利己主義の影響(2)
(インド太平洋軍と在日米軍)
(世界情勢)
(インド太平洋軍と在日米軍)
横田エアベースの司令官室は、重たい空気であった。彼自身は、デモクラット(民主党)であり、現大統領の権威主義的で利己的な政策に関して、非常に懐疑的であり、リベラルステーツが、現大統領の政策に、そう間を置かず反旗を翻す事態を当然視している節もあった。
カリフォルニアと意外な事に、リパブリカンが、州の中枢を占めているテキサスが、カルフォルニア側に付き、西部連合の主要な一翼になった事は、計算外でもあった。従って、彼の隷下が、西部連合への参画に逸早く旗幟を鮮明にする事は自明でもあった。
人種構成や富裕層が、白人に偏っては居らず、元々日系や、ネイティブ、アジア系の文化観や道徳観が浸透していた、ハワイ州。その知事の隷下に、直属の上級指揮所である、インド太平洋軍が、服属する事も、意外性は、無い。とも、受け止められていた。
しかし、そうは云っても、軍の最高指揮官は、合衆国大統領であり、彼は、デモクラットの前に合衆国軍人であり、主義主張は異なっても隷下の組織は、合衆国大統領の率いる軍でもあった。
が、大使館や国務省、勿論、国防省の上長からも、何の指示も命令も無かった。
現、在日米国大使は、間もなく任期が切れ、次の大使は現大統領の息の掛かった人物(友人)に、代わる予定では、あったが、現状は、在日空軍指揮官と同じ、前大統領と同じデモクラットの人間が、務めていた。
日本政府(カウンタパートの外務官僚)からは、国内紛争が露呈後、間髪を置かず、東京の管制空域を一時的に日本に返還する事が、日米合同委員会の米国側代表(制服)に求められ、大使の指示の下、監視業務は、継続しつつも、管制業務自体は、日本側に即日、移管されたばかりであった。
(日本側は、何時でも、即刻移管できる体制をかなり前から、噂には聞いていたが、米側から文句や疑義を挟まれない形で、所謂日本的に整えていたのは、驚きでもあった)
第七艦隊の旗艦及び艦載機は、厚木と横須賀に居たが、彼等に対する管制も、此処と茨木の空自が担う事になった。
三沢は、日本の航空自衛隊が、岩国は、民間と海自が、一時的に管理下に置く事も、此の日米合同委員会の日本側の代表でもある、外務官僚からの指示という事で、合同委員会の委員の一人でもある、横田エアベースの司令官より発令されていた。『嘉手納もそう遠くない将来(近々)、日本側が把握する事になるだろう』彼は。そうも付け加えるのを控えた。
唯、在日米軍は、総体として、大統領側か、反大統領側、何処の麾下に着くか?未だ決定しては、居なかった。
故に、在日米軍全体は、大使館でもなく、今や日本側がイニシアチブを握る日米合同委員会が、唯一の発令機関であった。
只、ここ迄は、割とすんなりと、同盟条約に基づく米軍の執るべき行為としても、実行されていた。
『問題は、沖縄の海兵隊の若い連中だけだな』日本側関係者の相対的な意見(懸念)であった。
既に横須賀や佐世保の水兵は、やはり、合同委員会の委員の一人でもある、基地司令が、しっかりグリップを利かせ、実際問題として、合衆国政府機関は、何れなのか?が判別出来ず、政府からの判断を仰げない今、日米地位協定より、日本の国内法が、全てに於いて優越する。と、内戦発覚後(米国大使館も機能しなくなって直ぐ)、NSCやCIAと気脈を通じている日本の外務省。
今や、そのアメリカの頸木が取れ、今迄、彼等の支配下に置かれ、日本政府を実質的に牛耳っていた、日米合同委員会(の日本側。要は外務官僚の北米局)が、間髪を置かず通達して来ていた。
