利己主義の影響(13)
(リーダー)
(アメリカの現状)
(三国志)
(リーダー)
日本の防衛に関する総予算は、既にGDPの2%と云う壁を破り、居残った在日米軍軍人も養う予算(思いやり予算)が、米国政府と言う実態が無き後、日本の周辺状況が客観的に詳らかにされ、国民が、その継続の可否を審判し、結果、在日米軍軍人も養う予算が、表立って組み込まれた関係上3%台に達していた。
EUに至っては、ロシア地域への常駐費用やウクライナ地域への復興事業も組み込めば、防衛予算は各国押しなべて、5%台に一時的ではあるが、到達しつつあった。
ただ、石田政権の後ろ盾による韓国政府の努力とNDFと言う新しい東アジア地域の政体により、東西シナ海の軍事的均衡と平和が齎された結果、此の地域の安定の為の軍事費は、民生部門に振り向ける事が可能な環境が整いつつあった。
その恩恵を最も受けていたのが、NDF構成国の核を成す新唐国であった。
彼等の純軍事予算は、旧人民解放軍と言う名称の下に居た兵員の福利厚生経費のみで、新規(開発)の防衛兵器開発調達の必要が無くなり、現役人(兵)員も、猛烈な勢いで削減されて行った。
旧人民解放軍(と言われた)の利益=運営資金の『源泉』ともなっていた傘下の企業群は、全て民間資本になり、各軍団(組織)から分離され、優劣が明確化し淘汰も始まっていた。
其処からの収益も、精査された後、地方政府と中央政府に公平公正、且つ、透明化を持って分配されて行く様に成っていた。
又、その幹部人員の人事も、新唐政府が、世界に対し透明性を担保した上で、管轄した(要は、中央による人事権の把握)と、文民統制が確立された結果、災害派遣の為以外の、如何なるエクササイズ(演習)もNDFを中心とした、東アジア地域の各国民から否定され、軍事演習費用の捻出の必要性は、理論上も、国民感情の上でも、無くなり予算措置に、純軍事予算の加算の『要』を当分の期間は『盛り込む』必要性が無くなって行った。
結果、新唐国やNDFの純軍事予算は対前年比でGDP比2%を下回り、その余った分が産業復興や福祉・経済予算(要は、国民に豊かさを享受・実感させる策)に回っていた。
共産党は無くなっても、このドラスティックな改革を断行し陣頭指揮をした、元党総書記でもあった、新たな全国選挙により選出されていた、宋大統領の支持率や人気その配下の新政党の支持率は、新唐国やNDF以外に、全世界的に高くなっていた。
結果、新唐国への備えであった沖縄の旧米軍基地は、既に自衛隊が管理してはいたが、残留する旧在日米軍に所属していた、基地環境の維持の為だけに存在していた元アメリカ軍人は、日本の国内法の指揮管理下に完璧に置かれ。此の中で、出身地域に戻らず、かと言って、自身のみの平和を謳歌する事態を『潔し』としない人員は、徐々に、その軍備と使用・管理する兵器と共に、主に市民的自由を骨子とした世俗主義を掲げる西部連合へ帰参するようになって行く『傾向』が強まり、結果、日本側が全額負担していた、人件(維持)費は、目に見えて減って行く事態が続いた。
(只、巨大な兵器や装備品=装置の移動費用に関しては、日本を含む、駐留(旧)米軍が、居た全世界が、その捻出を一切拒んでいたので、全装備品や装置が、本国の一方に偏在―主にオリジナル以外に戻るーする事は無かった)
日本や韓国、新唐を含む東アジア地域全体の『防衛予算』は、旧在留米軍が残した兵器をリバースエンジニアリングや対抗措置も、考えたが、新規兵器を開発する必要(需要)が、この地域の和平安定の為には必要が無くなったので、減少傾向は明らかとなって行った。
これら旧在留米軍が残していった不要な攻撃的兵器は、世界が見つめる中でモスボール化されて行った。
(『核』の無力化には、英仏両国が、協力を惜しまなかった)
北京語、広東語、上海語、閺語や客家語を基にした台湾やシンガポール等で『発音や習慣が“微妙に”異なる』が、同じ表意文字を言葉として使う地域間でも地域を司る政治指導部こそ異なれど、宋大統領政権の掲げる基本的な考え方の下、新唐を核とした、緩やかな結びつき(NDF)と言う方向性に進む事が、周辺地域の民意の核となって行った。
此のベクトルで、ウイグルや西蔵地域は、NDFへの帰属と独立の何れを選択すべきかの、民意が問われる様になって行った。新唐国の主たる構成民族である漢満族も敢えて共和国や表現に、表意文字を使用すると云った事をしなかったし、恣意的にNDF所属地域に、新唐的(漢満族的な)な文化の強制をする事も無かった。
150年前、所謂『列強国』による武力に訴えられ不当に奪われてた最後の地域(沿海州)の平和的、かつ世界が認める形で元々の民の下への奪還、帰属。この環境は、漢族や満族という、新唐の中核をなす民族にとって、大いに自信と自尊心を満足させていた。
唯、此の様な事柄に偏った『自尊心』を核として持つ偏狭な未だ自身を中華と呼び捉える、漢族系の民族主義者への支持は、新唐国やNDFの構成するどの民族からも、全くと言って良い程、得なくなっていた。
(時に、ドイツの右翼狩りの様な傾向もNDFは見せたので、国民は、自ら自主規制を強くした)
