利己主義の影響(3)
(NYでは)
(アジアの希望と日本の態度)
(NYでは)
UNに措いては、五大理事国。特に権威主義国家と、それ以外の対立する国家群が、各々の利害に基づき、拒否権が発動(乱発)され、常任理事国以外の世界(UN加盟国)から見て何ら、最大公約数的な、実効性ある抑止力をUNは、全く示せなかった。
五大国以外のUN加盟国は、いよいよ、その無力さを感じていた。
ましてや、その中心足るべき、アメリカが、自国中心主義の権化と化し、謂わば、分裂した状況で、旧態然のUN自身の存在意義は、今や全く無くなっていた。
唯一世界の警察足るべき、アメリカ亡き後の世界は、百年前のブロック経済を採るか、独裁者に率いられ、他人の犠牲の上に、存立を維持する(権威主義)か、それ以外、しか、生き延びる選択肢は“無い”様に、思われていた。
しかし、百年前のブロック経済や、独裁という名の短兵急な権威主義者の存在は、この、情報入手手段が格段に発達し、人々が、多角的に物事を判断できる様になった現代では、世界中の民主的手段が在る国家の民から支持は得られず、多くの地域では選択肢には、入れられなかった。
要は、単独独力で生き残れる国は、無くなり、相互依存を如何に平和的に維持構築するか?以外の、米国が分裂した今、世界では、選択肢は無くなっていた。
従来の軍事力で国民を抑え込んでいる独裁軍事国家は、鎖国政策を国民に強い、彼等は、その国民?共々、耐乏生活を強いられたが、その様な彼等にも、等しく、豊かな隣国や地域国家の姿は、SNS等の発達で知らされていたので、ウガンダ等の、その様な経験を経て自立した国家へ『脱皮できた地域』が主体となり、軍事独裁国家は、淘汰の対象以外の何物でもなくなって行った。
アメリカを筆頭とする旧三大国以外の世界は、彼等が生理的に拒んでいたグローバリズムと国際協調路線を採用せざるを得ない。と言う結論に至っていた。
後は、それを如何に公平公正な土台の上で、世界に開示し、公正公平に運営するか?その方法論の話し合いだけが、UNに求められた。
アメリカ合衆国の様な、独力で生き延びられる大国か、北朝鮮の様に三方を海に囲まれ、地続きではない鎖国を維持できる超小国だけが、世界で軍事独裁(為政者の我儘)を押し通せる地域(国家)だったのである。
しかし、アメリカ(スーパーパワー)は、地上からは消えつつあった。
まず、ウクライナの現状(ロシアにとって“都合の良い食糧庫”として搾取の対象とする試み)を『由』とはしない、民主的な国家連合として、二つのブロック。即ち、EU(欧州)と東アジアの自由主義三ヶ国がバックで支えられるASEAN。隣国の息が掛かっていないASEANの自由民主主義諸国連合により、未だ、何処からもコンセンサスも得られていない(要は、何処からも心からの信頼を得ていない)権威主義的な独裁を是としている、自称大国であり、核兵器の大量所有国でもある、自身を世界の中心と『自称する』隣国を『如何に巻き込み』ロシアの無力化を先ずは、図る為の戦略をこの二つのブロックは、UNと言う場で、秘密裏に考え始めた。この考え方、行動のベクトル(行先)は、ロシア領土への浸食である事の自覚は、未だ各勢力には、無かった。
しかし結果として、先進民主国家や民主主義を奉じる自由主義の新興国は、ロシアを犠牲にしてアメリカが、アメリカ(民主的自由主義のリーダー)として『機能しなくなった』世界の安定を図る事を最初の”コンセンサス”と、し様と考え始めた。
その萌芽が、今、芽吹き始めようとしていた。
(アジアの希望と日本の態度)
アジア地区のリーダーとして、EUとASEANからは、日本の立ち位置は、現行憲法の立場からの逸脱が、米国内戦後、そう時期を置かずに求められた。
要は、その経済力、技術力(潜在的な軍事力)に見合った、力の行使を公然と出来る体制を整える、しかも、速やかなる“この体制”の確立が、EUの希望であった。
