エピローグ
それから。
「シュウー、こっちこっちー」
駅前のファーストフード店。放課後ということもあって、店内は中高生で溢れ返っていた。
きょろきょろと見渡す秀二と愛花を先に見つけた聡は、手を上げて二人を呼ぶ。
「悪い、待たせた」
「いんや大丈夫」
聡は秀二の隣に視線を走らせる。
「久し振り、遠山くん」
「うん、志嶋さん」
アイが退院して、二週間が過ぎていた。学校に通い出すようになってから一週間。
落ち着いた、と言えるような言えないような。
「調子はどう?」
聡がジンジャーエールを飲みながら尋ねる。
「うん……。まだちょっとうまく馴染めてないけど、シュウのおかげで助かってるよ」
教室の空気は微妙なものだった。ずっと休んでた二人が急に一緒に登校してきたんだから無理もない。秀二はこの雰囲気は慣れっこだったから平気だけど、愛花は居た堪れなさそうだった。
秀二は軽く溜め息をつく。
「ちょっと、居心地悪い」
「えっそうなの!?」
愛花は心底驚いたように言った。
「おまえなぁ……。俺だってようやく周りの目ってのが分かるようになったんだぞ。あの空気くらい分かるわ」
初日の放課後だ。秀二は愛花を迎えに行った。
教室の入り口で「アイ」と呼びかけた秀二に、教室の中の空気は一瞬固まった。愛花は慌てて秀二に駆け寄ってきたが、
「ビッチ」
そう言った声は秀二の耳にも届いた。
愛花は固まってしまった。表情をなくしてしまっている。秀二は頭を掻いて、愛花の手を取った。
「宮部、だっけ? おまえ美人なんだから、そういう言葉使わない方がいいと思うぞ。品がない」
それだけ言って、愛花の手を引いて教室を出た。金切り声が聞こえた気がしたが、無視した。愛花は言葉を失っていた。
もっとも、次の日から保健室のお世話になるようになってしまった愛花に、さすがに失敗だと思ったが。
あれ以来、先生と話したりできるだけ愛花の傍にいるようにしたり、愛花が教室に戻れるように動いてきた。
逆効果なんじゃないかと思うときもある。イジメてる相手に味方がいるなんて、向こうからしたら面白くないだろう。加えて異性だ。マイナスイメージになること請け合いだ。
だけど見放すつもりはなかった。与えてもらった分は返したい。
その甲斐あってか、愛花も秀二には気後れすることなく話すことができていた。言い合う秀二たちに聡はくすくす笑う。
「ま、一人じゃないなら大丈夫だよ」
ひとり余裕な顔をする聡に、秀二はぶすっとした。
「そういうソウはどうなんだよ。アイのお父さんとはうまくやってるのか?」
『眠り姫の塔』はあの後、正規版がリリースされた。
愛花が閉じこもるために作られた世界は、もういらない。しかし思いの外人気が出たので、愛花の後押しもあって作り直されたのだ。
そして聡はその会社でアルバイトという扱いになっている。愛花のお父さんは割りと聡の腕を気に入ったみたいで、スカウトしたのだ。危ない橋を渡っていた聡もすっぱり足を洗って、今は真面目に働いてるらしい。
「なかなか面白いよ。部長がいろいろ教えてくれるし勉強になってる。しっかしまぁ、社長には最初かなり怒られたけど」
当たり前だ。ギリギリのラインとはいえ、クラッキングのまねごとをしていたんだ。むしろお灸を据えられて当然だ。
「ま、お互いこれからだよね」
三人の顔は穏やかだった。
*
聡と別れた帰り道。愛花と秀二は並んで歩く。
秀二はまだ、愛花に告白はしていない。愛花の父親、あの圧力が半端ないのだ。秀二は思い出して身震いする。
『え? 愛花とはまさか付き合ってないよね?』
あの時の笑顔は怖かった。目が笑ってなかった。シュウに頭を下げたときの顔は見る影もなかった。
まぁそれはいずれ。
「あの、ソウ……」
難しい顔をしていたら、愛花に話し掛けられた。
「ん?」
「あの……ほんとに私と一緒にいるの、嫌じゃない……? 気を遣わなくてもいいんだよ……?」
秀二は溜め息をついた。愛花は時折、こういうことを聞いてくることがあった。
「前も言ったけど、俺は好きでアイといるの。分かんない? いや、分かんなくてもいいけど。アイが分かるまで一緒にいるから」
なかなか際どい発言だ。だけど愛花はその真意まで分かってはいないだろう。まだ、そんな余裕はない。
その証拠に、愛花は満面の笑みになった。そんな顔をされてしまっては、秀二は何も言えなくなる。
「ありがとう」
まだ気持ちを伝えるのは先になりそうだ。愛花の父親の手前、告白するのは相当な勇気が必要になりそうだが。