この様な国内環境や、漢満族の心根が大らか、且つ民主的に変化しなければ、宋が指導する、此の緩やかな連邦制は、達成できなかったであろう。
と日韓や西欧の自由で民主主義な政府は見ていた。
その様な環境下、インド太平洋条約機構(IPTO)軍を構成する諸国内と新唐国の代表との間で、相互覇権主義禁止条約(要は、新唐をIPTOは『仮想敵』とは見做さない取り決め)の締結が、韓国大統領主導で進められていた。
結果、韓国や沖縄の米軍は、欧州に駐留する米軍の残滓と共に、現実的、且つ、具体的に削減そして消滅の可能性が、『タイムテーブル』として具体的に俎上に上がって来ていた。
只、地域を混乱に陥れるに十分な、武力を未だ維持している地続きの北朝鮮は、韓国にとっては、単なる『経済的な御荷物』であり、この地域の唯一懸念される『不安定要素』であり、隣の、新唐国やNDFにとっても、韓国との緩衝材以外に生かして置く価値が無い『地区』に成り下がっていたので、規模が遥かに小さい、在韓米陸軍の存在は『沖縄の在日米軍』の削減や消滅といった、テーマよりは簡単であった。
そう既に、北の軍事力は、核を除き、南の単独兵力にも対抗できず、核や宇宙、海洋に措いても、隣国や日本から見ても、赤子の手を捻る様に簡単に潰せる程度の実力しかなかった。しかも新唐や韓国の諸々の援助無しで体制維持も、できる国力もなかった。
今や、韓国の成長は目覚ましく、国民一人当たりのGDPでは、自由陣営の東アジア3ヵ国(日・韓・台)の中で、二位、一位は何と台湾であったが、台韓の差は、三位の日本との差に比べ、微々たるものであった。
新唐と日本は国民の数で、辛うじて総合(GNP)で一位と二位をNDFで換算すると、世界一位を維持しているに過ぎなかった。
韓国と北朝鮮との経済格差は既に、どの数値を見ても、優に100倍以上。
但し北の面倒を韓国が単独で責任を負う事、又は、在韓米軍に匹敵する軍事的平和維持力(警察力)を韓国が独自に世界に対して保障保持する事態になると、単に世界(特に新唐と日本)が、韓国を見る目が変わるだけではなく、今維持している日韓の経済格差は、少なく見積もっても一気に七割以上迄落ち、其の上、統一等と云う事態になれば、今は、国民一人当たりのGDPで三位の日本との格差も優に、数倍という単位で離され、五十年前の自国の経済状況、平均すると一九八〇年代の新唐以下の国力。
要はNDF内でも、国際的にも、その発言力は、途上国並迄、落ちる事は、過去の西ドイツの例を鑑みる迄も無く、明白であった。この事実を国民は、許容は出来ない事も、明白であった。
其の上、現状程度の経済力に回復する迄の期間は、全く読めない位、長きに渡り、国力が割かれる事を韓国国民は、常識として解っていた。
故に、彼等北朝鮮の存在を最早『同胞』ではなく『御荷物』と感じる人口が、韓国では、圧倒的な大多数となっていた。
又、自国で全負担する軍備より、かなり維持費が安く、世界的なプレゼンス(存在感)も大きいIPTO軍の一員となる事。
故に、韓国大統領(政府)は、在韓米軍に代わる存在としての、インド太平洋条約機構(IPTO)軍。
そのリーダーとして振舞う事に『主眼を置き』統一事業とは、極力、距離を置き、幾ら北が、何を叫ぼうとも、彼等の存在を時に無視するようになって行った。
故に、今、韓国は、国民(男子)の徴兵制の維持、要は、北に難癖をつける為の言い訳に過ぎなくなって来ている事が、最大の国内問題でもあった。
一方で、この隣の新唐を核とするNDFにとって、日本の軍事力の相対的プレゼンスの低下。
台湾を既に一部と見做さなくても良い(一部の民族主義的漢族を洗脳する必要が無くなって)彼等が内海と考えていた地域の独占や、開発を公にする為の軍事力の保持の必要すら、無くなった環境の醸成が、有って、初めて彼等は、自国の一般全国民を豊かにする為『だけ』に国力を割く事が可能になった。
要は、新規の軍事費用(列島線等と云う領土の維持のための経費)の捻出を全く考慮しなくても、良くなって来ていた。
その費用は民生部門に回せた。
この政策は、台湾やシンガポール等NDFを構成する核心国からの投資も生み、今や、宋とその政権与党の支持率は盤石なモノと成りつつ見えた。
世界で最も『先進的』な技術力を持つ日韓、EUの協力も得易く、安全に相互利用し易くなる環境が醸成できた。カシミールで国境紛争を未だ抱え、世界人口が現状では一位のインドも、早晩、ライバルとは『言えなくなる』と、宋は実感出来ていた。
又、自国を西側の価値観に基づき『市場』として旧米国を除く西側に開放した結果、彼等も、我々にとっての有望な『市場』とする事が適う様に成って来た。
旧政権が掲げていた『一帯一路=現代のシルクロード』は、実現すべき『政策』として、世界的に希求される様になって行った。
宋と、その政権与党は、初めて、強権や監視によって国民や世界を威武する事の『愚かさ』を実感していた。
自由で、民主的に開かれた『自国・連邦の民』が豊かになる事は、自動的に、この地域。いや世界に於ける経済的なプレゼンスが、勝手に上がり、世界で一番自由な地域は、下手をすると世界で最も、人(才能)が集まり、結果、豊かな地域になる事を意味していた。
