表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魂に条文を刻め ――契約魔術師は地獄の王都で生き残る』  作者: ベルガマスク


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/11

第8話 「主体の条件」

 班十三の持ち場は、いちばん臭い場所だった。


 下水の流れが集まる溝の脇。魂を絞った残り滓――骨と肉と髪と、名前のない“物”が運ばれてくる。運ばれるたびに、労務者たちの目が一瞬だけ生き返る。拾えるものがあるか。売れるものがあるか。生き延びる金があるか。


 そして今、その目が俺とユノに刺さっている。


 監督セレウスが「責任は相沢レイが負え」と宣告した瞬間から、班十三の“事故”は全部俺の事故になった。事故は罰則になる。罰則は税になる。税は命を削る。


 ユノは俺の背後に隠れるように立っていた。震えている。泣けない目。


 リセが、作業台に肘をついて言う。


「七日で主体にするなら、順番がある」


 俺は頷く。喉はまだ痙攣している。声が出ない。だから、骨片に短く書く。


『順番?』


「一。特定。二。契約能力。三。納税手段。四。監督の承認。――全部、穴だらけ」


 リセは指を折る。


「特定はできた。名前“ユノ”。ここまでは簡単。問題は二。未成年は契約能力が弱い。監督や上層はそこを盾にして、勝手に代理契約を結ぶ」


 ――つまり、“同意がない契約”が合法になる領域がある。


 吐き気がする。吐き気はある。でも怒りは薄い。


 リセが続ける。


「だから三から潰す。納税手段。主体になっても税が払えないと回収される。払えない主体は、ただの的だ」


 俺は骨片に書く。


『労務で代替?』


「それが基本。でも労務は監督の鎖。監督が気に入らなきゃ即“過失”を作られる。――別の納税手段が必要」


 別の納税手段。金税はない。肉税は地獄。魂税は死。


 残るのは、評価。信用。契約の価値。


 俺は骨片を握り、ゆっくりと周囲を見た。第七層は腐っているが、腐っているからこそ“抜け道”もある。


 作業台の端に、小さな欠片が落ちていた。


 骨でも肉でもない。黒い板。薄い金属のようで、触れると冷たい。表面に、微細な文字の跡がある。読めない。だが、文字が“刻まれていた”という事実だけはわかる。


 ――法典の欠片。


 ミラに渡すと契約している“報酬”。だが、今はそれ以上の意味がある気がした。


 リセがそれを見て、小さく息を呑む。


「……拾うな」


 俺は骨片に書く。


『なぜ』


「それは上層の“帳”だ。触っただけで契約が刺さる欠片がある。第七層に落ちてくるのは、事故じゃない。“投棄”だ」


 投棄。上層が捨てる法。

 捨てられた法でも、刺さる。


 だが――刺さるなら、逆に使える。


 俺は右手の握力が落ちていることを思い出し、左手で慎重に欠片をつまんだ。触れた瞬間、冷気が皮膚の奥へ入り込む。


【注意:未認証媒体】

【読み取り禁止:暗黙同意の危険】


 読まない。見ない。

 でも“書く”ことはできるかもしれない。


 俺は欠片を裏返した。裏面は無地に近い。刻める余白がある。


 リセが低く言う。


「……やる気か」


 俺は頷く。


 ユノが小さく言った。


「……ぼく、どうしたら……」


 その声に胸が動くはずだった。動かない。

 だから俺は、理性で手を伸ばす。


 ユノの手を取って、欠片の上に置く。ユノの指が震える。


 そして、俺は短く刻む。


『第十一条 ユノは班十三に所属する労務者である』

『但し、本所属は“保護”を目的とし、徴収・譲渡・売却の対象とはならない』


 欠片が、微かに熱を持った。


【警告:上位媒体への刻印】

【対価が増大する可能性】


 続けるしかない。


『ユノの納税手段は“労務”ではなく、“欠片の運搬”とする』

『但し、欠片の運搬は相沢レイの監督下でのみ成立する』


 ――納税手段を労務から外す。

 “欠片の運搬”という名目で、ユノが第七層の雑務を担う主体になる。監督の鎖ではない。俺の鎖だ。危険だが、監督の裁量から一歩遠ざけられる。


 欠片が鳴った。


【条文化:成立】

【適用範囲:班十三/労務区画(限定)】

【期限:3日】

【対価:視力の低下(3日)】


 視界の端が滲んだ。輪郭が少しだけ曖昧になる。暗い第七層で視力低下は致命的だ。だが、期限は三日。七日のうちの前半を稼ぐには足りる。


