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片思いするなら君がいい  作者: 青子
とどかない秋
14/27

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 大谷くんの家に行くことになっている土曜日、私はお昼すぎに家を出た。いつもならこの時間まで寝ていて、部屋にこもっていることが多い私を家族は驚いていた。格好は、七分丈のカットソーにデニムというシンプルな格好。手提げ鞄には、大谷くんが教えてくれるという数学のテキストとノート。私自身は、特に数学が苦手というわけではない、決して得意でもないが。

 月島くんと付き合うようになって数日だが、変わったのは連絡をまめに取り合うようになったことだ。電話もメールも頻繁にお互いやり取りしている。相変わらずバイト先では一緒になることがないし、デートも「したいね」と言葉を交わすばかりで実現はしていない。

 待ち合わせ場所の、駅前に千紘はもう着いていた。その姿を見つけて小走りで近寄ると、やたら手荷物が多いことに気付く。

「おはよう、春香」

「おはよー……その荷物どうしたの。もしかして全部教科書?」

 まさかと思って聞いたが、千紘は笑いながら否定した。

「ううん。せっかくお呼ばれしたし、お菓子作ってきたんだ」

 そうだ、手みやげとかいるよね。まったくそんな頭がなかった。

 ばかみたいに勉強道具しか持ってこなかった自分が恨めしい。

「千紘は偉いなあ。何のお菓子作ったの?」

「えっとね、パウンドケーキと、フィナンシェと、クッキー」

「すっごいよね。フィナンシェって普通に作れるんだ」

 彼女はお菓子に限らず料理上手だ。

 並んで歩き出し、市営バスに乗る。大谷くんは、昨日には私が来ることを知っていたのか家までの行き方を教えてくれた。最寄りのバス停に降りたら、そこで待っていてくれるらしい。

「ねえ、千紘はさ、大谷くんが怖いって言ってたけどさ」

「うん……」

「ちゅうくらいはしたんでしょ?」

「ちっ……て、え……何それ……」

 バスの中は人がまばら。前方の席に数人座っているものの、後方には私たちしかいなかった。バスの揺れる音や振動で、小声で話せば周りには聞こえない。

「付き合って2ヶ月、くらい経つよね?」

「そうだけど……」

「じゃあ、してるんだよね?」

「んー……」

 渋々、といった感じで千紘は頷いた。

「いつ? どこで? どんな感じだった?」

 自分に彼氏ができたからだろうか、付き合い始めの恋人同士がどういう雰囲気でそうなるのか興味があった。

「……笑わないでよ?」

「うん、笑わない」

「夏休み中……映画館……何か、ぶつかった感じ」

 私の想像していた甘い雰囲気の話ではなく、いやに単調に伝えられた。

「ぶつかった……映画館!?」

「そう……後ろの座席には誰もいなかったと思うし、平日だったからお客さんも少なかったんだけど……あんまりロマンチックな空気でもなかったし、唐突だったし、びっくりしちゃった」

 まあ、現実は漫画やドラマみたいにうまくはいかないものなのか。私は声に出さずに、うんうんと頷いた。

「あ、そうだ。千紘に言わなきゃいけないことあったんだけど」

 教室では口に出しづらかったから、今まで言ってなかった。

「彼氏できた」

「……えっ!?」

「つい最近なんだけど」

「え、え、もしかして……江畑くん……?」

 何でそこで江畑くんが出てくるんだと、私は頭をがくっと項垂れた。

「違うよ、同じバイト先の人」

「そうなんだ……じゃあ、私の知らない人だね?」

「うん。あ、でもそのうち紹介できたらいいなとは思ってるんだ」

 ありがとう、と千紘はようやく笑った。

 月島くんと付き合うことで、見えない重荷から解放されたような気分にもなっていた。それは多分、江畑くんとのことで、千紘や麻理子や、木下さんからのプレッシャーに近い。

「そっかあ……あの、幼なじみの人のことはもういいの?」

 将門のことがもういい、それについてはあまり考えないようにしている。相変わらず家で顔を合わせるのは苦痛だけれど、これから月島くんを好きになれば解決するんじゃないかっていう期待はしている。

