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通り雨には毒がある  作者: 白宮しう
一章 表と裏
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七話 契った渦は顔見知り

 晴天の下を走る真琴の肺は、今にも潰れそうになっていた。

 あの後、裏国で言うところの交番に捕まえた五人を引き渡し終えて、ようやく走り出すことができたのだ。

 少しの息抜きで体力が跳ね上がったわけでは無いが、辛くても足を止めずにいられるのは間違いなくあの時間があったおかげである。


「もうすぐ終点だ。お疲れ、真琴」

 

 並走してくれる九打に励まされながら速度を上げる。

 肺が軋むような苦しさが快感に変わりはしなかったが、十分なほど達成感はあった。


「ありがとう、ちゃんと走りきれた!」

 

 広場に駆け込み、その勢いのまま地面に倒れ込む。

 早朝に犇めきあっていた、あれだけの大人数はとっくに消えていた。遠慮せずに両手両足を伸ばしきって見上げる青空が清々しい。

 呼吸を落ち着けていると、横から皺のある手がすっと差し出された。


「続けられそうか」

「帰るために必要なら、続けるしかないので」


 渡の手を取った真琴は、ふらつきながら立ち上がった。


「わざわざ迎えに来てくれたんですか」

「近辺で物騒な事件が起きたと聞いた。様子見のついでに立ち寄ったに過ぎん」

 

 近くで聞き耳を立てていた蜜花が、にんまりと笑いながら渡に忍び寄った。


「まあ、お気遣いありがとうございます」


 バツが悪そうな顔をした渡は、さっさと歩いて行ってしまった。


 朝は走り、昼はたくさん食べ、それから気を練る。

 繰り返しの日々を送っていた真琴に、渦との契約の話しが持ちかけられたのは、いつものように気を練る練習を終えた時だった。

 三本目の蝋燭の火を消した直後、渡が稽古場へやって来たのだ。


「其方が此処へ来てから、明日でひと月が経つ。そろそろ頃合いかと思ってな」

 

 真琴は即座に引き受けた。

 それから期待に満ちた眼差しで渡を見つめる。


「俺はやっと渦を手に入れるだけの力を得られたんですね!」

「いや、全く。気を練ることはできても、相変わらずの体力ではないか。だから、半ば自棄ではある」

「自棄ってなんですか! 俺、これでも毎日欠かさず頑張ってるんですよ」

「そうだな、頑張りは認めておる」


 多忙な日々を送っている渡の顔は些かやつれ気味であったから、真琴はそれ以上ぎゃんぎゃんと吠えることは控えた。その代わり、心配はさせてもらう。


「少しでも良いので休んではどうですか」

「すまない、子供に気をつかわせてしまったようだな。明日の詳細については、夕食の時にでも話そう」

 

 渡の足取りに問題は無かったが、どこか気力が削げたような雰囲気をまとったまま、そそくさと去って行った。

 真琴の唇が自然と尖がる。


「仕事漬けだからああなるんですよ」

「落葉の第二葉に向けて、準備がいろいろありますからね。仕方ないですが、いつか倒れそうで見てられないのは確かですけど」

 

 今日の稽古を見てくれていた折糸と共に、蝋燭を片付けつつ会話を交わす。毎日のように顔を合わせていれば、自然と打ち解けていくものだ。今ではすっかり真琴の雑談相手として定着していた。その大半が渡と夜矢丸の愚痴ではあるが、今日は違う。


「折糸さん、渦との契約ってどんな感じなんですか」

「渦に選んでもらえるように、全身全霊で祈るんですよ」

 

 両手を組んで空を仰ぐ折糸を真似してみる。

 折糸は研究室に所属している落葉だ。だから渦を持っている。そんな彼女から向けられた憐みの籠った視線に気づいた真琴は、漠然とした胸騒ぎがした。

 翌日、どんよりとした曇り空が朝を告げた。

 今にも雨が降り出しそうな湿った匂いが真琴の鼻に届く。


「渡さんってもう起きてるのかな」

 

 渡が一緒に来てくれると言うことは、夕食時に教えられた。結局、契約そのものについては詳細不明のままだが、知ったとて、それを理解できるかどうか分からないし、まあいいや、と諦めている。

 布団からもぞりと這い出ると、曇天に似つかわしくない笑顔が真琴を迎えてくれた。


「おはようございます、真琴様。渡様の身支度はすでに整っておりますよ」

「紅乱さん! すみません、俺もすぐに準備します」

 