三ヶ月が、欧州から与えられた(希望する)猶予期間であった。このベクトルに対し、韓国を除く、アジアの民主諸国やオセアニアからの理解は、早かった。
只、その様な要求を固辞する日本政府の官僚が考えた言い訳として、日本政府が用意した理屈が、日韓両国に駐留する、旧米国の(軍事)力であり、国内に於いては、前大戦のアレルギーが残る、勢力への理解が、必要でもあり、それは一朝一夕(諸外国が望むような期間)には出来ないというモノであった。
特に、陸海の自衛隊幹部が、未だ、旧軍の伝統(靖国神社等への参拝を度々制服組幹部は、犯していたり、旧軍由来の伝統的軍事慣習/行進曲等の無自覚な継続使用や旧軍由来の軍歌の使用)に縛られている現状を前大戦のアレルギーが残る、左翼や民主勢力そして宗教勢力や、韓国(隣国も)そして自国の旧来から生き残るメインメディアも、強く指摘していた。
この実態が、官僚作成した言い訳の根源でもあった。
石田一派は、その様な“都合の良い事態”を『是』とする、所謂、反動と言われた党内の守旧勢力に、昔の首相が使ったフレーズ『抵抗勢力』というレッテルを再度貼り、抵抗勢力の主要グループが、米国内戦を機に短絡に(トチ狂って)強行した選挙に際し、党内からの駆除を進めたが、結果自▽党は、真の意味で、英訳の通り自由主義的から自由な考え方を『是』とする、民主的な政党になり、結果、今回の大連立の核ともなった。
が、このEUと(韓国を除く)ASEANからのリクエストは、彼等に執っても、意外と高いハードルになった。
左翼でも意外と、(日米合同委員会と言う、官僚機構による縛りが雲散霧消した結果)石田により山田経由で、実情を詳らかにされた結果、元々欧州のリベラル勢力に親和的で、理論的な共◇党系の一部や、民〇党系の理論派への理解は、紆余曲折はあったものの、早かった。
しかし、論理的ではない(感情・感覚的な)戦前体制により弾圧を受けた経験のある、新興宗教系団体と、左翼内でも、行政系の組合に立脚し、政府行政の動きを単純に批判し、且つ感情的に『反対』だけして来た、党内の所謂、保守派、ソーシャリズム(社会主義)やコミュニズム(共産主義)を盲目的、無批判に信奉する一派、党中央による指導体制を『是』とする、ある種の守旧勢力、此れ等からの『アレルギー的生理的拒否反感』の除去が三ヶ月で、達成出来るか?
分け隔ての無い(妙な)言論の自由と情報の透明性を保障していた自由主義の石田政権。
特に左翼出身の山田には、この石田のリクエストに応える事は、当初、非常に、難しく感じられた。
旧来の、政権与党や、霞が関の行政機構の持つ、お上意識に立脚した隠匿体質と、地域の利権と結託し、権益維持だけに固執する勢力の排除は、此の言論の自由と情報の透明性を保障していた石田政権から、継続的に強く求められたが、其の隠蔽体質こそが、現行選挙制度下での政権与党で、石田に追い出された議員達の力の源泉でもあり、実は、最大の此のリクエストに対する障壁であった。
ただ、日米合同委員会と言う『頸木』が、無くなりつつ在る現状=アメリカの現状により、今迄アメリカの言い成り感を自覚していた、理想を未だ持っていた官僚(機構)と、それに伴う、一般マスコミではなく、韓国や台湾に看られた、SNSを通した『洪水の様な情報の氾濫』が、この反乱した情報を分類・精査できる論理的思考を持った石田や山田一派を利する事となり、一時的ではあるが通常では考えられない速度で、ラジカルで従来常識では考えられない様な、政権の誕生が、米国内戦発覚後、数日の内に、現実のものとなっていた。
彼等は、此のEU等からのリクエストは妥当と捉えていた。
日和見且つ、米国政府の“云うなり”で、独自の責任ある判断をする必要も訓練(要求が無かった)も積んでこなかった旧来の行政府(官僚)や現政権(内閣や与党議員)は、その後ろ盾(米国政府の指示)を完璧に失い、自身で『策』を考える事を求められる様に、なっていた。
