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“Effects of selfishness/利己主義の影響”(Another story of Civil war)  作者: 河崎浩


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5/13

利己主義の影響(5)

(沖縄)

(交渉~内外はドラスティックに変わり始めた)

(沖縄)

山田は、沖縄に居た、沖縄県知事は、同じ革新系であり、山田の所属政党は、県内与党でもあったので、山田との話し合いの時間を設けてくれた。

「山田さん。我々は普天間・辺野古問題で、旧政権から煮え湯を飲まされています。新政権が、それに対する何らかの弁済が提示できないのならば、此の国際環境下、我々は地方自治体として国家行政に逆らいます。この際ですから、全沖縄の力を結集してでも米国海兵隊員には、出て行って貰う所存です」

「具体的には?」

「はい、霞が関(中央)から派遣されている、県の幹部職員と県警本部の幹部全員を一旦全員罷免します。そして、沖縄の警察を沖縄県人の手に取り戻します。また駐留自衛官にも踏み絵を踏んで貰います。県民の保護がプライオリティなのか、旧帝国軍の様に国からの命令にのみ盲目的に従うのか?多分、多くの隊員は、特に、根を県外に持つ指揮官クラスは、国を選ぶでしょう。ですから、彼等にも、速やかなる県内からの退去を求めます。その後、沖縄駐留米軍には、電気ガス水道と云ったライフラインを完全に供給停止、即ち兵糧攻めの手段を用いてでも、出て行って貰う事を訴えるつもりです。辺野古の一件でも、我々は、国が、県民の意思を一切顧みてはくれない。と言う事を痛切に実感してきました。若い婦女子の暴行事件も、墜落事件でも、全く蚊帳の外に置かれていました」

「ですから、その様な、事態を改善する為の具体的な対抗策を考え続けてきました。此の絶好の機会、この考えを遂行する為には如何なる勢力とも、手を結ぶつもりがあります。これはブラフではありません」

金谷知事は、一気にまくし立てた。

「なるほど。ご意見確かに承りました。しかし知事、私が今日ここに来たのは。貴方と、喧嘩をするつもりで、来た訳ではありません」

「お話、いや御説明させて頂きたい事は、沖縄に駐留する若い海兵隊員の処遇に関してです」

「彼等に対し、既に日米合同委員会が無くなった今、新たに仮施行され、現在内容に関して再検討、改定中の『新日米地位協定』要は、旧協定の全面的見直しを此処、沖縄に於いては、その改定を宣告徹底させます。これは、次回の国会で批准される予定ですが、既に、叩き台は出来ていて」

と言って山田は一冊の冊子をカバンから取り出し、金谷知事の前に置いた。

「安定多数を誇る与党議員は既に、これを閲覧済みです。一部、新たに選出された議員による若干の手直しは有るでしょうが、基本その内容に則って、市ヶ谷がコントロールし易い立地に在る内地の米軍基地では、即、試験施行する予定です。」

と言うと、山田は机上の冊子をパラパラと捲り、或るページを折り指差した。

「一例を申し上げますと、県内で、若い米兵が、公務中・公務外を問わず如何なる…国内法に照らして、違法・脱法行為をしても、その処理は一義的に、基地設置自治体(沖縄)の県警が担当し、米軍の憲兵(MP)は、あくまで、オブザーバーに徹し、地元警察に全面協力しなければならない。そして基地内の立ち入り調査権も、各々自治体内の(おおやけ)や、国が借り上げている民間施設(自衛隊基地)と、全く同じ条件にし、駐留米軍の基地指揮官には、如何なる拒否権も、無い事を宣告します。日本に居る(駐留)限り、日米同盟に基づく『純軍事』以外の、あらゆる行為に関しては、米国内法は、適応外です。例えば、皆さんが、前政権で訴えていた、PFOSや、PFOA問題や交通事故、暴行事件等は、今後、県(警)主導で、徹底的に〈立ち入りも含め〉調査が出来るようになります。勿論、その責任者を発見した場合、国際的な人権の順守という考え方に基づき、国内法により、国内で処罰します。この原則は変えません」

