利己主義の影響(8)
(日本共◇党)
(脱出2)
(なれそめ)
(日本共◇党)
石田が主要首脳との外交に関わりっ放しの為、不在の一か月間、国内に於いて石田の右腕足る山田官房長官は、共◇党時代では、知り得なかった日本域外での新事実(状態)を目の当たりにして、驚きを覚えると共に、無知故に、誤った判断を繰り返していた、自党の首脳陣に対し、怒りを覚える前に、事実誤認を知らしめ、結果、党執行部は、如何なる反応を出すか?を俯瞰して観察していた。
その結果如何に於いては、離党に繋がる分派活動も辞さない気でいた。
基本、彼は、コミュニスト(理想主義者)でもなくソーシャリスト(社会主義者=大きな政府を志向する人種)と言うより、徹底したプラグマリスト(現実主義者)で在る事をこの頃は、自覚していた。
首相不在期間に知己を得た、橋爪陸将補と、より関係性を深めていった、自衛隊インテリジェンスの要である、刈谷良助情報管理室室長からの生の情報は、石田から齎されていた、内調や、外務省の情報量より、少なかったが、より具体的で精緻を極め、自身が牛耳る『党』のインテリジェンス(◇旗)の取材内容とも方向性に於いては合致していた。
元々野党時代、日米安保条約に、基づいた米国一辺倒の姿勢は問題。
自党の執る、単純に、米国一辺倒の外交姿勢とは、決別すべきという考え方は、彼も十分同調出来る考え方と見做していたが、政権中枢に座り、情報を得る様に成り、隣国を含めた諸外国にある他国の共◇党政権の考えや行動基準。その『実態の恐ろしさ』を客観的な視点で改めて知るにつけ、古き良き、公平公正を旨としたアメリカとの関係性の維持が、自国の安全保障環境に執って、如何に有益であったかを思い知った。
只、自党の古い連中にとって、ソビエト・ロシアの栄光は、未だに大きい様であった。
彼等が、昔の栄光に満ちた、旧ソ連に突き付けていた、対ロ講和条約の内容を下敷きに、表向きは、隣国と協議し様と考えている、現政権の中枢に居る『己』が考える外交交渉のベクトルを打ち明ければ、自党の古参幹部の理解は得易いとも踏んでいた。
「お花畑な、頭の固いジジババ連中に対して、まぁバーターだな」
山田は、含み笑いをしながら、車を代々木の党本部に滑らせていた。
この会談内容は、早速、今や日本第四位の全国紙に名実共になっていた『◇旗』の最前面に、スクープ記事として取り上げられていた。
この内容は、◇旗の後追いであったが、内容の重要さから、日本中のマスコミや、元々は右翼系の雑誌、SNS上で迄、百花繚乱の様に広く喧伝され、国民間で論議されて行った。
「在日米軍は、もう全く当てには出来ない。そして、隣国の脅威に対する対応や、ロシアに違法占拠されている北方領土、そして樺太の返還は、今は、もう頼れない在日米軍。その存在を抜きにした環境で、平和的に外交交渉で実施されなければならない。」
「故に、米軍抜きで、タイ、マレーシア、インドネシア、そして共産党支配下ではあるが、越南そしてシンガポールと、カタガルガン、韓国そして、オセアニアからは、オーストラリア。できればインド迄を巻き込んで、彼等を背中に背負い(味方に付け)対話すべきであろう」
「これらの国々が、基礎構成国とする集団的自衛権を日本が持つ事は、公のひら場で、公平公正に討議できる環境を整えなければならない」
新思考による域内の集団的自衛権の確立。これが、山田の、石田に対する案であった。
この『集団的自衛権』と言う概念を頭の固い!両親等から直接、先の大戦の戦禍を聞いている、お花畑に居る自党の爺様・婆様達に、如何に理解させ同意させるか?が彼の手腕に掛かっていたのだった。
その様な流れの中で、在日米軍の撤退を沖縄から始める事は、住民感情に於いては、ウェルカムでも、現実問題としては、敵に塩を送る『だけ』の様な対応である。と云う認識は、山田以下、共◇党幹部の頭にも『常識』として認識されつつあった。
このシビアな『現実』を如何に、国民(特に共◇や民〇党の古参の『お花畑に安住したい夢見る平和主義者』)に知らしめ、政権(石田の描く、青写真の方向)に執って、都合よく国民世論をリード出来るか、それが山田に課せられた使命でもあった。
ここに来て、外務と政府広報情報担当省庁の、強化に関し、そして政局に繋がる、くだらないが、精力を使い果たす内政問題や話を逸らす面白い『社会問題』を国政から確実に、完全に分離する。
その必要性を強く、山田は感じていた。
「墨塗は、撲滅せねば、国民を馬鹿にしてはいけない」
彼は、この頃、よく呟いていた。
その結果、旧来から残る『共◇党』という名称に対するアレルギーを除去しなければならないとも、考えていた。
しかし彼は未だ、その『共産』という名称から、一般民が惹起する生理的拒否感迄は、理解していなかった。
日本共◇党という、歴史的な名称に対する、ノスタルジックな拘りだけは、捨てきれない儘でいた。
此の感覚が、後になって彼の足枷となった。
内務関係は、国家が手出しするのではなく、各自治体に、其処に暮らす人々の下に、その財源と、権限の多くを大胆に委譲し、その余った力を外交と、国が何を考え?どの方向へ進もうとしているか?と云う情報。及びその広報にだけ内政面は、傾注して措けば、憲法前文に書かれた『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』と言う。『この内閣の骨格が達成できない』と山田は、考えていた。
