五分
ごぶ 【五分】
(1)一寸の半分の長さ。約1.5センチメートル。
「一寸の虫にも—の魂」
(2)一割の半分。5パーセント。
「—の利息」
(3)全体の半分。半ば。
「—の仕上がり」
(4)双方優劣がないこと。五分五分。
「—にわたり合う」
(5)ごくわずかな量・程度。
(6)五分の長さに切ったねぎ。すき焼きなどに入れるねぎ。ごぶねぎ。
「ねへさん生で一合。—も一処にたのむ/安愚楽鍋(魯文)」
——も透かぬ
〔わずかのすき間もない意〕配慮が行き届いている。抜け目がない。
「薬の引札を団扇へ張て、湯屋へ配るなどとは、—ねえよのう/滑稽本・浮世風呂 4」
大辞林より
貴きの御座す御所より南東へ進み至れば昭和も八十年過ぎし今でも物の怪住まう異界だが、貴きに調伏されし物の怪も異界となれば古の道理に従いて住まい、またそれを受け入れ暮す人、時には贄をも捧げたり。
異界に住まう小夜、学童服に長き黒髪なる、年の頃十を越えたばかり、国旗掲揚台に旗を掲ぐるを好んで、級長に進んでなったのはそのためだったが、いじらしい少女はしかし天性の淫婦である。あどけなき顔に糸切り歯を覘かせ見れば、学童服の下より貪婪たる色情狂が見え隠れ、気付かぬ小夜は無意識の脅迫者であった、道理の分からぬ小夜は誰彼構わず糸切り歯を見せる。
先の祝日は天長節、今日は端午の節句。祝日にあたる今日、尋常小学校は休みで、教員の誰ぞが旗を揚げた。柔らかなる風に吹かれ日の丸ははためき、歴史の烏賊墨色にうねる陰影、青を泳ぐ赤き一つ目、国旗の風に弄ばれると見えてその実手玉に取る様を、飽きることなく小夜は眺めた。
いかほど眺めつるか、天頂に昇りし日は西、されど夕刻に早く、小夜は満足し、温き風が頬をなぜ、軽い調子でくるりと返る。頭に浮かぶは河童池。
尋常小学校の敷地を抜け、水の穏やかな、稲穂が風になびき、あめんぼ走ればいくつもの波紋が、田に水を引く川中で腐る古木の甘き匂いを感じ、輪郭失した地蔵の日に灼けし赤き前掛け、小夜は畦を抜けてゆく。童女の軽やかなる足取りに、田の対岸で遊ぶ子らは、わき起こる感情に整理も付けられぬまま息を呑んだ。
畦の終に道は二又に分かれ、左の道ゆけば緩い円弧を描いた先に村は外れの集会所、右ゆけば物の怪の住み処たる山へと続きたり。小夜は迷うことなく右の道。鬱蒼と木々茂りたる山道、日の光を拒みて年中暗く肌寒い。
五月晴の中走るゆえにかいた汗の乾くのを、体の芯がすぅと冷え、いつも山に入るとき感ずるが、不意に音が遠のき視野が狭まるは、貧血のごとくふらつき、がれ場につきし足の覚束な、見えぬ手に押し込めらるる心地、まさしく異界に相応しい。
と、ひび割れ苔生し、濡れ、仄暗き石段が現れつ。小夜の目当てはもうすぐそこである。石段を呑むよう鳥居が彼方まで続き、丹塗り所々剥げ、うごめき、生き物であるかのごとし。狸。呟きし途端鳥居は失せ、朱塗りの鳥居は稲荷ではなかったのか。登り終えればそこは破れ寺である。
石段をあと一寸で登り切るところ、西瓜でも食うていかへんか、と声。
見やれば山門の土の香匂い立つ油塀よりなお高所、首痛むるほど反らせし小夜の、声の主見やりて莞爾と笑う。つられ声の主も笑い、山門より身の丈八尺はあろう大男がのそりと立ち出でつ。特別に設えた国民服は寺と同じく破れ、ほつれ、露わになった膝の、腿の、肘の、胸の、垢と云わず泥と云わずこびり付き、地肌と国民服の境を失わせて久しい。脛に巻しゲートルも汚れに均されるに一本の樫である。両の手には二つに割れし西瓜が乗って、五月の風吹く今西瓜などある筈も無し、背に負う幽かな木漏れ日が大男の朧気な。
