第15章 少女の真実
「そっか」
ソウはいつものようにレンガに座って、足をぶらぶらさせながら呟いた。でも顔だけは優しい表情でシュウを見下ろしている。
「良かったな、お兄さんとわだかまりが解けて」
「あぁ」
優一と再会した日の夜、シュウは『眠り姫の塔』でソウにそのことを話していた。
中学から一緒のソウのことだ。兄とシュウのことは気に掛けていただろう。
「心配掛けて悪かったな」
シュウがそう言うと、ソウはにっと笑った。
「俺は別になにもしてねーし。お前ががんばったんだよ」
たぶん、ソウは本気でそう思っているんだろう。だけどソウは分かってない。ソウとアイがいなかったら、シュウは今の自分になれていなかった。自分の殻にこもって、素直な気持ちなど打ち明けない自分。きっと、兄と昔のように話せるようにはならなかった。
「ありがと、な」
ぽつりとそう言うと、ソウは面食らった顔をした。目を見開いてシュウを見る。
「……なんだよ」
「いや……。素直になったなぁと思って」
「うるせーよ!」
ちゃんとお礼を言おうと思ったらこれだ。まぁ今までが今までだったし仕方ないだろう。シュウが変わっていくのはこれからだ。
「さて」
俺は立ち上がって階段へと目を向けた。ソウも立ち上がる。
「七十六階……。行きますか、最後の戦いに」
*
『眠り姫の塔』は七十七階まである。ではなぜ最後の敵が七十六階なのか。
それは最上階に眠り姫が待つからだ。最上階がどうなっているか知る者は誰もいない。いまだかつて、辿りついた者はいないから。
シュウとソウは階段を上り切った。
「さて、最後の敵は、と」
シュウは辺りを見渡す。建物の中とは思えないほど荒れ果てた大地だった。砂で覆われ、空は灰色に染まっている。緑のひとつも見つけられず、生命など感じられなかった。
「いかにも『最後の舞台』って感じだな」
ソウの言葉にシュウは頷く。見たところ、敵の姿はない。さぁ、どこから顔を出すのか。
その時、目の前の砂が弾け飛んだ。ソウが一歩下がる。シュウはにやりと口角を上げた。
現れたのは恐竜のような巨大なモンスターだった。ただし体は赤黒く、長く伸びた首は三つに分かれていた。
「出たな」
「でかいな……。大丈夫?」
「誰に言ってんだ」
そしてシュウは剣を抜いて構えた。相手も出方を伺っている。
シュウは駆け出した。それを待ってたかのように敵も右の首をシュウに向けた。シュウは左に飛んでそれをかわす。左の首が襲ってくるかと思ったが、その動きはなかった。
不信に思ったが、また右の首が襲ってきたのでそっちに意識を向けた。怒りのこもった鋭い歯がぎらりと光る。シュウはその口を一直線に切り抜く。吹き出した血がピッと一線、頬に付いた。
――ユ……サナイ……
その瞬間、何かが聞こえた気がした。
砂埃を上げて首が落ちる。気のせいだったか?
左の首がゆらりと揺れる。どろんとした目がシュウの目と合う。シュウは剣を軽く振って血を飛ばすと、柄を握り直した。気を緩めている場合じゃない。
左の首がシュウ目掛けて牙を剥いた。
右首よりも一段と早い。シュウは冷静にそれを避ける。だがしかし左首はシュウに攻撃の隙を与えずその鋭い牙で貫こうとする。
一瞬の隙を取られた。シュウが顔を顰める。
「っつ……」
「シュウ!」
シュウは地面に転がる。そのわき腹からは血が滴り落ちていた。
「シュウ大丈夫か!」
ソウが叫んで駆け寄ってこようとする。
「平気だ……! そこにいろ……!」
痛覚はないのだが、つい声を上げてしまう。しかし体力ゲージは確実に減っただろう。
シュウは足に力を込めて立ち上がる。敵は、と視線をやると、攻撃せずにそのどろんとした目でこちらを眺めていた。
――なぜ攻撃してこないんだ……?
