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通り雨には毒がある  作者: 白宮しう
一章 表と裏
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九話 三葉主の屑

 表国は、葉王の下に三葉主という位が設けられている。

 簡単に言うと、それは葉王に次ぐ立場を示すものである。楽心園の駆爺は、かつてその座を手に入れるために、他の有力候補だった人たちを片端から殺していった極悪人であった。

 夏見の両親もこの男に殺された。顔がきれいだった夏見は殺されないばかりか気に入られて、駆爺の傍に置かれた。


「人を殺して自分本位に生きて、それでも今に至るまで三葉主として支持される理由があのお方にはあったのだ」

「どう考えても無いでしょう」

「俺たちの立場から見ると無いかもしれんな。だが、視点を変えると別の景色が見えてくるものだろう」

 

 駆爺は昔から自分本位に動く人だった。

 だから、権力を得たいが為だけの無能な三葉主はいらないという結論を出して、能の無かった候補者を残らず殺した。それから、まだ抵抗一つできないような年若い夏見を、平気で身売りさせようとする性根が気に入らなかったから彼女の両親を殺した。

 全て自分本位に悪だと思った方を殺した。

 駆爺に助けられた人たちはそうして増えた。夏見もまた、そのうちの一人である。駆爺のためなら平気で罪を被る人が履いて捨てるほどいたから、駆爺の勢いは止まることを知らなかった。

 けれど、そうして築き上げた時代は、もう潮時であるとも思っているのだ。

 夏見は艶のある声で、うっとりと言葉を吐いた。


「私はね、あの人といっしょに死にたいのさ。ただそれだけなんだよ」

 

 日に日に弱っていく駆爺を間近で見ていた夏見の心は限界だった。置いて行かないで、と叫びそうになるのを毎日繰り返し堪えるのはひどく疲れる。

 そんな夏見を見かねて、駆爺は言ったのだ。


「葉王を殺せば死罪になるぞって、私を唆したんだ。そう言ったあの人の顔ったら、情けなくてありゃしなかったよ」

 

 丁寧におしろいが塗られた、真っ白な頬を滑り落ちる涙に嘘は無かった。

 葉王は夏見に歩み寄って、折れそうなほど細い肩を叩いた。


「相変わらず物騒なお方だ。でも、夏見も分かっているだろうが、あの人の本心では無かろう。葉王暗殺なんて到底無理なことなのだから」

「無理だと分かっていても、もし成し遂げられたなら、私は死罪になれただろう!」

 

 真琴の耳が痺れる。

 それは悲壮感に満ちた、夏見の慟哭のせいだった。

 細い手に胸倉を掴まれた葉王は、少しもたじろぐことなく渡に命じた。


「駆爺に会いに行く。医者も用意しろ」

「すぐに準備して参ります」

 

 一目散に慌ただしく龍の間から出て行ったのは九打と折糸だった。

 しくしくと泣いている夏見の腕を引いて立たせた渡は、いつもの気難しそうな顔を崩さずに問うた。


「捕えられた時に、どうして渡派などと下らぬ嘘を吐いたのだ」

 

 泣いていたはずの夏見は、あどけない少女のように可愛らしく小首を傾げてみせた。


「そう言えば、貴方もこの場に来てくれると思ったから」

 

 渡は何も言わなかったが、真琴は我慢できなかった。

 夏見が吐いた嘘は、渡派どころか渡本人の印象までも悪くしてしまうだろう。間違いなく実害のある嘘だ。


「ただそれだけの為に、渡さんの立場を悪くするような嘘を吐いたのか! どうしてそんな馬鹿な真似ができるんだ!」

 

 かっとなった真琴を後ろから抑え込んだのは渡だった。

 夏見は、水気が無くなった冷めた目を真琴に向けた。


「なあにそれ。私に貴方たちの事情なんて微塵も関係ないんだから、そっちの立場だとかは知ったこっちゃないよ。私はただ、久しぶりに顔を見るのにちょうどいい機会だと思って、そうしただけだよ」

 