自身で実効性が担保された責任ある判断する事を求められる、此のリクエストは、現状の国際情勢を鑑み、経済界は、より強く自身の要求を的確・確実に適えてくれる『政権』への脱皮と同義語にも受け止めていた。
この様な『外圧』を受け、政権与党と、その行政府の後ろ盾であった同盟国の内乱発覚。それから一週間と経たず、日和見で無定見な、今迄その様な事態を想定も経験もしていない、政権与党首脳部は『破れかぶれ』で、誰も指導や、抑える能力を持たない、定見と、自覚無き最高権力者、首相により“解散権”が行使された。
彼の解散理由は『このような世界で、我が国が、どう在るべきかを国民に問う』という、リーダーとしての自覚が、全く欠如した言葉が、事の発端であった。
この無定見で国民を馬鹿にした総選挙(解散)が、実施され(舞台装置が整えられ)、民意の多数派こそ、現行与党(現状変更の拒絶)ではあったが、自由主義と呼ばれる、石田の思想は、弱肉強食を是とする、新自由主義的な考えと混同され、結果やや異なる、元々は大きな政府を志向するリベラルな野党の総獲得議席数が、半数に達してしまった。
中でも議席を倍増させ、キャスティングボードを握ったのが、行政と従来の政権与党や保守派が、蛇蝎の如く嫌う日本共◇党と有象無象の、国民の面倒は、国が看る事を前面に掲げた、大きな政府を志向する左右ポピュリスト政党であった。
そして政権与党の一角をなしていた、信徒のみで構成された、岩盤組織票を基盤としていた、新興宗教政党が、投票率の上昇に伴い、相対的な地盤沈下を起こし、埋没し、議席を大幅に減らしていた。
要は、投票率が日本の選挙史上初めて平均して50%。特に都市部では60%若い女性票に至っては70%弱を超え、今迄、無視していた組織に属さない浮動票の多くが、比例区で反政権党を掲げる、左派リベラル政党や有象無象の左右ポピュリスト政党。特に現与党の守旧勢力が最も嫌う政党という、消去法的な流れで、日本共◇党が得票数を伸ばした。それが、今回の選挙結果であった。
リベラルな浮動票の多くが、与党が最も嫌う政党。そして穏健だが、強大な(御用)組合や、宗教組織と対立している政党。と云う選択肢で、消去法的に、野党とは言え既得権益擁護派的な日和見政党や、その補完勢力は淘汰された。
今迄、反対するだけの野党で、反主流派ながらNo.2の山田が、自党のテーマソングに、ビートルズのレボリューションを選んで、より具体的には、ブラックボックス化していると、今迄、指弾されていた『集団指導体制』や、固定化した提言を止め、全ての提言をオープン化し、その批判を斟酌し咀嚼する。と言った多様化を許容する事をマニュフェストに掲げた、共◇党に、多くの政党支持票が流れ込んだに、過ぎなかった。
唯、この与論・雰囲気は、自由な『情報の氾濫』した環境下で、他国の同名政党が内包するイデオロギーや権威主義。その危険性に危惧を抱いていて、多くのポピュリスト政党が語る、不確かで信憑性や裏付けが無い。その危険性を察知できた、組織票(固定票)以外の、多くの現状維持を志向する都市部の高学歴な穏健派の浮動票は、政権与党である自▽党。その中でも、与党中枢と、最も距離を置き、反動勢力である守旧派を『抵抗勢力』とワン・フレーズでレッテル付け、主要グループと距離を置いた石田と、彼の推す候補に流れた。
体制補完勢力に過ぎなかった低投票率環境下で組織票(固定票)に支えられていた宗教政党や世襲議員、山田が喧伝した、一見、野党の様な保守勢力や、守旧派の補完勢力と見做された、名前だけの、なんちゃって『野党』の小選挙区選出議員には、この都市部に住む高学歴者の浮動票は流れなかった。
オタクとして有名で、判りやすい発言をし、フェアーを強く掲げ、縁故主義や、日本が元々内包する義理人情等や、朱子学的な主従関係と云った観念を忌み嫌う石田は、既得権益の許、弱者切り捨てを実は『是』とする、自党議員からの人気が無い分、世間一般の国民受け(大都市部と地元や一般党員の受け)が元々、大変良かった。