在日米軍基地が有る、全ての自治体では、基地外で、些細な事でも事件を起こせば、MPではなく、地元神奈川県や、地元警察等、所轄警察が、国内法に基づいて、全て対処する(基地内にも所轄署員は踏み込んで該当兵の身柄を確保する)事に、在日米軍は、従わざるを得なくなって行った。
要は、基地に逃げ込めば“セーフ”と言う最終手段が採れなく無くなった。
しかし沖縄は、構成隊員の質や量から、事情が、違って来るだろう。
沖縄以外アメリカ的常識は、日本国内では、一切通用しなくなって行った。
この基地が置かれている環境や、状況だけでも、学歴や知見の多い兵隊が多くを占める、横須賀や佐世保の海軍や、主に高学歴の士官で構成されている空軍と、沖縄の海兵隊員の行動は、違う事が、容易に想像できた。
海自と同居し、民間空港で且つ、有力政治家のお膝元でもあるので、ファシリティーも、それなりに充実し、構成員の知識教養レベルが、沖縄の海兵隊員とは全く異なる、岩国の海兵隊(士官)とも違い、沖縄の海兵隊の過半は、同じ海兵隊員とは言っても、腕っ節に自身のある、田舎出身の高等教育など受けてはいない、若者(兵士)が、主体で構成されていた。
しかも沖縄は、本土にある基地とは異なり、功罪含めて全ての距離感が近く、地元民や野党政治家の地盤でもあるので、幾ら本土政府が、金をバラ撒いたとしても、県民の米海兵の兵隊に対する感情(不公平感や不信感)が、すこぶる良くは『無い』事で、有名であった。
本国での事件以降、沖縄に於ける、航空機の発着訓練は、基より、全ての行動がストップされていた。
従って、あらゆる、訓練も停止していた。しかし、これは全て、現地司令官の命であり、インド太平軍は、基より、在日米軍統合本部からも、何ら具体的な、指示命令は、出ていなかった。
旧来の日本政府は、未だ、アメリカ大使でいる、マンスフリーに対して、善後策を協議したい意向を、この件発覚、一時間以内にしていた。
しかし、マンスフリーも、全く、報道以上の情報を本国(国務省)からは、得ていなかった。
唯、本国の指揮系統は、分断された。と言う事は、事実であり、自身は、何れの側に立って、罷免される迄、大使としての、旗幟を現すかは、彼自身の、問題でもあった。
日本の、影の最高意思決定機関と称されていた、日米合同委員会の米国側制服組の影響力は、後ろ盾が、消えた今、完璧に霧消し、日本の外交・防衛の担当官僚に実権を牛耳られた。
現実問題として、アメリカ合衆国と言う国が、機能不全に陥った際は、合衆国側が管理している、日本国内に於けるあらゆる権能は、日本政府側に移譲(返還)する事は、国際常識であり、先ずは、再三日本側が問題視していた首都を含む全国内の管制権に関しては、横田や三沢、嘉手納から日本側に、即時、即刻移譲され、日本国内の全米軍麾下の管制権は、当日中に、羽田、三沢(空自)と百里、那覇に移譲されていた。
結果、全ての在日米軍の航空機は、日本側の許認可や依頼が、無ければ、タキシングは疎か、飛行は、全く、できない。格納状態であった。
演習に関しても、自衛隊と地元警察に許可が、必要であった。沖縄の若い海兵隊員にとっては、暫しの骨休みでは、あったが、この状況が、永遠に続く事は、若者が好む“娯楽”が少ない、沖縄県内の基地にとって、危険であった。
(世界情勢)
只、合衆国のプレゼンスが、このエリアから消えつつある事態は、隣国にとっては、異常に有利な環境である事を、日本政府。特に日本国民は、自覚しているか?が、問題であった。
早速、台湾の交流協会と、沖縄の海自、海保の監視網と言う二つのソースから、海峡から、第一列島線と彼らが呼ぶ海域に於ける隣国海軍や海警の動きが、より活発化(傍若無人化)している報告も、上がってきていた。
そして、フィリピンやベトナムも、南シナ海の彼らの動きの傍若さに、磨きがかかってきている報告も、上がってきていた。
