第2章 少年は疑念を抱く
アイの言葉は嘘ではなかったらしい。アイテムの場所やモンスターの出現場所も詳しく教えてくれた。おかげでシュウは一日で二階も進めることができた。いつもは一週間で一階くらいしか進められなかったから、アイの力は大きいだろう。
だがシュウの顔には不審な表情が浮かんでいた。
「お前、なんでこんなにこの塔のこと詳しいんだよ」
アイはシュウの前をスキップしながら進んでいた。
「なんでって言われても……。知ってるものは知ってるんだからしょうがないじゃーん」
アイはくるりと回って答える。白いワンピースの裾がひらりと揺れた。
シュウはこめかみの辺りを人差し指で軽く叩いた。こうすることでDDSのメニューが出てくるのだ。顔の前に現れたホログラムを見ると、もう夜十二時を過ぎていた。
「おい、アイ。俺、一旦起きるけど、お前はどうする?」
そろそろ飯でも食うかとそう言うと、アイは不思議そうな顔をした。
「起きる?」
「あぁ。ちょっと飯食ってくるわ」
「起きるってもう起きてるじゃん」
その返事に今度はシュウが怪訝な表情をした。アイはけらけらと笑っている。
DDSは所詮は夢だから、DDS内でどんなに食べたとしても現実で腹が膨れる訳ではない。大抵の人はタイマーを設定していて、時間になったら起きて現実世界に戻っていくが、シュウはそんなことを気にしなくていい身分である。夜の十二時を過ぎたぐらいで起きてご飯を食べに行っていた。完全に昼夜逆転である。
「いやほら、このメニューにログアウトってあるだろ? これだよ」
シュウはホログラムをアイの方に向けるが、アイはますます不思議そうな顔をする。
「メニューってなに?」
その言葉にシュウは唖然とした。メニューも知らずにDDSをやっているのか。シュウはこめかみを指差して言った。
「この辺叩いてみろよ」
アイは言われたとおりにこめかみを叩いた。だが何も起こらない。アイは首を傾げた。
「なにも出てこないよ?」
そんなはずはない。DDS内でメニューが出てこないというのはつまり、目覚められないことを意味する。
「お前やっぱりキャラなのか……?」
「それってあのモンスターとかと一緒ってこと? だから違うって言ってるじゃん!」
アイは地団駄を踏んだ。シュウは顎に手を当てて考え込む。
メニューは出てこないがキャラではない。DDSのバグか? しかしアイは最初からメニューの存在を知らないようだった。かくれんぼの相手を覚えていないことといい、まさか記憶喪失とか……?
アイは眉根を寄せて、口を開いた。
「んーと、つまりシュウは一旦帰るってこと?」
「まぁそうだ」
アイは少し淋しそうな顔をした。
「早く戻ってきてね。私、ここで待ってるから」
そう言われてしまっては仕方がない。シュウはログアウトした。
*
家の中は静まり返っていた。こんな時間だから当然だ。母はもう寝ているだろう。父は多分まだ帰っていない。というより、今となってはいつ帰ってきているのかすら分からなかった。顔を合わせるのは、引きこもり出すずっと前からしていなかった。
シュウ――秀二はそっと部屋を出る。向かったリビングのテーブルの上には、いつもどおり夕食が置いてあった。今日はハンバーグにサラダ、野菜スープとごはん。秀二はラップの掛けられた皿を電子レンジに突っ込んでいく。
引きこもり出した当初は置いてあった母の手紙も、今はもうない。「どうして学校行かなくなっちゃったの?」とか「お母さんはあなたの味方だからね」とか書かれた手紙はいつも握り潰して捨てた。毎日どんな思いでご飯を用意しているのか。
陥りそうだった暗い思考を、電子レンジが止まった音で頭の隅に追いやった。
秀二はハンバーグを頬張りながら考えていた。アイのことである。
見かけは普通の人間だった。DDSのゲームには人型のキャラクターもいるにはいるが、どこか薄っぺらさがあって一目見ればプレイヤーと違うと分かる。アイにはそれがなかった。しかしメニューが表示されなかったりいろんなことを覚えてなかったりと不可解な点が多い。
秀二は食器を流しに浸けると、足早に部屋へ戻った。
秀二はパソコンの前に座った。DDSのヘッドセットは付けずに、インターネットブラウザを開く。
『DDS バグ』で検索を掛けてみるが、目当ての記事は出てこない。時計が狂っただの、映像の乱れがあっただの、そんなことばっかりだ。
考えてみれば、メニューが出てこないなんてバグがあったら大問題だろう。それはそのまま夢から覚められないことを意味するのだから。
これ以上の収穫はないと踏んだ秀二は、ブラウザを閉じてヘッドセットを付けた。
*
「おそーい!」
アイはさっき別れた場所と同じところにいた。レンガの塀に座って足をぶらぶらさせて、恨みがましい目を向けてくる。
「悪い、飯食ってちょっと調べ物してたら遅くなった」
「なに調べてたの?」
シュウは一瞬言葉に詰まった。アイのことについて調べていた、と言うのはなんとなく気が引けた。
「DDSの……システムについてだよ」
「ふーん」
アイはそれ以上聞いてこなかった。さして興味はなかったようだ。塀から飛び降りて、シュウの前に立つ。
「それよりさ、私一緒にかくれんぼしてた人のこと、ちょっと思い出したの」
そう言ってシュウの鼻先に指を突きつける。
「シュウと一緒にいて思い出したの。男の人だった気がする」
アイは薄い胸を反らせて自信満々に言った。辺りに沈黙が落ちる。
「……ってそれだけ?」
「それだけって! 全然覚えてなかったんだだからこれだけでもすごいでしょ!」
アイはふくれっ面を浮かべる。シュウはハイハイといなした。
やはりアイの言うことには違和感がある。だがしかし他に思い出すことがない以上、どうすることもできない。シュウとアイは先に進むことにした。