 あんまりな言い草に、真琴が食って掛かろうとしたところで、渡が神妙な面持ちで割って入った。


「駆爺の傍にいるせいか、面白いほど似ておるな」

 

 真琴がそろりと渡を見ると、そういう割にはつまらなさそうな顔をしていた。

 それから差ほど時間を置かず、馬車の準備が整ったとの連絡が入った。

 葉王を囲むようにして馬車へ乗り込む。すでに中にいた白衣の二人は、誰が見ても医者だと分かった。

 小窓を開けると、生暖かい風が入り込んできた。


 馬車に揺られてうとうとと気持ち良く舟を漕いでいた真琴は、脳天に落ちた拳によって目を覚ました。

 横目で渡を睨むが、すっとぼけた表情をしている。

 静かに止まった馬車から降りると、異彩を放つ楽心園の学舎が出迎えてくれた。立派な瓦屋根に見劣りしない、周囲と一線を画す城のように広大な学舎は圧巻である。

 葉王は迷わずその中へ入って行く。真琴たちも後を追った。


「どうして学舎に来たのですか」

「ここが駆爺の家だからだ」

「え、学舎がですか?」

「そうだ。そもそも駆爺がこの学舎を創設したのだ」

 

 まさかの事実を知った真琴は目をひん剥いたまま、初めて学舎に足を踏み入れた。

 懐かしい下駄箱の匂いに少しだけしんみりとする。本来なら真琴だって学校に行っているはずの年齢だ。

 人気は無かった。子供たちはもう帰ってしまったのかもしれないな、と窓から差し込む西日を見て真琴は思った。

 最前を歩いている葉王の腕に、夏見の細い手先が絡まった。


「駆爺は地下の校長室にいるよ」

「では、こちらだな」

 

 葉王の足に迷いはない。

 いくつかの教室を通り過ぎて、階段を下りる。どこに目を走らせても裏国の学校と変わらない造りだ。理科室も、音楽室だってあった。

 地下に着くと、校長室と書かれた札が張りつけられた扉があった。葉王を押しのけて、夏見が勢いのままその扉を開け放った。


「駆爺、医者が来たよ」

 

 そこは、校長室とは名ばかりの小部屋だった。干したばかりのようなふかふかの布団に身を沈めている塊がもぞりと動く。


「何だ、けっきょく殺さず帰って来ちまったのか」

 

 布団から顔だけを出して、意地悪く笑うこの人物こそが駆爺である。真琴はその姿に驚きを通り越して恐怖すら抱いた。だって、どう見ても幼子にしか見えないのだから。弱っているが、十歳に満たないほど若々しい姿をしていた。


「こんなに大勢で来やがって。冷やかしかい、葉王さんよう」

「早速で申し訳ないが、医者に診てもらうぞ」

「意味の無いことをしやがって」

 

 煩わしそうに言いつつも身を起こした駆爺と目が合ってしまった真琴は、背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。

 幼い容貌に似つかわしくない、獲物を狩る直前の獣のような鋭い眼光に晒されたのだから、たまったものでは無い。

 真琴は彼が何人も殺したことを聞いてしまったし、余計に恐怖が上乗せされる。少しでも動いたら喉元を掻っ切られるかもしれないと本気で思った。


「裏国の者がいるのか。珍しいじゃねえか」

「はじめまして。真琴です」

 

 真琴は震える声を必死に絞り出した。


「おうよ。しっかり挨拶できて偉いな」

 

 予想に反して、赤子のように屈託なく笑った駆爺。そこへ医者が割り込んできて、すぐに診察が始まった。

 しばらく時間がかかるとのことだったので、真琴たちは校長室の隣にある客室へ移動した。

 縁側からは鹿威しが見える。かこん、と乾いた音が耳に届いた。


「駆爺さんって、とてもお若いんですね。てっきり、その名の通りおじいちゃんかなって思ってました」

「間違っておらん。あの人は年を取れぬ老人だ」

「信じられません。どう見たって子供ではないですか」

 

