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元亀三年(一五七二年)十月、武田信玄入道は将軍足利義昭の織田信長追討令に呼応し、三万の軍を率いて甲府を発して上洛の途についた。
まず、秋山信友の別働隊五千は木曽路から美濃へと入り、十一月には東美濃における織田家の拠点である岩村城を落とし、秋山は信長の援軍も破った。これで、かつては同盟関係であった信玄と信長の敵対関係はこれで明白となった。
信玄の本隊は諏訪を経て遠江に侵攻、岩村城降伏の頃までには遠州の徳川方の各城を落とし、十二月には徳川家康と一言坂で戦い、二俣城を落とし、そして年末も押し迫った頃に遠州三方ヶ原にて浜松からおびき出した家康の軍と信玄の軍は全面衝突して、家康軍を蹴散らした。年が明けて元亀四年(一五七三年……後に天正元年と改元)の一月には奥三河の徳川方の菅沼定盈の野田城を一ヶ月かけて包囲、その後体調の不調を覚えた信玄はその北にあるすでに武田に与していた菅沼正定の長篠城に落ち着いて療養し、体調を整えていた。
もはや引き返せないところまできてしまった。
ひしひしと感じている恐怖とは裏腹に、欲望の赴くまま暗闘の中で、奥平貞能は熟女の熱い肌に手をすべらせていた。荒い息づかいが耳元で聞こえるが、それが自分のものなのか相手の女のものなのか、貞能自身分からなかった。
彼の胸は高鳴り、足は小刻みに震えていた。女と交わるというだけでそうなるほど、彼はもはや若くはない。しかし現実として、彼の胸は激しく鼓動を打っていた。そしてそれは行為が進むにつれ、ますます激しさを増していく。本来なら熱く燃えてくる頃なのに、彼は寒気さえ感じた。
ふと貞能は上半身を起こし、まわりの様子を伺った。今、微かにだが物音がしたのだ。とたんに彼の心は恐怖感に支配され、それ以上は進めなくなった。
――誰かに見られているのか……?
背筋に悪寒が走る。
こんな状況でもまだ貞能の中に冷めている部分があって、こういうことになってしまったことについて訝っていたりする。
ここは自分の居城ではない。他人の城だ。自分の城へ帰っても、彼の妻は徳川に人質にとられていていない。独り寝の続く鬱憤からついに爆発した欲望が自分を動かし、この女を抱いてしまったのか――。
しかし、抱いてはいけない女を、彼は抱いてしまっていた。
腰を絡ませている熟女――三十七歳の貞能より、いくらも若くはないだろう。若い女好みの貞能が、平静なら見向きもしない年増だ。それが今は新鮮に感じられたりもする。
だがどう考えても、絶対にまずい――。
頭がそう考えてもからだは勝手に動く。
ままよ――自分は武田家と、昔からの縁があったというわけではない。その分、背徳の度合いも少なかろう――。
一所懸命自分を説得しながら、貞能は行為を続けていた。
長篠城の夜は静かだった。
信玄の天下号令は目前であった。すでに信玄は小田原北条氏と、一時は破棄された同盟を取り戻していた。それは北条氏と越後の上杉謙信との同盟の破局を物語っていた。今や信濃、駿河も信玄の支配下であり、相模も同盟国。上洛を阻む存在といえば、美濃の織田信長のみといえた。信長はすでに上洛を果たしていたが、まだ天下に号令するには至っていない。越後の朝倉、将軍義昭、一向衆など信長の足かせは多い。だが、信玄が上洛して天下に号令となると、どうしてもその信長との全面衝突は避けられようもない状況だった。
その当時、奥三河の長篠城主菅沼正貞、田峯城主菅沼定忠らとともに信長の同盟者である徳川家の山家三方衆と呼ばれていたのが、同じく奥三河の作手亀山城主奥平監物貞能だった。その奥平貞能はじめ山家三方衆は、甲府を発した甲州勢が破竹の勢いで遠江に迫り、徳川家康のいる浜松城の支城である二俣城を落としたとの情報を受けた十二月に、こぞって徳川を離反して武田方についていたのである。