特に、親米政権で有ったフィリピンの、スービック海軍基地と、クラーク空軍基地が、機能不全に陥っている事が、問題視されていた。又、海上保安庁は、この機を逃さず、活動が活発化した隣国漁民(民兵)や海警局の船の監視と牽制に忙殺されていた。
また世界中のニュースが、報道し始めたのは、ウクライナに於けるロシア、パレスチナに於けるイスラエルから、アメリカという『重し』が取れた(内戦下で、自国問題以外には『目を配る余裕がなくなった』)環境下で、ロシアとイスラエルの傍若無人、且つ、身勝手な態度は、NATO(EU)諸国や、イラン処かサウジアラビアや、イスラエルと国交を結んでいるはずの、UAEやヨルダン等の穏健派と呼ばれていた中東諸国、CFAフランを使用しているアフリカ諸国(未だ、欧州の宗主国に経済的に縛られている中央アフリカ諸国)や、イスラム教系のアフリカ諸国も、もう西側の、鉄面皮な姿勢に『もう、彼等の“尤もらしい”お題目におもねる必要は無くなった』と、実感させ、相当、国民レベルで、怒り心頭に至らしめていた。
いつ、イスラム対ユダヤの第五次中東戦争や、旧ソ連領で、通信の自由化が齎していた、周辺の反権威主義国家(民)のロシアに対する反覇権戦争になっても、おかしくは“ない”状況の、一歩手前に来ているという恐ろしいレポートもあった。
世界の人々は、彼等の『知識量』を凌駕するだけの、以前とは質量共に比べ様もない程の、正確、不正確な、大量の情報に、簡単、且つオンタイムで、触れる事が出来ていた。
そして安全弁的立場にいた“合衆国”を世界が失った事で、その状況を都合良く、解釈、利用しようとする人間が後を絶たなかった『だけ』であった。
経済に関しては、金と共に、円とスイスフランの様な、国際的な安全通貨の価値が、その経済規模に反比例して急に上昇し始めた。
比例して、国際決済通貨としてのドルとユーロの価値は、相対的に急降下し始めていた。ドルと自国通貨を政策的にリンクさせていた隣国は、オリジナル政権の執る高関税政策も含め、主たる市場のアメリカ以外からの食料購買力をも失い、国内経済の立て直しの術が、国内需要の喚起以外には、無くなる事は、必定であった。
ここぞとばかりに、隣国以上の購買力を示せる様になった、軍事と経済力の有る、日本や台湾と韓国、それにロシアの燃料までも購入できるインドや、隣国同様、西側の建前とは距離を置いていた、食料自給力の有る自由主義のアジア圏諸国に、世界の物資が集約し始めている(米国を除く国際的な、あらゆる商品の購買力が隣国と相対して上昇している)事にも、危機感を持っていた。
特に東アジアの日韓台三ヶ国は、その自然災害の多さや、化石燃料や資源の自前調達が、ほぼ出来ないという条件もあって、エネルギーの自国内での確保や省エネルギー策や技術は、積年の共通項(目的)であり、その『解』を、各種、自然エネルギー(当初は原発にも)に求めざるを得なかった。
が、この3ヵ国は、目途(算段)を付けつつあった。
又、隣国が独占し、この3ヶ国をコントロールする術としていた希土類も、その度重なる脅しの前に、代替品の目途を付けていた。
結果、エネルギー、特に電力エネルギーの自前調達と節約、希土類の代替品の自前調達と云う点で、日韓台三ヶ国は、兆速の進歩と革新を成し遂げていた。
従って、昨今の現状にも比較的安全に、対処でき、元々ロシアとの距離も、十分に取れていた。
ロシアの頼みの伝は、隣国とインドの変わらぬエネルギー購買の意欲。そしてアメリカの頸木が消えた、最新兵器の供給先でも在ったイスラエルだけ、であった。が、決済通貨としては、人民元以外を使えず、元が米ドルと価値をリンクさせていたため、その信頼性の喪失に伴う国際的な価値の下落は、ロシアの継戦能力という観点から問題では、あった。(要は、益々ロシアは、隣国を増長させるだけで、秘匿しておきたいアドバンテージを隣国の言い値で、売らざるを得ない状況に陥って行った)
