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片思いするなら君がいい  作者: 青子
とどかない秋
13/27

13

 私は寄り道することも忘れて、気付いたらいつもの電車に乗って家の前に立っていた。

 まずい、と思ったがここまで来て引き返すわけにもいかず、仕方なく家の鍵を鞄から取り出した。学校から真っ直ぐ帰れば、当たり前だが一番に家に着くのは私だ。姉も働いているし、嘱託になったとはいえ父親もまだ現役だ。

 自分の部屋に入って鞄を置く。もうずっと、リビングでは時間を過ごしていない。キッチンでもご飯を食べるときだけだ。家のどこにいても、将門の気配がある。姿はなくても、将門の私物が見えるたびに苦しさに教われるから。だから早く帰ったら自分の部屋に一直線なのだ。

 この苦しみから逃れるにはどうしたらいい。何度も考えた。家出をするとか、試しに髪を切ってみるとか、色々案は出した。その中に、告白してくれる男の子ととりあえず付き合ってみるという選択肢が、なかったわけでもない。終わった恋を癒すのは、新しい恋だとどこぞのドラマでも言っていた。そう考えたとき、まっさきに思い浮かんだのは月島くんの顔だ。最初はあんなふうに告白されて警戒していたし、避けてもいた。でも同じバイト先で働くようになって、店長という頭の痛い存在から救ってくれるのは彼自身だ。彼がいなければ、とっくに根をあげてバイトを辞めてしまっていた可能性は高い。

「つき、しまくん……」

 この前電話をしたのも私からで、ファーストフードに足を運んでいるのも私ばかり。でも待ってくれているという言葉に浮かされて、私は今日も携帯電話を手にもった。

 彼が今日、バイトが休みだというのは知っている。私が新しく入ったのと、前からいる大学生が夏休み中だとかでたくさんシフトに入れるようになったので、月島くんのシフトは大分緩和されたのだ。

『今日、バイトあるの?』

 たったこれだけを打つのに、ばかみたいに時間をかけた。送信ボタンを押そうにも、親指に力が入らない。考えすぎて眠くなってくる。このまま寝ちゃおうかな、と畳の上にごろんと横になった。制服が皺になるから脱がなきゃ、と思う反面このまま寝てしまえとも思っている。仰向けになり、もう一度携帯電話の画面を見た。

「……おくっちゃえ」

 何かを変えたいと思っている、私の中にいるもう一人の私が言った。

 親指にこめられた力は、それを最後にふっと抜けていった。同時に私の瞼も閉じて、意識が遠くなっていくのを感じていた。


 引き戸の向こうで聞こえる話し声で目が覚めた。辺りを見回すと暗闇に、戸の隙間から光が漏れている。どれくらい寝てたんだろうと、一度伸びをしたあと携帯電話を開く。ぽわっと広がる画面には、「20:57」という数字が表示されていた。軽く4時間は寝ていたわけだ。ふうと息をついていると、2つのアイコンが並んで表示されているのに気付く。

 メール、電話……両方いっぺんにくるなんて珍しいな、と思っていると、そういえば寝てしまう前に月島くんにメールを送ったんだった。慌てて携帯を操作して、まずはメールを開く。相手はもちろん月島くんだった。

『うん、今日は休みだよ。どうしたの?』

 受信時間は、私がメール送った数分後だ。なのに4時間も寝てしまうなんて、私は大ばか者だ。自分で自分を呪いながら、とりあえず着信のほうも確認する。すると、そちらも月島くんだった。私が返信をしないので変に思ったのだろう、その30分後くらいに着信はひとつだけ残されていた。留守電は入ってない。かけ直したほうがいいよね、と着信画面から発信画面に切りかえる。今度は躊躇いなく親指が働き、私は携帯を耳にあてた。

 何回かコール音が鳴った後、『もしもし?』という声が聞こえる。咄嗟にかける相手を間違えたのかと私は耳を離した。でも、発信画面には『月島くん』と表示されたまま。この間かけたときだってちゃんと繋がったから、番号は間違っていないはずだ。