 ユノの目の前に、ウィンドウが浮かぶ。


【所属:班十三(保護)】

【納税手段:欠片運搬】

【期限:3日】


 ユノが息を呑む。


「……これ、ぼくに……出た……」


 リセが、わずかに口角を上げた。


「第一段階クリア。特定→所属→納税手段。次は――四。監督の承認」


 その瞬間、背後から杖の音が鳴った。


 ――コツ。


 空気が凍る。


 セレウスが立っていた。いつから見ていたのか。笑っている。だが目が笑っていない。


「面白いね、相沢レイ」


 俺は声が出ない。代わりに欠片を隠そうとして、視力の滲みで手元が狂う。欠片が床に落ち、乾いた音を立てた。


 セレウスの目が細くなる。


「上位媒体を拾ったのか。大胆だ。――だが、無許可の刻印は違反だよ」


 俺の目の前にウィンドウが浮かぶ。


【監督指摘:規則違反の疑い】

【処分候補:追加徴発/評価減点/回収屋への引渡し】


 リセが低く言った。


「監督は承認じゃなく、没収で来る」


 セレウスが続ける。


「君は便利だ。だからこそ、自由にさせたくない。君が作った“保護”の所属は、私の管轄に刺さる。なら――承認する代わりに条件を付ける」


 条件。

 この世界で条件は首輪だ。


 セレウスは杖の先で、ユノを示した。


「ユノを主体にしたいなら、担保を出せ。主体には責任が伴う。責任は担保で裏付ける。――法の基本だろう?」


 担保。

 金?ない。肉?地獄。魂?死。

 残るのは、俺。


 セレウスが、穏やかに笑う。


「相沢レイ。君の“労務評価”を担保にしろ。君の評価をユノに移す。ユノが失敗すれば、その分君が減点される。君が減点されれば、徴発が増える。――そうすれば私の損失はない」


 つまり、ユノの主体化と引き換えに、俺の鎖を太くする。


 リセが、俺の袖を引く。


「断れ。監督の担保は終わらない。要求が増える」


 だが、断れば――ユノは七日後に回収される。

 回収屋が待っている。

 この三日だけの保護では足りない。


 俺は欠片を拾い上げ、左手で短く刻む。


『第十二条 相沢レイの労務評価の一部をユノの担保として供する』


 セレウスが微笑む。


「いい子だ」


 だが、俺は但し書きを続ける。


『但し、担保の範囲は“本日から三日間”に限る』

『且つ、担保の減点上限は“一日一回”とする』


 セレウスの笑みが、わずかに歪んだ。


「……上限を付けたか」


 欠片が鳴る。


【条文化:成立】

【適用範囲:当事者間(相沢レイ/セレウス/ユノ)】

【期限:3日】

【対価:味覚の鈍麻(30日)】


 味が消えた。

 口の中がただの湿った肉になる。食べても食べなくても同じ。生きる喜びがまた一つ薄くなる。


 セレウスの目の前にもウィンドウが出たのだろう。彼は一瞬だけ黙り、そして頷いた。


「承認しよう。三日間だけね」


 ユノの目の前に、新しい通知が浮かぶ。


【主体:暫定承認(監督付担保)】

【期限:3日】


 ――主体になった。三日だけ。

 七日には足りない。だが、足場はできた。


 セレウスは去り際に、囁くように言った。


「ところで相沢レイ。上層は“条文化持ち”を欲しがる。回収屋よりも、もっと高い買い手がいる」


 胸が動かない。だが理性が警鐘を鳴らす。


「明日の労務。追加だ。君は“帳”の区画へ行け。欠片の回収係」


 帳。

 法の帳簿。

 上層へ繋がる胃の奥。


 リセの顔色が変わった。


「……やめろ。帳の区画は、人が消える」


 セレウスは笑ったまま去っていく。


「消える? 正確には“整理される”んだよ」


 杖の音が遠ざかる。


 残されたのは、ユノの震えと、俺の静かな計算だけ。


 ユノが小さく言った。


「……ぼく、こわい」


 俺は“怖い”と言ってやりたかった。

 でも感情が薄くて、うまく同じ重さで言えない。


 だから、欠片に短く刻む。


『三日で次の契約を作る』


 ユノは読めないかもしれない。

 でも、俺は自分に刻む。


 三日で、七日を作る。

 監督の鎖を外す。

 回収屋の手を切る。


 そして――“帳”の区画で生き残る。


 上層が捨てた法の欠片が、まだ冷たく手の中にあった。

 その冷たさが、まるで未来の死体みたいだった。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