第5章 少年は友情を深める
朝起きて、秀二は携帯端末を二度見した。
本文:へるぷみー
何度読み返しても、それだけしか書いていない。
聡からのメールだった。
*
日曜の市立図書館はそれなりに混み合っていた。若者もそこそこいるにはいるが、親子連れが目立つ。同じ高校のやつがいなさそうなことに安堵しながら、秀二は自習コーナーへ向かった。
「あっシュウ」
机の上にノートと参考書を広げていた聡は、秀二に気付いて顔を上げた。その隣にはガタイのいい男が座っている。声を上げた聡に続いて、その男も読んでいた本から目を離して秀二を見た。
「突然悪いなー。試験やばくって……」
秀二は忘れかけていたが、もうすぐ期末試験の時期だ。それに向けて努力していた日々が、遥か昔のように思い出される。
「もう数学ぜんっぜん分かんなくてさー。兄貴に『シュウに教われば?』って言われたからメールしちゃった」
そう言って聡は隣を見やる。隣に座る男は、その体格に似合わずニコニコと人のいい笑みを浮かべている。その目元はどことなく聡に似ていて。
「もしかして……ジェイク?」
「リアルでは初めまして、だな。遠山純……ジェイクの方が呼びやすいかな?」
純は笑みを深めた。
これまたDDS内とは全く違う。どこにでもいるあんちゃんといった感じだ。
「兄弟揃ってあっちと全然違うんだな……」
「兄弟ですから」
きっぱり言い放つ聡に、純も頷く。
「今日仕事休みだったから付いてこさせてもらったんだよ。リアルのシュウとも会ってみたかったしな」
「な、DDSとイメージ変わんないだろ?」
そう言って二人は笑い合う。
その姿が、秀二には少しうらやましかった。
「わっ……かったー!」
シャーペンを転がして聡は大きく伸びをする。目の前のノートにはしっかり数式が書き込まれていた。
「この分なら期末大丈夫なんじゃね?」
「マジサンキューな、シュウ。あー、でもお前学校行ってないのになんでこんなの分かんだよ」
秀二は言葉に詰まった。
「聡」
本から視線を上げて短く言った純に、聡はしまったという顔をした。そして恐る恐る秀二を見やる。
その視線を受けて、秀二は軽く息をついた。
「いや、別に気にしなくていいよ」
苦笑いする秀二に、聡はほっとした顔を浮かべた。そしておずおずと切り出す。
「その……なんで行かなくなったのか……とか聞いても、いい?」
不登校になった原因を聞いているのだろう。聡は地雷を踏んだんじゃないだろうかというような不安げな顔で、秀二の方を見ていた。
秀二は背もたれに身を預けて、天井を見上げる。
そして小さく息をついた。
「なんだったんだろうなぁ……」
学年最後の模試の結果が返ってきたあたりのことだった。
第一志望の大学にA判定が出た。このまま頑張れば大丈夫だろうと担任は言った。母親はとても嬉しそうな顔をしていた。
「うちのことは知ってたよな? 兄さんが父さんの跡を継がずに家を出てっちゃってさ、俺はずっとそうならないように、そうならにようにってやってきたんだ。一年最後の模試でさ、兄さんが目指してた大学が合格圏内だって出て、なんだか急に全部むなしくなっちゃって……」
人から言わせれば、それは甘えなのかもしれない。実力があるのに努力しないのは、怠慢だと。
それでも、何もかもが嫌になってしまうのは止められなかった。
このままじゃいけないことは、分かってはいたけれど。
「いいじゃないか」
沈黙が落ちたところに、純の声が響く。秀二と聡は、純を見つめた。
「立ち止まって何が悪い? お前らはまだ十六じゃないか。俺だっていまだに迷うことはあるぞ? 悩んで悩んで、自分で答えを探すのが大事なんじゃないか。未来の自分のために立ち止まるのは、悪いことじゃない」
鼻息荒く純は言う。秀二は目を瞬かせると、やがて深く息をついた。
「そうなんだよなぁ」
ずっと、親に言われるまま生きてきた。自分で先を考えることなく、レールを進んできた。
それじゃあいけないと気付く時期が来たのだ。今までしてきたことを簡単に変えることは難しい。それでも、今がその準備期間だとしたら。
聡はふっと笑う。
「兄貴は筋肉バカだから」
「どういう意味だよー?」
「脳ミソまで筋肉ってこと。単純明快」
「職業柄仕方ないだろー!?」
そう言って笑い合う。秀二もつられて笑ってしまった。
「なんだ、笑えんじゃん」
聡に言われてそういえばと思った。もうずっと、ちゃんと笑ってなかった気がする。
この二人と出会えたことは、確実に秀二のプラスになっている。
「そういえばジェイクは何やってるんだ?」
「あぁ、大工だよ」
あぁ、と秀二は納得した。確かにその体形は大工だ。
「さ、年長者の説教は終わりだ。飯食いに行くぞ。俺のおごりだ!」
「やったー!」
聡は手早く勉強道具をしまうと立ち上がった。
この二人と出会えて良かったな、と秀二は二人の背中を見ながら思っていた。