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第14章 少年は成長する

 そのメールは突然だった。


 土曜日の昼下がり。秀二は一人でファーストフード店のカウンターに座っていた。数週間前まではこんな場所に出入りすることもなかったのに、人って変わるものだ。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。でも別のことを考えてないとやっていられなかった。


   *


 送信者:斉藤優一


 本文:秀二、久しぶり。元気にしてるか?

    ずっと会ってなかったから話したいことがいろいろある。

    週末にでも会えないか?


 十回は読み返した。三年も会っていなかった兄だ。このアドレスがまだ生きているとは思わなかった。

 何をいまさら、と思った。三年も音沙汰なしで、久し振りにメールしてきたと思ったらこれだ。

 でも兄がどうしているか、ずっと気になっていた。

 それと同時に、会いたくないとも。


   *


「悪い、待たせた」

 後ろから声を掛けられてはっとした。持ったままだったコーラは氷が大分溶けてしまっている。

 振り返るとそこにいたのは、懐かしい兄の顔だった。少し大人っぽくなった気がする。なにしろあれから三年も経っているんだ。兄も社会人になったんだし、当然だろう。

「久し振り。大きくなったな」

 相変わらずの子ども扱いに、どんな顔をしたらいいか分からなかった。秀二は微妙な顔をしながら曖昧に頷く。

 優一はするりと秀二の隣に座ったが、秀二は手にしたカップから視線を上げられずにいた。

「なんか……ここまで久し振りだと何話していいか分からないなぁ」

 優一は完璧な人だった。頭もいいし友達も多くていつも輪の中心にいた。身内の贔屓目も入っているかもしれないが、実際秀二は優一のいい噂はよく聞いていた。

「最後に会ったのは三年前だから……お前が中二のときか?」

 窓ガラスの向こうはよく晴れていた。通りを歩く人々は、楽しげに見えた。ガラス一枚隔たれただけなのに、別世界の出来事のようだ。

「なぁ……。怒ってる、よな」

 そっと伺うような兄の声が耳に届く。堪らず口を開いた。

「兄さんは! なんであんなことを言ったんだよ!」

 ずっと聞けずにいた。最後の『ごめん』の意味を。

 もしそれが今の道を選んだことの後悔から来るものだったら、秀二は許せなかった。

 いつだって優一はかっこよかった。秀二の理想だった。勉強しかできなくて、それ以外のことなんて何一つうまくできなくて、でもいつか優一のようになれたら、と思っていた。

 それが子どもじみた理想の押し付けだとは分かっていたけれど。

「あんなこと、ってお前に謝ったことか?」

 こんなのは自分のわがままだと気付いていた。兄にはずっと自分の前を走っていてほしかったのだ。

 優一は深く息を吐いた。その顔は、どこか困ったように笑っている。

「うちってさ、家庭環境が独特だろ?」

 秀二は窓の外に眼を向けたまま聞いていた。優一は背もたれに身を預けて続ける。

「代々医者の家系だし、継ぐのが当たり前になっている。母さんも母さんで親戚からの重圧もあったんだろうなぁ。二言目には勉強勉強言ってたよな。俺はこの性格だから別にしんどくなかったけど、お前は辛かっただろ」

 母の気持ちなんて考えてもみなかった。優秀な子どもであることばかりを望んで、ちゃんと子どものことを思ってるとは感じなかった。そんな感情に蓋をして、賢い子どもであるようにしてきたのは秀二自身だが。

「本当に俺は医者になる気はなかったんだ。子どもができたのはきっかけだったけど、いつか家を出ようと思ってた。……理想の兄貴でいられなくて、ごめんな」

 その言葉に秀二はばっと顔を上げた。

「そんな……! 理想を押し付けてたのは俺の方だろ!? なんで兄さんが謝るんだよ……!」

 あの時、謝らせてしまったのは自分の幼さのせいだった。自分の理想ばかり押し付けて、兄を動けなくさせていた。

 今だってそうだ。そんな自分の感情にうまく折り合いを付けられなくて、結局兄を困らせている。

 こんな自分は嫌なのに。

 ふいに優一の手が伸ばされた。そのまま秀二の頭に乗せられる。

「お前がいたからがんばってこれたってのもあるんだよ。ありがとな」

 優一はそのまま秀二を撫でてくる。子ども扱いされるのは照れくさかったが、秀二はされるがままになっていた。


「秀二、学校行き始めたんだって?」

 その言葉に、秀二は薄くなったコーラを吹き出しそうになった。

「な、なんで知って……」

 そもそも自分がひきこもってたことを、兄が知ってるとは思わなかった。思わぬ事実に秀二はたじろぐ。

 優一はすっと電話を取り出した。

「俺と父さん、メル友」

 電話のディスプレイには『送信者:父』のメールが並んでいた。

「あの父さんと……メル友……?」

 堅物な父の顔を秀二は思い浮かべた。いつも不機嫌そうな顔をして、たまに顔を合わせても一言も喋ることもない。あの父が兄とメールのやり取りをしてるなんて、想像もできなかった。

 優一はくすくす笑う。

「話してみると父さんも分かる人だよ。これ言っていいのかなぁ? 父さんと母さんも恋愛結婚だったんだって。だから俺と彼女の結婚も反対したらしい。加えてできちゃった結婚だったからさぁ。自分と同じような苦労はさせたくなかったんだって」

「苦労?」

「さっきも言ったろ? 二人は恋愛結婚だったから、親戚にいろいろ言われたらしい。医者の家系だから頭の固い人が多いのかなぁ? だから母さんも頑なになっちゃって、教育ママになっちゃったんだよ。『いい家の生まれじゃなくても子どもは立派なんだぞー!』って。父さんも父さんで口下手だからさぁ、うまくいかなかったんだろうね」

 秀二は視線を落とす。

 厳しいだけの親だと思っていた。だけどそれぞれ事情があったのだ。簡単に許すことはできないけど、いつか分かり合える日を迎えられたら……。

「で? どういう心境の変化?」

 秀二は言葉に詰まった。全部筒抜けで、秀二は困惑する。あの父がここまでちゃんと知ってるなんて思わなかった。

「……力に、なりたい子がいるんだ」

 優しい、優しい女の子。くるくると変わる表情に、秀二のがんじがらめだった心をいつの間にか解かされた。

 愛花のためなら、なんだってやってやりたい。

 こんな気持ちは初めてだった。

「友達想いの子で、辛い状況に置かれてる……。その子の力になるためにも、せめて自分のできることはちゃんとしとかないといけないと思ったんだ」

 優一は優しい微笑みで俺を見ていた。

「好きなんだね」

「好っ……!」

 ソウといい優一といい、そんな風な言い方をされて秀二はあたふたする。

「ちゃんと成長していて兄さんは嬉しいよ」

 成長できているんだろうか? 人と関わり合うことは、今までずっと避けてきた。これから向き合うのはきっと間違ってしまうこともあるだろう。

 たぶん、成長するのはこれからだ。

「俺はいつだって秀二の味方だからな」

 不安は付き纏う。だけど自分は一人じゃない。ソウも、兄さんもいる。なにかあったら頼っていいんだ。


 ――アイ、俺はお前にとってそんな存在になりたいよ。

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