前編
短編『公爵令嬢と臆病な魔物使い』( http://ncode.syosetu.com/n9026bh/ )の続編ですが、これのみでも読めます。ルーカス視点。
親友が勇者になり、魔王討伐の手伝いをする事になったのは一年ほど前だ。
この一年、辛い時にいつも言う呪文がある。
――姫さん――
想い人というのも恐れ多い、彼女の事を思うだけで俺はどんな困難も乗り切る勇気が湧いてくるのだ。
「姫さん……」思わず口に出た。
「はい、なんでしょう?」
!!!
「うぇ?」
声が裏がえった。
慌てる俺と、俺の言葉を待っている姫さん。
俺の秘密の呪文を知っているパーティーメンバーは爆笑している。
だか、彼女はまっすぐな瞳で俺を見つめているのだ。
品のある薄桃色の巻き毛と、紫水晶に例えられるその瞳が俺のすぐ目の前にある。
今まではその瞳の色すら見た事も無いほど遠かったのに。
ああ、綺麗になったな。
最後に見たのはやはり町を出た一年ほど前。
いつも脳裏に想い描いていた姿も『美しい』と思っていたが、あれは『可愛い』だったんだな。
だって顔立ちもその姿も雰囲気も以前よりもずっと洗練されて輝きが増している。
白く柔らかそうな肌も、意志を秘めた眉も、優しく色付く頬も、その全てが眩しくて俺はここが町の酒場だという事も忘れそうになる。
「ルーカス?」
名前を……呼ばれた!
俺は幸せのあまり、意識を飛ばしそうになった。
ここは姫さんこと――俺と親友でもある勇者アルベルトが住むヴェルダ領の公爵家の娘――ツェツィーリア・フォン・ヴェルダ嬢と出会った森から北に進んだ所にある町だ。
モンスターに襲われていた彼女の馬車を助けたのが縁で、彼女は俺たちのパーティーに加わる事になった。
そして、魔王領のそばに位置するだけあって要塞のような造りをしているこの町の酒場で、俺たちは彼女を勇者一行に迎え入れる宴を開いていたのだ。
昨日までの俺に言っても信じてくれなかっただろう。ガキの頃から見つめるだけだった彼女と、故郷を離れ思い描いていただけの彼女と、恐れ多くて一言も口を聞いた事の無い彼女と、一緒に旅が出来るなんて!
しかも彼女が一行に加わる事を心配していた俺に、美しい笑顔で言ってくれた。
「そんなに心配ならばこれからの旅でわたくしを守りなさい、ルーカス。貴方の手をわずらわす以上の戦果は約束しましてよ」
一見高慢とも取れる言葉。
しかし、それがどんなに優しく俺に響いたか彼女は知らない。
俺が彼女をどんなに特別に思っているのか、知らないのだ。
姫さんを初めて見たのはガキの頃だ。
俺とアルベルトは姫さんの父親・ヴェルダ公爵の治める城下町に住んでいた。……と言っても、騎士階級のアルベルトと下町に住む俺は住み分けがあったけどな。
その時の城下町は何やら不穏な空気で大人たちは顔を合わせる度に眉間にシワを寄せて小難しい話ばかりしていた。
特にその空気が色濃い公爵家の城から逃すかのように、幼い彼女は高級地区に住む叔母の家に預けられた。
俺たちが通う剣術道場では「城からお姫様が来た!」とすぐに話題になった。
珍しいもの見たさで道場の帰りに連れたって屋敷に行き、衛兵の目を盗んで塀から覗いた。
そこに居たのは紛れも無い『お姫様』だった。
綺麗に整えられた薄桃色の巻き毛。可憐な薔薇色のドレスを着た少し年下の少女。
日に焼けた事のないであろう真っ白な肌は庭の緑に映えていて、俺は別世界に迷い込んだかのような気分になった。
あの時の衝撃は忘れられない。
今にして思えば一目惚れだったのだろう。