『世界の警察官足る国内の力、国際的な理解も、承認も、未だ全く無い事も、重々承知していたが、その一助足る。いやその認識を改めるには、内政(政局)にかまけて居る余裕は、国(会議員)には、無い』とも、感じていた。
只、情報の多さに溺れ、それらを精査出来ず、混乱を極めた上で、国政。要は、日本は、どう云う立ち位置で世界に対峙するのか、を国際的に示す事が、とうとう出来なかった、旧政権と旧与党連合。
『国際的立ち位置』に関しては、米国の言いなり、で、自ら周辺環境に理解を得られる形では、何一つ考える事をしなかった。
且つ、日和見で、国に借金を背負わせ、特別会計等と云うブラックボックスを温存させる事で、地元に中央の予算(利権)を呼び込む事だけが、小選挙区出身で地元(選挙区)を考える国会議員の仕事であり、国内政局は、出来ても、対外的な自国の立ち位置を示せなかった。
政策や外交(国の姿勢)の基本すら語れない、旧来の国会議員や霞が関の官僚を如何に説き伏せ、使い倒せるかを図り『使えない』と判断を下した人間を国政と言う『舞台』から、如何に、速やかに『ご退場願うか?』が、山田の抱えている大きな問題でもあった。
従来からの、多くの共◇党(員)や民〇党所属の国会議員の多くは、旧与党議員と変わらず、利権(他人の懐に在る金=税金や国債)を如何に自身の支持団体(母体)に、都合よく呼び込むか、しか、考えていない『愚か者』である。地元(選挙区)の事しか考えない旧与党議員と変わらない。と言う認識も、あった。
しかも、その様な(似非)国会議員の数は、少なくはなく、これが議員の本分であり、常識であり職責と勘違いしているバカ者が『多く』居た。
しかし、これは、地方(地域)議会の地域選出の議員の仕事であり、相対的で、世界情勢を俯瞰する視線が必要な国政を司る議員の職務では無かった。
民主主義は、数が問題。これは以前、旧与党の大政治家が語っていた言葉。
故に、彼は、金集め(利権を生み出す)の天才でもあったし、それが命取りともなった。
それが明治以降の、中央集権を志向した、日本の政治(家)の『成れの果て』の姿であった。
「唯、(その)明治維新の原動力は『地方自治』それを育んだ地方の独立・独自性でも、あったなぁ」
山田の独り言を突き詰めれば、現状に満足している国民にも、共◇党の支持母体でもある、行政に携わる労働組合にも、受け入れ難い内容(考え方)に偏っていった。
要は、地域間や能力による、格差を認める。という事で有り、その責は、国ではなく、偏に自治体と地方議員(地元民が選出した地元の事だけを考えるリーダーの力量)に在る。
「お上意識の解体と、地方自治か!」
一党独裁や、党や政府、中央からの指導、という言葉が大好きな、中央集権思考の共◇党や民〇党の基本理念とも、一八〇度真逆の、地方分権の徹底と云う理念に、彼の考えは、収斂されて行った。
ただ、地方に自治権の根本でもある、課税徴税権を『透明性が担保された形』で、可也?委ねなければ。
只、其処には、ボス政治や、金権腐敗の温床が、地方に移るだけの事と云う事態も解っていた。
そして、それを監視・取り締まる為の、大きな警察(監視)権力を中央政府が牛耳る事は、戦前の特高や、隣国で、旧共産圏国家で普通に見られた、恐怖政治、監視社会、権威主義国家の再来。
自由の迫害に他ならない事も、解っていた。
一方で、それら旧来からの遺物に代わり、此の平和な民主世界で監視組織として伸していたのが、『マスゴミ』と称される、第四の権力足るべき、地方紙や大手新聞とその子会社や系列に在る大衆誌やメディアで有った。
しかし、彼等も、事業免許や記者クラブというテリトリー(縄張り)要は、『許認可制』と云う行政の権益下で、管理・監視の果てに、去勢されている『自覚』すらなかった。と感じていた。
そして、其等を裏で操る『組織』の解明も、急務で有った。
しかし性急に進めれば、世界で一般的な共◇党名物の『秘密警察』の復活『やはり共◇党は、言論統制が、好きだ!』と、揶揄される事も十分承知していた。
「地方だからこそ、情報公開の透明性の確保と、三権分立の徹底しかないな。現行憲法と、実際の法制間の論理的な整合性が、必要だな」
山田は、携帯をとった。労組の息が掛かっていない、リベラルな法学者出身の民〇党出身。
ロジカルな防衛大臣。
「彼女の助言を頼ってみよう」
山田は、この、ゴリゴリの一国平和主義者の見解は、今の自分に欠けている視線を与えてくれるかも知れないと考えていた。
そしてもう一人、口が堅く、実直で、元々はノンポリの財務大臣を、抑えとして呼び出した。
彼は、旧財務官僚上がりの、反リフレ派(財政均衡策=緊縮策)であったが、腹案を実行した際の、社会的影響や国内財政の減少幅に関して、意見を専門家として聞きたかった。
しかし、その場には、基本、皮肉屋の(首相に仕事を奪われていた)外務大臣もいた。
彼は、野党議員しか経験が無かったので、政権側に就いた際、自身の立ち位置に関しての研鑽、レクチャーと、どのように自分が、同僚や、世間から見られているか、常々、このベテラン財務官僚(上がりの議員)に質していたのであった。