そして従来の、選挙区に於ける既得権益者に媚び諂う(こびへつらう)事で連綿と生き永らえて来た、世襲議員の多くは、刺客として送り込まれた、石田が、中心となって選んだ、自▽党の自由主義勢力や、リベラル系政党や同系の無所属の対立候補の前に、極一部が、復活当選は、出来ても、その殆どが淘汰された。
与党では石田。野党では山田は、選挙の顔として引っ張りだこであり、彼等により、派閥や団体・宗教に頼らず、ぎりぎりの票差で、旧来の与党(世襲)非公認議員に対して、選挙区で当選した、石田が公認した看板や、カバンを持たない非世襲の『新人議員』。
山田が、応援に入った、彼のお眼鏡に適った、野党議員特に女性議員が、新しい衆院議員として当選を果たしていた。
その結果が、派閥やグループに属す事を最も嫌っていた、石田をして与党首班、ひいては首相候補として指名され、野党共闘(大連立)が、成った理由でもあった。
石田は、そもそもの行動様式や考え方が、旧来の自党の其れ(新自由主義的=弱肉強食的な考え)とは、全く異なっていたので、大方の議員の予想に反し、彼と、趣味が合う、やはり、ミリオタを自称する共◇党の、今やNo.2になっていて、今回、仲間の議席を大幅に増やしたレボリューションを登場曲に選んでいた、共◇党反主流派を自称する、山田議員を一本釣りしたのだった。
石田は、山田も興味がありそうな、自衛隊、其処のインテリジェンス部門長であり、石田と個人的にも、知己があった、日米合同委員会の日本側代表団の一人でもあった刈谷良助情報管理室室長(現三佐で当時一尉)を山田の一本釣りに際し、同席させていた。
山田の属する組織が、戦前の特高警察や、法務省所管の公安関係(公安調査庁)に対するアレルギーというより、目の敵(調査対象)にされている事は公然の秘密であった。
この際だから、政府の把握している世界情勢を、今迄は、対極に居て、無知の儘、晒されていた『輩』にも知ら占め、危機感を共有してもらう必要性を石田は、感じていたから、この対話はセッティングされた。
「山田よ!」
この一言を彼から見れば、オジサンの石田が、発してから、話は、始まった。
刈谷の所属する自衛隊のインテリジェンス部門は、どちらかと言えば、旧陸軍の、インテリジェンス部門であった中野学校系列や旧内務省が母体の法務省、特高警察を母体とする警察庁の公安や外事部門、厚労省や内閣府の情報関係者との関係性が希薄。且つ、今は、皆無であった。
自衛隊のインテリジェンス部門の母体は、アメリカのNSCを範としていた。
それら情報部門の下部に属する統括機関(要は、主に米国から齎された情報を再精査し、其処から判断結果を政府に提示するだけの機関)と、その検証を担当する実行部隊でもある、別班と、世間で呼ばれている対外実行部隊が、その構成主体であった。
しかし、刈谷は、今回、彼等(自衛隊のインテリジェンス部門)の上位に君臨していた各公安機関から、彼等は、「P」と称され、社民党系を「S」、民主党及び連合系を「GL」、新左翼系を「NL」、その他の市民運動を「CV」と呼称され常時監視対象であった調査内容―この種の情報は、実は、山田も知っていた―それ以外の、日本の周辺にある(外国)政府の行動基準と言う情報。それを刈谷が属する機関が、再分析した内容。
特にその基準となる隣国の具体的な考え方、行動様式の説明をした。
その上で、今、自衛隊のインテリジェンス部門の上位に君臨している各公安機関は、常時監視対象として、新たに、勃興しつつある多彩な新興宗教系の団体を付け加えた事も話した。
そして、これらの情報から、山田の所属する政党のヒューミントの系統は、全て、刈谷の属する機関を含む各公安機関。
という事は全日本の情報機関のほぼ全てに『党の内情は』把握されている事も詳らかにした。
当然これは、彼らが、仕込んだ行政部門に潜む、ヒューミントからも、噂程度で、確証が得られていない情報であり、誰を党内から追い出すべきかの、判断材料を山田“だけ”が得る事となった。