 私は小さく頷く。

「うん……そっか。春香が幸せなら、よかった」

「幸せって、おおげさだよ」

「ふふ、そんなことないよ」

 肩をぶつけ合いながら笑っていたら、あっという間に降りるはずのバス停に着いた。窓ガラスの向こう側に、大谷くんが見えた。


 大谷くんの家は、大きなマンション一室だった。

 通されたのは大谷くんの部屋で、やっぱりお母さんは今日も仕事らしい。兄弟もいないから、一人は慣れてるとぽつりと大谷くんは言った。

「でも寂しくない? ご飯とかどうしてるの?」

「んー、適当に。コンビニも近いし、母さんも作り置きしてくれるし、困るほどじゃないよ」

 目の前にお茶の入ったグラスが置かれる。小さな花柄の浮かんだグラスで可愛い。

 千紘はといえば、さっきから私とばっかり話している大谷くんをよそにそわそわと落ち着かなかった。お菓子の袋は彼女の隣に置いたまま。渡さなくていいのかな、とこちらが気になる。

「じゃあ、始める?」

「……あ、うん」

「中間の範囲になるのがー……三角関数のあたり」

 教科書をぱらぱらとめくり、そのページがまっさらであることに気付いた。一応授業はまじめに受けているつもりだが、ここまで教科書に何の書き込みも印もないと情けない。

 とりあえず教科書レベルの問題を解いていくことから始める。分からないところを聞いて、と言われまずは解いていくと、意外にも教科書の解説を見れば自力で進めていくことができた。そうっと顔を上げると、千紘は眉間に皺を寄せたままさっきから同じページとにらめっこしている。

「……千紘、どれ?」

 しびれを切らした大谷くんは、千紘のほうに体を向けた。

「ここ……例題1の」

「ああ、えっとまずこの式を解いて……」

 私今、本当に邪魔者だなあ……と余計なことを考えながらもノートのページが一枚埋まった。

 じゃあ次、と発展問題に進もうとしていると机の上に置いてある携帯電話が震えた。

「ごめん、電話だ」

 大谷くんはそれを掴んで、通話ボタンを押した。

「おー、今どこ? うん、じゃあ行くわ」

 十数秒で切れた電話。私と千紘は何事かと顔を見合わせていたが、電話を終えた大谷くんが、とんでもないことを言い出した。

「今から、江畑来るから」

 私と千紘は同時に、

「えっ!」

と大きな声を出していた。


 バス停まで迎えに行ってくるから適当に勉強していて、と言われても今から江畑くんが来ると聞いては落ち着いてはいられない。

「ね……なんで、江畑くん来るんだろうね」

 苦笑いしながら千紘に話しかけると、彼女は首を横に振った。

「分からない……私も聞いてなかったし。いつの間にそんなことになったんだろう」

「大谷くん言ってくれればよかったのにねえ」

 そうすれば私、きっと来なかった。

 千紘から何度頭を下げられても、彼を避けることを優先させたはずだ。そもそも江畑が来るなら、私を誘う必要も、ないか。

「あの、私帰ったほうが、いいのかな」

「えっ、何で?」

 目を大きくした千紘は、テーブルの上に置かれた私の腕を掴んだ。

「いや……なん、となく」

 手はそのまま私の皮膚に触れていて、そこだけ脈打っているのが分かった。木下さんのことを知ったのはあくまで間接的にだし、私が知っているということが悟られないほうが良いだろう。

「どうして、いてよ。春香、江畑くんのこと嫌いなの?」

「ううん、そうじゃないけど」

「……うん、そうだよね」

 それきり黙ったまま。千紘の手は、私の腕から離れていた。

 大谷くんは出て行ってから十分ほどで戻ってきた。後ろには、江畑くんを連れて。

「おー、何か勉強会って感じだね」

 笑顔で部屋に入ってきた江畑くんは、部活のジャージに上は半袖のTシャツを着ていた。背中に大きなバッグを背負って、空いていた場所にどっかりと座った。彼が来ただけで、この部屋が急に狭くなったように感じる。