 もう一度聞こえた『もしもし?」』という高い声。どっかで聞いたことある……と再び耳を寄せた。

「あの……月島さんではないですか?」

 私がそう言うと、相手は、

『えっ、あっ……』

という声をあげて電話を離れた気配がした。女の人の声。何となくだけれど、若い子じゃなくて大人の女性のような気がする。どこで聞いたことがあるんだろう……。

「もしもし? すみません!」

 気になって、私は声を大きくした。

『……あ、ごめんなさい。間違えちゃった』

 間違えちゃった?

『今、月島くん勤務中だけど。急ぎの用事?』

 勤務中……バイト先? やはりこの声。思い当たるのはあの人しかいない。

「て、店長、ですか?」

『ええ、ごめんなさいね? 彼の携帯電話、私のと一緒の機種だからうっかり間違えちゃって』

 いつか私に、月島くんと付き合わないでくれと言ったときとは違う、穏やかな口調だ。まるで演技をしているみたいに、怖いくらいに。 

『じゃあ、私も戻らないといけないから。切るわよ?』

「……はい」

 雑に切られたあとの画面をぼうっと眺める。

 月島くんは今日、バイトのシフトは入ってなかったはずだ。誰かに頼まれて急遽代わりに入ったということだろうか。でも16時すぎの時点で、バイトはないと返信がきていたことを思うと妙だ。そして店長が月島くんの電話にでた。どういうことなんだろう。分からない。

 考えるのが面倒になって、私は携帯電話を畳の上に放り投げた。


 次の日、浮かない気分のまま授業を受ける。昨日の出来事が気になって仕方ないのに、もうこれ以上何も知りたくないとも思っている。次にバイトに行くときは店長から何か言われるかもしれない。辞めてしまいたい、でも私の居場所、またなくなってしまう。

「百田さん」

 小さな声で右隣から呼ばれて、真っ白のままのノートから顔をあげた。

「なに?」

「えーと、元気、ない?」

 あのことを聞いてから、江畑くんにまともに笑いかけるのが後ろめたい。どこかで木下さんのことや、木下さんを応援している麻理子や千紘のことを考えている。

「ううん、別に」

「あ、そう……あのさ、お願いあるんだけど」

 今授業中なのにな、と前を見るとさきほどまで教壇にいた先生がいない。黒板には途中の数式が残っていた。

「あれ、先生は?」

「さっき、急用の電話が入ったとかで職員室に行った……見てなかったのか?」

「あー……ぼうっとしちゃってたから」

 教科書をめくる。黒板と同じ数式の書かれているページを探した。

「あの? 百田さん?」

「んー?」

 自分でもびっくりするくらいの素っ気ない返事だ。昨日のことがなければ、こんなふうに変わらなかったのに人間って恐ろしいな。

「俺さ、やっぱり金江に出し物リーダーやれって言われてさ。すげーすげー言われるんだよ」

「ふうん」

「でもさお化け屋敷って大変じゃん。一人で計画するのは限界あるし、リーダーは一人じゃ無理だと思うんだよ。で、もう一人手伝ってくんないかなと思ってて」

 ああ、何だか嫌な展開の予感。

「百田さん、手伝ってよ」

「え……」

「すっげえ怖いお化け屋敷作って、儲けまくってやらない?」

 どうして私なんか指名してくるんだ、と苦く思いながらもその裏側にある気持ちが痛いほど伝わってくる。断るべきなんだけど、どう言えばいいのか分からない。昨日までの私なら、それで放課後の時間が潰れるならと引き受けた可能性も高いのに。

「……ごめん。バイト始めたから、無理」

「でもバイトって毎日じゃないんでしょ? 俺だって部活あるし、休み時間とか……休みの日とかに支障のない時間に話し合っていけばよくない?」

 そこまで食い下がってくるとは思っていなくて、ますます返す言葉に困る。

「……やだって言ってるじゃない」

「え?」

「自分が嫌なこと、人に押しつけないでよ」

 まずい、言い過ぎたかも。そう思ったときには遅かった。江畑くんは眉毛を下げて、寂しそうに私から視線を外した。今すぐごめんって言おうかとも思ったが、そうすることが木下さんのためになるならと私は間違った道を選んでいた。


