十二話 落ち葉通しの儀
そもそも駆爺が真琴を学舎に誘ったのだ。その上で渡と真琴の繋がりを大勢に伝えた。そこに意味があるのか、それともただの気まぐれか。
後者だと断定して迷惑だと切り捨てることは簡単だったが、それでは真琴が迷惑を被った分の見返りが無い。
「だったら自分で作らないとって思うよな」
「急になに言ってんだ。文脈を考えて会話しろよ」
だんだんと雨了の苛立ちが増していく。
授業の合間の休み時間なんてあってないようなものだ。廊下の奥からぞろぞろと足音がやってくる。
蜜花が意を決したような面持ちで雨了を見つめる。
「雨了様がわたしたちを思ってそう提案してくれたのはありがたいけれど、残念ながら聞き入れられません。なぜならわたしは今、とっても学舎生活を楽しんでいるからです」
あまりにもきっぱりとしたその物言いに言い返す者はいなかった。
生徒が戻って来る。雨了の様子を横目で伺いながらも、真琴の存在は気になるようで視線がうるさい。その中の一人が果敢にも雨了の盾をすり抜けて真琴に接触してきた。
活発そうな短髪の少女だった。雨了がその子を素波と呼んだ。
「一つ聞きたいことがあったの。真琴君は渡様といっしょに落ち葉通しの儀に参加するの?」
「だったらなんだよ」
真琴よりも先に雨了が口を挟む。素波は気にせず続ける。
「だったらとっても良い席で見れるでしょう。いいなあって思って」
「まだあるって決まったわけじゃねえだろ。ほら、とっとと自席に戻れ。そろそろ先生が来るぞ」
「はあい」
しぶしぶ素波が去って行ったあとで、真琴はこっそり九打に耳打ちした。
「落ち葉通しの儀って何?」
「後で教えるよ」
豪快に引き戸が開く音がしたと思ったら若い男性教師が教室に入って来た。
力試し、という裏国には無い授業を担当しているようだ。教科書には白岩場でうっすら習ったことなどが簡潔にまとめられている。
表国に生きる大多数の子は、落葉になる必要がない場合でも体を鍛えて気を練ることを学ぶ。力試しはそんな子たちのためにある実技が主の教科だが、今日は珍しく渦と人間との歴史についての講義になった。
板書はどんどん埋まっていく。
集中していると時間なんて一瞬で過ぎてしまう。
「渦に選ばれ葉王に認められた者のみが落葉になれるわけだが、渦に選ばれなかった者や気を練れない透だって表国を支えてくれる重要な種だ。落葉は種を守り、種は落葉を支える。こうして我々は歴史を築いてきた」
話しは変わるが、と教師が前置きして言った。
「四季ごとにある行事、落葉の第一葉が死者を出さずにもうすぐ第三葉までいく。この重要性について分かるかい?」
一瞬、真琴と目が合った気がしたが気のせいだったかもしれない。教師は元気よく手を上げる素波を名指しした。
「はい、落葉の第四葉まで死者を出さずに遂行できた場合、年明けには落ち葉通しの儀が行われます。そこには葉王をはじめ御正室、御側室、またその御子息御息女が参加されるので、正に表国をあげての一大行事です」
「その通りだ。王族が民の前に姿を現す唯一の行事と言っても過言ではない。だからこそ我々は滞りなく落ち葉通しの儀を執り行わなければならない。そうして次の落葉の第一葉につなげていくんだ」
真琴は漠然と厄介な儀式があるのだなあ、と思った。
それは白岩場で汚い権力争いを見てきていたからこその感想だった。王族とお近づきになれる可能性があるその儀式で、自分の派閥を売り込もうとする輩が出ないとは思えない。
また巻き込まれるかもしれない。
身を固くする真琴を置いてけぼりにして教室中がそわそわし出す。
前の時はたくさんの屋台が出たやら、珍しい舞踊が見られただとか。そうやってわいわいと盛り上がる彼らが純粋に羨ましかった。
分かりやすく浮足立った教室の雰囲気を鎮めるかのように、教師がぱちんと手を叩いた。
「落ち葉通しの儀が決定したあかつきには、落葉と種の変わらぬ絆を王族へと伝え、表国の平穏をみんなで祝おうじゃないか」
教壇に立つ教師はその言葉で締めくくり教室を後にした。
まだ第三葉の結果すら分からないと言うのに、生徒たち一同はすっかりその気になっていた。そんな様子を見ていた真琴は、不安は拭いきれないが少しの興味は沸いた。
お手洗いから戻ってきた蜜花が真琴の隣に腰を下ろすと、そのまますっと真琴の耳に口を寄せた。
「実はわたし、今年は死者が出ないと思っているのです」
「つまり落ち葉通しの儀ができると」
「はい。だからどうぞ楽しみにしていてくださいね。みなさまがおっしゃる通り、真琴様はきっと渡様の近くの良い席で見物できるでしょうから」
陰りの無い蜜花の微笑みは美しかった。
真琴は小さく頷いて不確定なこの先に思いを馳せたのだった。
学生らしく過ごしながら時たま遊びに来る蜜花と過ごす。そんな繰り返しの毎日に小さな変化が訪れたのは、すっかり空気が冷たくなってきたころだった。
もうじき落葉の第四葉が表国を発つと学舎中で話題になった辺りから、九打はたびたび白岩場に赴くようになった。蜜花も学舎に来る頻度がぐんと減った。
必然的に雨了と過ごす時間が増えた真琴は、こうして今も小雨が降るのを眺めながら大部屋で怠惰に過ごしている。
休日とは言えもう昼前だと言うのに、布団に包まったままの雨了が気だるげに聞く。
「九打も第四葉に出るのか」
「いや、今回は見送りだってさ。その代わり落ち葉通しの儀の準備に駆り出されているっぽい」