見た目だけではなく、纏う空気からして近所のおばちゃんや幼馴染など、下町のどんな女とも違う彼女に夢中になった。
いつも彼女が庭にいる訳でも無いのに、一目見る為にある時は一人で、またある時はアルベルトや道場の仲間を誘って、衛兵のおっちゃんにこっぴどく叱られるまで何度も通った。
じきに彼女は城へと帰り、俺はいつもの生活に戻ったが、一度焼きついた彼女の顔は消える事無く、彼女が町へ来るという情報を聞く度に俺は飛んで行き、遠くから見つめていたのだ。
彼女の姿を見えた日は一日中幸せで、遠目から笑顔なんて見えた日にはこれから一年が祝福されてるんじゃないかってくらいの喜びを感じた。
俺がガキの頃から姫さんを見つめていた事を本人は知らない。
だからこそ、いつか運良く出会う事があったら彼女に紳士的に接して好感を得ようと思っていた。
なのになんだ。思わぬところで出会った俺は腰を抜かしたあげく、つい素の俺で接してしまった。
はぁ……
人生で自分の情けなさにため息をついた数は人の数倍になるだろう。
そんなくだらない事を考えながら酒を煽り、目の前の肉料理に手を伸ばした。
「そうだ、ツェリ」
アルベルトが何かを思い出したかのように言う。
姫様に気安く声を掛けるな無礼者!!!
……って俺はどこの何者だよ!!?
姫さんが居る事実が嬉しすぎて、酒がますます体に回る。
奴が姫さんと慣れ慣れしく喋っているのを横目で見ながら俺は思い出していた。
このアルベルトこそが俺が魔王討伐なんていう正気の沙汰とは思えない旅に出るきっかけになった奴だ。
人生の転機になったあの日、俺たちが住む城下町がモンスターに襲われた。
竜類の最下種に当たるモンスター、奴らは普段森で見ても人を見れば逃げる。戦っても一匹ぐらいだったら複数人が立ち向かえば簡単に倒せる。
だからこそ奴らが町を襲った時も誰もが事態を甘く見て対応が遅れた。
初めはちらほらと現れていたモンスターはあっという間に町を埋めた。
火を吐き、町を燃やし、人を襲う。
逃げ叫ぶ人々を掻き分けてモンスターの居る中心に向かっていく親友を止める事も出来ずただ付いて行った。
そのうち奴らを操っているらしき、群れの中でも特に大型のモンスターが現れた。
他の連中とは違い、ヤツの目には知性の光が見えた。
ちっこい体に不釣合いの大剣で迷わず斬りかかったアルベルト。
苦戦する親友を助ける事すら出来ず足は震えたが、親友の「ルーカス!!! 逃げろ!」の声で動いた。逃げたのだ。
逃げている間、怖くって情けなくって涙が出た。
しかし、途中で俺と同じように逃げまとっている人の流れに逆らう動きに気が付いた。
ヴェルダ公爵家の人間だ。後に旅に出てから痛感したが、俺たちの領地は主に恵まれていた。
公爵家の人間は、それぞれ騎士を従えて事態の収束に務めていた。
その中にあったのは見間違えるはずの無い尊い姿。
いつもは品良く纏まった巻き毛を乱して、綺麗なドレスが破れ煤や血に塗れても構わず、姫さんは町人を庇って戦っていた。
俺よりも年下で小さい女の子は、硬い表情で涙も見せずに戦っていたのだ。
その瞬間の感情は今でも表現出来ない。
俺は何かを叫びながら、無我夢中で戦っている親友の元に戻り参戦した。
気が付いたら敵の親玉は息絶え、モンスターの統制は崩れていた。
すでに麻痺した心で散り散りに逃げて行く敵を追いかけては殺していく。
力試しと言って町の外に出て雑魚モンスターを相手に戦った事は何度もある。
だが、これが俺にとってもアルベルトにとっても初めての戦いと言えた。
