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その夜のうちに油川左馬介とその一族郎党は、手勢を置き去りにしたままどこぞへ出奔した。
信玄が目覚めたのは翌日の夕刻で、目を開くと弟の信廉をはじめ、重臣たちが自分を囲んで見下ろしているのが目に映った。
「あ、お屋形様!」
「お目覚めあそばされましたか」
室内にいた他の者たちも、どっと布団の脇に寄ってきた。寝かされていたのは、鳳来寺の庫裏のようだ。
信玄は応えようとした。が、口が開かない。布団の中から目を動かして、人々を見回すのがやっとだった。起き上がろうとしても、全身が自分のものではないかのように、微動だにしなかった。
額に脂汗がにじんできた。
「お屋形様、もうしばらくお休み下さい!」
侍医の板坂法印が、静かに枕元で言った。
それから数日間、意識はあるものの全く体が動かない日が続いた。そして激しい腹痛と嘔吐、下痢を繰り返した。時には喀血もした。もちろん食物は、何も受け付けない。頭痛もするし、手足の先の感覚がない。その手も激しく痙攣するし、胸も激しく動悸を打つ。そして皮膚には、紅斑が出はじめた。顔も別人のように腫れあがっている。そんな状態が二、三日続き、そんな中で油川左馬介が出奔したという報告はを信玄は横になったまま聞いた。
「捨ておけ」
やっと短いことばなら発することができるようになった信玄は、ただそれだけを言った。自分が重病であるということは、もはや全軍に知れわたっているかもしれない。ただどうも普通の病ではないと、信玄自身は思っていた。そして毒をもられたに違いないという考えは、しだいに確信に近くなっていった。そうでなければこの急激な体調の変化は納得いかないし、だいいち最初に倒れたのが、他ならぬ祐の実家の油川家の宴でだ。しかもその油川左馬介は出奔したという。
喀血したことから家臣たちからはどうも労咳だと思われているようだが、自分の病が服毒のためであることは、あるいは侍医なら薄々感づいている可能性はある。だが、その動機に到っては絶対に自分しか知らない。
妹を殺された左馬介の怒りは、当然であろうと信玄は思う。それに左馬介は身内だ。信玄自身いちばん恐れていたことだったが、自分が父に、そして長男の義信にしてきたことが、とうとう自分に返ってきてしまった。しかたがないといえばしかたがない。
そもそも祐の方や左馬介の祖父の油川|信恵は信玄の父の信虎の叔父であったが、信虎と敵対して戦って戦死している。その自分の父の信虎を滅ぼしたのは信玄自身だ。それに今の油川家は親族とはいえ、信玄配下のなくてはならない家であり、左馬介の兄の彦三郎は川中島で壮絶な最期を遂げてはいたが、その遺児の四郎左衛門は若いとはいえこれもなくてはならない武田家の武将なのである。左馬介の咎を責めて、四郎左衛門までもが離反するのが恐かった。だから左馬介の出奔を、信玄は放置することにした。
だが、問題はなぜ、左馬介がその妹の死の真相を知ったかだ。要は左馬介は利用されただけだと、信玄は床の中で考えていた。
――おのれッ、奥平監物!
信玄は心の中で、何度もうなっていた。
あの宴席に、奥平貞能はいた。唯一真実を知る存在だ。だからやつが、左馬介にしゃべったに決まっている。そして左馬介をそそのかして仇を打たせて自分を殺させ、お家乗っ取りをたくらんだに違いない。
所詮は徳川からの寝返り者だった。やはり斬っておくべきだった。しかし今さらそう思っても遅い。自分の体が刻一刻死に近づいていっていることは、信玄自身がいちばんよく知っていた。
――わしは死ねぬ。今が一番大切な時なのだ。それなのに……
信玄の中で、貞能への怒りが煮えたぎっていた。
――この大事な時に、うつけ者が! 奥平監物ッ! うぬの思惑通りにはさせぬぞ!
床の中にいても信玄は、しきりに策を弄していた。
――わしは死ねぬ。死ぬわけにはいかぬ。たとえ死んだとしても、死ぬわけにはいかないのだ。監物の思う通りにさせぬためにも……
信玄はまだ起き上がることはできなかったが、とにかく一族と重臣をその枕頭へ集めた。
「皆の者、よく聞け!」
横になったままの、言い渡しだった。
まず武田家の後嗣は四郎勝頼の子、信玄にとっては孫である七歳の武王丸とすることが告げられた。さらに武王丸が十六になるまでは、勝頼を陣代とすること。諏訪法性の兜は勝頼に与えるが、武王丸元服の折は武王丸に譲るべきこと。孫子の旗は武王丸にのみ許すことなどを信玄は述べた。
久々にこれだけの長いことを一気にしゃべったので、信玄は息が切れた。まだ何か言おうとしたが、もはや無理であった。
「お屋形様、ご無理なさらずに!」
侍医の板坂が口をはさんだが、少し間をおいたあと、信玄はまた話し始めた。
「わしは死ねぬ。たとえわしが死んだとしても、死んだことにしてはならぬ。三年間は隠し通せ。その間、決して甲斐を出るな。三年たったら、わが旗を瀬田の橋にかけよ!」
皆、うなだれてそれを聞いていた。
信玄は三年間喪を秘せと言う。確かに今ここで信玄が死んだと知ったら、近隣諸侯のうち敵対者は甲斐へ攻め込み、同盟者までが一斉に反旗を翻すであろう。
だが信玄の真意は、もっと別のところにあった。喪を秘すことによって、奥平貞能のお家乗っ取りを成就させないことである。自分が生きてさえいれば、人質もとられている関係上、貞能は何もできないはずだ。
だが、懸念もある。左馬介による自分の毒殺が貞能との共犯であったとしたら、自分が服毒させられたことを貞能は当然知っていることになる。やはり、貞能は誅殺しておくべきではないか、そう思った信玄は、
「それから」
と、言いかけたがやめた。貞能の処分を今ここで、自分が家臣たちに命ずる訳にはいかなかった。
そうしたら、祐の方のことを含めてすべての事件が明るみに出てしまう。だから信玄は言い止して口を閉じ、唇を噛み締めた。それだけではなく、これ以上何かをしゃべるのを、彼の体力が許さなかったということもある。
――奥平監物! 許さん! 怨霊となって子々孫々まで祟ってやる!
信玄は心の中で怒号を発した。しかしその声はまわりの人々には、ただのうめき声にしか聞こえなかった。