もっとも、菅沼一族の本家である田峯城の菅沼貞忠はすでに一昨年、武田家の秋山信友がこの奥三河にゲリラ的に侵攻して来た時にすでに武田家に降伏し、近隣の奥三河の土豪への説得工作を進めていた。
この時は武田家への帰順を断乎としてはねのけ、徳川への忠誠を誓った貞脳であった。しかし、今回の信玄上洛軍発動とともに五千の兵を預かった別働隊の山県三郎兵衛尉昌景が奥三河を通過し、近隣の土豪を説得して味方に引き入れつつ南下していったのを機に、かねてより菅沼貞忠に説得されつつあった菅沼正貞、そして貞能も武田家への帰順を考え始めていた。
山県の部隊がわざわざ別働隊として奥三河を通過したのが、そもそもはそれが狙いだったともいえる。武田家としても、山岳戦に強い彼らをどうしても味方にほしかった。
もともとは今川家に仕えていた奥平家だが、桶狭間の戦いの後に徳川家に仕え、姉川の戦いには徳川の一将として参戦した貞能である。それがまた、いわば敵方の武田家に寝返ったことになるが、国境近辺に本拠を持つ土豪としては、情勢を見ての寝返りはいわば普通のことであり、そうしないと生き残れない時勢である。
また、奥三河は武田家の勢力圏と徳川家の勢力圏のちょうど中間に位置しているという地理的特徴からも、それが可能だったのである。そして信玄が二俣城を落としたことによって、山家三方衆は意を決したのである。
やがて信玄は先にも述べた通りに年末に徳川家康も三方ヶ原で蹴散らしたのだが、山家三方衆は早速この戦に武田側として参戦、貞能も五百騎を率いて山県正景の旗下に入り、旧主の家康に弓を引いた。また信玄は明けて元亀四年――後に天正元年と改められるこの年(一五七三年)の一月には三万の兵で徳川方の菅沼定盈の守る野田城への攻撃を開始し、わずか四百の兵で守るだけのその野田城をひと月以上もかけて二月の半ばに落としたのだが、山家三方衆はその戦にも加わり、現地の地理に明るいという強みをもって功績を立てている。
その野田城攻防戦のあと、ようやく作手に戻った貞能は、折しも満開の桜の中を信玄が落ち着いたこの長篠城へとやって来た。初めて新主君の信玄に見えるためであった。ところがその場で直ちに貞能は、信玄からある重い役目を仰せつかった。
女は今日、甲斐よりこの長篠城へ着いたばかりだった。その世話役を命ぜられた貞能は、挨拶言上のために女のもとに参上した。が、女は愚痴ばかりを言っていた。
「もう四ヶ月もお屋形様の留守を預かって、やっとお呼び寄せ下さったと思ったら、お屋形様は陣中のこと故とてお会いになっても下さらぬ。もう妾の体は火がつきそうで……お屋形様のお情けが頂けるものとばかり思っておったのに…!」
貞能が何と答えてよいか迷っていると、女は貞能のそばまで寄り、その腕を引いた。
「あ、何をなさいます!」
「その方、お屋形様の代わりに、妾にお情けをたもう」
一度抵抗しようとしたが、女の甘い香が鼻にとびこんでくると、あとは貞能の男としての慾情の方が理性より表面に立ってしまった。
今日、作手からここへ向かう途中には思ってもいなかった状況が、今ここで展開されている。抱いてはいけない女を抱いてしまっている。先ほど初めて見えたばかりの信玄の眼光の鋭さが、今でも目に焼きついていて、それが行為の最中でも彼を怯えさせた。その信玄は、同じ城中にいる。男と女が裸になって肌を接していても、社会という柵からは逃げられないようだった。だが体は正直で、おかまいなく女の中で暴れまわっていた。
頭の中が真っ白になった。もはや彼には、過去も未来も存在しなくなった。今ひと時の官能がすべてだった。それだけが恐怖から抜け出る道だと、彼は思ったのである。