只、結果、現在の党幹部は、書記長(党の実質No.1)を除き皆何等かの『黒』だという事が判り、彼女の推薦者(古参の共産党員であり実質的な党内のNo.1の実力者である元書記長)や自分の考えに同調しない幹部、自分の目の上のたん瘤(所謂、実力者)も隣国やロシア系の『何等かの』スパイである事が解り、彼等を党内から排除できる情報でもあった。
山田からの情報を得た結果、総選挙後、山田の助言により党内基盤を固めた書記長は、党内で、一時的に支えを失ったが、一方でフリーハンドも得ていた。
この会談は、二週間の総選挙期間中にも関わらず、都合三回、合計で二〇時間以上、総選挙期間中の、ほぼ全日に渡った。が、結果、山田の強い後押しで、日本共◇党の書記長が、従前の立場や、日本共◇党として、従来から“堅持”していた考え方を“コペルニクス的に転換”する。と『総選挙期間中』に発表できる契機。
要は、共◇党の躍進の切っ掛けともなった。
その発表は、党機関紙の◇旗が、駅売りの“スポーツ紙”並みの発行部数を得る『きっかけ』にもなった。
一方で、情報の多さに溺れ、何が日本にとって最も重要か?と云う取捨選択が出来ず、連綿と既得権益の護持(税金の地元還流作業)とバラマキだけしか頭には無く、混乱を極めた上で国会を解散した日和見な現政権と、守旧派の与党幹部は、その失策から、此処に、倒閣され、権力(党内支持基盤と国民の支持)も失った。
そして四半世紀続いた所謂3党連立政権は、雲散霧消した。
絶対多数を維持していない、石田を首班とする政権与党は、従来の守旧派の補完勢力にしか過ぎなかった宗教政党や、似非地域政党との頸木を離れ、今回大量の山田が選び推した新人議員が構成する日本共◇党や両民〇党が今や一体化した新民〇党をパートナーに選び(議会の過半数を占め)大共連立政権を誕生させた。
この成果は、過去の、自社さ政権以上の“驚き”を世間に与えた。
山田曰く『レボリューション内閣』である超越大連立政権が、此処に出来誕生した。
山田は、高校大学時代からバリバリの民◇上がりの、共◇党員ではあったが、自衛隊や、在日米軍は、国防上必要な組織である。と首尾一貫して共◇党内で、主張していて、防衛装備の移転(輸出)に関しても、強く開かれた内閣による調査、査察を前提とするならば、と言う、強力な立法府(第三者)による輸出禁止条項(チェック機能)が『付帯』しているならば『国民の血税の無駄遣いの阻止に通じる』と云う観点で、野党で、しかも共◇党員でありながら“党議拘束”を破り賛成に回り、何度も離党や除名勧告を受ける様な議員でも、あった。
彼のシンパは、兵・士官を問わず、実は、自衛隊内と防衛産業の開発者(と、そのヒューミント)にも多くいたのである。
ちなみに、彼は、その為に『発射罪』等と言う、警察(行政による銃器管理)に楽をさせる為だけの、武器全般に、自衛隊員や、警察官の現業担当者以外が触れる事の出来ない、国会の議員、防衛相の非制服職員すら調査権や、吟味が出来ない、査察の阻害要因以外の何者でもない、愚かな法規(銃砲刀剣類所持等取締法)に関して大改訂も自▽党の元自衛隊幹部出身議員と共に、主張していた。
山田は、この『愚かな法規』に対抗する勉強会で、元自衛隊幹部出身の与党国会議員と知己を得て、彼に誘われて、石田とも、知己を得た事が、そもそもの現状のきっかけだった。
山田の趣味は、石田の趣味であるミリタリー以外に、機械好き等、多くの点で、完璧に合致していた事、そして石田自身や元自衛隊幹部出身の与党国会議員が政権与党内の異端児(少数派)でもあった事から、彼らの交わりは与党の当時多数派だった国会議員からは、無視されていたし、多くの、旧来からの共◇党議員からは、懸念を産んではいたが、その様な周囲の雑音を余所に、彼等の関係性は、個人的な面で、より深くなって行った。
彼は、石田を紹介してくれた、与党の自衛隊出身で、実際、政策的には、全く合わない、この議員と(勉強会等を通して)個人的には、趣味の面でも仲が良かった。
