シオン編
訓練場に響く足音は、金属的でありながらどこか優雅だった。アンドロイドたちが一糸乱れぬ動きで訓練プログラムをこなす中、一機だけが群を抜いている。彼女の動きは、計算され尽くした精密機械そのものなのに、なぜか有機的な躍動感を帯びている。
……すごい。でも、どこか危うげな完璧さだ
私はメモ帳を握りしめ、観察席の隅で記録を取っていた。今日の任務は、候補となるアンドロイドに目星をつけること。確かに、この圧倒的な格差の前では、自分の評価力に不安はある。でも―
私がスカウトしても、きっと…いや、でも……。
呟きかけて、首を振る。卑屈になるのはもうやめよう。この研究所で成績が振るわないのは事実だけれど、それでも私はここにいる意味を探したい。
視線を向ければ、他のアドミンたちも一様に彼女に見入っている。しかし、彼らの会話はどこか冷ややかだった。
「あいつはやめといた方がいいぞ」
「そうだな、『問題児』って呼ばれてるらしい。前任のベテランアドミンと大ゲンカして、契約解除されたんだって」
「まぁでも、あのスペックはどうだろうな。性格を差し置いても余りあるんじゃないか?」
胸がざわつく。噂は聞いていた。最近入所してきた、桁外れのスペックを持ちながら、協調性ゼロのアンドロイドがいるという。
手元のタブレットで彼女のデータを確認する。
【《SH-10N》 シオン】
身長:164cm
入所日:2093年4月13日
出所日:2094年4月12日
メーカー:Nadir Works
備考:全ての能力において規格外のハイスペック。ただし、協調性無し。自己の判断を優先し、他のアンドロイドを危険に巻き込む可能性有。取扱注意。
……彼女は、誰にも理解されていないのかも。
ふと、そんな思いがよぎる。この完璧なスペック表の向こう側に、もっと別の何かがあるような気がした。
訓練終了のブザーが鳴り響く。アンドロイドたちが一斉に出入口のゲートへと向かう中、シオンの周りにはすぐに人だかりができた。複数のアドミンが我先にとスカウトをしている。
しかし、彼女の表情は曇っている。むしろ、諦めに似た表情を浮かべている。
…ダメ元で、声をかけてみよう
胸の高鳴りを抑えながら、一歩踏み出そうとしたその時、シオンの視線が、人垣の隙間からまっすぐに私を捉えた。
っ!?
思わず目が合ってしまい、慌てて視線を逸らしそうになるが、こらえる。心臓がドキドキと騒ぐ。なぜ私を見ているのだろう?
視界の端で、彼女が動いた。アドミンたちの輪を、無造作にかき分けるようにして。
「ねぇ、キミ。私のアドミンになってくれない?」
澄んだ、しかしどこか期待を含んだ声が、私の真上から降り注いだ。
私に……?
ゆっくりと顔を上げる。そこには、琥珀色の瞳を細めて、どこか探るような表情をしたシオンが立っていた。
「っ!?は、はい!なんでしょうか?」
声が少し上ずってしまうが、今回は逃げない。
シオンは少し首をかしげると、口元にほのかな微笑みを浮かべた。
「聞こえなかったかしら?」彼女の声は柔らかく、「私のアドミンになってって、言ってるの」
「あ、えっと…」
咄嗟のことで理解が追いつかない。
「なんで…私なんですか?」
シオンは無表情のまま、淡々と事実を述べる。
「キミなら、私のやり方に口出ししなさそうだから。その方が都合がいいの」
その言葉が胸にじんと刺さる。
確かに私は、アドミンとしての力量は未熟で、意見を言うのも苦手だ。
それを見透かされているのが情けない。
けれど―もしかしたら、彼女は私のそういう部分を見越して、逆に私を選んでくれたのだろうか。
「えっと、本当に私でいいんですか?実績のある他のアドミンもいるのに…」
「私は私のやりたいようにやるだけ。私が戦果を上げるから、あなたはただそれを見ていてくれればいい」
「で、でも…」