「まぁ、山田さんがお考えの中央警察って構想はダメですね。しかし、地方警察の上位に立つFBI並みの強く広域の捜査権限を持ち新たな組織。しかも、行政(内閣府)からは『完全独立させ、世間に対してとその活動の報告義務を担保させる』という条件が付くならば、公取(公正取引委員会)に、その任務を追加付与すれば、良いのではないでしょうか?委員長こそ内閣の選任ですが、基本、立法府の承認が必要ですし、委員も委員長の推薦が必要とは言え、全員立法府の承認が必要なのですから、現場職員は国家公務員ですしね。捜査後の立件は、検察が引き受けてくれますよ」
「勿論、現場の作業量は増えますが、管轄が増える事を喜ばない規制官庁は無いでしょう?」
防衛大臣は訥々と言い放ち、財務大臣もコクリと、彼女の意見に同意の頷きを示し。
「まぁ、今の警察と厚労省の麻取みたいな関係ですかね?」
「又、お国(中央)の規制が生まれるのか・・・」
この話し合いを聞きながら、外務大臣もボソッと呟いていた。
基本的に、外務大臣と官房長官(山田)は、同種の人間であった。と、この財務大臣は、後々述懐している。
そして彼等には、この組織を維持運営する為の費用捻出(予算)と云う概念が欠如している。とも感じていた
「その前に、国の出費を如何に減らすかを考えて下さいね」
財務大臣らしい最後っ屁ではあった。
(脱出2)
キャサリンは、夫が運転するトヨタのハイブリッド車のピックアップの助手席で、ウトウトしていた。
実家から隣のニューメキシコ州迄は、既に、夫と兄、そして後部座席に陣取る、田中が、安全なルートを確認済みであった。
この車は、イアンと共に、実家のあるサンアントニオ近郊のディーラーから調達したセコンドハンドではあったが、未だ、走行距離が6000マイル(1万キロ)程度のトヨタセコイアの燃費が最も良い、プラグインハイブリッド車であった。
購入名義、支払い共に山本(夫)であったが、イアンには、レジスターの際に何かあるといけないので、付き添って来てもらっただけであった。
要は、カルフォルニア迄の足であれば、メーカーや車種は、何でも良かったが、足の長さとリセール(処分)のし易さで、この車をイアンが強く勧めた。
アメリカの良い所は、支払いが済めば、現車、現状で良ければ、その車に、即乗って帰る事が出来る事で、且つ此処は、内戦にも関わらず、フル稼働中のトヨタの工場が、州内に在った関係で、トヨタ車は、どれも比較的程度が良い状態で確保が出来る事だった。
その足で、イアン行きつけのDIYショップで、クラス3相当の、アラミド繊維で出来た『防弾板』と、窓ガラスに貼る為の防弾シールを調達した。明日一日かけてこの、セコイアの内装を外して、この防弾板を仕込み、窓ガラスには、防弾シールを張る作業をする事に決めていた。
田中とキャサリンを今日は、連れて来なくて良かった。と山田は、しみじみと感じていた。
キャサリンと田中が居ると余計な買い物をさせられそうであったし、田中はこの様なモノが、普通に、街のDIYショップで、しかも、この様な内戦下でも、テキサスならば、購入できる事に、興奮するに違いなかったからである。
イアンと二人だったので、この程度の買い物は、午前中で、さっさと済んでいた。
イアンは、オヤジに言いつけられた、目につく様な陳列がしてある、38SPの弾を1箱、付き合いで、購入した。
余談ではあるが、田中や山本が得た情報では、西部連合でも特にテキサス州の工業生産物は、パナマ運河経由で、太平洋を通ってアジア、オセアニアに、内戦当初の一時期を除き、今迄と、全く変わらず輸出(需要は途切れなかった)されていた。
又、新たに、アフリカが市場としての購買力を発揮し出した事。
又ノーフォークにヘッドオフィスを構える海軍第二艦隊は、その地理的な場所柄にも関わらず、早くから第七艦隊と共にオリジナルや北部連合ではなく西部連合側に付いていた事(アフリカ西岸や、欧州迄のシーレーンの安全性が、確保できていた事)で、テキサスの地理的な優位性は益々上がっていた。
只、将来、この第二艦隊が、ヘッドオフィスをテキサスのヒューストン港に移転する事になるのは、未だ想像していなかった。
西部連合は、ほぼ全米の海軍と空軍(宇宙軍も)を手中に収めつつあった。
しかも、連邦政府が、その権能を失ったので、超ドル安の為替傾向は、西部連合産商品の魅力以上に、ドル安環境下で、価格競争力の面でも、他国製品に対し、圧倒的な強さを際立たせていた。
しかも、連邦政府用に作成しなければならなかった『輸出書類』や連邦政府が指示していた関税制度の撤廃により。ペーパードキュメントはかなり簡素化されるか、無くなっていたし、支払いに関しての契約書は、北部ワシントン(オリジナル)は、既に管理をしなくなっていた。
この煩雑なペーパーワークから、世界貿易は、開放された。
しかも、西部連合からの産品は、全て、透明性が確保され、情報量が、従来の『紙媒体』以上に多い、シリコンバレー(西部連合)産の、簡便なオンラインドキュメントか、デジタル媒体による決済だけになっていた。
