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通り雨には毒がある  作者: 白宮しう
一章 表と裏
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十話 学友の雨了

「真琴は裏国の子ですぞ」

 

 冷静な物言いでその場を鎮めたのは渡だった。

 真琴を背に庇って駆爺と対峙する。駆爺は小さな手で拍手する。


「相変わらず人が良い。それでこそ三葉主にした甲斐があるってもんだ。だがな、この渦は真琴をいたく気に入ってしまっているぞ。裏国に戻そうとする意志が少しも見えない。こればかりはどうしようもないが、かといってこのまま平行線にいると、真琴の立場は渡だけでは守り切れなくなるだろうよ」

 

 どこかで見ていたのではないかと疑ってしまうほどに駆爺の指摘は正しかった。

 真琴は頭を抑える。思い切り殴られた時の傷がずきずきと痛んだのだ。

 駆爺は続けて口を開く。まるで演説のように朗々とこの場を支配するかのようだ。


「渡は真琴を裏国へ戻すために。おれは真琴を三葉主の候補として育てるために。意見は真逆だが根っこは同じだ。真琴が渦と手を取り合えるように導くってことだろうよ」


 真琴の頭上にいる渦が跳ねた。

 裏国へ帰るための足掛かりとしてこの渦と契約できたのは良かったものの、確かに懐かれているが協力関係には至っていない現状である。

 白岩場では九打についてまわって修行に参加している真琴だが、ほんの気持ち程度の体力がついた以外の変化はなく、それに頭を悩ましているのは本人だけではなかった。

 駆爺は余裕綽々で渡に詰め寄る。


「幸いにもここは学舎だ。子には学ぶ権利があり、おれはそれを良しとする」

「白岩場の環境に不足があるとは思えませんがな」

「そりゃあ表国を守ってる落葉の連中からすればの話しだろうよ。だが真琴は渦を得ただけのただの子供だ」

 

 渡は苦虫を噛み潰したような苦悶の表情で駆爺を見た。それからたっぷりと時間を置いて小さく首肯する。


「真琴は子供だと、もちろん分かっておりますとも」

「じゃあ決まりだな。真琴はこっちで面倒を見るからおいて行け」

 

 強引に話しを進めていく駆爺に対して渡は苦言を呈したがのらりくらりと躱される。ならばと苦渋の決断を持ち出したのは仕方のないことだった。


「せめて九打を真琴の傍につけておきましょう」

「それならいいぜ」

 

 上機嫌な駆爺を恨めしそうに見やった渡は重たい溜息を吐いた。


 いくら体調が良くなったとはいえ高齢である駆爺の様子を見るために、医者も学舎に残ることが決まった。

 渡は帰りの馬車に乗り込む寸前まで真琴をここに残すことを考え直してはどうかと駆爺に掛け合っていたが、いくら駆爺がうんざりした顔をしようとも最後まで撤回することはなかった。


「くれぐれも真琴と九打を頼みますぞ」

「分かったって。しつこいな、さっさと帰れ」

 

 虫でも追い払うかのような所作である。

 渡はもう一度これ見よがしに大きな溜息をこの場に残して帰って行った。

 遠くなる馬車を見送った真琴たちは、その足で学舎の中にある寮に向かった。


「贅沢に大部屋を一人で使ってる子がいるんだ。そこに放り込むから仲良くしてやってくれ」

「はあ、何か理由があるのですか」

「なかなか癖が強い子でな、みんな同じ部屋は嫌だって泣いて逃げ出しちまったんだ」

「俺たちが入って大丈夫でしょうか」

 

 たぶん何とかなるだろ、と軽快に笑い飛ばす駆爺に少しの不信感が湧く。それは隣にいる九打も同じだったようで、顔を見合わせて覚悟を決めた。

 学舎は七階建てで、最上階が寮になっていた。一直線の長い廊下の両側には扉がずらりと並んでいる。その突き当りが真琴たちに与えられた大部屋だった。


雨了うりょう、新しい仲間が来たぞ。挨拶してやれ」

 