疑問に思いながらも、シュウは敵に向かって足を踏み出した。その瞳が一瞬、悲しそうに揺れたのは気のせいだろうか。
シュウは剣を振り上げる。左首も口を開く。しかしそこにさっきまでの速さはない。形だけ攻撃してみたようで、訝しく思いながらもシュウはその頭を切り落とした。
――ド……ウシテ……
気のせいではなかった。このモンスターが確かに言った。
「愛……花……?」
その声はアイによく似ていた。
「シュウ!」
ソウの呼びかけにはっとする。
最後に残った真ん中の首が、シュウを飲み込もうとしていた。
*
真っ黒い空間にいた。
シュウは辺りを見渡す。しかし闇が広がるばかりで何も見えない。
「確か……モンスターと戦って……」
そうして思い出した。二つ目の首を切ったときに聞こえた声。あれは確かに愛花のものだった。一つ目の首のときも、よくよく考えてみれば愛花の声に似ていた。
嫌な予感が脳裏を過ぎる。
「おめでとう」
暗い空間にふいに声が響いた。
シュウはばっと後ろを振り返る。
そこにいたのは、スーツを着た男の人だった。シュウの父親と同じくらいの歳だろうか。いつからそこにいたのか。
「……誰だ」
シュウは男を睨みつけながら呟く。男はなぜか悲しげな顔をしていた。
「ここまで辿りついたのは君が初めてだ。……まさかここまで来れる人がいるとは思わなかった」
男はシュウの質問には答えずに言う。
「質問に答えろ。お前は何者だ」
男はふっと笑った。
「志嶋愛花を知ってるね?」
問われてシュウははっとした。この男の目元は、どことなくアイに似ている。
「まさか……!」
「志嶋貴文。愛花は私の娘だよ」
その名前は聞いたことがあった。DDSのいろんなゲームを作っている会社。その会社の社長がそんな名前だった気がする。
「愛花の……」
「斉藤秀二君。娘と同じ高校で室園総合病院の院長の次男。ここ三ヶ月、不登校を続けていたが最近通いだした。兄は市役所の職員ですでに家を出ている」
すらすらと話し出した貴文にシュウの顔が強張る。だが貴文はシュウの様子に気付かずか続けた。
「こういうことはすぐ分かるのに、なんで一番近しい人の気持ちは分からないんだろうね」
貴文は自嘲気味に笑った。
「アイは……お父さんと二人暮らしだったって……」
「妻に先立たれてね。娘のためと思って必死にやってきた。なぁ……君は、愛花のことを知どれだけ知っているのかい?」
シュウは俯いた。
自分は愛花のなにを知っているのだろう。
友達思いで、優しくて、ちょっかい出したら必死に抵抗して、笑顔が可愛くて。
そして、そんな自分を誰かに見つけてほしがっていた。
「ここまで来たってことは愛花の苦しみを知っていたんだろう? 知らなければここには来れない仕組みだったから」
最後の敵のことは誰も知らなかった。アイはずっとシュウと一緒にいた。知られていないのは当然だろう。アイを知らなければこの塔はクリアできないのだから。
「どうして、『眠り姫の塔』を作ったんですか」
眠り姫、愛花を助けるゲーム。眠ったままの娘をゲームにするなんて悪趣味すぎる。
貴文はふっと悲しげな笑みを浮かべた。
「情けない話だけど」
貴文は小さく話し出した。
「私は娘の好きなものがなんなのか、何一つ知らないんだよ」
目を閉じて話すその姿からは、大企業の社長だなんて思えなかった。娘を想って悩む父親。ただその姿があった。
「十六年も育ててきたのにね。愛花がひとりで眠っていても淋しくないようにしてあげたかった。私にできるのはこれくらいしかないから……」
打ちひしがれる貴文に、シュウは言った。
「愛花は……初めて会った愛花は子どもの姿でした。誰かとかくれんぼをしてるって言ってました。その人を見つけてほしいって。それは……それはお父さんだったんじゃないんですか?」
貴文ははっとした。シュウは続ける。
「ずっと疑問だったんです……。愛花は誰かを探してるけどその誰かは覚えていない。そして自分自身のことも。愛花は……愛花は悲しかった記憶を消しちゃったんじゃないかって」
消える寸前、愛花はなにかを思い出したようだった。それはいじめられていた記憶じゃなかったのか。それならば悲しい記憶を封じ込めていたということが考えられる。父親と二人暮らしだとソウは言っていた。大企業の社長ならばあまり家にいることは少なかったんじゃないだろうか。
愛花はそうして悲しみの記憶を消して、楽しいこの『眠り姫の塔』に自分を封じ込めたんじゃないだろうか。
貴文は目を見開いていた。
