第6章 二つの時間 一つの運命
二度目の電話のベルが鳴ったのは夕方だった。 伯母エレーナは、赤いプラトークを肩に掛けたまま受話器をつかんだ。
午前中にも一本、電話があった。
「子どもは預かった。元気だ。また連絡する」
たった数秒の通話。市内通話が無料のモスクワでは、こうした悪質ないたずらは珍しくない。だから最初は、また誰かの戯れ言だと思った。 けれど、どこか違う気がしてならなかった。
受話器を置いた後も落ち着かず、彼女は次々に番号を回した。 弟の家――留守。 学校――休日で誰も出ない。 ピオネールのリーダー宅――祖母が出て、「雨なら場所を移すって……」と、世間話を始めそうになったところで切った。
そして今、二度目のベル。 妙に大きく響いて聞こえた。
「もしもし」
短い空白。 やがて返ってきたのは、名を名乗らない低い声。午前のものとは違う。抑揚はほとんどなく、要件だけを告げる機械のような響き。
「金はあるか」
次の瞬間、かすかなざらつき――テープの再生音。 ミレックの声が流れた。
胸の奥がつかまれる。生きている。確かに甥の声だった。
「額の話だ」
伯母は机の上に帳面を広げ、引き出しから封筒を取り出した。 給料。祖母の年金。外貨の小切手――ドルとマルク。 欄外に印刷された「五月」の赤い数字が目に入る。
「ドルで」と男が言う。「相場が動く」
伯母はすぐに返した。
「だからこそ、最初に決めた額で」
返事はない。ただ受け入れたように、次の指示が続いた。
「今夜、八時。場所は……」
「橋の下でいい」
伯母の声は震えなかった。
「あなたたちが言う場所で構わない」
「一人で来い」
「一人で」
受話器を置くと、掌にじっとり汗がにじんでいた。 窓の外では、細い雨が糸のように降り続いている。
伯母は封筒の中身を数える。足りない気がして、窓辺の鉢の下から古い燃料券を取り出した。価値はほとんどない。だが数字の並びは、錯覚でも重みを生む。
白い布のトートを用意し、封筒を底に置く。上からスカーフをかぶせ、外からは見えないようにした。
玄関の明かりをつけ、靴ひもを結び直す。赤いプラトークで髪を覆い、胸元で軽く重ねる。
鏡に映ったのは、こわばった顔。
――これは取引ではない。運命そのものだ。
そう心に言い聞かせ、伯母はドアノブに手をかけた。 雨の音が強くなり、出発の時を告げていた。