表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

異常事態

 朝のニュース番組では、いつも通り天気予報が流れていた。7月、湿気を含んだ風と薄曇りの空。通学路には蝉の鳴き声が響き、誰もが「平常運転」の一日を迎えているように見えた。


 だが——如月蓮の目には、それがすでに“異常”だった。


「……誰も、気づいてないのか……」


 蓮は、教室の窓から校庭を見下ろしながらつぶやいた。昨日の出来事。クラス全員の異世界転移、自分に与えられた神からのギフト。そして現れた異形の怪物。


 あれは夢でも幻でもない。新藤というもう一人の“取り残された者”もいる。だが、教師たちは平然としていたし、ニュースにも何一つ出ていない。


 転移したはずのクラスメイトの机には、まるで最初から存在しなかったかのように、名前すら貼られていない。


「記録まで……消えてる?」


 そう、誰も彼らの存在を覚えていないのだ。彼らの机は空席ではなく「初めから空いていた」ことになっている。


 そして、誰一人として「何かがおかしい」と口にしない。


「《現実越境者》の能力……もしかして、俺だけじゃなく“神”にも作用してるってことか?」


 蓮のギフトの一つ、《現実越境者リアルブレイカー》は、異世界の理や存在を現実に“持ち込む”力。だとすれば、異世界転移そのものが“現実から見れば最初からなかったこと”になっているのでは——?


「まるで、世界の書き換えだな……」


 蓮は内心の冷たい恐怖を抑え込みながら、ノートの隅に小さく呟きを書き込んだ。


 ――世界は嘘をついている。


「よう、如月」


 肩を叩かれ、振り向くと、新藤諒が私服で立っていた。


「お前、今日登校してんのかよ。律儀だな」


「逆に、お前はなぜ来てるんだよ、私服で」


「学校行事とかどうでもいいけど、気になるだろ? この“世界”がどこまで壊れてるのか」


 新藤は窓の外を見ながら、ポケットから紙のようなものを取り出した。


「昨日の“アレ”が落とした欠片、拾っておいた」


 それは、漆黒の鱗のような破片だった。触れると微かに振動し、まるで何かの“電波”を受信しているかのような感触があった。


「解析してみたら、物質的にはこの世界の物じゃない。しかも微弱だけど、座標データみたいなものが埋め込まれてた」


「……転移用のコードか?」


「たぶん。もしくは、“向こう”とこっちを繋ぐリンクだ」


 蓮はそれを手に取り、ギフトの《神速演算》で即座に解析を開始した。脳内に流れる情報の海。その中に、ひとつの文字列が浮かぶ。


「“アストラ・ゲート第4層、接続不安定”……?」


「ゲート?」


「つまり……向こうの世界と現実をつなぐ、歪んだ扉が開きかけてるってことだ」


 蓮が言い終える前に、校舎の向こう側から悲鳴が響いた。


 ——キャアアアアアア!!


 二人は即座に駆け出した。廊下を走り、階段を飛び降り、叫び声のした中庭へと飛び出す。


 そこには、二人の女子生徒が地面に尻もちをついて震えていた。その視線の先にいたのは——


「また、出たか……!」


 昨日と同じ、いや、それ以上におぞましい異形の存在。背中に巨大な羽のような器官を持ち、爛れた皮膚の隙間から紫色の炎が漏れている。


 完全に現実の生き物とは異なる、“異世界の怪物”だった。


「やれやれ……どうやら、もう始まってるらしいな。“侵食”ってやつが」


 新藤は鱗の破片をポケットに仕舞い、構えを取る。


 蓮もすぐにナイフを召喚し、即席で“強化”を施した。


「《創造因子》、銀繊維+衝撃吸収、重心調整完了」


 光を纏った刃が掌に現れる。敵が一歩踏み出すと、地面が焼け焦げた。


「こいつ……ただの怪物じゃない。魔力……いや、現実には存在しない“構造情報”をまとってる」


「構造情報?」


「簡単に言えば、物理法則の上に“物語的な強さ”を持ってるんだ。まるで、異世界のRPGキャラみたいに」


 この現実世界に、それは“あり得ない”はずだ。


 だが、《現実越境者》の力により、その“あり得ない”が形を持ってしまったのだ。


 蓮は足を一歩踏み出し、敵と真正面から対峙した。


「新藤、行けるか」


「おう、やるしかねぇだろ。“こっち”で無双するって決めたんだ。……お前と一緒にな」


 ――異常はすでに始まっている。


 現実という枠が軋み、ひずみ、異世界の“法則”が滲み出してくる。


 蓮は強くナイフを握りしめ、目の前の怪物に飛びかかった。



 刹那、蓮の身体が地を蹴った。彼の肉体はすでに人間の限界を超えている。《神速演算》によって戦闘中の判断と動作はほぼ自動化され、同時に《創造因子》によって強化された武器が軌道を描いた。