此処が最も文化的で豊かな国・地域に変わり、自身が其処のリーダーに生まれ変われる事が自覚出来ていた。
そう、世界の経済だけでなく、文化にまで大きく影響を及ぼした、古代の大『唐』国の復活が現実のものになる事が、宋と、その政権与党には自覚出来ていた。
只、その為には自制が必要であり、新唐やNDFの『独り勝ち』を厳に戒めなければならないと云う決意もあった。
故に、宋は、石田や山田の意見によく耳を傾け、台湾や西蔵、ウイグル等の地域の民意にも注意を払う様になって行った。
香港・澳門は、台湾の意見をその根本に据えていたが、既に、国際的な経済の主導権は、NYや東京から、台北と上海に移っていた。
この四〇年以上に渡るブランク(世界的信用の失墜)は、香港の経済界には、可也の痛手でもあった。
宋は、その現実を良く噛み締めていた。故に、彼の政権は、性急な香港の失地回復策は、執ろうとはしなかった。
石田達(日本)からは、世界のリーダーになる野望を微塵も感じ無かった。
彼等は我々を含む、此処地域の絶対的な信頼を得る事に、精力を傾注し、何故その様な努力が必要なのか?と言う彼等の考え方を宗自身が、佳く理解していた。
彼等も国内のマインドをドラスティックに変える事(悪い意味での日本民族主義者の打倒)に、汲々としている事が解ったからでもあった。
そしてその方法には、ラジカルで暴力的な手段が『全く含まれていない』事も理解できていた。
強いて言うならば、宋の直接のライバルは、韓国大統領だけであった。
石田や山田達は、客観的(第三者的)な視点を持つ、彼のご意見番でも、あり。
日本の過去に於ける失敗は、香港以上に反面教師でもあったからだった。
故に、地震多発地帯でもある我国の四川地方や台湾、日本との間で、国際的な緊急事態への対応(即応)部隊を作るという石田達の提案を具体化し様と考えていた。
日本の沖縄は、其の施設が『居抜き』で残っている事実を宋とNDFは、見逃さなかった。
此の国際的な部隊に関して、韓国はオブザーバーには成れても、主導権を取る経験も実力も無かったからだった。
(アメリカの現状)
CNNなどアメリカのメディア、アメリカからの報道は、より一層、偏ったものとなって行った。
リベラルで、どちらかと云えば西部連合、北部エスタブリッシュメント寄りな、CNNや3大ネットワーク。
コンサバティブと云うよりオリジナルのスポークスマンと化したFOX。
カナダやメキシコから断片的に齎される情報は、これ等のチャンネルをニュースソースの基にしていたので、正確な現状をアメリカと呼ばれた地域以外の世界は、把握する事が出来なかった。
日本の橋爪は、ヒューミントである山本等から齎されるローカルソース(SNS)からの情報と、これ等の情報を照らし合わせ、現状のアメリカ三派の正確な立ち位置を把握していた。
この情報は、勿論、日本政府(石田や山田達)のバイアスが、かかっていたとしても、より中立的な情報として、アメリカ抜きのNATOが加わった、QUADからFSDと名称を変えた(日豪印)と韓国や台湾。そして一部のASEAN。要はインド太平洋条約機構(IPTO)軍の政治対話機構にも、『共有』されていた。
今や自由主義地域へと変貌しつつありNDFの核を成す新唐に於いては、其処から齎される情報を今や全ての報道機関が、党や政府の拘束から離れていたので、かつて香港に在り今や台湾に、本拠を移した『林檎日報』等の指導の下、自由で採算を重視した、独立(多様化した)各地の報道局が、各々の立場に則った切り口で報道していた。
この情報の中で特に重要だったのが、最前線でもあるテキサスに居るマクレガー一家からの情報で、日本の情報偵察衛星から齎される高解像度の画像と、彼等から齎される情報を照らし合わせる事が出来たのは、橋爪(と刈谷)の率いる、防衛省の情報管理室(インテリジェンス部門)だけであった。
勿論、独自の偵察衛星を持つ、新唐やEUも同じような高解像度の情報を持っていたかも知れないが、テキサスと言う、最前線にヒューミントが居て、カリフォルニアと言う、西部連合の中心にもヒューミントが居る、日本からの情報は橋爪達が独占していた。
沖縄の在日米海兵隊のかなりの白人兵が、帰国を望んだのも、この様な日本側が切り取った情報を日本で見る事が出来たからであった。
米国内のSNSは、旧新唐以上の強度と精度でクローズドネットワークとなって、偏った情報を拡散していた。
対外的な情報発信は、自由にスターリンクが使えた西部連合と、北部エスタブリッシュメントの支配地から、しかも彼等のバイアスがかかっている情報だけ、であった。
中西部やオリジナルの支配地域の客観的な戦況情報や情勢を把握できたのは、対外的に閉ざされた、ネットワークに自由にアクセスできる、米国内に居たヒューミントの山本達が主力であった。
それ程アメリカの各政府の対外情報統制は、技術的に徹底しており、如何なる海外からのハッキング(情報に対するアクセス)も阻止されていた。
FOXやCNNと言った、旧国際メディアが発信する情報も、カナダやメキシコと言った隣国ですらチェックする事が、今や厳しくなっていた。