 地を揺らすような、豪快な笑い声が響いた。

 驚いた真琴が振り向くと、葉王が腹を抱えて笑い転げている。


「真琴が驚くのも無理はない。だが、あの人は俺たちが子供だったころからあの姿のままだ」

 葉

 王はそう言って客室の隅を指し示す。そこには額縁に入れられた表彰状の数々と並んで、数枚の写真が飾ってあった。


「一番右の写真には、俺と渡が映っている。ほら、そこに駆爺もいるだろう」

 

 真琴はずい、と顔を近づけて写真を舐め回すように見た。確かにその写真には、今と全く姿が変わらない駆爺が映っていた。やんちゃそうな笑顔を浮かべて、集合写真のど真ん中に立っている。その両脇には、体格が良く凛々しい顔つきの少年と、見るからにひ弱そうな少年がいる。


「もしかして、このもやしのような子が渡さんでしょうか」

「そうだが、もしかして私に喧嘩を売っておるのか」

「まさか」

 

 目尻に涙を浮かべて笑っている葉王が、ひいひいと呼吸を乱しながら渡の肩を叩いた。


「確かにこの頃はもやしだった! それにしても、良くこのもやしが渡だと分かったな」

 

 真琴は得意そうに頷いて見せた。


「はい。この中で誰よりも気難しそうな顔をしていたので、ぴんときました」

「目の付けどころが良いぞ、真琴」

 

 葉王には褒められたが、渡からは絶対零度の冷たい視線を食らった。真琴はこれ以上おこられないように、すごすごと引き下がった。

 何度目かの鹿威しが鳴った時、笑みを引っ込めた葉王が静かに口を開いた。


「駆爺はあとひと月と経たずに三百歳になる。これだけ生きているなら、もう不老不死だと誰でも思うだろう」

 

 弱った駆爺を見て、その考えが浅はかだったと知った。

 人には寿命がある。この世に生まれ落ちた瞬間から死に向かって走っている。そんな当たり前のことを自覚するのは、いつだってそれが手元から離れていってしまう時なのだ。

 葉王は何かを誤魔化すかのように鼻の頭を掻いた。


「駆爺も人だったんだ。知っていたはずなのに、今の今まで理解しようとしなかった」

 

 夏見が殺しに来なければ気づかぬままだった、と苦笑を零した葉王に、真琴はどう返せばいいのか分からなかった。

 やがて、医者の一人が呼びに来た。


「大きな病などではありませんでした。老衰でしょう」

「あの容姿で老衰か」

「見た目は子供ですが、体の内側は歳相応なのでしょう」

 

 三百歳近くの歳相応とははたしてどんなものなのか。横で話しを聞いていたが、真琴の頭では想像できなかった。


「駆爺と話しても問題ないか」

「はい。気力を取り戻したみたいで、今は桃や梨を食べておりますよ」

 

 一同が校長室に戻ると、駆爺は小さな頬いっぱいに果物を詰め込んでいるところだった。

 長い咀嚼が終わってから、葉王を手招く。


「待たせたな」

「構わぬ。それよりもう体を起こしても平気なのか」

「今は平気だ。だが自分の体のことだから、この先が長くないってことくらいは分かってるつもりだ」

 

 目に涙をたっぷり溜めた夏見が辛そうに顔を歪めた。それを見て駆爺が困ったように頬を掻く。


「おれも人の子だったというだけだ」

 

 駆爺はふらりと布団から抜け出すと、渡にくっついてしまいそうなほど顔を寄せた。両方とも、ぴくりとも表情を変えぬまま見つめ合う。


「死ぬまでの限られた時間はおれ自身のために使う」

「どのように使われるおつもりですか」

「おれの後継を探すんだ。表国をまとめるために、三葉主は必要不可欠だからな」

 

 ここでようやく駆爺が口角を釣り上げてにいっと笑った。そのまま真琴の方に目をずらして声高らかに宣う。


「ほら、ここに有望そうなガキもいることだしちょうどいいだろ」

 

 しんみりとした空気から一転して、息を飲む音や仰天して叫び出す人たちでこの場が騒然となった。

 その中で真琴はただ一人、頭を真っ白にさせて立ち尽くしていた。

続きを執筆中です。しばらくお待ちください(^_-)

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