「百田さん、数学苦手なの? 修に教えてもらってるんだ」

 最近学校ではあんまり喋ってなかったのに、饒舌に話しかけてくる。にこにこと嬉しそうに、自分もバッグから勉強道具を取り出した。

「……うん、そう」

「そっか、そっか。じゃあ俺も教えてもらおー。まずこの例題1を教えてくれ」

「あ、まだ千紘に説明途中だから、次に江畑な」

 ダメだ、江畑くんも結構な邪魔者だ。

 しかも教科書を開いて早速質問ということは、きっと何も分かってないのだろう。

「結構進んでるんだね。百田さん勉強得意なイメージだったよ」

 ページの上部には発展問題と書かれている。

「数学は、そんなに得意じゃないよ」

「俺は体育以外全部だめだなあ。でも親には大学行けって言われるしなあ」

「スポーツ推薦とか狙えるんじゃないの?」

「お、そうなんだよ! 実はちょっと狙ってるとこ。今年も総選でいいとこまでいったし、そうだ、百田さん試合観に来てよー。俺マジで気合い入るから」

 返事に困る。サッカーは嫌いじゃないし、時間が潰れるなら以下省略。

 でも今私には彼氏がいると、一応そういうことになっているし、明らかに自分に好意を持っていると分かっているし無理だろう。自分に言い訳しながら、また必死に嘘を探す。

「……サッカーってルール分かんないし、興味ないんだけど」

「ルール、教えるよ! じゃあ、一回何かの試合観に行く? マイナーなのでも良ければチケットとれるかも。俺隣で解説するから」

 そりゃ大谷くんと千紘は勉強しているから、こちらの会話に入ってこない。だからってこんなに堂々と私を誘うのか、この人。

「……ごめん、サッカーあんまり好きじゃない」

「そう、かあ……うーん、じゃ無理だなあ」

「ごめんね?」

「いやいや、俺がしつこいよな。ごめん」

 彼氏がいるから、て言えばいいのにと思いながら。

 言えなかった。そういうふうに口が動かなかった。

「江畑、いいよ」

 大谷くんがそう言うと、今度は男2人で肩を寄せてノートに向かっている。今顔をあげると千紘と目が合いそうで、彼女がどんな顔をしているのか知りたくなくて、私は発展問題に取りかかった。


「あ、大谷くん……お手洗い借りても」

「うん、部屋でて奥の扉」

「ありがとう」

 勉強会が一段落つき、千紘が部屋を出た。今しかない。

「大谷くん、私そろそろ、おいとまするね」

「え、もう?」

 返事をしたのは、なぜか江畑くんだった。

 彼を置いていっては私が消える意味がない。接近は避けるべきだと分かっているが、仕方なく提案した。

「江畑くんも部活で疲れてるんじゃない?」

「俺? いや、べつに……」

 そう言いかけた彼の腕を掠める程度に触る。視線で訴えると、何かを察したように腰をあげた。

「そうだ、俺疲れてるんだった」

「じゃあ、私たちは帰るから」

「百田さん送っていくよ、せっかくだし」

 どさくさに紛れて何言ってんだこいつは、と横目で睨むとにこにこしていた。千紘はいないのにこの猿芝居は無駄にも思えるが、大谷くんは苦笑いしながら見送ってくれた。

 外に出ると、まだ明るい。まだ帰るには早い、特に私は。

「送ってくよ」

 そういう江畑くんに、首を横に振った。

「いいよ。私、まだ帰らないから」

「え、何か用事?」

「そういうわけじゃないけど……」

 と言ったところで、用事ということにしておけばよかったと後悔した。

「俺、暇だから、途中まで一緒に帰ろうよ。だめ?」

「だめっていうか」

 用事なんてない。家にも帰りたくない。どうしよう。

 とりあえず駅前まで一緒に行ったら納得してくれるかな。

「……じゃあ、江畑くん電車だよね? 駅前まで一緒に行こう」

「おー、やった!」

 何がそんなに嬉しいのか、スキップしそうな勢いで飛び跳ねている。


 バスに乗って、2人掛けの椅子に座る。千紘のときには感じなかった窮屈感。バスの座席ってどうしてこうも狭いんだろう。しかも揺れるからその度に、体がぶつかるように触れ合う。江畑くんは部活終わりなのに嫌な匂いなんて全然しなくて、ほんのりと私の好きな柑橘系の匂いがした。グレープフルーツのような、すっぱいようで甘いような。