これを世界は『米国の鎖国』と呼んだ。
只、米国。特にオリジナルや日和見の州は、鎖国政策を採っても、最先端産業由来の収入は得られなくても、十分文化的、且つ、経済的に自領の国民に対し、食料や燃料を供給でき継戦できるだけの、あらゆる国内産資源を有しては、いた。域内。特に、西部と北部の民生品に関しても然りであった。
只、それ等は、世界に窓を開いた西部連合を除き、前大戦=一九四〇年代レベルの品質でもあった。
旧米国民。特にオリジナルと北部連合に住む人々は、世界や、お互いの経済封鎖政策により、既に一年以上、最新のモノや価格動向を知る事が出来なかったので、この価格(通貨価値)で。過不足なく買える、四~五〇年代の品質が『普通だ』と感じる様に、此の一年で変質して来ていた。
この様な情報も、日本は、恣意的に在日米軍の将兵に伝えていた。只、可也の在外米兵は、戦闘(内戦)の実態も、そのレベルと勘違いしていたのが、大きな誤算ではあった。
此の山本からの生情報は、在日米軍や在韓米軍の将兵の意向を左右する様になっていた。
故に、当初、彼等の帰還作戦を練っていた橋爪や刈谷達は、彼等には『もう少し』現地に居て貰い、生情報の発掘と送信の労を依頼せねばならないという結論に達しつつあった。
只、山本の妻は、そろそろ息子(城)と共に過ごさせねば、反乱(癇癪)を起こし、それは山本に伝播する事は、十分想定できていた。
補充人員や補充装備の現地への配送。そしてキャサリンの帰還。
それが海上自衛隊(田中玲子一佐)へのミッションに、僅かこの数日間で変質していた。
昨日朝の会議で、自衛艦の中で最も水中速力の速い『たいげい型』の最新艦が、既に呉を出港し、今は小笠原沖を遊弋していた。
当初ハワイまでと考えていたが、関係が、良好になってきている『西部連合』とは言え、インド太平洋軍の基地があるハワイ・オアフ島に、何の了解も無しに、日本の潜水艦が、秘かに行く事は、何かと『誤解』を生じざるを得ず、ピックアップポイントは、山本や田中が拠点を構えるパサディナ近郊LAのビーチ付近の海では、水深が浅く、又、如何に、静粛性に優れた『たいげい型』とは言え、沿岸警備隊に発見される『危険性』は、全く『無い』とは言えなかったので、同じカルフォルニア州でも、パサディナから陸路で300キロ未満にある、水深が比較的深くダイビングスポットしても有名なモントレー湾近郊がピックアップポイントと決まった。
この突如の変更に対処する為に、足の長く速い、且つ海上に着陸できる、US2に補充人員や補充装備を乗せ、小笠原沖(硫黄島付近)海上で潜水艦とランデブーさせる事が決まった。
この件に関し、田中は姉経由で了解し、山本は、キャサリンに因果を含めて貰う事が、刈谷より通達(依頼)された。
そうキャサリンのみが帰国し、城と会う。
日本に居る、佐野にもキャサリンが因果を含める。という話し合いが、その日のうちに決まった。
又、補充要員には、多少の自衛用火器と出来るだけ、民間人らしい潜水具(ウエットスーツとBCD)で来るように指示を忘れなかった。
田中と山本は、当地の正確で客観的な情報が、数年前迄の様に、世界には、行き渡っていない事を自覚した。
「アメリカなのになあ」
山本は、呟かざるを得なかった。でも、確かに此処(西部連合の一方の拠点であるカリフォルニア)から発信される国内情報にも、何らかのバイアスが掛かっている事は、自覚できていた。
元々は青い州(民主党)の金城湯池であった、カルフォルニアや西海岸の地域と、元は根っからの赤い州(共和党の地盤)のテキサスが手を結ぶ等と云う事態は、当初、誰も予想出来なかった。
しかし、当地に来て、実態を実感すれば『さも当然』な帰結でもあった。
世界、いやこの様な国内事態だったので、海外に残る在外米軍将兵は、正確な国内情報、その分析結果を強く求めていた。
居残りを決めていた将兵等は、米国内(主に西部連合)から得られる情報と、駐留地(日本)で得られる情報を比較する事が出来る、唯一のアメリカの政府系人員でもあった。
故に彼等は、危険な本国に戻り、自らだけではなく、家族の命を危険な環境に晒す事、即ち、当地を離れる事が難しくなっていた。
キャサリンは、国内情勢を噛んで含んで話し、橋爪以下日本の首脳部だけではなく、既存メディア以外に佐野を通じてSNS経由で(会社のSNSやWEBを通し)広く世界に、米国内の実情を伝播してもらう必要性を山本(夫)と共に強く感じていた。
其れだけ、未だ、西部連合、いや全アメリカのポテンシャルは、侮れない。と、キャサリンも山本も田中も信じていた。
「奴等だって、何が、自分に都合が良いか、悪いか、の取捨選択位は、しているだろう」
此れが彼等の秘匿活動(このスパイ活動)に対する見解でもあった。
アメリカ国内の実態を包み隠さず世界に伝える事は、時に西部連合にとっても『都合が良い』とは言い切れなかった。
それ程、西部連合のオリジナルに対する憎しみは、強かったのかも知れない。
そして、その様な空気感は、此処に居ても、隣人からも、ひしひしと山本達は、感じていた。
「頭の悪い、言葉の真意が通じない、理解できない偏狭な考えしか持てない連中は、同じ米語(英語)を話せても、同じ国民(同胞)ではない」