「昔、一度だけ愛花とかくれんぼをしたことがある……。私はどうしても愛花を見つけられなくて、降参してやっと愛花は出てきてくれたんだ……」
シュウの睨んだとおりだった。
『眠り姫の塔』はただのRPGにしてはそれぞれの階のクリア方法が特殊なように感じられた。アイとお父さんのこれまでの思い出だとしたら、納得がいった。
「遊園地とか、ひまわり畑を見て思ったんです。あれは……お父さんとの思い出を表しているんじゃないかって」
貴文は目を見開いた。そして静かに目を伏せる。
「そのとおりだよ……。愛花の記憶を元に、この『眠り姫の塔』を作った……」
ひまわり畑も遊園地もプラネタリウムも、アイには大事な思い出だったんだろう。あの時のアイは、どこか懐かしむような目をしていた。
「花言葉を教えたのも、星座の神話の話をしたのも」
貴文は静かに頷いた。
「じゃあなぜ愛花に会いに来てくれなかったんですか! あの病室は、そこだけ時が止まったみたいに静かでした……。アイは……『眠り姫の塔』でもあなたに見つけてもらいたがっていた……。それが目的のゲームなんて作らずにさっさと会いに行ってやれば良かったんだ!」
「それは違う! 『眠り姫の塔』は私を見つけることが目的じゃないんだ」
貴文は叫んだ。シュウは冷静に彼を見つめる。
「どういうことですか」
「愛花が最上階から出ることは想定外だったんだ。七十六階の敵は愛花の喜怒哀楽……。あの三つの頭はそれぞれ怒り、哀しみ、楽しみを表している。喜びは、心の中だ」
シュウは二つの首を切り落としたときの声を思い出した。
――許さない
――どうして
あれは愛花の心の叫びだったのだ。
親友をいじめたやつらが許せない。なんで若葉を救えなかったのか。
愛花の心はごちゃ混ぜだった。DDSの中で解決しても現実では何の解決にもならない。
それでも七十六階をクリアできたのは、シュウだったから。一緒に笑って、怒って、悲しんで。共に過ごしてきた日々は愛花の救いになっていた。
「それを癒すことができたらアイは開放される。この上で王子となる人を待つというのが私が最初に組んだプログラムだった。しかし愛花は」
下の階でシュウと出会った。それは貴文の想定していたものにはない。これがなにを意味するのか。
貴文は真剣な顔でシュウを見る。
「この先、何が起こるか分からない。万一愛花に何かあったら君を強制ログアウト、もしくはこの塔自体を消すよ。それでも……」
貴文は言葉を詰まらせた。その表情は苦しそうに歪んでいる。
「それでも、愛花を助けてやってくれないか……。頼む……」
そう言ってシュウに頭を下げた。
それを見てシュウは小さく溜め息をついた。
「ここまで来たからには覚悟の上です。俺は、愛花を助けたい」
シュウはまっすぐに貴文を見た。貴文は顔を上げる。
貴文はしばらくシュウの顔を見ていた。やがて観念したかのように目を閉じた。
「君なら大丈夫かもしれないね。娘を頼んだよ」
そうして闇が晴れていく瞬間――
「あぁそうそう」
貴文は思い出したかのように言った。
「君の友達。痛い目に遭う前に、足洗ってうちへおいでって言っておいて」
おい、ソウ。ばれてるぞ。
シュウは呆れた顔を浮かべた。
*
「シュウ!」
気が付くと荒野にいた。ソウが駆け寄ってくる。
「シュウ大丈夫だったか!? 突然消えたからびっくりしたぞ……!」
そう言って肩を掴んできた。しかしシュウは盛大な溜め息をついてしゃがみ込んだ。
「シュウ?」
ソウが不思議そう声を上げる。
「アイの親父さんに会った」
「え!?」
そのままがしがしと頭をかく。
「なんっか……RPGの序盤で、ラスボスに会った気分だ」
「は?」
「だって……付き合ってもないのに父親に会うとか、ハードル高すぎだろ……」
その言葉にソウはぷっと吹き出した。
「笑うなよ……!」
「ごめんごめん! いやー、昔のシュウからしたら考えられない姿だなって」
確かにそうだが。目の前にしたときは必死で、愛花を助けるなんて大口を叩いてしまったけど、今になってどっと疲れが押し寄せてくる。普通に恋人の親に会うというのだって緊張するのだ。付き合ってもない、ましてやこんな特殊な状況で緊張しない方がおかしい。
不安はある。愛花が目を覚まさなかったら。拒否されたら。
それでもここで引き返してしまったら、愛花は眠ったままだ。拒否されるよりも辛い。
ならば行くしかない。
モンスターがいたはずの場所に階段ができていた。
「行くか」
そして二人は階段に足を掛けた。