但し、大陸の『あの』大国向けだけは、内戦後も変わらず、輸出入を問わず、全て、より一層の厳格さと、厳密さを求める様になっていた。
最高税率も、そのまま維持され、これは実質的に大陸産品の輸入阻止政策でもあった。
実際、彼等の市場としての『魅力』は、この時期勃興して来た諸々新興市場に比べ、既に、『透明度や公平さが確保されていない分』魅力的では無くなっていた。
そして大陸の生産品は、其の過剰な生産力の捌け口を内需以外では、何処にも求められなくなっていた。
故に、彼等が、幾ら国際世論に自由貿易の必要性訴え、反駁しても、効果は、無かった。
世界は、一致してロシアと大陸の権威主義的な独裁政権の体制に、生理的アレルギー反応に近い拒絶姿勢を示していた。
ワシントンのオリジナルが掲げる、ベクトルで、大国による孤立主義。
反グローバリズムに対しても、口では『自由貿易を守る!』と叫んでいたが、その実、客観的に見て全く不寛容で、セルフィッシュな政策を採る様に益々この二国は、要するに、内戦状態のワシントン政府と同様に、独善的、且つ、頑なな、体制になるかの様に思えた。
午前中、田中は、日本から持ち込んだ通信装置を使い、今日までのレポートと、ミッション終了伺い、それに伴う、帰国依頼書を製作していた。
日本の朝は、西海岸の夕方から夜に当たり、この時間に連絡を入れるのが、日米間では常識であったので、田中は、書面(報告書)作りを午前中に、済ませねばならなかった。
日本からの最新情報では、ハワイにある、インド太平洋軍隷下の旧米陸海空海兵隊は、ハワイ州と共に、基本的に、西部連合(カルフォルニアとテキサス。オレゴンとワシントン州を母体とする、ロッキー山脈以西の西海岸の州)に帰順する事になっていた。
日、韓、豪及び、ASEAN加盟国の民主主義同盟(泰、インドネシア、シンガポールとマレーシアにカタガルガン/旧フィリピンと越南)そしてオブザーバーとしての台湾・蒙古は、基本、此の、西部連合を当座の正当な米国政府の後継者として、エスタブ層を核とする北部連合は、それに準ずる政府として認識するという、西でも北でも、どうとでも執れる、玉虫色の態度表明をしていた。
EUやアフリカも同様で、西と北の優遇度が、距離的な問題もあって、逆なだけであった。
西部連合は、内戦下であっても、此れ等世界各国と貿易と云う窓口を内戦半年も経たずに確保していた。
しかも、そこには、新たにアフリカという、新しい商圏が加わっていた。
しかし、総選挙に一ヶ月を要する、広大で多様なインドは、未だ、新国連の国内批准作業で、それ処では無いと云う理由を掲げ、正式な態度表明はしていなかった。
しかし、旺盛な内需(世界の豊かさを知ったインド国民のかなりの数)は、そう遠くない将来、これ等西側世界に、インド政府が国を挙げて、追随する事は解っていた。
唯、何れの地域連合や国家も、ワシントンの掲げる、アメリカ第一主義(MAGA)的、全てを取引ベースで考える。実態として、利己的アメリカ第一主義的な思想は『受け入れられない』とし、旧アメリカ政府は、イスラエルと同じ扱い。
即ち、窓は開けて置くが、問答無用な拒絶を含む、ケースバイケースの交渉相手。
要は、ネゴやディールを(交渉)、出来ない相手とした。
日和見を決め込んで、態度を保留している中部諸州には、何れの隷下に属するか?と言う『決断』を迫られていて、その答えがハッキリする迄は、小国を相手にする様に、これまた、ケースバイケースの交渉相手とし、交渉先は、LAに、置く世界各国の代表部経由に、此処、数ヶ月で、世界の大勢は、なって行った。
各国は、個別ではなく集団で、此処の処、治安が回復しつつあったLAにある、領事館を窓口とする措置を検討するようになって行った。
この結果、西海岸の諸州(西部連合州)は、空路が使えない東方の諸州向けに、インターステートと大陸間横断鉄道の駅がある、各町(州境)に検問所を設けなければならなかったし、他州の人間は、社会的な身分を問わず、西部連合州に、陸路で入境する場合、何らかのID(身分証明書)の常時携行、提示が求められた。
(北米大陸内部の空路は、未だ危険で、誰も使わなかった)日韓豪新(NZ)は、共同で5ヶ国連合の代理部門をホノルルとSFかLA。要は、西部連合支配地に、先ず、置く事を相談し始めていた。
ASEAN加盟国の内、民主主義同盟も、同様の措置を考慮し始めていた。
民間の安全な大西洋や太平洋、そして旧合衆国が牛耳っていた北米大陸の空路が、(宇宙を含む)管制、と防衛システムの為、開けない事が、問題であった。
未だ、オリジナルは、隠然として、その存在感(軍事的実力)を放っていた。
テキサス州の西の端であるエルパソで、一泊し今日、日のある内に、このニューメキシコ州を通過し、明後日には、アリゾナ州ツーソンか、フェニックスに入れれば、此処は、カリフォルニア同様の防衛や電子産業が、主要な産業の土地柄なので、比較的安全だという情報を山本達は、得ていた。この州で、ガスを満タンに出来れば、カリフォルニア州には、以降無給油で、行けるはずであった。只、この地の主要産業は、全て、旧アメリカ資本の会社で、アジア系の企業では無い事が、唯一の懸念点でもあった。
