第11話 「例外審査」
白い。
視界が白で埋まっている。天井も床もない。壁もない。ただ、白い紙の繊維みたいなものが空気を漂っていて、触れると指先がざらつく。
――例外処理:開始。
――主体恒久化審査(暫定)。
文字だけが、現実より確かに浮かんでいる。
耳鳴りのように、紙をめくる音が響く。
その音の合間に、誰かの声がする。
「……同伴者、ユノ……?」
ユノの声だ。近い。だが姿が見えない。白が遮断する。隔離。分断。手続。
俺は声を出そうとして喉を抑える。痙攣はまだ残っている。出ない。出せない。なら、文字で繋ぐしかない。
俺は手探りで骨片を探す。右手の握力は弱い。左手で懐を探る。――青白い欠片。保留(24時間)の鎖。ここにある。骨片もある。触れた瞬間、紙の繊維がざわりと動く。
白の中に、黒い板が現れた。
帳簿のページが、板状に固まったみたいなもの。そこに、太い文字。
【審査項目1:特定性】
【問:あなたは誰か】
【回答期限:10秒】
【未回答:回収】
単純すぎる問い。だから罠だ。
“誰か”。
名前。出生。登録。主体。
俺は転生者だ。ここの出生記録はない。暫定主体として認定されたのは、俺が自分の名前を名乗ったからじゃない。ミラの助けで“同意の形”を作ったからだ。
ここでは、嘘が刺さる。
真実も刺さる。
俺は骨片に短く刻み、板へ押し当てた。
『相沢レイ。暫定主体。労務徴発対象。』
余計なことは書かない。
過去は書かない。
この世界の形式だけを書く。
板が鳴る。
【回答:受理】
【特定性:暫定適格】
次の板が現れる。
【審査項目2:連続性】
【問:あなたは昨日のあなたと同一か】
【回答期限:10秒】
【未回答:回収】
連続性。
俺の記憶は既に欠けている。“記憶群”を払っている。感情も欠けている。身体も別物だ。――それでも、同一性を主張できるか?
法学部の講義が頭をよぎる。同一性は自然人の同一性に限らない。主体は法的構成物だ。継続は“規範”で作れる。
なら、答えはこうだ。
俺は骨片に刻む。
『同一である。理由:主体認定は連続して有効であり、労務契約が継続している。』
板が鳴る。
【回答:受理】
【連続性:暫定適格】
続けて板が現れる。
【審査項目3:責任能力】
【問:あなたは責任を負えるか】
【回答期限:10秒】
【未回答:回収】
責任能力。
ここで言う責任は道徳じゃない。納税責任。違反責任。損失補填。評価。担保。
責任を負えると言えば、鎖が増える。
負えないと言えば、主体として失格。回収。
二択に見える。
なら、また第三の道。
“範囲”を限定する。
俺は骨片に刻む。
『負える。範囲:本審査に基づく主体恒久化に関する責任に限る。』
板が鳴った。
【回答:受理】
【責任能力:暫定適格】
――順調すぎる。
順調な手続は、後半に刃が来る。
白が揺れ、板が大きくなる。
文字が細かい。読むだけで刺さりそうな密度。だが、板の中央に太字があった。
【審査項目4:対価】
【問:恒久主体の対価として、何を差し出すか】
【回答期限:10秒】
【未回答:回収】
来た。
結局、これだ。
恒久主体。
上層雇用の欠片が提示した対価は“感情の回復(部分)”。つまり、恒久主体化は高額だ。無償ではあり得ない。
差し出せるものは限られている。
金はない。肉は地獄。魂は死。
残るのは――記憶、感覚、評価、契約。
だが俺はもう、記憶群を失っている。感覚も鈍っている。これ以上削れば、主体として“空洞”になる。空洞は恒久化に適さない可能性がある。上層が欲しいのは機械じゃなく、“使える人間”だ。
なら、差し出すべきは“俺”じゃない。
俺は懐の青白い欠片――保留条項付きの上層雇用契約を思い出す。あれは提示主体との鎖だ。今は保留。24時間後に回収が来る。
つまり、俺は既に“担保”を持っている。
上層が俺を欲しがる。
それは価値になる。
――上層への“優先権”を対価として差し出す。
俺は骨片に刻む。
『対価:提示主体(上層雇用)に対する優先交渉権を本審査主体へ付与する。』
板が沈黙した。
白が静まる。
紙をめくる音が止まる。
そして、遅れて板が鳴る。
【回答:条件付き受理】
【注意:提示主体が異議を申し立てる可能性】
会計役の顔が脳裏に浮かぶ。帳簿みたいな目。あいつは多分、上層に繋がっている。なら、審査主体は会計役の上。上層のどこか。
白の向こうで、ユノの声が震える。
「……レイ……? これ、なに……? ぼく、こわい……」