「要は、ドイツ、イタリアや韓国に駐留する駐留米軍や、あらゆる公務員と、日本、特に、沖縄に居る米国軍(人)の、扱いは、全く変わらなくなる。いや、一歩進んで、米軍人の犯罪に関しては、全く、日本人の一般市民の其れと『変わらなくなる事』を宣言します。この条件の下、在日米軍は、旧合衆国と締結した日米安保条約に関する“事項”を遵守する場合に於いてのみ、引き続き、沖縄を含む日本に駐留する事を認めます。」

「この件に関して既に、横田(在日米軍)と赤坂(旧米国大使館)との間で、話はついています。後は、国会に於ける審議と議決。それをハワイが承認するか?まぁ、個人的な、頭痛の種は、国内の『日米合同委員会』に支配されていた主に外務官僚の対処だけです。今や、合衆国政府を代表しているのは、何れなのか?要は、日米安保や、地位協定の協定相手が『判らない』のですから、現大使館と、ハワイの在留米軍の総指揮部門でもある、インド太平洋司令部間との協定で、全て、片はつきます。唯、在日米軍の存在は、地域の安定の為にも未だ“必要”と言う認識は、御確認下さい」

山田は、一気にまくし立てた。そして、この会談は、完全公開の場で行われたので、この、山田官房長官の言質は、瞬く間に世界へ広まった。

米国が、分断を公式に認め、日本で国会の勢力地図が劇的に変わり、新政権が発足して、三日目の夜の事であった。

「官房長官。しかし在日米軍の経済的な負担は、如何お考えなのでしょうか。そして、今後も、在日米軍と言う形で駐留が続くのでしょうか?」

「分裂する前の、旧米国政府も、認めている様に、既に我が国は、駐留経費の内80%を“思いやり予算”と言う名目で負担しています。この額は、韓国の二倍以上、欧州の約三倍。それを直ぐ、韓国や欧州並みに、減額する交渉は、国内に彼等を引き留めて措きたいという我々にとって、現実的では無いでしょう」

「しかし、今後の米国の分裂の推移を鑑みると、(負担額も兵員数も)少なくなるのでは?と期待しております。まぁ、米ドルの価値も、今や、最高だった当時の、半分迄に、落ちていますしね。唯、駐留米軍の存在・抑止力が無くなれば、それは、周辺国の思う壺であり、今マスコミで喧伝されている彼等の尊大な態度、傍若無人振りは、増々拍車がかかるでしょう。故に、アジア地域の安定の為には、彼等の存在(プレゼンス)は、当分の期間、必要だ。と、我が政権も、考えており、この件に関しては、我々と赤坂、横田、ハワイとの間で、コンセンサスが、採れています。我々の考え方に、ご賛同戴けますか?」

「では、今後、日本単独で、周辺の安定維持の為、隣国に対処しなければならない『事態』も官房長官としては想定されていると言う事でしょうか?」

「その件に関しては、現時点では、ノーコメントとさせて下さい」

と言いながら、山田は、沖縄県知事の目を見た。

この件に関して、日本政府として、日本国単独で対応出来る訳は、ないと。山田も認識している。と県知事は感じた。

「安全の基本は、やはり外交ですよね」

知事はボソッと呟いた。

「そうですね、話が理解できる相手であればね?知事。それともう、世界は、以前より、かなり狭くなっている。」

「強権や武力を背にした我儘は、誰も、特に、我が国の国民は、貴方以上に、誰一人“受け入れない”と云う事をご高察下さい」


(交渉~内外はドラスティックに変わり始めた)

財務大臣だけは、旧財務官僚上がりの、素直なベテランを充ててはいた。し、彼が、いわゆるリフレ派(旧政府では主流派)では、無い事も判っていた。

しかし、今、首相や官房長官が、此処から述べる外交政策では、財務省が悲願とする、財政均衡策(緊縮策)を引っ込めてもらわなければならない(要は、リフレ派の政策に近づくという事)し、財務官僚が、頑なに拒む、国の徴税権限の分離(財務省の解体)も意味するので、彼も同席させていた。

財務省の力の源泉は、国税庁(徴税権)とその税金の分配権、そして通貨発行権(本来は日銀の権利)迄が、同一の省庁に固まっている、そして、特別会計と云う、一般予算同様原資は税金だが、国会の審議(国民の判断)を経ずに与党と、(財務)官僚の(さじ)加減一つで分配できる莫大な資金(債権)である事は、既に自明の事実でもあり、その分離、統合、公正透明化は、強く自由世界を知る各界から求められていた。

