教室から消えたクラスメイトたち
その日、僕たちはいつものように教室で退屈な授業を受けていた。
「それじゃあ、ここの方程式を——」
数学教師の声が途中で止まった。次の瞬間、床に不可解な光の紋様が浮かび上がった。
「な、なんだこれ!?」「床が……光ってる!?」
教室中にざわめきが広がる。椅子がガタガタと動き、誰かの悲鳴が上がった。僕——如月蓮は、ただその光景を呆然と見つめていた。
床に描かれたのは、見たこともない魔法陣のような幾何学模様。それが白い光を放ちながら、ゆっくりと回転し始める。
そして——。
閃光が走った。
目を開けていられないほどの強烈な光と共に、耳をつんざくような音が教室を包む。僕は思わず目を閉じ、机にしがみついた。
……それから、静寂が訪れた。
「……あれ?」
蓮はそっと目を開ける。眩しさはもうなく、教室の中は——誰もいなかった。
教師も、クラスメイトも、誰一人として。
ガランとした教室に、風が吹き抜けるような感覚。いや、窓は閉まっているのに。嫌な予感が全身を走り抜けた。
「おい、冗談だろ……? どこ行ったんだよ、みんな……」
教室を見回しても、机と椅子が無造作に残されているだけ。携帯を取り出すも、電波は正常。時刻も正確に進んでいた。
だが、まるでこの空間だけが、何か異質な空白に置き去りにされたかのようだった。
「……まさか、これって……異世界転移?」
クラスで何度も話題に出たアニメやラノベの定番展開。でも、まさか本当に起きるなんて。
「でも、なんで……俺だけ……?」
そのとき、蓮の脳内に直接声が響いた。
《汝、如月蓮よ。》
どこか荘厳で、それでいて優しい声。だが現実感はゼロ。突如として、何かにアクセスされた感覚。思考が一瞬止まる。
《選ばれし者たちは、新たな世界にて試練を受けることとなった。汝は……転移対象外である》
「……は?」
《だが、汝にも等しくギフトを授けよう。神よりの恩寵、それは——》
そして、声は一気に早口で宣言を続ける。
《スキル《絶対適応》《創造因子》《神速演算》《記録干渉》、そしてユニークスキル《現実越境者》を付与する》
「ちょ、待っ——」
《よって、汝は現世に留まりし者として、己の選んだ道を歩むがよい。以上で通達は終了する。幸運を、現実の探求者よ》
ピタリと、声は消えた。
「…………」
蓮はしばらく黙っていたが、次第に震えながら言葉を吐いた。
「……何だよそれ。俺だけ、置いてけぼりかよ……」
ふざけるな。なんで僕だけ転生できなかったんだ。スライムもいなけりゃ剣も魔法もない、普通の世界にひとりぼっちだ。
だが、冷静になって思う。
「スキル、って言ってたよな……」
冗談みたいな話だけど、もし本当に何か得たものがあるのなら、確かめないわけにはいかない。蓮は手のひらをじっと見つめた。
すると、まるで反応するかのように、彼の視界に透明なウィンドウが表示された。
⸻
STATUS
名前:如月 蓮
年齢:17
スキル:
・《絶対適応》……どんな環境でも瞬時に順応し、能力値が最適化される
・《創造因子》……想像したものを現実に具現化できる(素材・条件制限あり)
・《神速演算》……超高速思考と計算能力を付与
・《記録干渉》……現実の物理情報を読み取り・操作可能
・《現実越境者》……異常現象を現実に持ち込む力
⸻
画面を見て、思わず声を漏らした。
「なんだこれ……。これ、まさかゲームのステータス画面……?」
まるでRPGのようなインターフェース。それも、ぶっ壊れ性能としか思えないスキルの数々。
「試してみるか……」
蓮は立ち上がり、教室の隅に落ちていた消しゴムを拾い上げた。
「《創造因子》——えっと、試しに……この消しゴムを……ナイフに変えてみる?」
彼がそう思った瞬間、消しゴムがぼんやりと光を帯び、みるみるうちに銀色のナイフへと変化していく。
「うわっ! 本当に変わった……!」
恐る恐る手に取ってみる。ずっしりとした重さ、冷たい金属の感触。間違いない。これは現実のナイフだ。
「……これ、もしかして……俺、チートなんじゃ……?」
呆然と呟いたそのとき、教室のドアが音を立てて開いた。
「——誰かいるのか?」
見知らぬ声。だが、制服は見覚えがあった。
隣のクラスの問題児——新藤だった。
