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人の心を読む術

作者: tashusala

舗装もされていない道なき道を、巨大な木の根たちが立ちはだかるように塞いでいる。不気味なまでの静寂の中を突き進んだ先に仙人が住んでいるという。


都内でセールスマンとして働いている佐川辰夫は、社内のもめ事や客先との軋轢に嫌気がさしていた。同僚や先輩、上司は口にこそ出さないが、自分のことをどう思っているか分からない。客先の人間たちにしてもも本当に自分から商品を買うつもりがあるのか、そんな不信感が日々彼の心を蝕んでいた。


また彼には20歳の時から5年付き合っている彼女がいる。名を田中麻美といった。麻美とはそろそろ結婚も考えているほどだが、それでもすれ違いの多い日々を過ごしている。これだけ一緒にいてもなお、彼女の本心は一向に掴めない。


佐川はそういった悩みの原因は一つだと考えるようになった。それは「会話だけでは、人が何を考えているかを読み取れない」ということである。人の心さえ読み取れたなら人間関係でこんなにも苦しむことはないはずだ、その結論が彼を突き動かした。


果てしない山道の先に住んでいる仙人は、人の心を読む術を取得しているという。その仙人に教えを乞うことで、自分はあらゆる苦しみから解放されることができるはずである。


突き刺さりそうなほど尖った木の枝や葉っぱたちをかき分けると、掘っ立て小屋が寂しく立っていた。仙人はそこで生活している。


佐川は仙人に対して自分の悩みや動機を話したうえで、人の心を読む術を伝授してほしいと頼んだ。すると仙人は眉をひそめて

「教えてほしいというなら拒みはしない。だが人の心を読むということは、きっとお前が思っているほどよいものではないぞ」

「よいものではないことがありますか。人の心さえ読めたなら何も恐れるものはなくなる。そうじゃありませんか」

「そこまでいうならその術を授けよう」


そこから2年の歳月をかけて、佐川は仙人からその術を教わってついに習得した。彼は意気揚々と会社へと出社した。もう自分には何も恐ろしいものはない。人間関係のいざこざもすべて意のままに操ってみせると、彼は得意げであった。


課長が久しぶりに出社した佐川に声をかけてきた。

「君が戻ってきてくれて本当によかった。これからも一緒に頑張っていこう」

佐川の中に全身の血液が凍るようなゾッとしたものがこみ上げてきた。課長の本心が読めたからである。

「もともとは佐川君も管理職候補だったかもしれないが、この二年で優秀な新人も入ってきたし彼の同期社員も成長を遂げた。もう彼にはそれほど期待できないかもしれない」

無邪気なまでの笑顔をこちらに向ける課長は、本心でそんなことを考えていたのだ。


佐川は自分がいない間に入社したという若手たちに声をかけることにした。課長の心を読んだことで、彼らに興味が湧いたのである。

「よろしくお願いします。佐川さんのように優秀になれるように頑張ります」

佐川より四歳ほど若い男性の若手社員が、ハキハキした声で佐川にそう告げた。だが本心は違う。

「この人なら追い越せそうだ。近いうちに自分に従わせてやろう」


自分はこの会社に居場所があるのだろうか、帰り道で首を斜め下に向けながら佐川はそんなことを考えた。みんなが自分のことを歓迎していない、いつか自分は除け者にされるのではないか、そんな考えが頭を支配してぐるぐる回って離れなかった。以前であればそれは想像にすぎなかった。自分の考えすぎかもしれないとどこかで思うことができたのだ。しかし今は違う。心を読んだことで、客観的事実として自分の前に現れていることなのだ。


家に着くと麻美が料理を作って待ってくれていた。

「お疲れ様。今日は多めに作っておいたわ」

佐川は考えすぎで疲労した体に、その料理を流し込むようにして食事を進めた。やっと安らげる時間に入るとこができたと思ったのも束の間、また彼の胸は悪魔のような囁きに締め付けられることになった。麻美の本音が読めてしまったのである。

「私の結婚するべき相手は本当にこの人なんだろうか。もっと適している人がいるのかもしれない。でもしかたがないのかしら」


佐川は数日後に再び仙人のもとへ向かった。

「人の心が読めるのは辛いです。人は自分の想像以上にひどいことを考えていることがある。そんなものは最初から読めないほうがいいのでしょうか」

「お前と初めて会った時に言ったはずだ。人の心を読むとはそんなによいものではないと。だがお前はそれに耳を貸さなかった。人の心を読むことで自分は万能になれるのだと信じて疑わなかったではないか」

「愚かなことでした。あの時の自分は何も分かっていなかったです」

「お前を批判するつもりはない。なぜなら私もかつてそうだったのだ。お前と同じで人の感情さえも支配してしまえば何も怖いものはなくなると信じていた。だからこの術を得るために修行を重ねた。だがそれはあまりにも苦しいことだった。人の心の声が嫌でも入ってきてしまう。そして私は再び山に籠もって修行することにしたのだよ」

「何の修行ですか?」

「人の心を読めなくなる修行だ。つまり前の修行で得たものをすべてなくして、元通りになるための修行というわけだ。今その修行をしている最中で、もう少しでその心得を取得することができる」

「私もその修行をしてもよいでしょうか」

「よかろう。心得を取得することができたらそれから教えてあげよう」

「ありがとうございます。その時にまた来させていただきます」


佐川は荒涼とした寂寞の感がある山道を下っていった。やがて微かにであるが小川のせせらぎが聞こえてきた。見ると清く透明な水が、ゴツゴツした岩肌の間をゆっくりと流れている。

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