一瞬迷ったが、深く息を吸う。確かに未熟だけど、この出会いには何か意味があるはずだ。圧倒的な実力だが、性格に難があるアンドロイドと、成績の良くない私。もしかしたら、お互いを高め合えるかもしれない。
「わかりました。私があなたのアドミンになります。精一杯…サポートさせていただきます」
「えぇ、よろしく。私は《SH-10N》シオン」
その言葉とともに、シオンの口元にかすかな、しかし確かな微笑みが浮かんだ。
――
私たちはアドミンルームに戻っていた。
シオンはすっと椅子に腰かけ、涼やかな目で私を見つめる。
「今後のことなんですが…」私は慎重に言葉を選びながら口を開いた。「さっきの訓練を見ていて、いくつか考えがあって――」
「その必要はないわ」
彼女の声は優しくも、しかし確かに私の言葉を遮った。
「あなたの意見は要らないの。とにかく私を戦場に出して、あなたはただそれを見守っていてくれればいい」
「そ、そんな…」
アドミンとして、まったく信頼されていないのだろうか。胸が少し痛んだ。
しかし、これからシオンと共に歩んでいく以上、私は彼女の信頼を勝ち取らなければならない。
「分かりました。まずはおっしゃる通りにさせていただきます」
「それでいいのよ」
「ただ、一つだけ約束してください。どうしてもという時は、必ず私を頼ってください。私はあなたの味方ですから」
「そうならないようにはするわ。でも…万が一そうなったら、頼るわね。では」
そう言うと、シオンは軽く手を挙げて別れを告げ、アドミンルームから颯爽と出ていった。
――
その後、私はシオンのことをもっと深く知りたいと思った。
前任のアドミンに連絡を取って、話を聞いてみようとした。
しかし、あっさりと門前払いを食ってしまった。
「もうあんな欠陥品に関わりたくない」
それが、彼の口にした唯一の言葉だった。
確かにシオンには協調性がなく、これまでスタンドプレーが目立っていた。おそらく彼女は、誰のことも信じられずにいるのだろう。
だが、前任者のあの一言は、私の胸の奥で何かを燃え上がらせた。
「そんな…そんな言い方、ないでしょう」
声は思わず強くなり、熱を帯びているのを自分でも感じた。
「私があの子を、きっと導いてみせますから」
そう言い放つと、私は踵を返してその場を去った。
啖呵を切った以上、もう後戻りはできない。
アドミンルームに戻った私は、シオンの過去の訓練映像や戦闘データを徹底的に分析することにした。
――
数日後、衝撃的な事態が発生した。
アドミンルームで、戦場に赴いたシオンの戦闘を視界共有モニターで追っていた。
シオンは文字通りの一騎当千ぶりを発揮していた。彼女の動きは流れるような美しさで、敵の攻撃をかわし、精密無比な射撃で次々と標的を仕留めていく。戦場を疾走するその姿は、まさに戦闘の芸術と呼ぶにふさわしい。
しかし、その完璧な連続攻撃の最中、味方のアンドロイドと進路が重なって激突してしまう。
「!」
モニターの映像が激しく揺れる。
そのほんの一瞬の隙を突かれ、敵部隊からの集中砲火を浴びせられた。
「シオン!?聞こえる!?応答して!」
私は思わずモニターに手を伸ばし、叫んだ。
しかし応答はなく、モニターは静かに真っ暗に変わった。
――
しばらくして、シオンは回収ドローンによってアドミンルームに運び込まれた。
その姿は無残で、全身の装甲には無数の傷が刻まれ、所々で肌装甲が剥がれ落ちている。左腕は肩からもぎ取られ、右足は膝から先が失われていた。
冷たい床に横たわる彼女の姿に、私は駆け寄った。
「シオン!返事して!」
跪き、彼女を抱き起こすようにして声をかける。
「ふふ、やっちゃった……」
かすれた声ではあったが、彼女の口元にかすかな笑みが浮かんでいるのが見えた。
よかった、コアユニットは無事なようだ。これなら部品を交換すれば修復できる。
「待ってて!今すぐ直すから!」
私は必死の思いで工具箱を手に取ると、修復作業に取りかかった。