インターステートの看板から、ツーソンで、夫は、給油するらしい事が判った。既に、後席の田中に、キャサリンは、実家から持って来た(貰った?)、昔、彼女自身が使用していた、レミントンのM870のチューブに、六発のダブルOを装填してから、渡していた。
田中は、横の席のジャンパー下に隠してあった、ケルテック製のショットガンをそれと交換で、彼女に渡し、受け取って彼女は、ダッシュボードの中のダブルOバックを右側に、スラッグを左のチューブ弾倉に装填していた。
同じバレル長乍ら、ケルテックの方が、全長がレミントンの1/3しかない。しかし、装弾数は、レミントンの倍で、異なる種類の弾を装備出来、且つ、全長から、レミントンの様に目立たず短かったので、彼女は、此れに、セーフティーを掛け足元に隠した。
アリゾナ州は、まだどちら側かの旗幟は、鮮明にしては居なかった。
田中の持つ後席のレミントンは、そのシルバーのボディーも相まって。外からよく目立つ様な格好で、立て掛けられていた。
高速を降り、ツーソンの街中を流すと、流石にここは、アリゾナ州立大学があるだけあって、人種構成は、比較的偏っては居ないように思えた。途中の、セブンイレブンで日本のカードがまだ通用するかを試した処、此処には、カード対応のATMが、未だアクティベートしていたので、早速ここから、800ドル程キャッシュを降ろした。
此れは、最悪、ガスステーションや、街のファシリティーが、キャッシュのみの場合を想定しての措置でもあった。しかし、この行為は、しっかり、店内の客には見られていた。
「あの東洋人は、結構な額のキャッシュを持っている」
この噂は、瞬く間に近所のギャングの耳に入る事となった。
そう、内戦後、地元警察の監視は、街の治安維持よりも、州境に潜む外敵への備えに、州兵と共に、シフトしていた。その上、70%の白人に比べ、残りの30%超は、有色人種(主に黒人とヒスパニック)の貧困層であった。
彼等の貧困率は、アリゾナ州では、比較的高いという事を忘れていた。
此処の白人層は、概ね豊かであり、居住区域も高速の出口近辺には、無かった。
彼等は、街中のガスステーションを目指したが、やはりGPSは、全く機能しておらず。セブンイレブンで購入した州と街が詳しく記載されている、地図だけが頼りであった。
キャサリンは、俯きながら地図と格闘し、山本をナビゲートしていた。後方と横の監視は、田中が受け持っていたが、斜め前方の監視が、疎かになっていた。
セブンイレブンから数百メートル先の交差点は、廃墟であった。児童公園らしき広場もあったが、そこにも人影はなかった。山本は、徐行と迄は、いかないが、ブレーキを踏めば、すぐ止まれる程度の速度で、此処を通過しようと考えていた。正面の信号が赤になった。と途端、左前方の建物の陰から1台。そして、後方建物の陰から2台の、同じサイズだが『ボロボロ』のピックアップが突進してきた。後ろから突進して来た一台は、ご丁寧に、行き過ぎた後、バックで左横に停車した。
彼等のトヨタセコイアは、前後と、運転席側が、雪隠詰めの様に取り囲まれた。
「ヘイ、アジア人のおっさん。黙ってお前の財布を出しな」
行き過ぎたのではなく、此方の中身(運転席と助手や後席の人間)を観察していたのか、運転席横の窓から、スペイン語訛りの酷い英語がまくしたてられた。と同時に、後方のトラックからは、荷台に乗っていた、黒人が、見たこともない形の銃を掲げて突進してきた。
「おっと、そのショットガンに手を掛けたら、容赦なくぶっ放すぜ」
田中の動きは、此処で制止させられた。山本は、窓越しに『上着をあけても構わないか?』指示をジェスチャーで仰いだ。しかし答えはNoだったので、シフトをNのままにして、彼は、両手を挙げて車から降り様とした。
田中とキャサリンには、黒人が、訳の分からない銃の銃口を向けていた。山本は、SIGを腰にしていなかったのが幸いした。車を降りた彼は、見た感じが丸腰だったので、その姿が、彼等を安心させた。
「胸の内ポケットに財布がある」
山本は、車を降りて、ギャングの一人に語った。横のピックアップの助手席から、年の頃なら15~7歳くらいの、ヒスパニックの、ひょろっとした、少年が降りて来た。
手には『武器は持たず』山本のボディチェックをして、財布を見つけ中身も数えずに、それを運転席側で、銃を持つ少年に渡した。
その時、田中は、横にいた黒人少年を思いきり扉で跳ね飛ばし、横にあったSIGで、彼等を威嚇し、足元に転がった銃を思いきり蹴飛ばした。
と同時に、キャサリンも、扉を開け、足元に隠し持っていたケルテックのスライドを挽き、スラッグを選択してチャンバーへ送り込むと同時に、前方に停車中のピックアップの荷台に向けて発射した。荷台後部の扉は、吹っ飛んでいた。
あっという間の事であったが、財布を持った少年は、観念したように、自身の銃を外に放り、SIGを山本に渡し、レミントンを車内から取り出した田中は、後ろと、運転席横のピックアップのエンジンルームに、1発ずつダブルOバックを叩き込み、元々ボロボロだった、二台を瞬く間に廃車に(動けなく)していた。山本は、彼等から銃を取り上げ、荷室がボロボロになったが、未だ動く、前方に止まって、山本の車の行く手を塞いでいたピックアップを交差点右横の児童公園らしき広場にまで運転し、荷台に、彼等のおもちゃのような銃を放り込み、ガスタンクに、火を放った。これで彼等が、我々を追跡し様と考え、同じ過ちを繰り返す事は、当分は、無いだろうと考えた。