彼は、財務官僚上がりだが、その世論に関しては、珍しく熟慮(配慮)する人でもあった。

外務大臣は、山田が一本釣りでスカウトした人物で、基本、皮肉屋であった。敢えて山田が推薦した自党ではない、余り、当時のアメリカ共和党政府には、覚えが良くない、が、米国議会(民主党)には知己の多い民主党議員を充てていた。石田内閣にとしては、外務大臣は、何故か?重要閣僚ではなく(外交は専ら石田の専権事項でもあったので)、故に、席次も本来は、2~3番目なのだが、後方であった。

しかし彼は、彼で、その様な扱いを見て、自身の役割は、理解していた。

彼は、韓流ドラマやKPOPには、疎かったが、それなりに訪日韓国人口の推移や年齢構成に関する数字は、把握していた。

大学では史学を専攻していたので、歴史に関しては、内閣の誰よりも詳しい。という自負もあった。

従って、敢えて保守系ではなく、同じ、韓国でも、民主派(反日ポピュリスト)系と看られている、メディアとの、単独インタビューにも応じていた。

単独インタビュー当日は、逆質問で、彼等の反応を見るつもりであった。

「君たちのメディアは、基本、反日の様だが・・・」

行き成り噛まして来た。

「反日の旗幟を鮮明にする事、日本を敵愾視する事で、得られるメリットと言う事に関しては、君達は、どう考えているのかな?」

「イソップ物語の『北風と太陽』とか『小中華思想』とか『華夷思想』と云う、言葉の概念を知っているのかな?」

「未来志向、と、君達も、よく使う言葉とか、パートナーシップ。って、どう云う意味か、理解している?」

そして極め付きが

「ソウルの中心に立つ、あの武人の銅像や、日本大使館の前に、君等のシンパが作った銅像、あれを見て、少しでもまともに過去の歴史を顧みた日本人は、どういう印象を持つのかな?・・・豊臣(日本)軍に執って撤退戦でしかなかった露梁海戦で下級の侍であった『足軽に射殺された』に過ぎない『李舜臣』を大将軍と、彼の指揮によって勝ったと言われる『閑山島海戦』の記述や認識では、日本軍は、大損害を受けた事になっているけれど?実態としては、『然したる被害も無い』君等が誇る、李以下の諸将は、足軽に殺された。と言う事実は、どう捉えているのかな?」

「その様な事、君等にとって都合の良い事しか、君等の教科書や君等が造って世界にバラ撒いた映画を見ると、訴えていない様だけれど、君等に執って“都合の良い”間違い。自分に都合の良い韓国の歴史観が、当時の文字が読み書きできた、支配者階級である両班の記述が原典であって、その記述をのみ基にして構成されているって言うのは、事実だよね?」

「確かに、当時の李氏朝鮮に支配階級は、日本軍により搾取され、一時的に、占領下では虐げられていたと思うが、両班階級以下の階層から奪うものなど無かったからに過ぎない。倭城と君等が呼ぶ、日本の武将の指導の下、現地の一般人が、建築に携わった城が、未だに健在なのは何故なのだろう?・・・と云う歴史をもう少し、自国の為政者に、都合が良い様に。だけ、ではなく、もっと科学的に、客観的に、証拠に基づき、且つ、冷徹に、学び直すべきだよね!ホント、君達の作る、時代劇の時代考証も、酷いものね」

と云う言葉で、1時間ほどの、インタビューを終わらせた。

「さて、このメディアが、私との単独インタビューをどう纏めるか?が、楽しみだ」

外務大臣は、明日のネット版のこのメディアのインタビュー記事を心待ちにした。

「リトマス試験紙は、溶液に付けたぞ」

心の中で叫んでいた。想像通り、この新聞は、日本の新外相に関し『酷評』し、日本の外交のキーパーソンは、此の外務大臣ではなく、石田首相であると結論付けた。

インタビュー内容は、大幅に彼等に執って都合良く改竄(かいざん)されて掲載されていた。

彼は、現状、韓国の平均的なメディアの心情を追認した。

「さて日韓外相会談が楽しみだ」


その様な精神構造を持つ、皮肉屋の外務大臣に、山田と石田は、オブザーバーとして控えさせている財務大臣の前で、韓国政府の懐柔を命じた。


今日。外務大臣は、韓国外務省、ひいては大統領を説得しなければならない。

しかし相手が原理主義ポピュリズムから離れられないのであれば、少なくとも、実態を知って貰い、知識を与えなければならないと考えていた。

しかし、外相は、民族主義的な、復古主義を標榜する、日本の悪しき伝統復古主義=右翼(特にネトウヨと言う輩)の指向とは、史学好きらしく、考え方に、厳密に一線を引いていた。