 銀色のナイフが空気を裂き、異形の怪物に向かって一直線に突き刺さる。


 ——ガッ。


 だが、その刃は、怪物の皮膚に突き刺さることなく弾かれた。


「硬っ……!」


「如月、下がれ! 今のうちに“構造”を解析する!」


 新藤が後方から叫び、鱗の破片を地面に叩きつけた。そこから立ち昇った波動が怪物の姿を包み込み、情報の霧を晴らしていく。


「見えた……! こいつ、“重複構造”持ちだ!」


「何だそれは!」


「二重の身体! 外殻が現実の構造、内殻が異世界の魔力! 現実の攻撃じゃ通らない!」


 理解した。つまり、この怪物は“現実”と“異世界”を同時に存在している。どちらか片方の法則だけでは倒せない。


 蓮は奥歯を噛み締めると、ナイフを握り直した。


「だったら、《現実越境者》でこちらも両方に干渉する……!」


 頭の中で、刃の構造を書き換える。銀繊維に魔力因子を注入し、《存在干渉値》を持たせる。言い換えれば、異世界の法則に対する“当たり判定”を付けるということだ。


「創造因子、構造改変。魔法式転写、ナノブレード構築——!」


 ナイフが青白い光を放ち、まるで“魔剣”のような姿へと変化した。


 怪物が咆哮する。空気が振動し、近くの窓ガラスが割れ、破片が宙を舞う。だが蓮の意識は、すでに音を遮断していた。


 次の瞬間、蓮の身体は地面を滑るように前進し、まっすぐに怪物の中心を狙った。


 ——ズバァン!


 ナイフが、今度こそ深く刺さる。青い血液のような液体が噴き出し、怪物がのたうつ。だが、それでも死なない。


「新藤!」


「任せろ! 接続ポイントを抑えに行く!」


 新藤はポケットからコードを取り出し、怪物の影に向かって走る。そのコードは、座標データとリンクするための“閉鎖キー”だ。


「《アストラ・ゲート第4層》、強制遮断開始……っ!」


 まるでプログラムを叩き込むようにコードを打ち込む新藤の周囲に、現実とは思えない無数の魔方陣が展開される。


「制御下にない情報干渉、発信源不明! 接続座標、強制遮断まであと5秒!」


 蓮は怪物に最後の一撃を加えるべく、全身の筋肉に神経を集中させる。


「《神速演算》、極限モード。残存リソース、全解放!」


 ——一歩。


 二歩。


 風を斬る速さで踏み込み、ナイフを怪物の胸部に突き立てた。


 青い光が爆ぜ、怪物が絶叫する。その瞬間、新藤のコードが最終実行された。


「強制遮断——完了ッ!!」


 怪物の身体が、まるでガラスが砕けるように光となって四散した。


 静寂。


 砕けた破片が宙に舞い、やがてすべて消滅する。現実世界の空気が、ようやく“本来の温度”を取り戻したような錯覚。


「……ふぅ……間に合ったか」


 蓮は地面に膝をつき、大きく呼吸を整えた。新藤が肩を貸しに近寄ってくる。


「どうやら、ただのチートじゃ済まねぇな。お前の力は」


「お前もな。……で? 次は何が起きる?」


 新藤は黙って、携帯を取り出し、画面を見せた。


 ——“謎の爆発音、都内各地で複数報告”


 ——“空に浮かぶ光の柱、SNSで拡散中”


 ——“学校施設、設備破壊の原因調査中”


 現実世界が、ゆっくりとだが、確実に異常を“知覚”し始めていた。


「ゲートはひとつじゃない。おそらく、全世界に点在してる。つまり……まだまだ“侵食”は序章だ」


「……だったら、こっちの準備もしないとな」


 蓮はナイフを手のひらで光に還し、静かに立ち上がった。


「現実で無双するってのは、敵を倒すってだけじゃない。これから起こる“異変”のすべてに、俺が向き合わなきゃならないってことだ」


 その瞳には、迷いはなかった。


 彼は今や、現実の中の“唯一の異端”であり、最前線に立つ者となった。


「ようやく本番か……“異世界転生しなかった”俺の物語が」


 空には、かすかに亀裂のような光の筋が走っていた。


 世界は、静かに壊れ始めている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