第7話 「契約の鎖」
回収屋の手が、子どもの肩に触れた。
触れた瞬間、子どもがびくりと震える。逃げようとするが、足が動かない。恐怖で固まっている。――恐怖。俺の中では薄くなってしまったもの。
「時間だ。選べ」
回収屋が囁くように言う。甘い声だ。甘さが怖い。
「お前は俺たちに付く。そうすれば、この子は処理しない。保護する。契約を結べば“合法”だ」
合法。
この世界で一番汚い言葉。
俺は骨片を握り締めた。掌の縫い跡が裂け、痛みが走る。痛みだけが確かだ。喉は痙攣して声が出ない。だから――言葉を刻むしかない。
短く。範囲は狭く。
相手を否定しない。定義を弄る。
そして――但し書き。
俺は骨片の空白に、まず“契約の形式”を書いた。条文化は法だが、当事者間の契約に落とせば範囲が絞れる。
『第十条 相沢レイと回収屋(ギルド所属)は本件に関し契約を締結する』
回収屋が笑う。
「いい子だ。条件は――」
その言葉を、俺の“但し書き”が切り裂く。
『但し、本契約の対象は“子どもの保護”に限る』
回収屋の笑みが、わずかに歪む。
「……ほう」
俺は続ける。
『保護とは、当該子どもに対し魂税・肉税・労務徴発その他一切の徴収を行わず、第三者への譲渡・売却・引渡し・通報をしないことをいう』
――定義。
この世界は定義で殺してくる。なら、定義で守る。
骨片が熱を持つ。
【警告:条文化の複合条件】
【対価増大の可能性】
回収屋の片割れが、肩をすくめた。
「細かいね。そういうの嫌いじゃない。だが――対価、払えるのか?」
俺は“対価を見る”前に書き切る。迷えば刺される。迷えば相手の条文が先に成立する。
『違反した場合、回収屋は直ちに本件による利益(対価・評価・金銭・魂)を喪失し、当該子どもに帰属させる』
――利益の剥奪。
この世界の人間は利益で動く。利益を奪えば鎖になる。
骨片が鳴った。
【条文化:成立】
【適用範囲:当事者間(相沢レイ/回収屋二名)】
【期限:7日】
【対価:右手の握力低下(7日)】
掌が痺れた。骨片を握る力が、ふっと抜ける。落としそうになるのを必死で堪える。痛覚増幅が追い打ちをかける。指が砕けたみたいに痛い。
回収屋の二人が、同時に動きを止めた。
目の前に、彼らにもウィンドウが浮かんでいるのが見える。条文化は当事者へ強制的に“読ませる”。同意は、成立後に取られる。
「……っ」
回収屋の一人が舌打ちした。
「こんなの、契約じゃない。押し付けだ」
その言葉に、俺は“答えたい”と思った。だが声は出ない。代わりに、骨片に短く追記する。
『本契約は、回収屋が当該子どもに接触した時点で黙示に成立する』
回収屋が目を見開く。
「ふざけ――」
だが、ふざけているのはこの世界の方だ。読むだけで刺さる契約があるなら、触るだけで刺さる契約があってもいい。
回収屋は手を離した。子どもの肩から手が離れ、子どもが崩れるようにしゃがみ込む。
回収屋の片割れが低い声で言った。
「……面倒なのに刺された。撤収するか?」
「待て」
もう一人――先に俺を本命だと言った方が、俺を見つめる。目が細い。計算の目。
「この契約、期限は7日。つまり7日後に切れる。切れた瞬間、ガキは回収できる。――それでいい」
回収屋は笑った。
「お前は賢いが、浅い。7日で何が変わる? 第七層でガキが生き残れると思うのか?」
その言葉が刺さるべきだった。だが、感情は薄い。刺さるのは理性だけだ。
7日で何ができる?
答えは一つ。
主体にする。
税の対象から外す。
徴発の鎖を別の鎖に付け替える。
俺は骨片を握り直そうとして、握力低下に気づく。右手が言うことを聞かない。骨片が滑る。落ちる。落ちたら終わる。
リセが、俺の影のように動いた。
骨片を拾い上げ、俺の左手へ押し付ける。
「……使え。新入り」
彼女の声は低い。だが、どこか焦っている。
「お前が条文化持ちなら、ここで生き残れるかもしれない。だが一人じゃ無理だ。――第七層は“群れ”が勝つ」
回収屋が眉を上げた。
「へえ。労務者が口を出すか。君も契約に巻き込みたい?」
リセが笑う。冷たい笑いだ。
「巻き込めるなら巻き込め。だが、こいつの条文は“穴”が少ない。簡単には抜けられない」
回収屋は肩をすくめ、後ずさった。
「いいよ。7日だけ保護してやる。――合法的に、な」
回収屋が去ろうとした、その瞬間。
セレウスが杖を鳴らした。
「待て。回収屋。お前たちは私の区画の労務資産を勝手に弄るな」
監督の声が、空気を冷やす。
回収屋が振り返る。
「監督殿。これはギルドの案件だ。あなたの管理対象では――」
「管理対象だ」
セレウスは微笑んだ。
「なぜなら、その子どもは“労務徴発の告知を受けた者”になった。つまり暫定的に労務者だ。労務者は私の管轄。――お前たちは管轄侵害だ」
回収屋の目が細くなる。
「……ややこしい条文化を入れたな、新入り」
セレウスは俺を見た。笑っている。だが、その笑みは“評価”の笑みだ。利用価値を測る笑み。
「相沢レイ。君は面倒な札になった。だが面倒な札ほど、上層は好む」
俺の目の前に、ウィンドウが浮かんだ。
【監督命令:追加労務】
【内容:徴収残滓の処理(優先)】
【理由:条文化適性】
追加労務。
税の鎖が増える。
リセが小さく呟く。
「……やっぱり来た。監督はお前を“便利”にする気だ」
回収屋が言う。
「便利な札は高く売れる。監督殿、いくらで売る?」
「価格交渉は後だ。今日は仕事を回せ」
セレウスは杖を鳴らし、周囲を黙らせた。
「班十三。持ち場へ戻れ。騒ぐな。規則を守れ。――そして新入り」
セレウスの視線が、子どもへ落ちる。
「その子は“暫定労務者”として班十三に付ける。責任は――相沢レイ、お前が負え」
責任。
つまり、失敗したら俺が払う。
税を。
罰則を。
命を。
子どもが俺を見る。泣かない。泣けない。だが、目が震えている。
俺は声を出せないまま、頷いた。
リセが囁く。
「名前を聞け。名前があると“主体”にしやすい」
――主体。
生き残る鍵。
俺は子どもに近づき、骨片の端に小さく書いた。声が出ないなら、文字で問う。
『名前は?』
子どもが震える唇で答える。
「……ユノ」
ユノ。
その瞬間、俺の目の前に小さな通知が浮かんだ。
【情報:対象の特定性が上昇しました】
名前は、鎖になる。
だが同時に、盾にもなる。
俺は理解した。
この七日間で、ユノを主体にする。
そして――俺自身も、ただの納税者で終わらない道を探す。
セレウスが最後に言った。
「働け。第七層は、生きる者のための場所じゃない。――生き残る者のための場所だ」
俺はユノを連れて、作業台へ戻った。
背中に視線が刺さる。
回収屋の視線。
監督の視線。
労務者の視線。
全員が、俺の但し書きの“次”を待っている。
俺は骨片を握り直す。握力が弱い。痛みが強い。感情が薄い。
それでも、文字だけは書ける。
(つづく)