又、この事態を受けロシアを除くOPEC諸国、そのリーダーでもあるサウジアラビアやUAEは、イスラエルとロシアが近づいた事で、石油や天然ガスの増産(オイル価格の下落政策)に舵を切り、ロシアの思惑を悉く潰していた。
国民に豊かな生活が保障できなければ、現政権が持たない。その様な環境は、ユーラシア大陸の両権威主義大国に執って、死活的な事実であった。
しかも、対外的な、傍若無人な態度(他国や国内の少数異民族に犠牲を強いる態度)は、立場故、客観的に他国情勢を知り得る、自身に忠実な、官僚の能力を擦り減らせ、情報統制を試みても、今や、自国民も世界の情報を客観的、且つ、正確に知る“術”を持ち、情勢の把握は容易であり、行政権力を通じて“全てを隠し通せる”ものでは、無い事をロシアだけではなく、隣国の首脳達も、徐々に認めざるを得なかった。
この様な国際環境下、欧州。特にEU諸国は、隣国同様に、域内の内需を喚起する政策を猛烈に執り始めていた。
幾ら、競争力があるとは云え、アメリカと言う巨大な消費市場が無くなっている二次産業や、サービス業と言った第三次産業よりも、地域、国民の半数以上が従事する、第一次産業従事者の理解と協力だけが『頼みの綱』に成っていた。
これは、日本も同様で、対外貿易の華である機械関係の株価は、エネルギー創造関係を除き暴落していたが、反比例的に、食料関連やバイオ、創薬関連。要は『命』を保障する産業の株価は、円高の影響もあり安定し、内需、特にバイオ関連や農業関連株(会社価値)は、機械関連でも、概して、高騰していた。
国内世論は、農水関係の強化。要は、世界のトレンドを鑑み、食料自給率の、より一層の向上と、効率化を求める様になっていた。
特に日本共◇党が、世界の事態に関し、政権交代を果たす原動力でもある“与党首脳部”から正確に国外の実情を知らされ、把握、認識し、その様変わりを果たした結果、彼等の強い支持基盤でもあった、小規模な兼業農家を淘汰する(される)ことを許容し、農漁協等の小規模兼業農家等を食い物にしていた、日本独特の閉ざされた金融機関(地域農協や漁協)は、集約淘汰され、公平公正で効率重視の大・中規模農家(農業産業)や漁業産業が大手国際金融機関の政策変更もあって、日本でも跳梁し始めていた。
日本の休耕地と呼ばれていた荒廃地は、これら規模の拡大を目指し、効率農業も目指す農業産業(会社)が大手金融機関と協力し合い、資金的後ろ盾を得た事、そして、数日後には、新政権が、環境保護の名目で補助(金)を彼等に優先して与えた事によって、真っ先に再開発されて行った。
こう云った勢力が、あらゆる考え方が開示されていた『日本共◇党』を旧来の支持政党と同じ様に、支持し始めていった。
只、世界の域内に於ける食料自給率向上をより一層目指すトレンドの結果、ウクライナは、食料の過剰生産力に基づく安価な穀物輸出(市場)をEUにのみ依頼する事が、出来なくなって行ったが、結果、強い通貨を持ち、EUと価値観を共有する自由主義のアジア諸国がアメリカに代わり、その購入責任をEUから求められるようにも、なって行った。
ウクライナも、EUの機嫌(総意)を損なえば、もうEUやEU経由で西側からの、武器を含むあらゆる好意や援助は得られなくなる、即ち、ロシアに国内を再び蹂躙される事を選択せざるを得ない事実から、ウクライナ産農産物は、自然とEU域外へ向かうしかなかった。
EU各国は、この混乱に乗じ『漁夫の利』を得そうな国々、そう、東アジアや、中東諸国に対し、ウクライナ産の、安価の食料輸出の為に、ある程度まとまった量の責任購入義務と、その輸出に関する防衛義務を要求してきた。
