第6章 少女の花言葉
「なんだ……コレ」
圧倒されるその景色に、シュウはそれだけを呟いた。
目の前に広がるは眩しいまでの黄色。
二人は一面のひまわり畑にいた。
シュウとアイは四十五階に降り立った。その第一声がこれである。
「なんだ……コレ」
アイは目を輝かせている。
「すっごーい! 見て見てシュウ! ひまわりがこんなに!」
黄色い花畑を前にアイは駆け出した。
「あっおい! 勝手にうろちょろすんな!」
シュウの静止を無視して、アイはひまわり畑の中に突っ込んでいく。あっという間にその姿は背の高いひまわりに阻まれて、見えなくなった。楽しそうにはしゃぐ声だけが聞こえる。シュウは溜め息をついた。
見事なひまわり畑だった。黄色の花の切れ目は見えず、青い空とのコントラストは気持ちいいほどだった。塔の中だから本物の空ではないけれど。
――そういやそろそろ夏が来るな
リアルでは梅雨真っ盛りだ。現実のシュウの体は、エアコンの除湿の効いた部屋で横たわっているだろう。実に快適な引きこもり生活だ。
「アイ! あんま動き回ると」
「きゃー!」
叫び声と共にアイが飛び出してきた。ひまわり畑の真上に。案の定というかなんというか。
アイは伸びたツタに逆さ吊りにされていた。
これがこの階のモンスターだ。ひまわりの大群から太いツルが伸びて、アイの足を絡め取っていた。巨大なひまわりが真ん中あたりに迫り出してきた。
「ちょっ……! パンツ見えちゃうー!」
アイは必死にワンピースの裾を押さえている。シュウはうっかりそっちに目が行きそうになってしまった。が、それどころじゃない。かぶりを振る。
「アイ! じっとしてろ!」
そう叫ぶとひまわり畑の中に飛び込んだ。
このひまわり畑全体がモンスターとなっているらしい。執拗に絡み付いてこようとするツタに、シュウの剣が追い付かなくなってきた。
それでも必死に剣を薙ぎって多少のスペースを作る。ひまわりと睨み合う、なんて傍から見たらおかしい状況に陥った。
ひまわりのツタも出方を伺っているようだった。うねうねと奇妙な動きを取って、シュウに狙いを定めていた。
「いやー!」
そこにアイの悲鳴が響く。
はっとシュウが視線をやると、ツタに足を取られたままのアイが振り回されていた。
「アイ!」
シュッと空気を切る音がする。
視線を外した一瞬、ツタが襲ってきた。アイに気を取られてシュウの反応が一歩遅れた。
「くっ……」
間一髪で剣で防げた。だがうまく構えを取れなかったせいで、シュウは押される。太いツタが剣を弾く。シュウの体が吹っ飛ばされた。
「うっ……」
花畑の外まで飛ばされて、シュウは地面を転がる。数メートル先に剣が突き刺さった。受け身は取ったが、小さくうめき声が漏れた。
「シュウ!」
花畑の上からその姿が見えたらしい。アイの息を呑んだ声が聞こえた。
転がっている場合じゃない。
シュウは歯を食いしばって起き上がった。体のいたるところに切り傷ができていた。体力ゲージも大分減っていることだろう。
「アイ……待ってろ」
地面に突き刺さっていた剣を手にする。うねうねと不気味な動きをするひまわりに、切っ先を向けた。
「シュウ! 本、体を……狙うの!」
振り回されながらアイが叫ぶ。
この膨大なひまわりを操っているその中心。その中心を討たなければきりがない。
シュウは目を凝らした。動いているツタのその先。
「いた」
アイが宙吊りになっているところのさらに奥、隅の方に、周りのひまわりより一回り小さな花があった。僅かにだが、光っている。きっとあれが本体だろう。シュウは花畑を大きく迂回するように駆け出した。