金浦空港に特別機で降り、青瓦台の横にある韓国外務省の玄関に到着する迄、彼の乗る大使館差し回しのレクサスには、彼が認識できた数だけで、2個の生卵が直撃していた。

其の様な雰囲気の中、韓国外務副大臣との会談が始まった。

昔と違い、韓国の政府要人で、日本語を普通に話し、理解できる人物は、消えていたが、年若い彼は、目の前の人物が、英語は、普通に理解し、話せる事は、知っていたので、いきなり、通訳官の存在を無視して英語で切り出していった。

彼は、山田官房長官の示唆の下、この会談も、内外のメディアに対し、ライブで且つ完全公開の下で行った。

「ハローチョウさん、貴方の立場では、応え難いかも知れません。貴方の一存では、判断しきれない事を今からお尋ね申し上げるつもりです。宜しいか?」

韓国外務副大臣は、身構えた。

「勿論。私が貴方に答えられない我国の立場なぞ無い」

「現状、分裂状態のアメリカと戦時下のロシア、そしてイスラエルを除く西側、民主主義世界が、我々アジア人に求めている事に関して、貴国の見解を先ずは質したい。勿論、貴国の隣国達も、当然、除外するという前提でね」

「私は」

「いいや、貴方の見解を伺っているのでは『ない』外交担当者として、貴国の正式な、お立場をお答え頂きたい」

韓国外務副大臣は『怯まず』には、いられなかった。

彼がポピュリスト政党の若手のホープ。

要は、最も、尖がったポピュリストであり、正確、且つ、客観的な知識等、一切持ち合わせていない=感情で判断した事を話す与党プロパーの人物であるのは、先刻承知の上での発議だった。

見兼ねた、お付きの通訳官(韓国側の外務行政官僚)が、この場を引き取り、韓国外務大臣が奥の部屋からノックして来た。二対一になった、しかしこの韓国外務大臣も。若い副大臣同様、ポピュリスト政党の出身者であり、所謂、人権派の弁護士出身でもあるので、傾向と対策プロファイリングは、しっかり頭の中にあった。

「外務大臣。私が多忙故、この若い副大臣に、貴殿との交渉を任せました。誠に非礼をお詫びする」

年嵩の彼は、韓国語で言い放った。

しかしその様な事は、お構いなしに、英語で質問を続けた。

英語の翻訳管が、慌てて、部屋に来るまで、此の外務副大臣が通訳を兼任せざるを得なかった。

『韓国の道徳観に基づく作法は、この際、一切無視する』これも作戦ではあった。

外務大臣は、灰皿が、卓上に用意されている事に気が付いていた。そう、此の外務大臣も喫煙者である事を知っていた。そこで、いきなり、内ボケットから、国産たばこを取り出し、『君らと対応するには、冷静になる必要があるんだよ』とでも言いたげに一服付けた。

この行為は、韓国の伝統的な道徳観では、年長者に対し『非礼』に当たる行為である事を十二分に承知した上での、行為であった。

依って韓国側は、いきなり怪訝になった。計算通りである。

そして、彼は、一服付けた後、再び若い外務副大臣にした質問を英語で繰り返した。

「我国が、国力に応じた、地域安定の『義務』を負い、周辺の、価値観を共有する皆様から期待されているという事は、十分承知しています。しかしその判断は、我が国政府が、グリップした上で。と言う前提条件が付きます」