ユノは同伴者として手続に巻き込まれている。
同伴者。
つまり、ユノにも審査が来る。来たらまずい。未成年。責任能力で弾かれる。弾かれたら回収だ。
俺は即座に骨片へ刻む。
『但し、同伴者ユノは本審査の対象外とする。』
板に押し当てる。だが――板は反応しない。
【エラー:手続途中の対象変更は禁止】
止められない。途中で変更できない。
会計役が言った通りだ。
なら、対象変更ではなく――“審査項目”を改変する。
ユノに来る問いを、答えやすいものにする。
俺は白の繊維を掴み、青白い欠片を取り出した。保留(24時間)付き。提示主体との鎖。上位媒体。
上位媒体への刻印は危険。
だが今は手続中。手続は規則の外にある。例外処理は、規則を溶かす。
俺は青白い欠片に、短く刻む。
『第十四条 同伴者ユノに対する本審査は、特定性と保護必要性のみを審査し、対価審査を免除する』
『但し、本条項は本例外処理の期間中に限り有効とする』
欠片が、青白く強く光った。
【警告:上層契約媒体の改変】
【対価:左手指先の感覚喪失(30日)】
指先が冷える。感覚が消える。ペンを握る感覚が薄れる。条文化する手が、少しずつ死ぬ。
だが、欠片が鳴った。
【条文化:成立(例外処理内)】
【適用範囲:例外処理手続(限定)】
【期限:例外処理終了まで】
直後、白の中にもう一つ板が浮かんだ。小さい板。ユノ用だ。
【審査項目:特定性】
【問:あなたは誰か】
【回答期限:10秒】
ユノの声が震える。
「……ユノ……」
【回答:受理】
次。
【審査項目:保護必要性】
【問:あなたは保護を必要とするか】
【回答期限:10秒】
ユノが小さく言う。
「……ひとりだと……しぬ……」
【回答:受理】
板が消える。
【同伴者:審査通過(暫定)】
息が止まりそうになった。止まりそうになっただけで、安堵の感情は薄い。それでも理性は“成功”と判断する。
だが――白が再び揺れる。
巨大な板が、最後の項目を提示した。
【審査項目5:不可逆性】
【問:恒久主体化は不可逆である。同意するか】
【同意=成立】
【拒否=回収】
【回答期限:3秒】
来た。
真の二択。
不可逆。
恒久主体になれば戻れない。
戻れないということは、俺の元の世界へ戻る道が閉じる。感情鈍麻も戻らないかもしれない。契約の鎖は永遠に残る。
しかし拒否すれば回収。ここで終わり。ユノも巻き込まれる可能性が高い。
3秒。
但し書き――を書いている時間はない。
だが、俺は既に“保留”を作った。二択の無効化は一度成功している。
なら、同意の内容をねじる。
“不可逆性”の意味を限定する。
不可逆とは、“主体登録の更新が取り消せない”という意味に限定し、“契約上の自由”は含まない、と定義する。
俺は骨片に最短で刻む。
『同意する。但し、不可逆とは主体登録の取消不能をいうに限り、契約締結自由・移動自由を制限しない』
板に叩きつけるように押し当てる。
――間に合え。
白が鳴った。
【同意:成立】
【但し書き:条件付き付随(審査主体の判断)】
【主体恒久化:処理中】
同意は通った。
だが但し書きは“審査主体の判断”に回された。完全には刺さらない。半分だけ。半分だけでもいい。鎖を少しでも緩められれば。
白が収束し始める。
紙をめくる音が、遠ざかる。
そして、最後の通知が落ちてきた。
【主体:恒久化(暫定承認)】
【条件:上層提示主体による異議申立て猶予(24時間)】
【同伴者ユノ:保護主体(限定)】
暫定承認。24時間の異議猶予。
――上層雇用欠片の保留(24時間)と、同じ時間。
つまり、上層が来るのは確定だ。
来て、異議を申し立てる。俺の恒久化を奪い返すか、契約を強制するか、あるいは両方。
白が剥がれた。
帳の区画の白い壁が戻る。床の欠片の山が戻る。会計役がそこに立っている。笑っている。
「おめでとう。恒久主体だ」
リセが俺を支える。俺の左手指先は感覚が薄い。骨片を落としそうになる。
ユノは生きている。震えているが、ウィンドウが出ている。
【主体:保護主体(限定)】
会計役が淡々と言う。
「だが24時間だ。提示主体が異議を申し立てれば、君の恒久化は“再審査”に回る。再審査はもっと削る。――お前はもう、削れるか?」
俺は答えない。声が出ない。
代わりに、懐の青白い欠片が熱を持ち始める。
保留が切れるまで、残り24時間。
上層が来る。
俺は理解した。
次に来るのは、回収じゃない。
交渉だ。
契約だ。
そして――売買だ。
(つづく)