 それから玄関先で紅乱と談笑している渡の背中に声をかけるまで、十分とかからなかったと思う。

 渡家から近いとは言え、久しぶりの葉流城だ。自然と背筋が伸びる。

 今回は葉王と顔を合わせた鶴の間ではなく、迷路のような城内を突き抜けた先に案内された。そもそもこの城が大きすぎるものだから、三十分近くは歩き続けたように思う。案内人といっしょに薄っすらと汗をかきながら、仰々しく鎮座する重たい扉を開けて足を踏み出した。

 ぽたぽたと雨が水面を叩く淑やかな音がした。

 扉の向こう側は外に続いていた。遠くには青々とした葉を蓄えた一本の木があり、その周囲一帯は透き通った浅い湖となっている。


「では、あの木の下まで参りましょうか」

 

 案内人の後に続く。足首まで水に浸かりながら、どうにか前進する。

 葉流城にこのような場所があるとは思わなかった。どことなく、楽心園の端で見た景色と似ている。

とても静かな場所だ。真琴たちが水を掻き分ける無粋な音さえなければ、より神々しさを感じられたことだろう。

 木の真下まで辿り着くと、その大きさが如実に分かった。


「渡様と僕は不測の事態に備えて、すぐ傍で待機していますね。真琴様は木の下でお祈りください」

「ちょっと待って、例えばどんな不測の事態が起きるんですか」

 

 急に心細くなった真琴は、しずしずと離れて行こうとする案内人に縋りついた。


「機嫌が悪い渦が暴れてしまったりすることが少しばかりあるのですが、大丈夫ですよ。僕らがしっかりお守りしますので」

「でもそれって危ないじゃないですか」

 

 この神聖な雰囲気に気圧されたのもあって、真琴は土壇場になって尻込みした。そんな真琴の頭に、渡が自分の烏帽子を乗せてきた。


「お守り代わりに貸してやろう」

「俺、死なないですか?」

「死なせん。その為に私が此処にいるのだからな」


 烏帽子の重みが真琴の心を落ち着かせた。

 二人の間を、水面を撫ぜるような柔らかい風が通り過ぎて行く。

 真琴は渡の目を真っすぐに射抜いた。


「信じますからね。何かあったら絶対に助けてください」

「初めからそのつもりだ」

 

 渡と案内人が真琴から離れて行く。それに伴い、雨音が強くなる。

 果たして渦は真琴の元にやってくるだろうか。

 木の真下に立った真琴は、ぎゅっと目をつむり両手を合わせた。


「あったかい」

 

 数秒と経たずに、うすら寒かった真琴の体が何かに包まれた。それが何か真琴は知っている。あの時と同じだと真琴の体が訴えている。

 静かに目を開けると、そこには大きな目玉があった。


「久しぶり。お前、あの時の渦だろ。俺のところに来たのか」

 

 渦は目玉をぎょろりと回す。それが肯定だと何となく分かった真琴は、蛇のように自身に巻き付いている渦を撫でた。やはり掴もうとすると霞のように手をすり抜けてしまうが、その感触が久しぶりで、つい顔が綻ぶ。


「で、ここからどうやって契約していくんだろ」

「これで終わりだ。其方は無事に渦との契約を完了した」

 

 離れたところで待機していたはずの渡がすぐ傍に立っていた。

 ほっと胸を撫で下ろす真琴とは反対に、渡と案内人は難しい顔をしている。


「何か問題があるんですか」

「たった一度の、しかも短時間の祈りのみで、渦と契約を取れた者は他におらん」

「この渦は裏国で俺を追って来たやつです。それが関係しているのかもしれません」


 渡は案内人と顔を寄せ合い話し込んでしまった。放っておかれてつまらなさそうなのは真琴も渦も同じだったから、どちらからともなく水をかけあって遊び始めた。


「おい、こら、冷たいだろ」


 渦の大きな目玉が細められる。それから烏帽子の上にちょこんと乗ると、その身を小さく震わせた。すると降って来る雨粒が明らかに大きくなった。

 手のひらはあっという間に雨で埋まった。


「どうしたんだよ、渦」

 

 烏帽子の上で跳ねだした渦を見ようとして、真琴は思わず息を止めた。

 空いっぱいに広がる、彩度が高い大きな虹。曇天の中に姿を現したそれはオーロラのようにも見えた。


「こんなの見たことない。すごくきれいだ」

 

