第3章 少年は活路を開く
「あれっ、お前もうここまで来たの!?」
二十五階。そこにいたのはジェイクだった。シュウは微妙な表情で片手を挙げる。
「えー早くね? 何かズルしたんか?」
「してねーよ!」
ジェイクの反応は当然だ。アイの手助けがなければこんなに早くこの階まで来られなかった。
さて、何と説明したらいいものか。
「ん? そっちは?」
ジェイクがシュウの後ろに隠れていたアイを見つけた。アイはいつも煩くしているのに、今日に限って大人しくしている。
「あー、こいつはアイって言って……おいアイ、何で隠れてんだよ」
シュウがそう言っても、アイは背中に隠れて出てこようとしない。ぎゅうっと背中にしがみ付くアイに、観念してシュウは軽くため息をついた。
「人見知りしてんのか? まったく、いつもの調子はどうしたよ」
「妹?」
「いや、最近知り合ったんだけど」
ジェイクは信用できるだろう。シュウは事情を説明することにした。
*
「バグねぇ」
ジェイクはアイを見ながら呟いた。アイはまだ人見知りしているようで、シュウの陰に隠れながらジェイクをちらちら見ている。
「分かんないことだらけでさ。ジェイクの知り合いにこういうこと詳しいヤツいない?」
ジェイクは天井を見上げた。そして低く唸る。
「いるっちゃーいるんだけど、アイちゃんバグっつーより植物状態なんじゃね?」
「植物、状態……?」
シュウは割りと耳にする単語だった。ジェイクは続ける。
「リアルで植物状態だから、都合よく記憶を変えてるとか」
「いや、それでもメニューが出てこないことの説明にはならないだろ」
「それなんだよなぁ」
二人は揃って唸った。アイだけがよく分からない顔をして、二人を交互に見つめている。
「ま、とりあえず詳しいヤツに当たってみるよ」
「悪いな」
「そう思うんならちょっと攻略ルート教えろや?」
ジェイクはニヤっと笑ってシュウとアイを見た。アイはびくっと震えてシュウの後ろに隠れる。その様子を見て、ジェイクはけらけら笑った。
「冗談だよ! 俺、攻略本とかも見ないタイプだし自力でやるよ。何かあったらメールするから」
笑ってそう言うジェイクとアドレスを交換すると、そこで別れた。
シュウはくるりと後ろを振り返る。
「アイ、ジェイクは悪いやつじゃないんだぞ?」
アイは視線を床に落として、指先をいじっている。
「だって……なんか怖かったんだもん……」
シュウは呆れ顔を浮かべて、ひとつ息を吐いた。
「おまえ人見知りだったんだなー」
「違うもん! シュウは平気だったし!」
確かに最初からアイはこの調子だった。子どもと接することなど今までまったくなかったシュウだが、アイはあまり子どものように感じなかった。
アイはプリプリ怒りながら先に進んでいく。
シュウはジェイクに言われたことを考えていた。
もし、アイが植物状態だったら。
そんな人にDDSで出会ったことがないし、そういった専門知識をシュウはまだ持っていない。どうすればいいのだろうか。記憶が戻れば何か変わるだろうか。
「シュウー! はやくー!」
大分先の方でアイが手を振っていた。一人で考えていても埒が明かない。シュウはジェイクからの連絡を待つことにして、アイの元へと駆けた。
*
それから数日後のことだった。
目が覚めて、さて今日はどうするか、と秀二は携帯端末を手に取る。どうするかと言ってもネットサーフィンするか、ゲームするかくらいしかやることはないが。自宅警備員の予定は今日も白紙である。
だが今日は違った。端末にはメールの受信を知らせるランプが灯っていた。
秀二の高校は県内有数の進学校で、その学校にはイイトコのお坊ちゃま、お嬢様が多かった。その中で成績優秀、医者の息子、しかしそれを鼻に掛けている秀二だったから、友達と呼べる友達もいなかった。いじめがあった訳ではないが、クラスでも浮いていた。
もっとも、秀二がそう感じていただけで、実際はそこまでなかったのかもしれないが。
秀二の家は代々続く病院の家系だった。厳格な父、教育熱心な母、優秀な兄。
病院は兄が継ぐということだったが、秀二も医師を目指すのは当然のことになっていて、厳しい教育を受けていた。何を差し置いても勉強、だった。
だからメールを送ってくるような友人はいなかったのである。ここ数年は迷惑メールしか来なかった。
秀二は恐る恐る開いてみる。
送信者:遠山 聡
その名前には見覚えがあった。中学のときに同じクラスだったやつだ。あまり話した記憶はない。あの頃の秀二は、全くと言っていいほど、人と関わっていなかった。
そんなやつが何でメールを?
疑問に思いつつ先を読んだ。
本文:久しぶり~。俺のこと覚えてる?