「もう淘汰(駆逐)するしかない」
此れが西部連合の首脳部。非白人を含む西部連合のエリート層の考えの根幹にあった。
此の言葉を、ハイソで、此処で高等教育を受けた、二世の華人クラスである、隣人の口から聞いた時、この思いは確信に変わった。
「一種の(ナチや旧帝国に在った)『優性思想』に、近いかも。」
彼等の言葉を受け、田中は、小声で、日本語で呟き。山本も大きく頷いていた。
此れがリベラルと言われていた、この地域の住民の平均的な感覚であった。
この様な空気感を日本(在日米海兵隊員達)に伝えるべきか?山本やキャサリンは、悩んだが、この秘匿して撮影されたインタビューは、直接、佐野に連絡し、メディアに落とし、発表は、日本政府以外の自由な報道に任せよう。と決めた。
彼等は既にヒューミント(スパイ)と云うより、プレス(報道)に近い感覚を持っていた。
この情報は、佐野経由、日本中のプレスに、瞬く間に行き渡り、結果、山本等の補充要員の中に一般プレス(多様な考え方を持つ民間人)を入れる必要性を強く山田は感じ始めていた。
「しかし“未だ”時期尚早か?そこ迄、政府や民間報道機関は、記者の命を担保できんしなぁ…」
彼は、非武装の民間人(戦い方を知らない一般の日本人)の安全性の確保だけが『問題』と考え始めていた。
内戦開始から間もなく二年、隣国が新唐となり、NDF(新民聯/連)という形で東アジア圏が纏まり始めて半年。石田政権は既に、前政権の任期を通り過ぎていて、日本国内もドラスティックと思われてた考え方が、常識と成ろうとしていた。
(三国志)
オリジナル、北部連合、西部連合は、各々魏、呉、蜀の様相を帯びて来ていた。
只、勢力的には基も弱いが、正当『蜀漢』の立場がオリジナル、であり、最も強力な『魏』の立場が、西部連合、『呉』の立場が北部連合であり、『蜀漢』故に日和見州と呼ばれた田舎の州は、一応、前回選挙で選ばれていた『大統領』が居るオリジナルの側に付きつつ、フリーハンドな立場を維持していた。
そして史実の三国志と異なるのは、魏呉(北部と西部連合)が比較的緩やかの同盟関係があった。
が“蜀”であるオリジナルは、彼等と、決然と対峙していた。という点であった、
只、この、魏呉は何れ(の主張や主観)が、この地域(合衆国)の主導権を採るかで揉めていた。
故に、最も軍事的にも経済的にも弱いが、利己的なオリジナル(蜀)は生き永らえていた。
しかも、この散発的に得る事が出来た情報の結果、在外米軍のかなりの上級指揮官(士官)以外。
そう兵卒や、主たる部隊の、行動(運営)主体足る独身や若い下士官が帰国地として選んだのが、このオリジナルであった。
結果、使用する兵器の内容や質にも寄るが、戦闘は、四~五〇年代のそれとは異なり、熾烈で凄惨を極め始め、結果、今、ワシントンDCからテキサス東沿部迄の中心都市は、このオリジナル対、西部連合の凄惨な戦闘地域となっていた。
北部連合は、損害を最低限に収める事、要は、自分のテリトリーの保護に終始し、オリジナルと西部連合との諍いに関しては、静観を決め込み、趨勢は、高性能兵器や、合衆国が、かつて整備した情報網を“駆使”できる西部連合の『圧勝』と云う形で帰着しそうであった。
しかし、北部連合は、あわよくば、この戦闘で弱った『西部連合』から覇権を奪い、漁夫の利(合衆国内での主導権)を狙おうと考えていた。
故に、その様な北部連合の考えが露見し始めた頃から、西部連合は、核と化学兵器以外の人的損失が最も少なくて済む、戦闘方法を採用(特化)し始めていた。
その点が四~五〇年代のそれとは異なり、戦果が、凄惨を極める原因でもあった
この様な情勢分析や戦闘内容が、日本のヒューミントからの情報を基に報じられると、いよいよ、沖縄や韓国、欧州の若い独身米兵は、オリジナルの下へ、馳せ参じる事を希望し始めていた。
無慈悲なAI機械対人間の戦争、其処には凄惨さ以外の何物も無かった。
唯一、核と化学兵器のみが、モスボール化(有っても使用不可能化)されている事だけが“望み”ではあった。
機械(西部連合の兵器)には『情け容赦はなく』機械的に危険と判断すれば、オリジナルの兵隊やオリジナル地域に住む人々(民間人)を年齢や性別を問わず、徹底的に殲滅(殺戮)(西部連合御に言わせれば環境の正常化を)して行っていた。
当にオリジナルが設置したウォールの様に、パレスチナに於けるイスラエル軍の様な一方的な蛮行風景が、動画付きで報じられていた(報じられる動画は、山本やイアン経由で、オリジナル側から撮影された物なので、脚色がされていなかった)。
故に、凄惨さが際立っていた。
此れが若い兵隊の闘争心に火を付けた様でもあったが、それだけに、知識や、教養、そして家族や、立場がある上級士官や、年配の兵員は、その様な場所へ行く事を躊躇っていた。
結局、最期の方は、兵員を乗せたC17は、全てオリジナルの支配地区へ五往復する事となり、沖縄の海兵隊の戦力は、悪く言えば壊滅的なダメージを受けていた。