と云うより、彼のミリオタ的な知見は、この与党議員と、彼が連れて来る、防衛装備製造会社の研究員等とのプライベートな関係の中で、防衛省や米軍。その関係者と伍して、まともな会話が出来る程、洗練されて行っていた。
彼が党議拘束を外れ、唯一賛成した与党提案法案は、この与党の自衛隊制服組出身者の立案し提案した、自衛隊員の住環境を主とした待遇改善と、装備品の一般競争入札(入札プロセスの透明化)法案であった。
この法案は、自党や万年野党の左派、原理主義的な一国平和(反戦)主義者や、リベラルなマスコミ(主にテレビと新聞)からは、法案内容の然したる精査・確認も無く、表題だけで“違憲”と云うレッテルの下、問答無用な反発を食らっていた。
しかし彼は、その様な反対意見は『実態を知らない、“お花畑に安住する”無知な人間の戯言』と、然したる反駁もせず一括して無視した。
唯、彼は、自衛隊の存在は、以下の件で決着が付く迄、憲法上、継子扱いで『在る』べき。
前大戦の戦争責任問題は、日本人・日本国として総括は、『未だ』終わっていない(従って、靖国の存続には、完璧に否定的であり、天皇の存在意義、国家・国旗は、未解決の問題である。と言う前提で、自衛隊の国軍化には、現状では、絶対に反対)。という信念は、この与党の友人達との会話、交わりの中でも、一貫して曲げなかった。
(その考えの下、生理的に好きな人間であっても、言行内容や、実際、政策的には、彼と全く合わない点でもあった)
又、憲法。特に9条を現状の雰囲気(空気感)の中で改正し、現状の環境の儘、自衛隊を国防軍として定義づける事は『制服組の横暴を許し、集団的自衛権の拡大解釈(曲解)の余地を残す疑念が有る』として、断固反対の立場を『おおっぴら』に公言する様な議員でもあった。
故に、戦時国債(戦費調達の自由化)の発行を政府に許す“財政法4条”の解釈を変える事(建設国債で戦費調達を図れる様にする“姑息”な行動)や、軍事費の際限の無い捻出にも繋がる赤字国債に関しても懐疑的であり、“財政法4条”の廃止や解釈の柔軟性を求める、如何なる動きにも『断固反対』していた。
只、自衛隊の存在は、靖国の存続や、天皇の存在、国家・国旗。要は、世界的に受け入れられる形で、明治維新いや1910年から1945年迄の『(帝国)日本の執った姿』に関する総決算が終了し、戦前迄の体制を『問答無用。且つ、完璧に否定する』と言った国民合意が固まる迄は、自衛隊の存在は、継子扱いであるという姿勢は変えなかった。
只、その存在は、必要悪(暴力装置)かもしれないが、現状の世界や、地球環境を睥睨した際、絶対に必要な現業(暴力)組織。と言うのが、彼のスタンスでもあり、その立場から陸海空自衛隊員の待遇改善と、地位向上及び、装備品の一般競争入札による完全透明化法案には賛成票を投じた。
従って、この法案提案以前にも、よく彼は、立場を利用して市ヶ谷だけではなく選挙地盤に在る駐屯地や各基地に取材と称し、与党の自衛隊出身議員と共に“視察”という名目で伺い、現場隊員や幹部自衛官の具体的な、疑問点や改善して欲しい点や、改善しなければならない点に関し意見を聴取していた。
(その後の酒席も、“自腹で”必ず共にしていた)
彼は、それ以外に、救急や消防、教員や看護・介護現場等のエッセンシャルな現場の国家、地方を問わず、公務員の待遇改善が、ライフワークでもあったので、彼は自治労連やそれ等に従事する、特に女性からは、強力なサポートを得ていた。
この普段の不断の活動をして、彼だけが共◇党の中で、比例区ではなく、しかも選挙地盤に、空自基地を抱えている『地元』から立候補し当選している、沖縄以外の唯一の選挙区出身の共◇党国会議員でもあり、そして彼の選挙区は大震災の被災地でもあった事が、大きかった。
この実績や、考え方が、彼を快く思わない、旧来からの共◇党の幹部をして黙らせる、そして彼が党から除名されない唯一最大の理由でもあった。