プラスして、今迄アメリカ海軍が担っていた、紅海やアラビア海、インド洋から東南シナ海迄の、所謂『シーレーン』の安全確保義務の肩代りも、その最大の受益者であったアジア地域が主体となって担う要求をしてきた。
産油国と呼ばれた裕福な国家を中心とした、中東諸国は、同じ宗教圏のアフリカ諸国への食料安定確保の意味で、それ等の地域防衛の為の資金負担を早速、確約する旨、宣言し、この欧州の依頼による、ウクライナへの農産物の購入資金拠出にも応じていた。
結果、お金か、防衛義務を迫られ、シーレーン防衛と穀物輸送は、今やアジア諸国と、インドが専ら担う事が、世界的なコンセンサスと成りつつあった。
しかし、このEUからの、国民の人命(兵員の供出)に関する危険が伴う『高圧的な命令(旧植民地の人命を軽んじていると)』と、受け止められた提案は、過去、彼等の植民地でもあった、インドと、東南アジア諸国(APEC諸国)の国民感情を異常に刺激していた。
アメリカだけでなく、世界にも、自国第一主義(我儘)の風潮が吹き荒れていた。
世界を俯瞰し、民主的に利害調整が、出来る指導者(国)の不在は、人類にとって『最大公約数』が、無くなった事と同義語であった。
しかしEUの執る、此の態度の根本が、公正公平に、世界に、平和と安定の負担や責任を求める。
という思想に基づく事から、アジア等の、欧州の旧被植民地国家の過去の歴史的『被害』感情に基づいた要求は、相対的には、国際的な説得力や支持を得なかった。
此れは、欧州の旧植民地所有国家や、地域から言葉や、文化を奪った旧宗主国と呼ばれた国家に対し、『深く反省させる事』をEU諸国。特にCFAフランの“或る種”当事国でもあり、旧宗主国でもあったEUの中心国でもあるフランスやスペインのエスタブリッシュ層や、政府が、自国のみならず“EU全体の選挙民”に依って『強く。その姿勢を求められた』。からであった
その主体となったのは、ドイツ東部を筆頭とした農民層や、元々植民地とは無縁だった、北欧と呼ばれたスカンジナビア諸国や、欧州中部の新規EU加盟国でもある、ハンガリー等の、最も『利己的(反動的)』と思われていた東側(旧共産圏)の一般国民であった。
彼等は、元々は、ロシア等の権威主義国(強い者)に指導される事に親和的であり、好意的だった。
旧東側と呼ばれた、EU加盟国。
中でも、御身第一しか考えていなかった庶民(保守層)や、元は、ネオナチの支持層と看過されていた『農民層』は、EUの指導層が、アジアや、中東に負担を強いて、自身の産物が、EU域内の主要かつ重要な戦略品目となり、実際、その事が、自覚出来ていた環境下で、米国と言う体制が、世界から消えた今『民主主義の砦』は、己である事を自認する人間へと変貌して行った。
基本的に彼等は、単純で『不公平』なエリート層の執る選択に対して、異常に懐疑的な『だけ』であった。
彼等は、現代の情報をオンタイムに入手できる世界で、再びソビエト的な権威主義の連中から、自由と民主主義を自力で勝ち取った『体制の根本』は自身である。
と云う自覚の下、国際的な指導国、その中核的構成要素としてのEU構成員『その根本の構成要員は、我々である』として、『自覚』を深くしていた。
此れは、後から、キリスト教の福音主義的な博愛精神の原発的な発露とも評されていた。
(唯、無宗教国な人々、特に世俗主義の人々は、その説を一切認めなかった)
結果、彼等は自ら自制的な行動を執る様に成って行ったし、所属政府、EUにも、同様な姿勢を望む様になっていた。
故に、EUは、インドや、東南アジア諸国(APEC諸国)の国民感情に対しても。正当に批判ができた。