山田や沖縄県知事の読み通りの展開に沖縄の状況は変わって行き、新唐の宗首相(今や総書記と云う共産党風の肩書ではなくなっていて、NDF大統領が、その上に”名目上”いた)が、新唐を民主化した結果、自由市場として”大成”させるのが”少しでも遅かった”ら、と、石田総理や、台湾、韓国やカタガルガン(フィリピン)の大統領は、感慨にふけざるを得なかった。
新唐を核とするNDFの構成諸国民は、自由を謳歌しただけでなく、新たな西側(自由主義市場)として新たな市場を獲得し、自身も開かれた市場としての努力を欠かさなかったので、新唐は旧体制に比べ国民全体の生活が向上して行く実感を持てていた。
ただ其処には、能力による貧富の差が確実に表立って出てきてはいた。
しかし宋の政権は元共産党らしく、社会的セーフティネットの構築に関しても、抜かりはなく、再雇用の為の。再教育プログラムと言う救済策を完備していた。
「石田さんや山田君の“読み”は、適確だな」
盧溝橋で、石田と宋と云う両国首脳が行ったハグ(平和宣言)の後、宋は、ぼそりと呟いていた。
此のハグは、一応、韓国大統領の仕切りによるモノであり、この両名の姿で“アメリカ抜きでも全世界は、秩序ある自由主義の下、民主的に、やっていける”と言う安心感を齎せ(もたらせ)た。
新国連の肝煎りで、東西シナ海地域と沿海州・樺太地域(旧オホーツク海域)と旧ロシアの原潜の潜伏地でもあった北海とバレンツ海域の秩序ある海上運航(各国の権益と監視が及ぶ“領海”や“領域”の解消)が決議され、これらの地域の海底を含む全自然資源開発を当分(基本、地球環境が回復すると見込まれる百年以上)中止(国連の監視下に置く)する事や沿岸諸国による自然環境と漁業資源保護協定が議決された後でもあった。
其処には、新国連が監視する、日本の技術による完璧なソーサス網も設置され、如何なる国の潜水艦も配備・潜航したままの航行をする事が禁止されていた
新唐は、前政権が希求していた『列島線』とか『革新的利益』いう概念を持つ事の無意味さを実感していた。
近隣からの信頼を勝ち取れば。近隣は自由に近隣諸国の港湾を自国の港湾同様に公正公平に使わせる事に何ら躊躇は無く、寧ろ、使用料を正当に透明性を持って公正公平に支払う態度を見せれば、彼等の資金で、其処は、より使い易い格好へ変貌してくれた。
旧ロシアとアメリカの強い影響が、世界から無くなった事で、産業革命後破壊されていた地上の自然環境の復旧、それに伴う地球環境保全が、内戦下の合衆国以外では、世界の関心事の第一義となっていた。
旧ロシア領のカムチャツカ半島と、昔言われていた地域と、カナダには旧合衆国全地域の環境監視装置や設備が、国連の指導下で設置されていた。
世界の平和を維持する為に、NATO、IPTO、が核となり、アフリカと昔はオリジナルが西半球と呼んでいた、南米では、同様な治安維持目的の連携を核とした、域内統一の軍事・警察組織の構築が始まっていた。
彼等は、NATOが、旧ロシア地区と、アラブ・イスラエル問題。
特に、アメリカと言う枷が無くなった事で暴虐の限りを尽くしていた、一部イスラエル民族主義者やイスラム系の原理主義者や民族主義者の掃討。
とドイツが核となって、平和的にユダヤ、ロマ民族やクルド等、昔マイノリティーと呼ばれていた民族の保護。
そしてアフリカの同種の平和安定の為の軍事・警察組織の構築をこの地域の『植民地支配』と無関係だった、日韓両国が、そして、オセアニア二ヶ国とカタガルガン(フィリピン)を主体とするIPTOがアフガニスタンなどのイスラム系原理主義者と、ヒンズー系とシーク教徒系の原理主義者の懐柔乃至は掃討を任され、世界には、宗教による、原理主義や規制を認めない、ロジカル(論理的)な世俗主義を第一義とする世界の構築が求められていった。(この方針は、インドの潜在的なライバルでもあった新唐が強くバックアップした)
この考え方は、世界二大宗教の総本山でもあるローマとメッカも承認した。
特に諸々、過去の経験値が蓄積されていた、ローマカトリックの動きは、世界的に大きな影響があった。
麻薬と自然資源がその収入の大部分を占めていた中南米は、メキシコと、運河収入で麻薬等から得られる資金と無関係に生きられるパナマ。そして南米の今やリーダーでもあったブラジルが主体となって、如何にこれ等の組織を撲滅するか?(富の偏在の解消)と云う、今迄合衆国が担っていた命題に取り組んでいた。
決定的に異なるのは、其処に関わる国(元合衆国)の思惑ではなく、其処に住む市井の人々の幸福を最大限に追求する姿勢を持つ事であったが、主体の一つであるメキシコの政体自身が、未だ、其れ等組織に浸潤されている病態である事、そして南米構成国の幾つかが、社会主義を掲げ、この命題は、既に自国では『解決済み』と云う姿勢を示していた事が、問題ではあった。
要は、ラテン的な自由謳歌体質が、この地域には悪い意味で染み付いていて、規則や規制に縛られる事を嫌う風土が問題でもあった。
只、各地域がブロック化し、そのブロックの中の経済で、全てを充足させる事を『歴史的な教訓』から強く戒め、これ等のブロック経済と真反対の概念で構築された『新国連』で世界は、一堂に話し合い、第三者的客観性と透明性を担保した意見を取り入れ、折り合いを求める場が『新国連(CN)』と世界組織である。という常識が、世界的に認知された。