「ふうん、あいつは本当に落葉なんだなあ」
そうしみじみと呟く雨了に何となく聞いてみた。
「雨了は落葉になりたいって思う?」
「何だよ急に」
「深い意味はないけどさ」
雨了は小さすぎる声で何かを呟いたが真琴には聞き取れなかった。だからもう一度と返事を促す。すると苦々しい顔を浮かべて叫んだ。
「だから、そんなのなりたいに決まってる! でも俺は気を練れないただの凡人だ。落葉になるなれない以前に、そもそも契約を結べる資格がねえ」
真琴はぽかんと口を開けて呆気に取られた。
地響きを感じるほどの叫び声だったからか雨了の顔は真っ赤だ。
「そんなに落葉になりたかったなんて、はじめて聞いた」
「そりゃはじめて言ったからな」
雨了は頭のてっぺんまで布団の中に消えて行った。
真琴が懐に忍ばせている渦がそろそろと顔を出す。まるで渦を得られない雨了を揶揄うかのように小さなその身を震わせた。
☆
遠くで雷が鳴った数秒後に雨が降り出した。
九打は今日も朝から出払っている。そうなると蜜花も学舎に来ないだろう。
もうすぐ昼食の時間であるが部屋は薄暗い。真琴は隣の布団ですやすやと眠る雨了を叩き起こした。
空腹を満たす前に、最近の日課をこなしておこうと思ったからである。
低い呻き声とともに布団が盛り上がった。
「おはよう、今日もやるぞ」
「懲りねえな」
「それはお互いな。あんな話しを聞いちゃったからにはとことん協力するつもりだし」
気合十分な真琴を、山中で出会った珍妙な生物を見るかのように凝視する雨了。
「お前は俺を使って何を企んでいるんだよ」
うっかり口から出てしまった、とはっとする雨了だったが真琴は特に動じることもなく朗らかに笑った。
「あんなに切実な心の叫びってなかなか聞けるものじゃないからね」
答えになっていないと言い返そうとしたところで、雨了は真琴の手元にはたと目を止めた。ここ数日で嫌と言うほど見てきた蝋燭とマッチ棒。そろそろ嫌気が差してきているが、雨了は今日も腹をくくってそれに手を伸ばした。
落葉になるには葉王に認められなければならない。
それは落葉の任務の一つに表国警護が含まれているからである。より優秀な渦を持つ者を落葉に据えることで表国は今を維持してきた。
「渦を得ないことには落葉になりようがない。その渦を得るには気を練る必要がある。だからまずはそこからこなしていこう。これの練習が終わったらご飯を食べて、体力づくりのために走りに行くぞ」
渡あたりに聞かれていたら、どの口が言っているのだと呆れられそうな講釈を垂れる真琴だったが本人は大真面目であった。
雨了は嫌々ながらも決して断らない。
「分かった、今日もやってやるよ」
体格は二人揃って小柄だが、真琴と違い雨了は運動が得意だった。持久力だってあるし実はしっかり筋肉もついている。真琴からしてみれば羨ましいことこの上ない。だから最近は苦手な方に時間を費やすことにしていた。
雨了はへなりと眉を下げて頼りない蝋燭の火を見る。
「全く上達した気がしねえよ」
「でも昨日よりちょっと揺れてる気がするけど」
「それは錯覚だ」
いくら待てどもゆらめく小さな火が消えることはなかった。
落葉である九打ですら一年かかったのだ。そう簡単にはいかないと分かってはいる。
空腹を忘れて集中していると、いつの間にか昼を通りこしていた。
音を上げた雨了がいそいそと布団に逆戻りする。
「見込みのある子はすぐに白岩場に連れて行かれるんだ。そこで落葉になれるように育てられる。俺みたいに学舎に長く留まっているやつは透って名の凡人か、契約を結べなかった落葉の成り損ないが大半だ。いいよな、お前は気が練れて。それに渡様に気に入られてるし、あっという間に渦と契約できるんじゃねえの? 将来有望、将来安泰、俺には無縁の言葉だ」
「お腹空いただろ。俺、何か食べられる物を貰ってくるよ」
真琴は部屋を後にした。
雨了はまだ真琴の渦を見ていない。今まで特に必要が無かったから言いそびれていただけだが、黙ったままでいることが何だかとても後ろめたく思えた。
「あれ、今日は遅かったんだね」
おにぎりでも貰おうと食堂に向かうと素波がいた。渡の関係者である真琴に興味があるのか何かと絡まれる。
当たり障りなく挨拶をして別れようとしても素波はしつこかった。
「ねえねえ、最近は渡様に会ったりしてるの?」
「ここに来てからは会ってないよ。どうしてそんなに渡さんのことが気になるの?」
いつものらりくらりと素波の言葉を受け流していた真琴が珍しくそう聞き返した。素波もそのことに驚いたかのように大きな目を瞬かせる。
「だって渡様は有名人だよ。誰だって興味持っちゃうでしょ」
ただのミーハーか、何か裏があるのか。
真琴は素波の真意を図りかねている。それが顔に出ていたのか素波に苦笑された。
「そんなに警戒しなくても良いよ。それじゃあ、私はもう行くね」
ばいばい、と手を振った素波を真似する。
そのまま背を向けた素波だったが、一度だけ振り返った。
「ごめんさっきのは無し。やっぱり警戒は怠らないでね。表国は平和だけど、人の本意までは分からないものだから。それだけ、じゃあね」
今度こそ素波は走り去っていった。
さっきの言葉は何だったのだろうか。まるで何かを見透かしているような気さえした。
「警戒を怠らないで、か」
頭の傷がほんの少し疼いた気がした。