第16章 壁の白
救出から10日後――
灰色の部屋。窓はすりガラスで、外の形は見えない。机の上に白紙と鉛筆。
心理士は、やわらかい目をしていた。声も低く、せかさない。
「ミレック君、ここに来てくれてありがとう」
彼は紙に丸を描き、その中に小さく点を打った。
「声を出せたのは、とても大事なことなんだ。君の声があったから、私たちは君を見つけられた」
ミレックは赤いスカーフの端を指で押さえ、うなずく。声は出さない。
「つらいことは、言葉にしなくてもいい。でもね、君の声は消えなかった。それが証拠なんだ」
心理士の言葉は、石のように重くはなく、ただ胸に残った。
伯母が横で聞いている。膝の上に置いた両手の指を組み、ほどいて、また組む。
彼女の視線はまっすぐだった。
「今日はここまでにしましょう。帰ったら休んでね」
心理士は短くそう言って、紙の丸を二重に囲んだ。
* * *
廊下に出ると、消毒のにおいが少し薄れていた。
掲示板のガラスには、白い指紋が曇りのように残っている。
写真が三つ。冬帽子の少年。校章の襟。笑っていない顔。
その下に、白い余白が四分の一だけ残っていた。
ミレックの足が止まる。
そこに、自分の顔が貼られている気がした。名前、生年月日、着衣の欄に「白/濃紺/白/赤」と書かれる姿が、はっきり浮かんでしまう。
その場所もすでに決まっていた。四分の一の空白――4枚目の写真の場所。
伯母は立ち止まらず、「こっちよ」とだけ言う。声は落ち着いていた。
だが、蛍光灯が一度またたくと、空白の四角が声もなくミレックを見返してくる。
外に出ると、雨はもうやんでいた。地面に白っぽい輪だけが残り、ベンチの上には赤い毛糸がひと巻き落ちていた。
「来たわ。気を付けて」
伯母と歩調を合わせてトラムのステップを上る。椅子に腰を掛けると、窓に息を吹きかけ、指で矢印を描く。「→」 意味は「前へ」。
外に向けた矢印は誰かが読む。中に残した矢印は、自分だけが読む。
夜。引き出しを開けると、赤いスカーフと欠けた歯の鍵。
重なり合う赤と白を見ていると、胸の石が少し動いた。
でも、掲示板の4枚目の場所は消えない。
あそこは自分の場所だったんだ――その思いだけは、息を四つ数えても消えなかった。