それをみすみす逃がすようなモンスターではない。ツタがシュウを襲ってくる。しかし、花畑に突っ込んでいったときのような鋭さはそこにはなかった。どうやら花畑の外では威力が弱まるらしい。シュウはにやりと笑った。
光るひまわりのところまで辿りついた。ひまわりがその葉を腕のように構える。まずシュウが仕掛けた。
剣を斜めに構えてモンスターへと駆ける。待ち構えたモンスターは、自分の葉をシュウの腕目掛けて伸ばした。シュウはすっとかわすとその葉を切り落とした。ひまわりが怒ったように震える。更にツタを伸ばして、シュウの左腕は絡め取られてしまった。
その口が弧を描いた。
「それを待ってたんだよ」
シュウは足を止めて踏ん張ると、左腕を一気に引いた。ツタが腕に食い込む。シュウの顔が歪む。
ツタにつられてひまわりの根が抜けた。宙を舞い、シュウの元へと降ってくる。シュウは剣をまっすぐ天へ向けた。
ザンッ、と乾いた音を立てて黄色の花が串刺しになった。そしてさらさらと消えていく。同じようにひまわりの大群も砂になっていった。
四十五階 『憧れの間』 クリア
「きゃー!」
シュウがはっと目を向けると、アイは真っ逆さまに落ちようとしていた。アイを吊っていたツタも砂になってしまったのだ。
「アイ!」
シュウは駆け出した。
――間に合うか……?
――間に合え!
ボスン!
シュウもろともアイは転がった。しかしシュウのその腕にはアイがしっかりと抱きしめられている。
「い……たたたた……」
シュウは身を起こす。
「アイ? 大丈夫か?」
アイは小さく震えている。
「アイ、ケガは……」
問いかけようとしたシュウの声が途中で止まった。気が付くと、抱きついてきたアイに押し倒されていた。
「えーっと……。アイさん?」
「怖かったよー!」
そう言って泣きついてくる。よほど怖かったのだろう。脇目も振らず泣きじゃくっている。
シュウはふぅ、と一息ついた。アイごと勢いよく起き上がる。
泣き止まないアイを膝の上に乗せて、背中に手を回した。
「ほら、もう大丈夫だから」
そう言って頭をぽんぽんと撫でてあげた。アイは徐々に落ち着いてくる。
アイの助言のおかげで助かったが、あのときは必死だったのだろう。今になって恐怖心が蘇ってきたらしい。震えるアイの体をシュウは優しく包む。
そこでアイがはっとしたように動きを止めた。その顔が真っ赤になる。
「ごめっ……うわぁぁぁ! えっと、あの、ごめん……!」
そう言いながら慌ててシュウから離れる。シュウもようやく恥ずかしさが襲ってきた。
「いや! お前がもう大丈夫ならいいんだ!」
そう言って気まずい時間が流れる。
ふと視線をやると、先程までよりかは小さくなってしまったが、相変わらず見事なひまわり畑があった。アイもそれに気付いたらしい。シュウの隣に歩み寄ってきた。
「……きれいだね」
「あぁ」
しばらく無言で花畑を見つめていた。どこからか風が吹いてきて、黄色の花がさわさわと揺れた。
「ねぇシュウ。ひまわりの花言葉、知ってる?」
唐突に、アイが言った。シュウは視線をアイに向ける。
「いや。なんて言うんだ?」
アイは目を伏せた。
「『あこがれ』」
シュウはなるほど、と視線をひまわり畑に戻した。
「常に太陽を向いているからか」
「そう。昔、言ってたの……。……誰が?」
シュウがずっこけた。
「いや俺に聞くなよ」
「そうなんだけど! えっと、誰だったっけ……?」
アイは頭を抱えてしまった。恐らく失った記憶の一部なんだろう。アイは未だ首を捻っていた。
「あんま無理すんな」
そう言ってアイの頭を撫でる。アイはされるがまま、シュウを見上げた。
「……ありがと」
そして二人は黙ってひまわり畑を眺めていた。