中学で同じクラスだった遠山聡です
実は俺の兄貴ってジェイクでさ、
お前のこと聞いてびっくりしたよ
多分力になれると思うんで、
良かったら電話ください
×××-××××-××××
たっぷり三回読み返した。
遠山のことはうっすら覚えている。確か一度勉強を教えたことがあるはずだ。その時にアドレスを交換して、一度もメールなどしなかった。
そんなやつとまさかこんな繋がりがあるとは思わなかった。
「マジで?」
秀二は頭を抱えた。
*
「おーこっちこっち」
商店街のファーストフード店は平日の夕方といっても人が少なかった。駅前の店の方は学生で混み合っていたけど、ここは穴場なんだろう。
秀二の姿を見つけた遠山が手を上げていた。
「久しぶり……」
なんというか。
三ヶ月引きこもっていたから、リアルでマトモに喋るのは久しぶりだ。加えて中学卒業以来会っていなかった同級生と会った上に、普通の高校生がするようにファーストフード店に来るのは初めてだ。秀二が緊張するのも無理はない。
私服姿の遠山は初めて見た。あの時はチャラいイメージしかなかったが、意外とモノトーンのコーディネートが似合っている。髪だけはイメージどおり、黒から茶色に変わっていたが。
「斉藤、なんか雰囲気変わったなー。なんか丸くなった感じ」
外に出るのは久し振りだったから、何を着ていくかは相当悩んだ。結局、TシャツにGパンというシンプルな格好になってしまった。
「ちょっと太ったよ。悪かったな」
「そういう意味じゃなくて」
遠山はケラケラと笑う。
「なんかあの頃の斉藤ってさ、ツンツンしてて近寄りづらかったんだよな。なんかあった?」
ひとしきり笑ったあと、まじめな顔をして遠山は言った。
秀二は押し黙る。あったといえばあった。秀二の心境が一番変わった出来事といえば、引きこもり出したことだろう。それがいい傾向に繋がったとは思えない。
「ま、言いたくなければ言わなくてもいいけど」
けろっと言って、遠山はジュースのストローを咥えた。
秀二はだんだん思い出してきた。
遠山は昔からこういうやつだった。他人との距離の取り方がうまいやつで、よく「遠山には話をしやすい」と言われていた。
当時から勉強しか見えていなかった秀二は、一度しか話したことがないが。
「その……いろいろあって今学校に行ってなくて……」
ジェイクが兄だと言っていた。『眠り姫の塔』に入り浸っていることは聞いているだろう。少し考えれば、秀二が学校に行っていないことはすぐに分かったはずだ。それでも言ってしまったのは、そういう遠山の持つ雰囲気のせいかもしれない。
「そっか。やっぱ家のせい……とか聞いても大丈夫?」
秀二はコーラを一口飲んだ。秀二のカップにも遠山のオレンジジュースにも水滴が付き始めていた。
「まぁ、そんな感じ」
自分の中で消化できていないことを話すのは難しい。秀二は言葉を濁した。
「それで『眠り姫の塔』のことなんだけどさ」
話題の変え方がわざとらしかっただろうか。でも遠山は気にした様子もなく答えた。
「あぁうん。俺、趣味でゲームとか作っててさ、プログラミングとかちょっとできるんだ。まぁ見てみないことには何とも言えないけど、力になれるかも」
秀二はなるほど、と頷いた。ジェイクが言っていたのはこういうことだったのか。
「『眠り姫の塔』はやってんの?」
「兄貴に斉藤の話聞いてからやり始めた。意外と面白いな、あれ」
秀二はゲームの作り方などは分からないが、実際に会ってもらった方が話は早いだろう。人見知りのアイと話になるか不安な部分はあるが、会わないことには始まらない。
「ジェイクから話は聞いてるんだろ? 向こうで会おう」
「おー分かった。今夜でいいの?」
「あぁ」
言ってから、普通の高校生は宿題とかやることがあるよな、と秀二は思い至った。だが遠山は気にした素振りも見せなかったから、まぁいいかと思いながら二人は別れた。
*
「やっぱり……うーん……どうしよう」
かれこれ十五分は同じセリフを繰り返していた。顔を上げてはまた俯く。
「だー! もうめんどくせぇ! ほら行くぞ!」
シュウはもう我慢ができず、そんなアイの手を取った。
「えっちょっと待ってよー! 心の準備ってやつが!」
その夜、『眠り姫の塔』に来たシュウは、アイに遠山のことを話した。アイは今日もずっと塔にいたらしい。最初は嬉しそうに聞いていたアイだが、遠山と会ってほしいと話したところで表情が曇ってきた。
そして十五分後。シュウは強行突破した。
遠山とは十二階で待ち合わせをしていた。ここはモンスターの出ない階で、ちょっと話すにはうってつけの階だった。