彼等六人は、後ろ手に結束バンドで縛られ、この公園に放置された。彼等からの情報で、最も近いガスステーションは、此処から二ブロック先、しかし、治安の良いレジデンス(住宅街)に住む白人層が、もっぱら使うガスステーションは、市街地の北側、アリゾナ大の傍にある事が、判ったので、彼等は、治安が比較的良いと云っていたガスステーションを目指す事にした。
「しかし、この騒ぎでも、誰も見に来る。やじ馬すら、いないし、警察も来ない。此処いらは、ダメですね」
田中は、ボソッと呟いた。現地の生情勢の把握とは、この様な、些末な事件の、経験や見分の繰り返しである。と、田中も解ってきた。山本は、上着を唯一着ていた少年のポケットに、二〇ドル紙幣を五枚ねじ込んであげた。
山本一行は、ツーソンで、ガソリンを満タンに出来たので、気兼ねなくサンディエゴまで、ぶっ飛ばせると確信した。
アリゾナ大学構内は、普段のキャンパスと何も変わらず、彼らは、大学横のカフェテリアで、腹ごなしが、出来たが、山本だけは、コンシールドキャリーとして義父に渡されていた、S&WM36を腰に刺していた。
大学構内では、Wifiが使えたのは、有り難かった。これでサンディエゴからホノルルまでの足(民間空路)が、未だ生きている事が、確認取れた。只予約は、危険なので避けた。
(なれそめ)
2010年。日本で初めて自衛隊特殊作戦群出身者のみ五〇名で構成されていた1個小隊を任された山本巧三佐は、群長であった橋爪一佐の麾下に在った。今回の彼のミッションは、SOCOMとの共同訓練(練度の向上)であった。その年の夏の終わりに起こった隣国の、違法操業を繰り返していた漁船が、所謂、漁船ではなく、武装船だった事件から、長らく野党でもあった現政権党の幹部も日本版の海兵隊的な部隊の必要性を感じ、先ずはヤキマ訓練基地に行き、特殊作戦群(SOG)の能力向上と、能力査定を米海兵隊及び、陸軍に依頼した事が始まりだった。SOGは、その自出から、全隊員が、最低英語と、もう一ヶ国語に関して、通訳が要らない程度の能力を有し、且つ第二外国語に関しては、その言葉が使われる国の背景に関しても、ある程度(高校教師以上の)知識を有していた。従って彼等との会話は、(大学への)学資の為に入隊している、殆どの米軍同僚との会話に比べ、キャサリンに執っては、非常に知的であり、ユーモアに富んでいた。しかも彼女のカウンタパートであった、若い田中康夫三尉と、その先輩でもある刈谷良助二尉は一般大学卒業後、厳しい空挺の試験をパスして、その後、より厳しいSOGの試験をも潜り抜けて来ていた。エリートの若者であり、会話内容は、非常に面白く且つ、一般大学卒だけに、防大卒の同僚に比べ、遊びに長けていた。
キャサリンは、実年齢こそ、彼等には、話していなかったが、彼等より少しだけ年上である事は、解っていた。
しかし彼等は、キャサリンを同い年か、年下の女の子として扱って(遊んで)くれた。
彼等は、単に、大卒だが、彼女はパイロット資格を有している。故に、彼女の階級(大尉)は、自分より少し上に過ぎないと、考えていた。それは、キャサリンが、白人の女性としては、珍しく日本人好みの、ベビーフェイスでもあったからでもあり、それは、彼女のコンプレックスでもあった。
彼女は、余暇を過ごすのには、彼等は丁度良い、同僚ではあったが、彼女の知的好奇心を満たす、という意味では、彼等も、また同じ陸軍の部下や同僚も、知的ではない、物足りない。と感じていた。特に同僚は、彼女にとっては、同僚、兼ライバルでもあった。
その様な中で、田中と刈谷が連れて来たのが、タクミ(山本巧3佐)であった。
遊びに行く際、彼等は、日本男子の決まりで、女性に金を出させる事は『恥』だと感じていた。
しかし、帰り際は、何時も、彼女が、先に支払いを済ませていた。
実際、調べて見ると、米軍の大尉の給与は、自身の俸給の倍以上であり、且つ、彼女はパイロット資格が加算されているので、自身と同い年位の、一般企業に勤める一流大卒女子の一〇倍以上の収入が有る事が分かった。
今日の山本三佐の連行目的は、財布であった。
山本も、その様な、彼等の目論見は、当に御承知の上で、彼等が、狙っている、キャサリンと言う女性の、値踏みに付き合っただけであった。
そう彼も、ヤキマでの訓練に関し疑問点や此の侭ではいけない。と言う改善点に悩んでいたので、気分転換の必要性を感じていた。その様な『責任感の無い』部下の誘いは、丁度良い。気分転換の口実でもあった。
「相当きつい訓練が、続いているけれど、君は、大丈夫?」
それが、タクミのキャサリンに掛けた最初の言葉であった。
「問題ないわ、だって、私は、貴方達をデリバリーするだけのデリバリーガールだから」
「おっと!デリバリーガールと言う表現は、日本人相手に使っては、ダメだよ。違う意味に採られるから」
「え!どういう意味なの日本語では?」
「そうね、簡潔に言えば売春婦だな」
「オオ!ありがとう。その様な直裁なヘルプを受けた事は、一度も無かったわ」
