第3話
第3話
ニーナ・アルシェルは、あっさりと行き倒れた。
……はずだった。
意識が沈んでいく、その直前。
足元に、淡く光る紋様が浮かび上がった。
「……え……?」
ぼやけた視界の中で、それだけは妙にはっきりと見えた。
複雑な幾何学模様。円と線が重なり合うそれは――まさか。
「……これまさか!転移陣……!?」
異世界だもんね!この流れは定石だよね!
「ちょっと待って……これ、移動している間に視界ぐにゃぐにゃにならないよね!??」
言い切る前に、光が弾けた。
「え、ちょ、待っ――」
――ぐにゃり、と空間が歪む。
身体が、引っ張られるような感覚。
「いやぁぁぁぁぁ!?私絶叫系苦手なのにぃぃぃぃ!!!」
絶叫が、どこかへと引き伸ばされていく。
視界が白に塗りつぶされた次の瞬間。
どさり、と床に倒れ込んだ衝撃で、意識がわずかに浮上する。
「いっ……た……」
ぼやけた視界の中で、私は顔をしかめた。
冷たい石の床。ひんやりとした空気。
さっきまでの廃墟とは、明らかに違う。
「うぅ……気持ち悪いよぉ……ここ、どこ……」
ゆっくりと体を起こす。
その拍子に、腰の工具ベルトが――じゃらり、と音を立てた。
やけに、その音だけが響いた気がした。
顔を上げる。
そして。
「……え?」
視界が、止まる。
高い天井。重厚な柱。黒と赤で統一された広間。
左右に並ぶ、異形の存在たち。
角。牙。人とは違う気配。
それだけで、十分すぎた。
その中心、玉座の上に視線を移す。
「……」
沈黙のままひとり、座っている。
長く流れる黒髪と、感情を読ませない赤い瞳。
装飾を削ぎ落とした黒の装束が、その存在そのものの重さを際立たせていた。
動いていない、なのに。
空気が押し潰されるように重い。
ただ、そこにいるだけで、場を支配している存在。
(……なにこれ)
喉が、ひくりと鳴る。
視線が、合った。
逃げ場がない。
目を逸らせない。
ただ、見下ろされている。
その圧に、思考が一瞬で止まる。
(やばい)
本能が叫ぶ。
(これ、絶対やばいやつ)
緊迫した空気の中、身近な所から大きな金属の擦れる音がした。
じゃらり。
私の工具ベルトだった。
「……」
全員の視線が、一斉にこちらへ向く。
(最悪のタイミング!?)
場違いにもほどがある音だった。
けれど、その中でも、玉座の男だけは、動じない。
「……人間か」
低く、静かな声が落ちる。
それだけで、空気が震えた。
「……魔王……?」
ぽつりと呟いた瞬間。
広間の温度が、さらに下がった気がした。
(ひぃぃぃ……まずいまずいまずい)
誰も動かないし、誰も声を出さない。
「……そうだが?」
広間に重々しく低い声が響いた。
(……いやこれ、どう考えても不機嫌なやつだよね!?)
周囲の魔族達は魔王の圧に恐慄いてるのか、一言も発しない。
沈黙が続く。
重い、とにかく重い。
(無理無理無理無理無理)
心の中で全力で叫ぶ。
(帰りたい!地下に帰りたい!発明してたい!)
けれど、現実は目の前にある。
逃げられない。
そして、魔王が、ゆっくりと立ち上がった。
その動きだけで、空気がさらに張り詰める。
一歩ずつ、近づいてくる。
足音が、大理石できた広間の床に重く響く。
床を踏むだけで、圧が増す。
(来た来た来た来た来た!?)
対して私は、よろり、と一歩下がる。
すると転移陣の後遺症も相まってバランスを崩し、また工具ベルトが鳴った。
がしゃん。
(うるさい!!)
心の中でツッコむ。
この空気でその音はダメだって!
なのに止まらない。
私の存在だけが、やたら軽い。
軽すぎる。
場違いすぎる。
魔王が、目の前で止まる。
見下ろされる。
近い……。
完全に終わった。
「……なぜ、ここにいる」
問いは、短い。
けれど逃げ場はない。
「えっと、その……」
頭が回らない。
でも何か言わないと。
何か。
……じゃらり。
また鳴る。
(だからうるさいって!!)
ついに自分でツッコむ余裕すらない。
けれどその音が、逆に。
この異様な空気の中で。
ひどく“人間的”に響いた。
魔王の視線が、わずかに下がる。
私の腰、工具ベルトへ。
「……それは、何だ」
初めて、興味を含んだ声だった。
つづく
お読み頂きありがとうございます。少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。
宜しければブクマ、評価等頂けると励みになります。