教室の扉が軋んだ音を立てて開いた。
「——誰かいるのか?」
現れたのは、新藤 諒。隣のクラスの、校内でちょっとした有名人だ。喧嘩っ早く、教師にも歯向かうトラブルメーカーとして知られている。
「ああ、如月かよ。お前も残ったクチか」
「えっ……?」
「俺のクラスも、全員いきなり消えた。おまけに、なんか頭の中に声が響いてきて、スキルがどうのこうの……って」
蓮は思わず立ち上がる。
「待って、じゃあ……お前もギフトもらってるのか?」
「さあな。ただ、やたらと目が冴えてるし、壁の裏の配線が見えるんだよな。多分、これもスキルってやつか?」
「……信じられない……」
蓮は混乱していた。クラスで取り残されたのは自分一人だと思っていたが、まさか他にも“現実に残った者”がいたとは。
新藤は無造作に教室に入り、教壇に腰を下ろすと煙草でも吸うような仕草をしながら言った。
「で、どうするよ、如月? 世界は何も変わってねえのに、俺たちだけバグみたいな力もらっちまった。……どう生きる?」
問われて、蓮は言葉に詰まった。
現実世界は確かにそのままだ。だが、それこそが恐ろしい。
学校に警察が来て、生徒たちの失踪がニュースになるかもしれない。親は泣き叫び、教師は責任を問われる。自分たちは、その真相を知っているのに、証明する手段がない。
「……俺は、調べるよ。この世界で何が起きてるのか、何が“本当”なのか」
蓮の中で、ふつふつと意志が芽生え始めていた。あの日常を取り戻すか、新たな意味を見つけるか。どちらにせよ、動かなければ。
そのとき——。
「……ッ!?」
視界の端に、黒い影が動いた。
「おい、今、何かいたか?」
新藤もすぐに気づいたようで、教壇から立ち上がった。
——バキンッ。
ガラスが砕け散り、窓の外から“何か”が飛び込んできた。
「な、なんだよあれ……!」
そいつは人間のような形をしていた。だが、皮膚はなく、赤黒い筋肉が剥き出し。瞳の代わりに空洞があり、口は引き裂かれたように開いていた。
明らかに“人間ではない”。
そして、それは教室に入り込むと、甲高い悲鳴を上げて二人に飛びかかってきた。
「避けろ!」
蓮は咄嗟に身を翻した。新藤も壁を蹴って宙返りのように距離を取る。
モンスターは壁に激突し、骨のような音を立てて床に倒れたが、すぐに立ち上がってきた。
「嘘だろ、これ現実だぞ!?」
だが、蓮は冷静だった。いや——《神速演算》が発動していた。
思考は加速し、脳内で無数の戦術がシュミレートされる。
敵の動き、間合い、体重、運動力、全てが分析される。
そして——。
「《創造因子》、ナイフ強化。刃を炭素鋼へ、重量調整——完了」
先ほどのナイフが、光をまといながら進化した。まるで工業用の特殊兵器のような質感。
「いける……!」
蓮は一気に踏み込み、モンスターの背後に回る。そして、肩から腹部にかけて鋭く切り裂いた。
ギャアアアアアアッ!
断末魔が響き、黒い血が床に飛び散った。モンスターはひときわ大きな叫び声を上げ、崩れるように倒れ込んだ。
「すげぇ……お前、何者だよ……」
新藤が呆然とつぶやく。
「何者って、俺は……ただの高校生だよ」
でも、もう「普通」には戻れない。それは、はっきりと感じていた。
倒したモンスターの身体は、まるで映像のようにノイズを走らせながら徐々に消えていった。
「現実のはずなのに……バグってる……?」
「つまり、あれは現実“じゃない”何かが、現実に干渉してるってことか」
蓮は思い出す。《現実越境者》——異常現象を現実に持ち込むスキル。もしかすると、自分の能力もこの異常を呼び込む一因になっているのかもしれない。
「これから……どうなるんだ、俺たち」
「知らねえよ。でもまあ……」
新藤はニヤリと笑った。
「少なくとも、退屈だけはしなさそうだな?」
その言葉に、蓮も小さく笑った。
「たしかにな。クラスは全員いない。でも、俺たちが“異常な現実”の中心にいる……」
その日から、世界は静かに変わり始めた。
誰にも知られず、ニュースにもならず、現実の裏側で何かが蠢いている。
そして、蓮はまだ知らなかった。
彼に与えられた“ギフト”が、ただの力ではなく——この世界の真実そのものに関わるものだということを。