棚から予備の左腕、右足、そして大量の交換パーツを抱え、シオンの傍らに置く。工具箱を開け、損傷箇所の修復に着手する。
「ここまで酷いと、直らないわよね。諦めて、廃棄処分にしてちょうだい」
「そんなことできるわけないでしょ!私が必ず直すんだから、静かにしてて!」
シオンの設計データや身体機構については、ここ数日で徹底的に頭にたたき込んでいた。廃棄なんて絶対にさせない。
深呼吸して心を落ち着かせると、一つひとつ順序立てて作業を進めていく。
「ねぇアドミン、目の下にクマができているわ。どうしたの?」
「なんでもないよ。ちょっと夜更かししてただけだから」
「そっか……ごめんね」
シオンは何かを察したように、かすかに微笑んだ。
シオンの損傷は予想以上に激しかった。外見からも十分に深刻だったが、背中のパネルを開けて内部を確認すると、さらに悲惨な状態だった。
それから二日間、私はほとんど飲まず食わず、眠りもせずにシオンの修復に没頭した。
その間、私たちはたくさん話をした。シオンのこと、私のこと、前任者のこと――お互いを理解し合うために、言葉を交わし続けた。
そしてついに、シオンは自力で立ち上がり、数歩歩けるまでに回復した。
「よかった……これで最低限の機能は回復したね」
「ええ、ありがとう、アドミン」
「うん、どういたしまして」
私はモニター前の椅子に深く腰かけ、背もたれに身体を預けた。疲労が一気に押し寄せてくるのを感じる。
シオンが何か言いたげに、もじもじとしているのが見えた。
「……何も、言わないの?」
シオンが恐る恐る口を開いた。
「えっと……何が?」
「その、私……アドミンに迷惑をかけてしまったから……」
「シオン……大丈夫だよ、私にできることはこれくらいだから」
「ううん、そんなことないわ!ごめんなさい、私本当に……」
俯いて口を閉ざすシオン。
私は椅子から立ち上がり、そっと彼女を抱きしめた。
「うんうん、失敗くらい誰にでもあるから、落ち着いて――」
その瞬間、目の前が急に暗くなり、意識が遠のいていくのを感じた。
――
気がつくと、自室のベッドの上だった。
シオンがベッドの傍らで、心配そうな表情で私を見つめている。
「アドミン、よかった……目を覚ましてくれたのね」
「うん……シオンが運んでくれたの?」
「ええ、急に崩れ落ちたから、本当にびっくりしたわ」
「そっか……ありがとうね」
少し間が空いた後、シオンが静かに口を開いた。
「アドミン、私……これからどうすればいいのかな」
「どうするって……何の話?」
「これ以上、あなたに迷惑をかけたくなくて」
「……シオン、迷惑なんて気にしなくていいんだよ。だって今、私がここで休んでいられるのも、シオンが助けてくれたおかげだし……お互い様だよ」
「でも、アドミンは私のせいで倒れたじゃない」
「シオンのせいじゃないよ。むしろ、私がきちんと意見を言えなかったから、あんなことになったのかも……」
「……アドミン、これからは……少しだけなら、あなたの意見も聞いてみるわ」
「少しだけか……でも、それって大きな進歩だね。えへへ」
私は安心したように再び目を閉じた。
――
翌日、私たちはアドミンルームにいた。
「ねえアドミン、今日の訓練はどうする?」
「うん……新しいパーツがまだ完全に馴染んでいないだろうから、今日は軽めの訓練にしよう。焦らずにね」
「そんなの気にしなくていいわよ。多少の――」
「シオン……?」
私が真剣な眼差しで見つめると、シオンは少し不満そうな表情を浮かべた。
「……わかったわ。今日は軽い訓練で」
「えへへ、ありがとう。わかってくれて」
「あなたが私のアドミンで……よかったわ」
「急にどうしたの?」
「別に……ただ、少しだけ信頼しているのよ、アドミン」
「うん!少しだけね。じゃあ、行こうか」
私とシオンはアドミンルームを出て、並んで歩き始めた。肩と肩が触れそうな、ほどよい距離を保ちながら。