 扉越しに声をかけるとすぐに反応があった。どたばたと足音が聞こえたのと同時に扉が開け放たれる。


「ようそこ新人! 歓迎するから今夜は寝ずに遊ぼうぜ。将棋すごろく囲碁なんでもあるからどんとこいよ」

 

 輝くような笑顔を持つこの少年は真琴よりも一回りほど小柄だった。目線を下げた真琴は安堵とともに小さく会釈した。


「はじめまして雨了君。俺は真琴です。それからこっちは九打。しばらくお世話になるのでどうぞ仲良くしてください」

 

 駆爺の手が乱雑に真琴の頭を撫でてはなれていった。


「あとは子どもたちでゆっくりしていろ。雨了、ここのこと教えてやってくれな」

「分かった」

 

 部屋の片隅には二人分の真新しい教科書や筆記具が置かれていた。運び込まれたばかりだろう畳まれた布団の上には数日分の着替えもある。いつの間にと思ったが、途中で姿が見えなくなった夏見が用意してくれたのかもしれないと合点がいった。


「夕食の時間まで遊ぼうぜ!」

 

 腰の辺りに尻尾が見えるような人懐こさで雨了は真琴の腕を引っ張った。

 小さく開けた窓からは冷たい夜風が入り込んでくる。

 真琴は真剣な眼差しを碁盤ごばんに向けていた。対する雨了はにやつきながら黒石を動かす。


「また負けた」

 

 がくりと肩を落とした真琴はもういいやと碁盤から顔を背けた。

 真琴の前に雨了と接戦を繰り広げていた九打は浴場へ行っているところだ。もうそろそろ戻って来るだろう。

 夕食をたっぷり頂いたせいで心地よい眠気が湧いた真琴は、我慢できずに大きな欠伸を零した。


「まだ寝かせないぞ。次は何で遊ぶ?」

 

 ぎらついた雨了の目が迫って来る。

 隅に追いやられた獲物のように縮こまった真琴は声を上げた。


「雨了君、九打が布団の中に入ったよ。寝る気じゃないかな」

「帰って来たなら一言くれよ! ほら九打、一緒に遊ぼうぜ」

 

 浴場から帰って来るなりそそくさと気配を消して眠りにつこうとしていたようだが、一人だけ逃げ切れると思うなよという気持ちを込めて睨む。


「余計なことを!」


 九打は頭を抱えて吠えた。

 そんな九打を布団から引きずりだそうと奮闘する雨了は実に生き生きとした顔をしている。

 下がってくる瞼に抗いながら強制的に雨了の遊びに付き合っていると、気づけば夜が白みはじめてきた。


「楽しかったな。今晩も遊ぼうぜ」

 

 ようやく満足した雨了は、一切の疲れを見せないまま二人が絶望する言葉を残していそいそと布団に入っていった。

 やつれた顔を見合わせた真琴と九打は、ひとまず寝ようと結論を出して颯爽と布団に飛び込む。

 半ば気絶するかのように眠りに落ちた。


「おはよう真琴」

 

 体を強く揺すぶられる。まだ睡眠が足りない。頭も体も重たくて起きる気になれない。腕を振り回して抵抗してみたが、揺れは治まらないどころか激しくなった。


「朝食の時間だよ」

「俺はまだ寝る。絶対に」

「駆爺様に怒られるよ」

 

 真琴は跳ね起きた。

 けらけら笑いながら包丁の刃先を真琴に向ける駆爺を容易に想像できてしまったからだ。

 ぶるりと身を震わせながらも布団から這い出ると、身支度を整えた九打が教科書を抱えて立っていた。


「雨了はいないのか」

「うん。先に行くってさ」

 