「そうか?」
山本は真面目だが、怪訝な顔をしながら、キャサリンに呟いた。
「そういえば、キャプテン」
「いいや私は、君の上官。メジャーだよ。キャプテン」
「おお。失礼いたしました。でも、こう云ったプライベートな席では、なんと御呼びすれば良いのでしょうか?」
「ははは。面白い子だ、そうね。君ら風に呼ぶならば、ミスターヤマモトだが。まぁギブンネームのタクミで構わんだろう」
「OK、タクミさん。私は、キャサリンと呼んでください」
「了解。君?少しは日本語や日本人と付き合ったことが有るのかい?」
「え?何故ですか?」
「そうギブンネームの後ろに『さん』の様な敬称を付けるのは、日本やアジアでは、普通の礼儀だが、アメリカ人は、よくそう言った相手。特にアジアの慣習を無視して自分の流儀が絶対。と、ばかりに押し通すモノだからね。特に、自分勝手に、親しくなったと感じれば、感じる程ね!」
「失礼をしました」
「いや、君が全アメリカ(軍)人を代表して、謝るべき事ではない。これは、私の経験上、一般論を申し上げた迄。ただそう言った、アメリカの、自分中心『自分が絶対正しい』って無意識に執る態度が、世界中の人々に、誤解を生んでいるのも、確かな事実だよね?」
周囲が煩いクラブで、山本は、踊りもせずに、淡々とキャサリンに語り掛けていた。多かれ少なかれ、殆どの男は、自分を性の対象としか、見ていないのとは、全く異なる。これは、彼女の、今迄付き合って来た男性の中でも、初めてのタイプであった。彼女は、彼との会話をもう少し、続けたいと感じていた。
「三佐、いや山本さん。どうしたんですか、キャサリンと、しっぽりして」
ダンスフロアーから、汗をかいたので、冷たい飲み物を取りに来たヤスオ(田中康夫三尉)は、いきなりダンスフロアーを指した。フロアーでは、スローなバラードに曲が変わっていた。
「お前。あぶれたのか?」
山本は笑って、田中に語り掛けた。
「ウッス」
田中は仕方がないという顔をした。フロアーでは、現地の女性が、刈谷に、しなだれかかっていた。
「奴は、肉体派の俺と違って理知的に見えて、ハンサムだからなぁ」
笑って、田中は、云うしかなかった。この遣り取りは、すべて日本語だったので、キャサリンはキョトンとした表情を浮かべるしかなかった。しかし山本は
「申し訳ない。このルテナン(少尉)は、同僚と異なって、フィジカルバカだから『あぶれた』と言う話をしていたんだ」
彼は、あくまでジェントルに、彼女を扱っていた。曲調が、スロー故、少し突っ込んだ会話ができると、山本は考えていた。
「処で、キャプテン」
山本は、飽く迄、クソが付く位、何処に居ても真面目だった。
「次回のプラクティスの事なのだが」
「山本さん、此処はブリーフィングルームでは無いのですよ。それに此処では、階級は、無し。彼女はキャサリン」
田中は、山本を軽く諭した。
「そ、そうか」
山本は、怪訝な顔をした。そう明日は、オフでもあった。故に今晩は、此処(基地)に居る事を忘れていた。
此れも又、日本語であった。
「ヤスオ、此処はアメリカよ、日本語は禁止!」
茶目っ気ある言葉でキャサリンは窘めた。
「ウッス」
田中は仕方がないという顔をした。
「ウッス。って言うのはYESの事」
「はい、我々には、貴女方のYESはウッスと聞こえるので、あります」
田中は、丁寧な表現。しかし、少し小ばかにした言い口で、キャサリンに話した。
しかし山本は『こいつ、結構酔っている=疲れているな』と感じていた。
此処迄の演習内容は、結構ハードなモノを組み込んだ、自負もあった。
しかも、部下の時差ぼけは、全く考慮していなかった。
明日は、せっかくの公休だ、ゆっくり休ませてやろう。親心が山本には働いた。
「キャプテン。済まない。こいつを宿舎迄送ってくれないか?」
そう自衛隊員は、アメリカに行っても、日本の道路法規を遵守していた。
故に、此処に来る際は、彼女の運転で、彼女の車を使用していた。
「おーい」
山本は、ボーイを呼び止めた。懐から財布を出そうとした処、キャサリンが、それを制止した。
「今日は、私のお支払いで」
「いや、そうは行かん」
少し押し問答があった後、
「ではこの後、お付き合い下さいますか?少佐殿?」
キャサリンは、真面目に質問したので
「どこだ?」
と山本が答えた。
「勿論、ブリーフィングルームです」
キャサリンの答えは明確だった。
「佳かろう」
という事で、キャサリンが今日も支払いを済ませた。
「刈谷・儂等は、一旦引き上げる。お前も“そこそこ”にしておけよ!」
刈谷は、既に、女性にロックオンされていたので、このまま帰る訳は無いと考えていた。
「お前の支払いは済ませていておいたが、あとは、お前が払えよ!」
そう言うと田中達は、店を後にし、山本は刈谷の腰に、数枚の札(米ドル)をねじ込んた。
「了解」
軽く敬礼をして、刈谷は、店に残った。田中は、未だ酔っていないので、PXに寄って欲しいと、せがんだ。
PXで、現地のビールを仕入れ、彼は、宿舎にそれを持ち込んだ。
キャサリンと山本も、其処から6本程、御裾分けを貰い、宿舎ではなく、ブリーフィングルームのある米軍ファシリティーへ向かった。
「キャプテン、時間外で。御足労をお掛けして申し訳ない」