故に、旧国連(UN)の様な常任理事国のような存在であった、大国の拒否権の行使は、基本的に強く戒められ。何れかの思惑に押し流す行為も、強く戒められた。
新国連(CN)は、旧ロシア領から産出され、得た権益を使い、唯一、生き残ったスーパーパワーである、EU※やNDF※2を含むIPTO※3に対しても、今迄の様な従属的な関係ではなく指導力を持つ様になって行った。
※(NATO。基本的に自由主義西欧諸国=EU)
※2(新自由民主連邦諸国/新唐、台湾、香港、澳門、西蔵、突厥と内蒙,・モンゴル・シンガポール)
※3(東アジアの日韓・台湾・モンゴルと泰越馬と印尼に豪新)
依って、従来の国連の様に、見せかけだけの公平性に囚われた、大国の思惑が絡んだ人選ではなく、CNの事務総長職。即ち真の意味での『最良の(アンド)候補者』の選考において、選考される者の出身地域と性別の平等に考慮すべき点が、より強調されたが、安全保障理事会の推薦(勧告)を受けて総会によって任命された、実力のある常任理事国の外交官が就任する様になった。
結果、中央シベリアに設けられた新しい国連ビル内の議場で選出された初代事務総長は、新常任理事国でもあった、日本のベテラン(強面と評判の)女性外交官であった。
イスラエルの極右軍事政権が、NATOとアラブ諸国により打倒され、パレスチナ国家が成立し、この地域で、ユダヤ人とパレスチナ人の主権国家が、EU。特にドイツを核とした、CNTSO(国際連合休戦監視機構)の下、平和裏に共存する事業が具体的に始まった頃、オリジナルの大統領は、西部連合の手によりあっけなく殺害され、その模様は、何と、全世界に向けてライブ配信された。
此処に西部連合と北部連合による、新しいアメリカが再建される事となった。
日和見を決め込んでいた諸州は、北部か西部かで旗幟をはっきりさせる事が求められ、旧合衆国内の日和見諸州は、勢力として、白人や黒人に虐げられていたネィテブアメリカンや、高等教育を受けビジネス環境の整備充実が、第一と考える、主に、アッパークラスに属していたアジア系や、多様性を重んじるリベラルな白人階層や、同じく高等教育を受けている若い女性が多く含まれ、宗教に対し、厳しい、世俗主義を執る西部連合ではなく、緩やか(宗教教義や存続の意義を認めた)で、現状を肯定する、北部連合に棚引いていた。
しかしアジアやオセアニアの諸国やEU諸国、要は、世界の自由主義スーパーパワーは、グレーの存在を認め宗教(的特権)に不寛容な西部連合との結びつきを先ずは選んだ。
この西北内戦は、三巴の内戦終結後も一年と少々続いた。
しかし、北西開戦の翌夏には、再度LAやSF、シアトル、ホノルル向けの、太平洋路線は再開され、山本と田中は其の、再開初便で無事帰国する事が出来た。
ただ未だ、旗幟を鮮明にする事を求めた、北部連合の主要都市である、NYやボストン、シカゴやフロリダに行く事は地続きのカナダ政府ですら、叶わなかった。
北部連合は、その様な世界に対しては、依存する必要性なく、孤立した状態(鎖国)でも、物理的にも精神的にも、その国民に豊かで文化的な生活が、保障出来ていた。
しかも、オリジナルの掲げていた世界(現状)の平和維持の為の安保『ただ乗り論』と云う理屈は、北部連合の市民の中にも浸透していた。
実際、在外基地負担が、北部連合から、真っ先に、全く無くなり、今迄国家予算内に計上していた対外防衛費予算は、全て民生部門に回せ、その額は、北部連合市民に『豊かな暮らし』を実感させるには、充分な額であったので、このオリジナルが掲げていた、安保『ただ乗り論』は、整合性と正当性が認知されていた。
しかも、精神的にも世界の面倒を見なくても構わないという『御標し(しるし)(お墨付き)』は、北部連合に属する全市民に安堵感を齎していた。
その上で、彼等は自身の考え方が世界秩序(道徳)である事を未だ疑っていなかった。
が、極一部の宗教原理主義者の民を除き、世界はその様な姿勢を認めなかった。
そして、彼等は、単純に自由世界(世俗主義世界)の民に執って、無視すべき対象者迄、成り下がって居る自覚は無かった。
欧州からは、先ずは、カナダ経由で、アフリカ大陸からは、ブラジル経由で太平洋沿岸を飛行し西海岸戦に行く事が求められ、全世界の大使館は、現西部連合の臨時首都になった旧テキサス州のオースティン以外に、戦火の影響を『全く受けなかった』西海岸の大都市(SFやLA)、副首都であり新国連本部から距離的に近いアンカレッジに多くの国々は公使館や領事館を設置した。
只、東海岸やテキサス東部を除く、中西部や南部と呼ばれ、特に、激戦場になった五大湖西部やチェサーピーク湾に注ぐ河辺の諸都市やガルフ(メキシコ湾)東部沿岸(フロリダ半島の付け根付近)の大都市の荒廃は人々の想定以上であった。
(中でもアナポリス海軍基地は、消滅に近い被害を受けていた)