「シュウは、おうちの方はどう?」
聞かれて秀二はちょっと押し黙った。
優一とは相変わらず、たまに会って話している。義姉とその子どもとも会った。まだ小さくて可愛い女の子だった。「あー」とか「うー」とかしか言ってなかったけど、「おにいちゃん」とか言われたらときめてしまうかもしれない。
父親とは。
驚くことに、メル友だ。
「相変わらず家ではあんまり会えないけど、メールのやり取りはしてるよ」
それを聞いて愛花は嬉しそうに笑った。
優一が言っていたとおり、父はメールではよく喋る。なかなか顔を合わせる機会がないから、これくらいの距離感でいいのかもしれない。
母親とは、相変わらず話せていない。学校に通い出したときは喜んでくれた。だけど、「医者になるかどうかは、自分でよく考えてから決める」と伝えてからは、目すら合わせてくれない。結構言うのに勇気がいったのに。
「母さんとは……もうちょっと時間が掛かりそうだけど」
そう言うと愛花は心配そうな顔をした。秀二は苦笑いを返す。
たぶん大丈夫だ、と秀二は思う。兄とも父親とも解り合えた。どれだけ時間が掛かっても、母親とも解り合える気がした。
「アイはどうだ?」
秀二は愛花に視線を落とす。愛花は静かに笑った。
「うん。お父さん、前よりも家にいてくれて嬉しい。いろんなこと話すよ。シュウのこととか」
「え」
それはいろんな意味で聞き捨てならない。秀二の顔が強張る。
「笑ってくれるようになって嬉しい、って言ってた」
愛花はたぶん、前はもっと笑う子だったんだと秀二は思う。『眠り姫の塔』の小さいアイのときは、ころころ表情が変わっていた。
目覚めてからの愛花は表情が乏しい。前みたいに戻るにはもう少し時間が掛かるだろう。焦らなくていいと思う。ずっと傍にいるつもりだ。
「それとね」
愛花は伏し目がちに切り出した。
「……若葉ちゃんにね、メールしてみたの」
転校していった友達だ。ずっと引っかかっていたんだろう。
「返事くれるかすっごく不安だったんだけど……。新しい学校でなんとかやってるって言ってた。すごいんだよ。全学年で二十人くらいしかいない学校らしくて、みんな仲良しなんだって」
そう話す愛花の顔は嬉しさ半分、淋しさ半分といった様子だった。
「いつか……気持ちの整理がついたらまた私に会いたいって言ってくれた……」
それは愛花が最も欲しかった言葉だった。
『もう連絡してこないで』の一言で打ち切られた縁。その縁が本当は切れていなかったことは、愛花にとって希望のひとつだろう。その『いつか』が、できるだけ近い未来であることを祈るばかりだ。
愛花は秀二を見上げた。
「ね、シュウ」
「ん?」
「私もDDSのゲーム、なにかしてみたい。お父さんがようやくオッケーしてくれたから」
あぁ、と秀二は思う。ずっとDDSにログインしっぱなしだったから、大事を取ってしばらく禁止令が出てたのだ。脳への影響はないと実証されているDDSだが、親馬鹿のあの父親の心配ようからすれば当然のことだろう。
「そっか。なにがいいかなぁ? 好きなモンとかある?」
秀二は愛花に視線をやる。愛花はまっすぐな瞳で秀二を見つめ返していた。
「なんでもいいよ。夢の中でシュウに会えるなら」
そう言ってたっと駆け出す。緩く編んだ髪が揺れる。ほのかな香りが秀二の元へと届いた。もう愛花の家のすぐ前まで来ていた。玄関先で愛花は振り返る。
「じゃあね」
そう言ってドアの向こうへと消えた。修二はそれをしっかり見届けてから、壁にもたれかかった。夏の日差しに曝されて大分熱くなっていたが、今はそれどころではなかった。
「やばいって……」
誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
顔が熱く感じるのは降り注ぐ七月の日差しのせいだ、たぶん。
頭の上には青空が広がる。
夏はまだ、始まったばかりだ。
〈了〉
ここで言うのもなんですが、SEKAI NO OWARIの「眠り姫」を聞いて浮かんだのがこの話でした。
ゲームものの難しいこと難しいこと……。
こういうゲームは近い未来に実現しそうですね。人と見紛うばかりのロボットはもうありますし。
いじめや親との確執はなかなか簡単に解決するものではないけれど、明日に一つでも楽しいことがあればいいなと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。