想定通りの回答が、韓国側の外務大臣の口から発せられた。

「ほう。では、我国やASEAN諸国とは、別系統で独自の指揮命令系統を持つ」

「命令内容は、分ける場合が、ある。という事ですね。で?どのような判断基準を貴国は、お持ちで?」

山岡は質問で答えた。

「それは、我が国の大統領と、議会(国会)の承認の上で決定された方向になる」

外務大臣は、やや、むっとした表情で答えた。

「その大統領と議会の御立場とは、どのような方向か?ご教授願いたい」

「少なくとも貴国とは異なる」

「はぁ?外務大臣、少し冷静になって、お答えください」

山岡は、皮肉屋の本領を発揮し、英語故、ズケヅケと、質した。

ここ迄の遣り取りを、ライブ中継を通して、第三者的立場で俯瞰していた韓国国民は、この自国外務大臣の、狼狽する姿に『失望感』を隠せなかった、と後から報道で知った。が作戦の首尾は、上々であった。

本日の会談は、タイムアップと言う事で、この様な尻切れトンボの形で終わった。

只、そもそも、日本の外務大臣への接応が、同格の担当者(外相)でない事自体、韓国政府が、日本政府を舐めているからだ。と、ライブ中継の視聴者の誰もが感じた。

その様な環境を作っては、未来志向に基づく外交は、出来る訳が無い。と言う趣旨の論説が、韓国保守系(野党系)メディアで、翌朝には、報じられていた。

彼は、日程に余裕を持っていたので。韓国の大学生との『車座座談会』と言う、ポピュリスト系(与党系)と思われている、国営系のテレビの企画にも出演した。

これは、昔、当時の米国オバマ大統領の訪韓時以来の試みでも、あった。

「一連の日程を終え、確信した事は、韓国の皆さまは、日本への誤った情報による誤解や、自国の旧為政者の為体(ていたらく)が、皆様の悲劇の根本にあったと云う『歴史的事実』だと感じております。只、貴国は特に、現貴国与党が『芯』と成って、我が国と異なり、自由と、民主主義をアメリカから『与えられた』のではなく、光州事件以来、ご自身の手で、勝ち取って来た。と言う、歴史的『栄光』が有ります。」

「昔、ギリシアが経済的に立ち行かなくなった(没落の)原因と世界的に指弾されている『無知』な『ポピュリスト』の出現を『自らの御判断』で阻止する事が、私個人の、貴国の若者。いや皆様への望みです」

金浦空港で、彼の離韓時と大学生との『車座座談会』に、発したコメントは、訪韓時とは、全く逆の、空気感を韓国内で醸し出していた。

特に学生との討論会に於けるフレーズで、全羅道等の客観的な情報を多角的に得る事が出来る現政権与党のルーツに居た、有権者の心や、日本の現実の姿を良く知る若い世代の心を『グッと捉えた』と言うレポートを帰国後、得ていた。

「まぁ来年から韓国の歴史教科書の内容も、もう少し、客観的な事実に基づいた記述に?変わってくれるだろう」

帰国便の中で山岡外務大臣は呟いた。

外務大臣の韓国外遊中、共◇及び民〇党の党幹部(首脳部)や石田と山田に一本吊りされていた各担当大臣達は、石田・山田より具体的な指示(職責)を与えられ、今迄、対米関係重視派(日米合同委員会系)の外務官僚により、“極秘”とされ、知らされていなかった『事実』を証拠(エビ)書類(デンス)と共に質疑応答付き公開の場で、レクチャーされると、従来の自身の発言を全て取り消し、選挙区民と国民に陳謝した上で、EUやASEANの期待値と言う事を各セクションに任命された、旧与党系で石田の肝入で任命された副大臣や政務官と共に、十分自覚するように変貌して行った。

唯、財務大臣は、元々キャリア上がりの人物であり、代々木や労組系大臣ではなかった。

しかし、この一連の流れの中で、地方自治体に大幅に政策移譲をするには、財務省の持つ、最大の権益の一つである『課税権(徴税権)』の大幅縮小。今迄ブラックボックス化して利権の温床となっていた特別会計の中で最大の地方交付金の解消は、立法府の考え(姿)が重要と言い放った。

但し、立法府や自治体が安易に国債や地方債に依存する予算編成を提案する事は、財政法の絡みから『十分制限されなければいけない』と云う考え。要は、立法による制限も、元が反リフレ派らしく、合わせて述べていた。

徴税権も(国税庁は財務省の、一機関ではなくなり、独立性が担保された“省”へと格上げされた)財務省からの人事交流(民間を含む関係各所への天下り)も許さない(『人事の透明化』と後世呼ばれた)完全な、徴税と予算編成の分離独立が図られた。