小夜は糸切り歯を見せ、今は要らんわ、と残りの石段を軽やかに駆け上りて大男の隣へ立てり。これから泳ぐんか、と大男、河童のとこで泳ぐんか、手にした西瓜を後ろへ放る。そうや、と小夜、河童の池は温といねんもん。でも河童は怖いで尻子玉抜かれるかも知れへんで、と小夜の傍らを行く大男、名を真吉と云う。真吉はだいだらぼっちの血を引き、この近辺では避けられている。由は物の怪の血のせいでもあり、生来の粗暴者、徴兵忌避者、禁忌となった真吉は破れ寺に住む生臭坊主。
河童の池は破れ寺の裏にあった。池を避けるよう木々が生えるために、日が溜まり、風もなく、水面穏やかなれば、河童住み、今では誰も立ち入らぬ。
山門正面の本堂に火がともり、狐や、真吉は狐の窓を作りて覗く。漏れ出づる明かりはさして面妖でなければ温かくも感ぜられぬ。狐はあかんわ、真吉は云うが、でもまだ三時やで、と小夜。掠れる読経を歌いしは即身仏の大合唱。
本堂を曲がると橅、間を縫うよう続く獣道の、並びて歩く小夜と真吉に透かし彫りの影が落ちる。せや、と云うが早いが真吉は小夜の腰を持ちてひょいと掲げる。なにするん、掲げるのは好めど掲げられるは好まぬ。
漆が生えとるからかぶれたらかなわんやろ。せやったら肩車してぇな、鼻息がお尻にかかってくすぐったいねん。せやな小夜のお尻見てたら喰いとうなってくるしな。
真吉は首を竦め小夜の股を潜らせ、広い肩に乗せた。真吉の荒い息が内股にかかるを、八尺上から見る景色のおかしさ、振り返れば本堂の壊れ瓦、山門の間から見える石段。真吉が歩く度大げさな笑い声を上げ、それが楽しいのか真吉も大げさに歩く。地鳴りが歩き、ざわめく森に嬌声の調べ。
長い橅林を抜けるとそこは河童の池であった。薄暗き山が白くなった。真吉の歩みが止まった。
河童の池は満月の型を地に写し取りて、さざ波一つ立たぬ水面、中心部に台座のごと突き出し半球の岩涼しげに濡れるを、迷い込んだ睡蓮が二三、水清く水底まで見通す事が出来る。
あ、河童。と小夜。他の池へと繋がる水脈より泳ぎいずる河童の皿が、光った。飛沫も上げずに河童は顔を出す。真吉はかがんで小夜を降ろした。小夜と真吉か、人の癖に物好きやな、泳ぎに来たんか、嗄れ声の中に判然とせぬ言葉が浮かび、透き通る水とは対を成す。河童の皮膚は日に灼けし護謨のよう、こぼれ落ちそうなほど大きな目に瞼はなく、捻曲がった嘴は鴉のそれ。背負う甲羅は人の顔を思わせる筋が入り、薄い水掻きは日光を通じ七色に光る。
別に減るもんやないしいいやろ、と小夜は国民服を脱ぎ、一糸纏わぬ姿で池へと飛び込んだ。不意のことに河童、潜ること叶わずして小夜に正面から抱きすくめられ、沈むさまは抱き合い心中のよう。水底から上を見ると、服を脱いだ真吉が飛び込む所であった。一際大きい飛沫が上がり、池全体が揺れる。
河童は小夜の尻に手を伸ばし、尻子玉を取ろうとするが、ぞろりとした感触が頬へ、見れば水の中で口を開けた小夜が、頬を舐めていた。
濡れ羽色の髪を持つ童女の莞爾と笑うを、物の怪二人は見て、顔を見合わせ、流れる時を思い、己が内に欲望を募らせつ。
ラノベ風な話は書きたくなく、典型的なSSも他の人に任せるとして、ではどうすればと足りない頭を総動員して考えた末、では五分大祭にあって異彩を放つ作品を目ざそうと、本作を書き上げました。
創作の原点となった三人の作家へのオマージュも含め、小ネタも多数詰めました。気付いた人はニヤリとしていただければ幸いです。
ありがとうございました。