 出し物リーダーは、結局江畑くんと、江畑くんと仲のいい橋本くんに決まったようだった。数日後、千紘を通じて自分の係が何になったかを聞いた。

「私と春香は大道具だって。設計はリーダーがやってくれるから、忙しくなるのは中間テスト終わったあたりからだって言ってたよ」

 自分が裏方にまわれたことにほっとしつつ、まだ江畑くんに対して後ろめたさがある。あれから数日だが、私に喋りかけるのを遠慮しているように思えた。毎日のように何かと話をしていたのに、今はほとんど挨拶くらいしかしない。

「江畑くん、最近元気ないよね」

 千紘も気付いているんだ、と私は頷いた。

「春香、何かあった?」

 どうして私と何かあると思うんだろう。千紘は木下さんの気持ちを知っていて、おそらく江畑くんの気持ちを知っていて。彼女なりに気を遣っているんだろうけれど、その言葉の真意が読めてこちらは辛い。

「……ううん、特に」

「そっか、うん……そうだよね」

「千紘こそどうなの。大谷くんとは仲良くしてんの?」

 からかうように言うと、少し顔を赤くしてまわりを見渡した。さすがに2人が付き合っているということはクラスにも浸透してきているし、次は移動教室だから人は少ない。

「……あのね」

「うん?」

「あのー……」

「何よ、言ってみ」

 千紘はなおも、辺りを見回す。そして声をひそめた。

「家に来ないかって、言われてるんだけど」

「え、大谷くん家に?」

「うん……私が数学苦手だから、教えてくれるって」

 そんなの学校でも図書館でもいい気がするが、世のカップルたちはそうやって親密になっていくんだなあと彼氏いない歴17年の自分はぼんやり思う。

「いいじゃん。教えてもらいなよ」

「……っ、気軽に言わないでよー……2人きりとか、緊張しすぎて死にたくなる」

「家族の人がいるんじゃないの?」

「うん……あのね、大谷くん家って母子家庭なんだって。でね、お母さん、看護士さんだから勤務がハードでほとんど家にいないこともあるって言ってて」

 それは知らなかった。確かに緊張しそうだ。でも、2人が前に進むためには、障害が少なくていいんじゃないだろうか、と何の経験もない私は気軽に考える。

「何か、時々怖いの」

「大谷くんが?」

「上手く言えないけど……焦ってるように感じることもあるし、でも私が心の準備できてないから、ちぐはぐみたになっちゃって」

「ふうん……難しいんだね」

「でもね、誘ってくれてるのに断ると、申し訳ないし、大谷くん自身を否定しちゃったみたいな気分になって、私がすごく悲しくなって……でも2人きりになるのは、ちょっとまだ、どうかなと思ってて……」