後になって国のお偉いさんに聞いた話だが、この事件は魔王が自分の対である勇者を炙り出す為に刺客を放ったのだろうという事で落ち着いたらしい。
生まれ育った町が自分のせいで襲われたと嘆くアルベルトを見るのは辛く、立ち直らせるのには正直骨が折れた。
この戦いの勝利の立役者としてアルベルトと俺の名は国中に響き渡った。そして、王都から国王との謁見する機会に恵まれた。
俺たちは驚き、俺は正直一番活躍したアルベルトだけでいいんじゃないかと思ったが、姫さんの父である公爵様も一緒に登城する事になったので大人しく従った。
始めて訪れた王都も王城も、下町に住む俺にはきらびやかすぎた。
公爵様が用意して下さった礼服を着て、アルベルトと俺は国王に謁見した。
俺たちは下段に居たため国王の顔を拝見する事はかなわなかったが、いつもはゆるく編んだ緑色の三つ編みをやけにきっちりと編まされて痛かった事だけは鮮明に覚えている。
国王よりお褒めの言葉を頂いて謁見はつつがなく終わるかと思われたが、そこに居た大神官のお告げにより、アルベルトが今代の勇者である事が分かった。
勇者が現れたという事は、ここ数百年封印されていた魔王が再び蘇ったと言う事だ。
ざわめく謁見の間。
しかし、誰もがいつかは来る魔王の復活を予想していたのだろう。話は早くもこれからの対策に移る。
途方のない話に手持ち無沙汰になって来た頃に予期せぬ声が国王の側から聞こえた。
「恐れながら陛下」
それまで一言も喋らなかった白ひげのじいさんが国王に呼びかけたのだ。
「なんだ、ボニファティウス。発言を許す」鷹揚に応える国王。
「勇者の隣にいる少年には魔物使いの素質があります。上手く育てられれば勇者の強力な武器になりましょうぞ!」
ちょっと待てぇ! じいさん!!!
そういう事は後でこっそりと俺に告げろよ! じゃないと逃げれないだろうがっ!!!
いきなりの発言に混乱する俺。正直モンスター来襲よりもビックリした!
俺の魂の叫びは届かず、国王とアルベルトが期待に満ちた目で俺を見ている。
もちろん俺に公式の場で断る勇気など無く、俺は勇者アルベルトの一の仲間になった。なってしまった。
国王から賜る予定だった褒美は急遽、旅立ちの為の支度金や装備に変わった。
アルが王宮で魔王討伐の旅の支度をしていたその一月。俺はなぜかあの白ひげじいさんに引き摺られ、弟子として魔物使いの基本を叩きこまれた。
白ひげじいさんのシゴキからもその後の魔王討伐の旅からも逃げ出さなかったのは、あの日の姫さんの姿が脳裏から離れなかったからだ。
ただ憧れているだけだった、外見の美しさや雰囲気だけに魅せられていた俺に突き付けられた彼女のその内面を知ったあの日。それは今までの着飾ったどんな姿よりも美しく気高かった。
彼女を見ているだけの自分が、遠い所で言い訳をして逃げているだけだった自分が、恥ずかしくなった。例え会う事は出来なくても、俺は彼女と向き合えるだけの人間になろうと誓ったのだ。
出発の数日前、俺はじいさんに城の一室に呼ばれ、そこに並んだ武器や防具から好きなものを選ばされた。
アルベルトの装備は最上級の物がすでに用意されていたが、俺の装備に関してはじいさんに一任されたらしい。
その頃には魔物使いというものが分かってきた俺は動きやすいような防具とマント、そしていかにも質の良い薄桃色の魔石の入ったガントレットを選んだ。
俺の中で薄桃色と言ったら姫さんの色だ。あの炎と煙の中で見た彼女を忘れないように、俺はそのガントレットを大切に腕に嵌めた。
さすがにここまではシリアス。