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通り雨には毒がある  作者: 白宮しう
一章 表と裏
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六話 楽心園にて足掻く

 町内会の朝は早い。

 日が昇り切らぬうちに葉流城から楽心園まで下り、人が犇めく広場に到着した真琴は大きな欠伸を零した。

 広場を囲うように木々が植えられており、枝から枝へ、小鳥が気ままに飛んでいる。さえずる音が聞き取り辛いほどには辺りがざわついていた。


「九打も俺に付き合ってくれるとは思わなかった」

「用心棒代わりに駆り出されてね。楽心園は物騒なところも多いからさ」

 

 それよりも、と九打が引き攣った笑顔で真琴に詰め寄る。

 九打が何を言いたいのか分かり切っているからこそ、真琴は返答に困ってしまった。元凶である二人をそろりと見やる。


「蜜花様、次は背中を大きく反らしてみてください」

「分かったわ、こうね。うわ、これは思っていた以上に気持ち良いかもしれない!」

 

 そこには準備体操に精を出す蜜花と早瀬がいた。真琴が町内会に参戦すると聞いて着いてきてしまったのだ。渡はもちろん反対していたが、朝から元気いっぱいの蜜花に勢いで押し切られた形であった。

 一部始終を聞いた九打は、軽く屈伸をし始めた。


「目に浮かぶよ、渡様の死んだような顔が」

「ここにいないからって随分な言いようだな」

「冗談の一つくらい言いたくもなる。早瀬さんがいるとは言え、護衛対象が増えたんだからね」


 程なくしてから、町内会のまとめ役のような人が前方にあるお立ち台に上がった。

 朝の挨拶が終わると、続いて道順の説明があった。土地勘のない真琴にはさっぱり分からなかったが、九打はあらかた把握できたらしい。


「折り返し地点まで坂が多い経路だね。これは鍛えられそうだ」

 

 お立ち台から人が消えると、群衆がぞろぞろと移動し始めた。真琴たちもそれに習う。うきうきを閉じ込めきれずに身を揺らす蜜花は、早瀬と似たような男物の全身真っ黒な軽装でかなり走りやすそうだ。

 負けていられない、と真琴は気合いを入れた。


「それでは、はじめ!」

 

 号令と同時に、皆が一斉に走り出した。

 前を走る人の呼気が聞こえてくる。不揃いな足音が体中に響く。早朝の空気は冷たく澄んでいて、肺いっぱいに取り込むと目がしゃんと冴えた。

 一人二人と抜かして、前へと進む。

 活気づく直前の街並みを背景にして動かす真琴の足は軽快だった。序盤だけではあったが。


「真琴、すごく走ってる感出してるけど、その速度は最早歩いてるのと変わらないよ。歩こう、無理はしなくていいから」

 

 真琴の背中に無慈悲な声がかかる。蜜花と早瀬の心配そうな顔に挟まれつつも走ることを止めないのは、ただの薄っぺらな意地だった。

 速度を落とさないまま進んでいく集団からは、すでに大きく離されている。真琴の周囲にちらほらといるのは、今やほとんどが高齢者だった。


「これが俺の限界か。認めたくない」

 

 すいすいと真琴を抜かしていく老婆を見送りながら歯噛みした。

 吹き出す汗が地面に染みを作る。昇りきった強い日差しは、容赦なく残り少ない真琴の体力を奪っていった。


「真琴様、わたしたちも歩きますから、どうか無理をなさらないで」

 

 蜜花の小さな指に袖を引っ張られた。それを振り払えなかったふりをして、真琴はようやく走るのをやめた。

 蜜花でさえ汗一つかいておらず、疲労だって微塵も感じられないことに、少なからず悔しさを覚える。

 運動神経が悪いのを馬鹿にされたくなかったし、体育の先生が怖いからって、これまで逃げ続けた結果がこれである。恥ずかしいやら情けないやらで、勝手に涙が浮かんでくる始末だ。


「泣くことは無いんじゃない」

「別に、泣いてねえし!」

 

 九打の肩に思い切り拳を当ててから、真琴は顔を伏せてしゃがみこんだ。えぐえぐと泣けるだけの体力は残っていることに、また泣けてくる。人前でこれほど盛大に泣いたのはいつぶりだろうか、と頭の片隅で真琴は思った。


「真琴様、たくさん泣いて良いのですよ。そうですよね、急に表国に連れて来られた挙句、帰るためにたくさん頑張らなくちゃいけないなんて、誰だっていっぱいいっぱいになっちゃいますよね」

 

 蜜花の温かい手が真琴の頭を撫でる。

 緩んだ涙腺を乱暴に拭った真琴は、そのまま弱音を吐き出した。


「もう嫌だ、はやく家に帰りたい」


 昨日の決心は嘘ではなかった。けれど今日、こうして走ってみて分かったのだ。真琴は自分が思っている以上に運動が嫌いなのだと。

 足が重たくてまともに走れない。走りながら呼吸することが苦しくてたまらない。それに、果ての見えない長距離を走らなければならない苦痛が、これほどのものだとは思わなかった。

 すると、蜜花が真琴の顔を見て言い放った。


「分かりました。では走るのをやめて、息抜きをしましょうか。近くにおすすめのお茶屋さんがあるのですよ」

「は?」

「息抜きはとっても大切なのだと、むかし早瀬に教わりました。だから、ほら、行きましょう」

 

 蜜花に腕を引っ張られた真琴は呆気に取られた。どうして良いか分からず九打に助けを求めると、意外にも乗り気だったから、なおさら驚く羽目になった。


「でも俺、帰るために鍛えないといけなくて」

「分かっています。もう一回頑張るために、一回だけ息抜きするのですよ。何も可笑しなことではないでしょう?」

 

