と付き合って……でも、ダメんなった。自分が真剣に相手のこと考えてなかったから、向こうだって同じだったよ」

 あはは、と無理に笑ってみせる。

「同じって……」

「告白してきた男の子も、私のこと真剣じゃなかったんだ、多分」

 でもお互い様。自業自得。

 それについては大丈夫だと、私はもう一度笑った。

「そいつって、月島?」

 静かに言った大谷くんに、私は頷いた。やっぱり、と返事をしたあと大谷くんは黙る。

「好きな人に好きって言うべきなのか、迷ってるんだ。きっと告白しても変わらない。でも、自分は変われる気がする。ずっと閉じ込めてきて、隠してきた気持ちを、さらけ出したら、どうなるかは分からないけど、変われる気がする」

 2人は何も言わないまま、時間が過ぎていく。

 もちろん答えが欲しくて聞いてもらっているわけではない。自問自答の時間を越えて、誰かに聞いてもらえれば自分の中で何かが見つかるかもしれないと期待しただけ。

「春香は、伝えたいんでしょう」

 ぽつりと言ったのは、千紘。

「うん」

 私の答えに迷いはなかった。伝えたくてしょうがないのは、私の中で間違いのないこと。

「私は、背中を押したい。お姉さんと結婚してるとか、そういうの全部なしにして、自分の気持ちを言ってみたらいいと思う。私には春香の気持ち、100%は分からない。でも、私なら、背中を押してほしいときに春香に話を聞いてもらうと思う」

「ありがとう」

 大谷くんに視線を移すと、千紘のほうを見ていた彼も頷いた。

「俺は、百田さんが、変われる方法を選んでほしい」

「……うん」

「ずっとそのままなんてもったいないよ。もっと、よく見て気付いてほしい」

 苦笑いして大谷くんは、後ろの席に目をやる。

 その席にいつも座っている人は、今日も自主練とかでショートホームルームが終わるやいなや意気揚々と教室を出て行った。テスト大丈夫なのかな、と心配になるくらい。

「俺、いっこ謝んなきゃ」

「私に?」

「うん、百田さんに」

 何だろうと思わず背筋が伸びる。

「江畑に言っちゃった……百田さん、彼氏できたって」

「あ……そうなんだ」

 いや、この場合、誰も悪くない。別に言いふらしているわけじゃないだろう。

 でも待って、それって、いつの話。

「……いつ、言ったの?」

「えっと……日曜日だったかな。俺んちに皆が集まった、次の日」

 ごめんな、と付け加えて言った大谷くんの言葉はすぐに横に流れていった。

 日曜日の次の日。私は、江畑くんに告白された。

 彼氏がいることを知って告白して、片思いでいいと言った。片思いをするなら私がいいと言った。その事実だけが私の頭を占めて、考えることが追いつかない。

 江畑くんはとことん、私と同じ。そして私の一歩、先を歩いてる。

「そっ……か……そう……なんだ」

 必死の思いで返事をしようと声を絞り出すと、一緒に涙が溢れてきた。

 胸が苦しくて、上手く息ができない。大きく息を吐こうとすると、思わず声も漏れた。

「春香……」

 千紘が、机の上にある私の手を握る。小さい彼女の両手は、温かく私を包んだ。私はそれにほっとすると同時に、声を絞り出した。

「お願い……」

「うん?」

「私が今日、ここで話したこと。泣いたこと……誰にも、言わないで」

 本当はなかったことにしてほしい。でも自分から聞いてほしいと言ったくせに、そんなふうにはお願いできなくて。

 千紘の優しい返事と、その向こうで静かに頷いた大谷くんを確認して、私は目尻に残った涙の粒を右手で拭った。

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