「おーこっちこっち」
なんだか昼間も同じようなやり取りをしたような気がする。ただしそこにいたのは似ても似つかないような人物だった。
ツンツンした赤髪に細身のすらっとした体躯、背丈はシュウより十センチは高かった。傍にジェイクがいるから、これが遠山で間違いないんだろう。
「また……随分とリアルと違う格好だな……」
「お前だってそうじゃないか。そんな凛々しい顔してないだろ」
遠山はくしゃっと笑う。その笑い方は昼間見たものと一緒だ。
「こっちではソウでやってるんだ。改めて、よろしくな」
「あぁ」
二人は握手を交わした。
「で、アイちゃんはその調子なのね」
そう言うジェイクの声でシュウの後ろに視線をやると――。
小さくなったアイが隠れていた。
「アーイー」
溜め息交じりのシュウの声に、アイはびくっと肩を竦める。
「だ、だって……」
「まーまー、アイちゃんだってこんなヤローばっかの中にいるのは気まずいっしょ。徐々に慣れてけばいいよ」
そう言うソウの言葉に、アイは少しだけほっとした表情を浮かべた。
「あれ? アイちゃん少し大きくなってない?」
シュウの後ろから少しだけ顔を出したアイを見て、ジェイクが言った。アイとシュウは顔を見合わせてきょとんとする。
「え、そうか?」
「ほんと!? 私大きくなった!?」
重なった二人の声に、またお互いの顔を見合わせた。
「なんでそんなこと言うのー!」
「実際お前ちっさいだろ! ガキがそんな急にでかくなるか!」
二人はぎゃんぎゃん言い合っている。ケンカし始めてしまった二人を横目に、ジェイクとソウは呆れた表情を浮かべた。
「ケンカするほど、ってやつかなー? でも先週会ったときより大きくなった気がするんだよなぁ」
「でも兄貴、アイちゃんの場合それはありえなくない?」
その言葉に二人はぴたりと動きを止めた。急に二人に見つめられて、ソウはびくっとする。
「どういうことだ?」
「あ、シュウも知らないのか。DDSはな、まぁ夢の世界ではあるけど個人識別が必要だ。姿形は好きに変えれるけど、それには一度ログアウトする必要があるんだよ」
「なるほど。そういうことか……」
訳が分からず、アイだけがみんなの顔を見比べた。
「なに? どういうこと?」
「だからな、お前が大きくなるには一旦ログアウトしなきゃいけないんだよ。でもお前はしてないだろ?」
「まずログアウトってのがなんなのか分かんない……」
アイはしょぼんとした顔を浮かべる。一人話に付いていけないのが悲しいのだろう。
そんなアイを見て、シュウはぽんっとアイの頭を一撫でした。
「まぁアイにバグかなんかが起きてるっつーのは分かった。ソウにはそっち方面で調べてほしいんだけど、俺はちょっと気になってることがあるんだ」
「なに?」
「アイとかくれんぼしてたヤツのことだ。もしかしたらなにか知ってるかもしれない」
アイがなにも思い出していない以上、確かなことは言えないが、その可能性は考えられた。アイの記憶はその人物のことも消えている。なにか関係があるように思えた。
「ま、それも一理あるな」
「じゃあシュウ、俺は一旦ログアウトするから、なんかあったらメールしてくれ。向こうで調べてくるから。兄貴はどうする?」
「んーせっかくだしちょっとプレイしてくわ」
「悪いな」
こめかみを叩いてメニュー画面を出したソウは、ログアウトボタンをタッチするとその場から消えた。
*
聡は目を開くと身を起こした。そしてヘッドセットを外して、サイドテーブルに置く。
聡のデスクには五台のパソコンがあり、その周りには本やメモ紙が散乱している。
特技はプログラミング。なんていったが、実のところはクラッキングだったりする。なんとなしにやってみたらこれが意外に面白く、犯罪スレスレなことをやっていた。
一線を越すようなことはしていないが、危ない橋を渡っているのは自覚している。しかし一度味わった達成感が忘れられず、ズルズルと続けてきてしまった。
でもまさかその趣味が、こんなところで役立つ日が来ようとは。
「ちょっと厄介な事案だな……」
呟きが静まり返った部屋に吸い込まれていく。
と、笑いが込み上げてきた。
あの友人があんな風にケンカをするなんて。中学時代には思いもしなかった。
いつも眉間に皺を寄せていて、誰も近づくなというオーラを出していた秀二だ。アイとケンカする姿を見て、表情にこそ出さなかったが、聡は内心驚いていた。中学のやつらに見せてやりたいくらいだ。
「それにしても、あの子どっかで見たことあるような……?」
問い掛けは静かに闇に消えていった。