戦場にはならなかったが、絶対を信じる人種(プロテスタント系/福音派キリスト教徒)が未だ残る一方で、最先進(西部連合的)で、現実的な世俗主義の考え方を有する人種も混在するNYや、ボストン等の大西洋に面した大都市や、フロリダ半島近辺の都市では、宗教や人種、階層的な対立が顕在化し、悪い意味での、古き良きワスプ的な自由が、幅を利かせ、FBIの様な中央(国家)警察の存在を認めず、警察権力(中央からの監視)の伸長も、議決できず、結果、強盗や盗難、略奪が横行していた(治安に関しては昔のアメリカの儘か、それ以下であった)。
其処が、相対的に物事を判断し、アジア的な規律や道徳・倫理観を維持する世俗的西海岸の諸都市や、論理を重んじる人が集うテキサスとの決定的な違いであった。
西部連合はアジア的な警察権力(治安の維持力)の必要性を人々が認め、論理なテキサス人も、此れを巧く機能させ、ガンコントロールに関してもカリフォルニア州が、元々慎重だった事もあり、民兵(市民)による自衛は最終手段(故に必要悪)であって、治安と中南米からの密輸品(麻薬)に関しては、(麻)薬に対し生理的、歴史的な嫌悪感を持つ中華系の人々を核として、行政に基本、任せ、それは徹底的だった故に、上手く機能していた。
結果、治安は旧来にも増して格段に良くなっていた。
とは言え、人々の自由の保障に関して重要な法規である、旧合衆国憲法修正第二条の精神は、論理的に且つ厳格に守られ、一部の原理主義者が諸悪の根源と名指しした、NRAも西部連合政権の指導下で命脈を保っていた。
その様な安定した西部連合の姿から、旧日和見州の中でも、カリフォルニアやテキサスに隣接したネバダとアリゾナ及び麻薬戦争に効果的手段を打てなかったニューメキシコは、州内の保守(伝統墨守)派の意見を大多数の住民が黙殺、又は、一部弾圧して、西部連合の麾下に属し、結果、ロッキー山脈を国境として、旧アメリカ合衆国は分断国家の道を進む事となった。
残る問題は、この旧合衆国が保管している核戦力の処遇だけであった。
西部連合は、日本が開発し、現時点では韓国政府のコントロール下に在る、あらゆるミサイルや地上配備型の核弾頭を無力化する装備を信頼し、旧NASAの頭脳が、自陣営に在る事も相まって、西部連合は、着々と情報公開を基本とする、対応の柔軟性を世界に見せ、新国連加盟の、準備を始めていた。
旧在外米軍の残存兵力の殆どは、西部連合に属し、旧米国在外基地は自然と解消か、西部連合も加わる、多国間管理(多国籍軍)に移行されて行った。
しかし、北部連合は、在外基地の負担が、全く無くなった事もあり、在外基地から回収した兵器や其の強大な軍事力(西部連合から奪い取る事が出来た“核”と、“宇宙戦力”)もあって、現状では未だ、『我が意が通らない事』に不満を述べる『だけ』の、御し難く、我儘な存在と、自由世界からは、見做されていた。
又、彼等の政権の中には所謂『お花畑』に生きる人種も少なからずいたし、LGBTQの主権を認める自由な考え方のグループも無視出来ぬ数で、存在として居て、客観的に見ると、北部連合も、多様性を許容している様でもあったが、その根幹にはプロテスタントのキリスト教福音派的な、絶対性が内在されていたのであった。
故に、新常任理事国内の論理的なグループには猜疑心が残り、結果、加盟国の一部から、『猛烈な反発』もあって、西部連合とは異なり、新国連から正式加盟を拒絶されていた。
世界の情報格差は、この頃には『ほぼ』無くなっており、フェイクと事実の見分け方も、『整備』されてきたので、皆が、宗教や信心由来ではない、多角的見解を選択出来、多角的な意見を発表できる環境が、旧米国地域(北部連合専有地)を除き、整えられていた。
新国連の議決方法では、全会一致を原則求めはしなかったのだが、北部連合に内在する、思想的な危険性の方が、世界的な利益(一体感の維持)よりも強い。と判断する勢力が、圧倒的多数派だったので、その加盟を拒絶したのでもあった。
フロリダは、一応、北部連合の傘下には属していたが、最も先鋭的で、豊かな白人階層の土地でもあり続け、その北部連合の民意に於ける、一方のワスプ的な考え方の『核心』でもあった。
彼等の存在と発する意見が、新国連の猜疑心の根源でもあった。
端的に言えば、彼等はオリジナルの残滓とも看なされていた。
北部連合の進歩的な指導部にとっても、彼等の扱いは頭痛の種でもあった。
只、悪名高く、質が悪い事に、巨大な財力と企画・行動力も有る、ウォールの製造開発元は、北部連合の専有地でもあるフロリダ(マイアミ)に本拠を構えていた。
彼等が一定の勢力を維持する北部連合の支配地域では、荒廃した領地(都市)の復興の前に、ロッキー山脈の西部連合との境界線にこの装備を重点配置した。
その上、北部連合。特にオリジナルの残滓は、この荒廃した地域の復活という内需(特需)からも、潤いと勢いを取り戻しつつあった。
彼等の標語は当に(まさに)MAKE AMERICA GREAT AGAINであった。
一方、自由世界に再参画した西部連合は、新たに出来た、NDFという市場の旺盛な購買力と輸出力により、その活気(人々の生活レベル)は以前にも増して強くなった。
結果、幾ら北部連合が、アメリカ合衆国と云う名の下に再統一を幾ら叫ぼうとも、この環境下で旧米合衆国の分断は決定的となって行った。
了