 昨晩の嵐のような雨了の騒がしさがないから静か過ぎるくらいだ。真琴は涙が出そうなほどその静けさに感謝しながら急いで支度を終えた。 

 時間ぎりぎりに駆け込んだ食堂でも雨了に会うことはなかった。

 教室の場所はあらかじめ雨了が九打に教えてくれていたようで始業時間には問題なく間に合った。


「座席はどこでも良いんだって」

「じゃあここ」


 六人ほどが並んで座れる長机の端っこに正座する。入口に一番近い最前列だ。他の生徒はまだ来ていない。


「みんなぎりぎりなんだね」

「早く来ないかなあ」

 

 真琴はわくわくと期待を膨らませる。少しだけ気分を落ち着かせるために真新しい教科書をめくった。

廊下の方からどたどたと慌ただしい足音が聞こえてくる。何だろうと思って顔を上げたのと同時に教室に大勢の生徒が飛び込んできた。一様に何かに怯えているようで、新顔である真琴と九打に見向きする余裕すらないようだ。

 奇襲かもしれない。そう呟いた九打が真琴を背に庇って入り口の様子を伺う。


「逃げることはないだろう。まあ鬼ごっこをしてやらないこともないけど。遊ぶか?」

 

 ゆったりとした足取りで最後に教室へ入って来たのは雨了だった。

 生徒たちがすごい勢いで首を振る。

 そんな教室中を見回して、雨了は残念そうに眉を下げた。


「なんだ、遊ばないのか」

 

 ざっと見て二十人の生徒がいると言うのに、怖いほどしんと静まり返っている。

 そんな中を優雅に闊歩しながら雨了は窓際の席に腰を下ろした。すると他の生徒たちはそこを避けるように席を選んでいく。

 いじめのようにのけ者を作るといった嫌な雰囲気ではない。ただ雨了に対して怯えている感じだ。

 真琴と九打は不思議に思いながらも顔を見合わせて頷いた。

 生徒たちの視線を受けながら席を移動する。


「おはよう雨了君。隣に座ってもいい?」

「別に好きなところに座ればいいだろ」 

 

 言われた通り雨了の隣に腰をおろした真琴に、生徒たちから奇異の目が向けられた。

 ごおんと鈍い鐘の音がどこからか聞こえてくる。

 それが始業の合図だと教えてくれたのは雨了だった。


「あの人が数学のおじいちゃん先生だ」

 

 そろばんを小脇に抱えて、よろよろと覚束ない足取りで教卓に進む老人。垂れ気味の糸目は起きているのか寝ているのか分からない。見かねた数人の生徒が慣れた様子で介助を行う。


「誰か椅子持ってきて」

「分かった。今日は僕が板書するよ」

「みんなありがとうねえ」

 

 雨了がやってきた時とは真逆の穏やかな空気が教室に流れる。

 真琴はうきうきとした気持ちを隠さず授業を受ける。授業内容自体は小学校ですでに習ったものだったから困ることは無かった。


「どうかした?」


 隣に座る雨了が珍獣を見るような目で真琴を見ていることに気が付いた。


「いや、勉強が好きだなんてずいぶん物好きな奴だと思ってさ」

「別に勉強が好きなわけじゃないんだけどね」

 

 真琴が通っていた小学校は難関中学校絶対合格の目標を掲げているようなところだった。先生も生徒も同じように目が血走っており、試験の点数が全てでそれだけが常に求められた。異様な熱気の中で受ける授業は生きた心地がしなくて、それを耐えられたとしても放課後には塾に直行しなくてはならない。

 つらい毎日だったけど両親につらいと言えなくて、毎日のように泣いていた時を思い出した。


「こうしてゆっくり友達と雑談なんてしながら授業を受けられる日が来るとは思わなかったから嬉しくて」

 

 そうはにかんで答えると、雨了は理解できないといった顔をして教科書に目を戻した。


「真琴ってちょっと変わってるよな」

「そうかな」

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