自▽党の、所謂旧来からの保守系以外にも、両民〇党及びその支持団体である御用組合や、旧与党の一部には、この、共◇党と言うネーミングに強い抵抗感を感じる勢力が少なくは無い数で、残存していた。
一方、共◇党にも、イデオロギー的な原理主義者や、民主独占(民主集中制)とか、集団指導に未だ固執している、彼等が自身を生理的に毛嫌いする理由となる『勢力』が、しっかり『生き残っていた』ので、石田からは『彼らの“排除”による、旧来からの保守層の“共◇党”という名称へのアレルギー除去』が、強く求められた。
この際に、刈谷から得ていた情報は、有効に機能した。
只、山田は、その石田達の条件を吞む代わりに、自▽党内の戦前の日本の所謂『国体』に固執し、地元への利益還流だけが、国会議員の唯一の仕事としている、客観的大所に立って物事を判断できない、悪しき伝統墨守派とアメリカの分断を招いた理論でもある、新自由主義(保護策なしの弱肉強食を是とする人種)にシンパシーを持つ議員の名簿。その彼等のプロフィール。
左翼にロジカルではなく、生理的な拒否反応を示す敵の、弱点を要求し、彼等の影響力の極力排除(自党や民〇党議員が対立候補=刺客を立て、追い詰め易くなる環境を整える事)を条件とした。此れ等は、地元への利益誘導、それに伴う、既得権益の擁護者(甘い汁を吸う人種)が多かったので、比較的簡単にその名簿は渡されたと言う。
この頃には石田、山田や刈谷以外に、他の野党(民〇党)の考え方が近い連中。要は、今の内閣の中心メンバーが、この会の中に参画し始めていた。
(只、その様な力業は、短期間では、完全に山田が求める程度には、出来ない事。特に、自由主義と新自由主義の線引きの難しさ、又、その様な議員の地元は、利権構造に、しっかりと組み込まれている事は、理解した。)
若い山田は、官房長官就任受諾に際し、所謂、『半共◇党』宣言をし、自由主義者や民主主義者が受け入れられない、共◇党的なイデオロギー(観念や思想体系)とは、現共◇党は、完全に決別する旨を宣言した。
又、過去、喧伝されていた共◇党の所業に対し『清算』を含む、公開の場での検証を国民の前で“約束”をし、他党の抱えていた、従来から喧伝されていた疑惑も、此の処方を『デフェクトスタンダード』とする旨を発信した。
結果、他国(ロシアや隣国等)の共◇党とは、名称以外、全く異なる、開かれた存在(公党)であり、同じ過ちを絶対に採らせない構造(機構)である事を公の場で“宣言”し、確約した。
彼等が堅持する、伝統(党の屋台骨)は『不偏不党で、フェアネスだけである』この、反イデオロギーを旨とした、反マルクス主義宣言とも採れる宣言が、書記長以下、党幹部に認められなければ
『同調する議員を引き連れ離党する』
と言う脅し文句迄、使い、共◇党内でも革命を起こし、纏め上げた。
(従来党が、強く禁止する分派活動を彼は、非公然に充実させていた)
要は、意志決定の過程を詳らかにしない“マルクス思想”に基づいたと嘯く(うそぶく)『概念』や、『観念』、『思想』、指導者の『発言や見解』、『考え(イデオロギー)』だけを拠り所とした、民主集中制と云う仕組みと、一般党員にすらブラックボックス化していた集団指導体制の完全排除
(スターリン主義との徹底した決別)
そして従来は、完全に党が排除していた考え方でもあった、以下の条件に反しない限りは、党員の誰も異なった考え方を表明する場(多様性/ダイバーシティーの担保と彼は言った)を常に与える。
要は、党に柔軟さと変化を求め、結果、分派活動にも繋がる『多様な考え方の抱擁』が、半共◇党宣言の骨子であった。
只、過去1945年(敗戦)迄、日本が『堅持』していた『伝統的な考え方』が、今後の政権の政策に、些かでも混ざる事“だけ”は、頑なに許さない旨は、強くこの宣言の中に盛り込まれていた。
要は、伝統墨守派の言う国体(天皇制)や宗教、国歌や国旗と云うモノを再度、改めて情報を公平公正に詳らかにし、再検証する機会を本政権存命中の何時かは、作る事が、政権参画の条件の一つであり、この内容をして、山田は、共◇党員らしいと、有権者に感じさせていた。