こうして旧財務省は、徴税(歳入)関係、立法府が強く関与する予算編成関係、国有財産の管理の担当と、三分割され、日銀は、人事を含む立法府が強く関与する事で、財務行政と完全に制度的に切り分けられた。

中央集権制の温床でもあり、国家財政の大きな負担の一つでもあり、旧与党議員と財務官僚の力の温床でもあった、国庫補助負担金と地方交付税は、特別会計の用途透明化(オープン化)により、段階的に消滅させる方向性の第一弾は、こうして図られた。

此処に、財務省が、省の中の省と呼ばれる様な、霞が関特有のヒエラルキーを消す作業が、この政権の主眼である事が明白化した。

但し、この政策が軌道に乗るのに、石田と山田は、今後、忙殺され、外務に関しては外務大臣に一任するようになって行った(彼等は内務で超多忙を極めて行く事になる)

それ位、霞が関(特に旧財務のキャリア)の官僚のこの方針に対する抵抗は激しかった。

石田政権は、省の権益(財源の地方自治体へ移譲を伴う交付金)の大幅縮小の方策(官僚への説得)を地方分権の推進と言う流れの中で、全ての財務キャリア官僚に求めた。

実際、この作業が、この政権が、内政に注力せねばならない“最も大きな理由”でもあった。それ程、この劇薬には薬効以外に、思わぬ箇所からも、副作用(抵抗)が大きかった。

野党の一部や、保守系(既得権益に固執する)議員の一部には、此の首相(内閣)の政策に対し、その可否を国民に問うべき、と言う大義名分で、選挙のやり直しを求める声もあった。

しかし石田は、その様な声は、完全に無視し、山田は、大げさなパフォーマンスで、革命的な(コペルニクス的な)対応で、中央政府によるセーフティネットの完備終了を待って、従来の政府が、堅持していた考え方を変換する事を丁寧に、解り易く国民に向けて表明した。元々、共◇及び民〇党は、弱者保護に熱心な政党であったが、その真骨頂が、セーフティネットの完備。その内容に関して発揮される事を有権者は強く意識していた。

故に、その骨子は、行政は、あくまでパブリックサービスであり、税金は人の金であり、省や行政機関、勿論、与党代議士(一部の声が大きい有権者)が自由に恣意的に用途を決めて良い財源では『無い』事。

我々(国家)公務員は、公共の執事パブリックサーバントに徹する、公務員に、この事を徹底して認知させ理解度を深める作業に収斂されて行った。

それだけに『徴税省』の効率化(省人化)が、と透明化が強く求められた。要は、脱税行為が、機械的に、非常に難しくなった。

予算配分は、主に、透明化している外交防衛予算に振り向けられ、セーフティネットを除く、内政面では、あくまで富の偏在を防ぐための手段。という考え方が、この分割された『編成省』の背骨として求められた。

通貨発行権を司る『日銀』は完璧に国会の外郭組織となり。産業政策は基本国がコミットする事ではなく、地方自治体と其処に在る私企業の専権事項であり、エコ発電等で環境問題が関連する国有財産(国立や国定公園)の対処方法のみ国(公正取引委員会)が関与した。(環境行政は基本、地方自治体の専権事項となり、霞が関の規制官庁としての環境省は分解されていた)

後世、人は、此れを日本版の『自力更生策』とか『逆明治維新』(『霞が関への一極集中』に繋がる中央集権制から、防衛と外交のみを切り離した、藩幕体制的な地方分権に戻るという意味で)と呼んだ。

内政に関する行政機関(省・庁)が大胆に削減され、人事予算が減り、人員が大幅に減ると云う事は、国家として関与する残された行政官僚は、キャリア・ノンキャリアの関係なく、その作業内容の完璧な透明化こそ求められたが、待遇が、大幅に改善される=要は、新たな官僚と言う職場は、非常に魅力的な環境へと変貌する事も意味した。

只、この政策で、何処が何処に、属する。とか、小規模な首長の権限範囲や、立場と云う『些細な問題』は起きたが、地方自治体も県単位ではなく、より大規模な道州制が本格的に議論され、新たな州に。優秀な中央の余剰官僚は吸収されて行った。

しかし、この改革(革命)が国民に浸透し軌道に乗るのに、十年という月日が必要であった。この事実が、世界的にこの地域の中心に、日本が成れない『枷』でもあった。

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