 冷えた体を再び渦に包まれる。渦の大きな目玉は真琴を真っすぐ見ていた。多分、反応を伺ったのだと思う。渦は感嘆する真琴を確認すると、もう一度その身を震わせた。

 雨が止んで、浮かんでいる虹がより鮮明になった。


「葉王の下へ参ろうか」


 渡の声が静かな空間の中で大きく響いた。

 もう一度、名残惜しく美しい空を仰ぎ見てから、真琴は渡の言葉に従った。

 行きと同じように城内を歩くさなかで、真琴は烏帽子を渡の頭にそっと返した。

 渡の鋭い眼光が真琴の方を向いた。


「効果はあったようだな」

「はい。どんなお守りよりも」

 

 真琴の頭に乗っている渦は、疲れたのか丸まって寝ている。

 時折、廊下の曲がり角で女中とすれ違いながら客室に辿り着くまで、やはり行きと同じだけの時間はかかったように思う。


「こちらが虎の間でございます」

 

 案内人は深々と頭を下げて去って行った。

 室内にある屏風や掛け軸には、大きな雌雄の虎が描かれていて迫力がある。見入っていると、傍らから声がかかった。


「無事に渦を得られたようだな。おめでとう、真琴」

 

 葉王だ。真琴は慌てて頭を下げた。ほとんど条件反射である。


「そう畏まらなくて良い。渡のところで頑張っているようだな。娘から度々話は聞いている」

「蜜花様はいつもいっしょに走ってくれるんです」

「あの子は暇さえあれば外に出るような腕白わんぱくな子なのだ。邪魔でなければ、また相手してやってくれると助かる」

 

 初めて会った時に感じた威厳は少しも損なわれていなかったが、気さくに話してくれるので委縮してしまわずに済んだ。


「葉王、早急に話しておきたいことがございます。席におかけください」

「相変わらず渡はせっかちだな」

 

 渡に促されて部屋の奥に進むと、大きな机とたくさんの椅子が並んでいた。普段、虎の間は食事をする時に使用するのだと葉王が教えてくれた。

 適当に椅子へ腰かけ、ようやく本題へ入る。その本題を真琴はよく分かっていなかった。

 渡が重たい口を開く。あまり気が進まないようで、それが顔に現れていた。


「真琴の渦は、一年ほど前まで夜矢丸と契約していた渦です。奴は渦が落ちたと言っておりましたが、恐らく渦に捨てられたのでしょう」

「それで、夜矢丸を捨てた渦がその地で真琴と出会い、表国に戻って来たと。なるほど、それなら管理課に引っかからないのも頷けるな」

 

 何を話しているのだろう。ここへ来て久しぶりに感じる置いてきぼりの会話に耳を傾ける。内容は分からずじまいだが、この場にいる以上、葉王と渡の顔を交互に見て話しを聞いている感じは出しておいた。


「つまり、其方は夜矢丸以上の力を秘めていると言うことだ」

 

 急に渡と目が合った。

 会話の前後が分かるはずもなく真琴が曖昧に笑うと、あからさまに面倒くさそうな顔をされたからいらっとした。

 それを見ていた葉王が、さらりと助け船を出してくれる。


「真琴の面倒を見ると言ったのは渡だ。分かるように教えてやるべきだろう」

「分かっておりますとも」

 

 渡は真琴の頭で眠る渦を見やった。

 人に寿命があるように、渦にも寿命がある。渦はその命を散らす時、裏国へと雨のように落ちて行くそうだ。もともと夜矢丸と契約していたこの渦は、そうして死んだと思われていたが、今しがた真琴と契約したことで生きていたことが発覚した。

 問題はその後だ。


「その渦は、とても狡猾で自尊心が強い。人ごときに管理されることを嫌う厄介者だ。現に管理課の目を難なくすり抜ける術を身に着けておるではないか。まさか生きておったとはな」

「へえ、そうは見えないですね」

「それだ。それが問題なのだ」

 

 いつの間にか渡の手に合った扇子の先が、真琴の鼻先に付く。

 地味に痛かったが、今はそんなことは言えないくらいに空気がひりついていた。


「落葉で最も力のある夜矢丸でさえ手懐けられなかった渦が今、其方の手中にあるのだ。言ったであろう、其方は夜矢丸以上の力を秘めていると。だがそれでは、困るのだ」

「何が困るのですか。教えてください」

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