 蜜花はそう笑って、走る道順とは真逆の方向に進んでいった。

 すぐにでも追いかけたかったけれど、真琴の足は今、地面に縫い付けられている。ここで着いて行ってしまったら、また嫌なことから逃げる嫌いな自分になってしまうから。


「真琴、僕らも行こう」

「逃げてばっかりで情けないよ。やっぱり俺、走る」

 

 老婆に抜かされても構わない。最後まで走ろうと思って足を踏み出すと、九打に首根っこを掴まれてしまった。


「そうやって助走に入れる気持ちがあるなら、少しくらい休んだって問題ない。行くよ」


 商店が立ち並ぶ小道の途中にあった赤い暖簾をめくると、小ぢんまりとした室内に蜜花たちがいた。卓上には湯気の出ている茶碗が置かれている。


「真琴様、こちらですよ」

 

 蜜花に手招かれる。皆の前で盛大に泣いてしまったことに恥ずかしさを感じつつも、客席に腰掛けた。

 いつの間にか、真琴と九打の分の茶碗が置かれていた。真琴は思わず飛び上がってしまった。


「嘘、さっき無かったのに」

「ここの店長は俊足だからね。まあ、極度の恥ずかしがりやだから姿は見れないと思うけど」

 

 当たり前のことなのだろう、真琴以外はさして驚いている様子は無かった。その間にも、小皿に乗った和菓子がポンポンと卓上に置かれて行くものだから、うっすら恐怖を覚える。


「全然見えないや。表国ってすごい人がいるんだな」

 

 それから何度も目を凝らしてみたが、結局姿を見ることはできなかった。

 真琴は並々と注がれた抹茶を口に運んだ。まろやかでとても飲みやすい。続けて黄粉がまぶされたおはぎを口に放り込む。


「絶品だ、美味しすぎる」

 

 疲れに染みるその味を、しばらく忘れられそうになかった。

 茶屋に長居していたわけではないが、外に出ると道いっぱいに人が詰まっていて、到底走れるような状況ではなくなっていた。


「そっか、ここは楽心園だった」

 

 九打が人ごみを掻き分けながら先導してくれるが、それでも歩きにくい。人とぶつからずにすれ違うのは不可能だ。

 ここは裏国で言う、繁華街ど真ん中である。あの殺伐とした空気は感じないが、人の波に圧倒されてしまう。

 喧騒に混じり、後方から早瀬の声がかかる。


「また走るのでしたら、説明があった道順と少しずれますが、裏道を使うっていうのはどうでしょうか」

「それしかありませんね。移動します」

 

 九打の背中を見失わないように方向転換する。

 危うく大人たちに潰されそうになりながらも、何とか裏道に辿り着いた頃には服も髪も崩れていた。真琴は少しだけはだけた胸元をそっと正す。


「真琴、平気?」

「うん。でも蜜花姫と早瀬さんが」

 

 真琴の後ろにいたはずなのだが、いないのだ。

 ここは裏道というだけあって人っ気が少ないから、いたらすぐ分かるはずなのに。


「早瀬さんがいるから大丈夫だろうとは思うけど」

 

 九打も注意深く辺りを確認している。

 すると、二人の真上に影が掛かった。

 晴れているはずの空を見上げると、そこには蜜花を小脇に抱えた早瀬がいた。地上と空中でばちりと目が合う。早瀬は身を捻って近くの屋根に降り立った。


「ちょっと襲撃に遭いましてね。しばしお待ちを!」

 

 早瀬の後方には、まるで蚤のように屋根から屋根へと飛び移って来る、血走った眼をした五人の輩がいる。彼らが襲ってきた敵で間違いない。


「九打、早瀬さんを助けないと」

「問題ないよ。ほら」


 状況に似つかわしくない砕けた調子で九打が言う。

 しかし、どう見ても多勢に無勢であることは明らかだ。どうしたものかと足踏みする真琴の思いを裏切って状況は一変した。

 まるで割れ物を扱うかのように、早瀬が蜜花をその場に降ろした。


「蜜花様、ここなら九打もいますし安全です。いささか不安定な屋根ではありますが、大人しくしていてください。一分もあれば片付きますので」

「うん。お願いね」

 

 早瀬は蜜花に一礼してから、五人の敵と対峙した。

 彼らは揃って短刀を構えていた。鈍く光る刃先は、確実に早瀬と蜜花を捉えている。


「よし、それでは行きましょうか」


 呼応するように、早瀬の足元でもやが揺らめいた。それは靴のように形状を変えた渦だった。

 それから全てが文字通り一瞬で終わった。

 真琴の理解は追いついていないが、目はちゃんと情報を読み取っている。

 早瀬の足元に転がっている五人の輩はぴくりとも動かない。そんなことは微塵も気にせず、早瀬は手と顔を入念に手ぬぐいで拭いていた。


「いやあ、申し訳ない。勢い良くいき過ぎちゃいましてね」

 

 爽やかな笑みにそぐわない血に染まった手ぬぐいを片手に、九打の肩を気安く叩く早瀬。


「これだけ汚れてしまっては蜜花様に触れませんから、九打に頼みますね」

「承知しました」

 

 屋根に軽々と飛び乗った九打が、蜜花を抱えて戻って来る。蜜花は特に動じている素振りも無かった。


「みなさんご無事で何よりです」

 

 美しく朗らかなその笑みを見て、真琴の口からつい疑問が滑り落ちた。


「早瀬さんって一体何者なんですか」

 

 蜜花はこてんと小首を傾げつつも答えてくれた。


「早瀬は葉流城専属の御者で、わたしの付き人でもある元落葉。だからね、とっても強いのです」

 

 驚きましたでしょう、そう得意げに目を細める蜜花に、真琴はただただ参りましたと苦笑を零した。

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