「お化け屋敷さ、超怖くしてやろうって話してて」

「うん」

「話題になった映画あったじゃん、田舎の一軒家で起こる心霊現象、みたいなやつ。あれイメージして作っていくことになって、橋本のじいちゃん家で田舎っぽいアイテム色々貰えそうだからさ、それ使って本格的に。映像とかも撮ろうぜって言ってて」

 江畑くんの話す内容は結構どうでもよかったけれど、私はその匂いばかりに気がいっていた。すごく好きだな、と思った。

 何回目かの相づちを打っていると、バスが信号で停まる。

 大通りを一本外れると住宅街のこの町で、見かけると思わなかった姿があって私は息が止まった。いつものその姿じゃない、キレイに施された化粧に体の線がくっきりと出ているワンピース。今の時期だとちょっと寒そうにも思えるけれど、すごく大人っぽくてセクシーだ。こんなに明るい昼には、少しもったいないと思ってしまうくらい。

 私のバイト先の店長は、すごく嬉しそうに歩いている。ヒールの高い靴も、ぴかぴかと光っていた。

「知り合い?」

 窓の外から目を離さない私に気付き、隣から声が聞こえた。

 その瞬間、私は固まった。店長の隣には、もうひとつ知っている顔があったから。

「どうして……」

 バスが動き出す。まだ降りる場所じゃないけれど、私は無意識にすぐそこのブザーを押していた。

「ツギ、トマリマス」

 機械的な音声が聞こえ、すぐそこにあったバス停に停まった。

 鞄から財布を取り出しながら、僅かしかない隙間を無理やりに通る。

「ごめんね、バイバイ」

 それしか言えず、小走りで運転席まで向かう。背中から江畑くんの声が聞こえた気がしたけれど、動揺していてバス代220円を出すのに必死だった。

 見間違いであってほしい。

 それを確認するため、道もよく知らないこの町でバスを降りたのだ。彼じゃなければそれでいい。

「百田さん!」

 走り出そうとしていた私の腕を掴んだのは、江畑くんだった。

 咄嗟にふりほどこうと抵抗したけれど、彼の手は力強く私を捕らえていた。なぜかそれが私を冷静にさせて、だんだんと落ち着いてくる。そう、見間違いの可能性も高い。

「どうしたんだよ、急に」

「……えっと、知り合いが、いて」

「知り合い? どうしても今追いかけなきゃいけないのか?」

 私は力をこめて、頷いた。

「ごめん、腕離して」

「……」

「はなして」

 江畑くんは、少し待ってゆっくり手をほどいてくれた。

 私が追いかけなくちゃいけない背中は、どんどんと離れている。キレイな女性の隣には、それに似つかわしくない、あまりにもラフな格好の背中。なぜか店長との間には少しばかりの距離がある。もしかして何かの用事で、2人で歩いているだけなのかも。いやでも、彼はただのバイトなのになぜ? どんな理由でそういうことになるの。

 2人に気付かれないように、あとちょっとのところまで追いついた。

 店長は彼に話しかけている。その答えが、店長は嬉しかったのかはしゃぐような仕草を見せた後、彼の腕に手をかけた。彼は嫌がるような態度を見せたものの、2人はそのまま。ほんの救いだった2人の距離も、あっという間に縮んでしまった。

 何やってるんだろうと思いながらも、私は呼ばずにはいられなかった。

「……きしま、くん」

 聞こえなかったのかな、2人はまだ前を向いたまま。

 もう一度、お腹に力をこめる。

「月島くん!」

 振り向いたのは、2人同時。

 びっくりしたように私を見ているのも、2人同じ。組んだままの腕は、ようやく彼によってほどかれた。

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