山本は、あくまで日本流で、キャサリンに接した。
「さて、私が考えているプラクティスなのだが、今回我々は、島嶼防衛の為の戦術編纂の為に此処に来ている」
「君の上官も、その事は十分に分かっていて、残念だが、我々は10戦7敗中だ。そこで君の駆る、UHを此処に、こういう格好で、ランディングできるかを尋ねたい」
言う前に、山本は、胸ポケットから、此処の戦術地図を取り出し、キャサリンの目の前に提示していた。
明日は休み。その前日のオフタイム、彼には、その様な事は、関係ないのか?日本人は!と驚かずにはいられなかったが、此のオファーは、彼女にとっても、結構なスキルを要求する(かなり難しい)リクエストでは、あった。
「少佐。此れをどうぞ」
と言うと。未だ冷えているビールを山本に差し出した。
「了解しました、可能か?どうか検討させてください」
と言うとキャサリンもビールを煽った。
「処で少佐。明日のオフは、どうお過ごしになられるので?」
キャサリンは、社交辞令として質問したつもりだった。
「うん。若い連中は,BBQでもして楽しむのだろうけれど、私は、せっかく戦術的な練習を積める場所に来ているのだから、此処を使い倒したいと考えている」
山本も喉が渇いていたらしく、1本目のビールは、空になっていた。
「戦術的プラクティス?具体的に、どのような事で」
キャサリンは、この真面目な男に興味を持った。
「うん、簡単に言えば、射撃訓練。それも実践に即した形でのね!日本では、1発撃つのも上官の許可が必要なのだ」
キャサリンには、驚きであった。その様な手配など電話一本で済む話ではないのか?しかも彼は、上級士官(指揮官)なのに?
「判りました、レンジの手配をして差し上げます。弾は?」
「9ミリと5.56のNATOで構わない。ただ出来れば193(米軍標準弾)ではなく109(NATO標準弾)が有難い。銃は、持参した物が使えないので、これも、出来れば、君たちが普段使うHK416を借りられないかな?」
「問題は有りません」
「有難う」
「で連絡先は?」
そう言ってキャサリンは、山本の個人携帯の番号をゲットした。
「時間等は、ショートメールします」
「サンキューキャプテン」
此れが、2人の関係の、始まりであった。
彼のスキルは、キャサリンの想像の遥か上を行っていた。彼女は、彼から学ぶ内容が多く、次第に個人的にどんどん彼への、興味が膨らんで行った。しかし、山本は、彼女に対して、あくまでも紳士であった。
看兼ねた刈谷と田中が、キューピット役を買って出た。
「キャサリン。隊長の事をどう思っているの?」
「好きかも知れない」
「決まりだな」
刈谷の一言で。彼等は、入念に作戦を練った。
こう成ると事は、早かった。4週間の練習の最終日、彼等は、結ばれる事となるのだが、その前に山本は、キャサリンに
「キャサリン」
この頃はもうファーストネームで彼女を呼ぶ様に、なっていた。
「実は、或る程度、隊が、まともに機能するようになった暁には、自分は除隊を考えている」
キャサリンには、驚きであった。
「その時、君には、パートナーとして付いて来てほしい」
『此れは、プロポーズ。未だ、私たち1回だけだよ!』と彼女は感じた。そしてキャサリンには、驚天動地の申し出でもあった。
「具体的な、プランを話す」
山本の話すプランは、隙が無かった。彼女には、十分納得できる将来設計であった。
此処迄、彼が、今迄も、密度こそ濃かったけれど、こんな短期間で、自分の“(社会)人として”の、将来設計も、考えて居て暮れる事が、彼女には、驚きであり、素直に嬉しかった。彼女に『NO』の選択肢は、無かった。
彼は、帰国後1月も経たず、指輪を携えて、彼女の実家へ結婚の許諾を得に来ていた。
しかも、今回は1週間の休暇を取っていた。
彼は、滞在中に父であるボブ、それよりも兄のイアン―とは言え、近い年頃なので、傍目には真の、山本の弟の様に映っていた―を完璧にタクミのファナティックなファンに仕立て上げていた。
イアンは、何時の間にか、山本を『タクミさん』と呼ぶ様になっていた。
彼等が、娘の結婚式の為に、山梨の神社へ行き、ライブで富士山を見た時も、もの凄かったが(キャサリンは、何故、山本が、之程、子煩悩且つ―育児に異常に協力的―フェアーなのかを此の両親の関係性から、理解できた)
イアンの趣味のハンティング。山本が、この趣味に関して、素人はだしなのは、イアン以下、彼等の友人達にとっても、望外の喜びであった。
山本は、此の、イアンの友人達とも、短期間で、親友(親分・子分/指揮官と部下)の様な、間柄になっていた。
唯、山本に言わせれば、昔経験した空挺の訓練に比らぶれば、何と言う事は無い、レクリエーションでもあった。
以降、彼等は、夏休み毎に、サンアントニオの実家に行き、2年目には、山本の家族(両親と妹夫婦)を、3年目には、待望の孫。城も連れて来るようになっていた。彼女と孫は、最低でも1ヶ月、彼も、少なくとも1週間は、此処に滞在するのが、山本家の恒例となった。
ボブは、いつの間にか?趣味の喫煙と、引退する事を『きっぱり』断念して、初孫である城をサマーキャンプに連れて行ける様に、体力を維持する事に、努めるようになっていた。