因みに、彼等(行政府・官僚)が関与した事柄を詳らかにする際は、小学生レベルの人間が理解できる平易な言葉を使用する事も強いた。
この方針は『言った、言わない』という下らない論争をも排除する(要は、皆が、理解できないのは、伝え方が、粗末/悪いとした)
発言は全て、誰もが閲覧と検証、そして、色々な解釈を許さない形で、機関紙◇旗の編集方針は、その方向で統一されたので、情報内容(指向性)は、異なる事が有っても、非常に読み易い一般紙と変わらなくなっていた。
最後に決めた、彼の、台詞は、その年の流行語にもなった。
それは『革命なんてモノは、人それぞれ』であった。
しかし、その様な彼も、旧江戸城、殊、宮中に於ける親任式に際し、通常のスーツ姿で行き、天皇に対し黙礼すらしなかった。
又、定例の記者会見場の壇上に上がる際も、奥に掲揚されている国旗を一瞥すらしなかった。曰く
「私、一応これでも共◇党議員ですので『国旗』に関しても『天皇制』と『天皇』という存在に関しても未だ、どう在るべきか?その可否の態度や戦前迄の総括も含め、国民的な議論の対象に“すら”なっていませんので“天皇”とか“日の丸”と云う存在に対する対応は、保留とさせて頂いております」
「皇居なる場所に伺ったのも、憲法に記載されている条文に沿って、国民主権の日本国に於いて、議会に依って選ばれた国家元首(首相)に、官房長官として信任される儀式だからで『元首』たる彼の命令ですので伺った迄です」
と言いのけ、左翼政党の議員としての、彼に対し疑念を拭い切れていなかった、旧来から、そして古参の、共◇党員や、左翼勢力のシンパや韓国の民族派等の心も『しっかり』繋ぎ止めた。
結果、彼が推す、過去、謂れの無い『分派活動や首脳部批判』により党規違反という理由で除名処分にあった、何名かの『元』共◇党員も名誉回復を伴う復党や復権も認めさせていた。
勿論、この言行により、旧来からの反動勢力からの、脅迫めいた生理的反感をかなり猛烈に買ったが、その際も
「ありゃ保守ではなく、伝統墨守派か、既得権益護持派の手足・走狗って言うんです」
と、滔々と、彼等の本質を暴き
「保守とは、基本、小さい政府。まぁ権威や権力からの自由を志向する民主的な個人主義の事で、守るべきものは守る。しかし、正確で、便利に世の中が変わる際には、自由に、税金を極力浪費しない格好で、変えるべきものは、変えていく」
「只、体制(行政)や権力・権威に、己の考え方や、生き方に対して、特に、権威や権力(行政)から、アレコレ指図されたくはない。それが、首相の掲げる、保守主義の真髄です。」
「日本の保守主義を名乗っている連中は、権威権力に自身(身)を守って貰い、保守と言う言葉の誤用と乱用、狭義に拡大解釈乃至は、曲解をしている弱い連中に過ぎない」
「要は、戦前迄の、日本の国体なる体制を問答無用に肯定し、且つ懐かしみ、天皇の御名と、御璽により公布される勅命を最終的な絶対法規とし、その様な“非民主的”な手順で“公布”された行政権力により命令された『勅令』に対しては、第三者による客観的な批判すら許さず、この事態・事実を肯定し、自身・身内の既得権の護持に努めているだけの、アナクロで、アンフェアで利己的な旧態然の利益を守護し、結果、自己の既得権益だけを守りたいだけの連中に過ぎない。あたしゃ一応、旧来からの日本の制度や、考え方・手法、所謂、日本的な悪しき伝統に関しては、絶対に容認しないし、妥協も許容も一切出来ない。連中から観たら、やはり蛇蝎の様な異端なんでしょうけどね!それに前大戦迄に於ける日本の立場を“一切肯定しない”のが、私の基本ですからね!」
「私は、強くはない。が、強く生きようとしているに、過ぎないんです」
と舌を出しながら、世を喝破して見せた。
此の談話内容は、国民世論を強く喚起した。
この政権は、その帰結であった。