 だんだんと千紘の言い分が分かるような気がしてきた。私だって同じ立場に立てば、そんなふうに思ってしまう可能性はある。

「春香、お願い」

 何だか、お願いされることが多いなあ。

「大谷くんの家、一緒に来てくれない?」

「ええ!? 私が?」

 それはさすがに邪魔者だろう。

 いやいやいや、と首を手を横に振りまくった。

「だ、だって、断るのは申し訳ないんだもん」

「だからって何で私? 関係ないじゃん……」

「関係なくないよ! クラスメートだし、こんなに席も近いし」

 席順は関係ないだろう……と頭を項垂れる。それに私が行けば、どっちにしろ大谷くんは傷つくだろう。彼は千紘と2人きりになりたくて家に呼んでいるに違いない。

「いやー……さすがに、そこには割って入れないよ……」

「お願い、こんなの頼めるの春香しかいないんだもん。お願い、ね?」

 ここまで言われると、もう首を縦にふるしかできなかった。

 当日は適当にごまかして途中で帰るということで気を利かせよう。これじゃ勇気を出して誘った大谷くんも不憫だし、千紘だってずっと怖がっているままになってしまう。


 その日はバイトが入っていた。店長が月島くんの電話に出たあの日から、初めての勤務だ。

 緊張しながら出勤すると、なぜか店長の姿はなかった。代わりに、制服を着てパソコンの前に座っている月島くんがいた。そこはいつも店長が座っているところ。

「おはよう、ございます」

「あ、百田さん。おはよー」

 彼は爽やかな笑顔で迎えてくれる。前に会ったときよりも、不思議だけれどカッコいいなと思えた。将門はカッコいいという思う暇もなくいつの間にか自然に好きになっていて、そこにいるのが当たり前の存在だったから初めての感覚だった。

「今日は、店長は……」

「休みだって。本社から代わりの人が来るらしいけど、他の店舗も偵察に行くみたいだから、店番はほとんど俺ら2人になるって」

「そうなんだ」

 店長に会わなくて済んで安堵感を抱きつつも、やはりこの前のことが気になる。

「月島くん……この前、電話」

「あー! ごめんごめん。店長が間違って出ちゃったやつでしょ? ほんと、デリカシーないよね、あの人」

 拍子抜けするような返事に、私は思わず笑ってしまった。

 やっぱり、ただの間違いだったのだ。

「でも大変だったね。休みの日なのに、シフト入っちゃったんだね」

「あ、あー……うん、そうそう。参るよね。百田さんにメールの返信したあと頼まれてさ、で、百田さんからメールが来る前に事情話さないとと思って電話したんだ」

 すらすらと出てくる言葉に、疑うようなところはない。

「そうなんだ、うん、分かった」

「そういえば、あれっきりになってたけど、何か用事じゃなかったの?」

 何となく月島くんの声を聞きたくて、顔を見たくて打ったメール。正直に言えば、月島くんはどういう顔をするだろう。

「……あのね」

「ん?」

 月島くんが、座っている椅子から少し身を乗り出す。

「声が、聞きたかった」

「……え?」

「それだけ」

 私はそう言い残して、急いで更衣室に入った。備え付けの鏡を見ると、頬がほんのりと朱に染まっていた。自分の手の甲で冷やしながら、どんな顔をして更衣室を出たらいいのか迷っていた。

 ひとつ気がかりなのは、店長のことだ。月島くんはやめておけと言った言葉。でもそんなの気にしなくてもいいように思えてきていた。月島くんと付き合って、ますます彼のことを好きになれれば、私は放課後の時間つぶしを考える必要がなくなるわけで、バイトを辞めてしまっても問題ないのだ。あんな店長の言葉に自分の心をなくしてしまう必要はない。

 ひとつ頷いて更衣室を出ると、ぶわっと私を包む腕が目に入ってきた。

 ぎゅうっと締めつけられる感覚に、恥ずかしさと甘さが同時に訪れる。

「ほんとに、いいの……?」

 消え入りそうな声は、私の耳元すぐに届いた。

「あの、つき、しまくん……」

「なに?」

 腕を緩めてもらえるように身じろぎし、至近距離で見つめ合った。

 男の子にしては大きめの瞳に、私の顔が映っている。その景色は今まで経験したことがなくて、こんなにも夢見心地になってしまうんだなと思った。

「あの……もうすぐ時間だから」

「あ……ごめん。俺、舞い上がっちゃって……」

「ううん」

 2人で体を離し、私は冷静さを取り戻すようにタイムカードを切る。月島くんはまたパソコンに向かい、店長から頼まれたであろう事務作業に戻った。

 ついに、彼氏ができたんだ。隠せない笑みは、表情にこぼれていた。


 舞い上がっていたのは私のほうだ。色んなことに目をつぶって、楽なほうに流れていたんだ。これから自分が巻き込まれる事態に、まったく気付いていなかった。

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