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不思議な空間と俺(後編)

 古城のおっさんに、強引に連れてこられた場所はだな。

 何といったらいいかな、異世界ってわけでもないし……


『何度言ったら分かるのかのう、ここは幽冥(かくりよ)じゃ。後輩がこんな出来の悪い頭の持ち主とはのう……』

 なにおう!? ガキの分際で…


『ニャにか?』


 俺の目の前に、きらりと光る何かが… これは… 爪か。

 こたつの中に潜り込んでいたネコミミ幼女は、一瞬でこたつから出ると俺の足元までやって来て、指先から伸びた爪を俺の目の前に突き付けたんだ。

 動体視力には自信があったんだが、全く分からなかったぞ……


 それも、ネコミミ着ぐるみを着たままで、それも音もなく… だ。


『これは自毛にゃ!』「って事は、まさかの猫人… おおぅっ!」


 これもまた目で追えないようなスピードで繰り出された蹴りは、本能的に体を揺らした事で直撃──間違いなく急所狙いの一撃──は避ける事が出来た。

 わき腹を掠める程度だったが、ちょいとキツいぜ。それに蹴りを放った直後には大きな隙が出来るもんだが、あのスピードじゃ追い付けねぇ。


「魔の森に住んでるウサギ達と同じような獣人かと思ってたんだが……」


 なかなかやるな…… ぴん、と張り詰めた空気の中で見たアイツには隙が無い。

 たぶん、次の1撃で決着がつく……


 その時に、目の前に黄色っぽい何かがポンっと飛び込んできた。


「にゃにゃっ! ミスティのエンテリンじゃにゃいか!」


 幼女はその黄色い物体を空中でキャッチすると、床をゴロンゴロンと転がり始めた。その両手に抱きしめられているのは……

 黄色い直立アヒルのぬいぐるみ? たしかゲームキャラか何かだが…

 よほど嬉しかったのか、幼女の顔はゆるゆるに蕩けきっている。


「佐久間君も落ち着きたまえ」


 ぬいぐるみを投げたのは、やっぱりおっさんかよ。

 で、こいつは何者なんだよ… ただの猫獣人じゃないよね?


「ん。あれはわしの娘」

「娘… だって? あいつ獣人じゃないか」


 さっき戦って分かってるんだ。あの動き、あの身のこなし。決して人間のものじゃないって事は、さ。でも、おっさんは俺と同じ人間… だよな。

 まさか妖怪が人間に化けてるとか言わないよね?


「何を妙な事を。わしゃ人間に決まっとる。そうだ… コーヒー、飲むかい?」


 娘… だって? あの猫獣人が?


 飄々とした風で、おっさんは、ぱちりと指を鳴らした。

 その音が消える前に俺の前にいきなりコーヒーカップが現れた。

 ……まあいいか。とりあえずは誤魔化されておこうか……


「ええと、このカップの模様って…… すんごく見憶えがあるんだけど」

「ん。これか? わしの気に入りの店のスペシャルブレンドを再現してみた。

 我ながら上出来だと思うぞ」


 こいつなら、嫌という程に知ってるよ。

 俺もいやという程トレイに乗せて運んだし、洗い場でもなぁ。

 なんで、おっさんがあの店を知ってるのか知らんけど……


「あそこは居心地がいいからな。マスターは鬼だったが……」

「そうだよね、終太郎さんは……」「終太郎? ……あの、うらなりの事か?」


 俺がそう言うと、おっさんはきょとんとした顔をして俺を見つめていた。


無何有郷(むかゆうきょう)のマスターの事… だよな」

「終太郎さんは帝大出ですぐに店を継いだんだってさ。そういや時々爺さんが来てたな。終太郎さんは先代って呼んでたけど……」


 いつもひょっとこのお面を被ってるから素顔を見た事ないけど、あの人が初代マスターって事で良いのかな。昼休みにコーヒーを淹れてくれた事があるけど、終太郎さんが淹れるのとはレベルというか次元が違うんだよね。

 同じ道具を使って、同じ豆を使っているのに… だよ。


 ありゃあ、まさに職人の仕事だ! って思ったね。


「あのクソジジイ、まだくたばってなかったのか。あいつは俺の自堕落な人生を粉々にしやがった張本人だ!」


 いやどうも。おっさんもあの店の常連だったってわけか。

 だとしたらさ、やっぱりマスターにアレ… 言われちゃってたのかなぁ。


 ──俺の店に入りびたって成績が落ちたなんて、絶対に言わせんからなぁ?


「…………まあな」


 やっぱ図星か。


 おっさんの何とも言えない表情が全てを物語ってるぜ。俺と同じようにトラウマか何かを植え付けられたって所だろうなぁ。俺の場合はあそこでバイトしてたから、おっさんよりハードだった自信があるぜ……


 同じ店で、同じようなハードな体験をしたせいか、何となくおっさんに親近感がわいてきたな。


 お互いに口をきく事も無く、静かだけど… まったりとした空気が流れるなかで、何杯かコーヒーのお代わりを貰って、ゆっくりと口にする。

 部屋の中は煎餅を齧る音だけが、小さく響き渡るだけだ。

 ふぅううう、何かいいな。こういうのも、さ……


「まあ、時間制限はあるが、それまでゆっくりしていけ。ここには電子の精霊でもアクセスできないさ。幽冥(かくりよ)ってのは特殊な場所だからな」

「おっさん……」

「……今までよく、頑張ったな」


 おっさんは、そう言うと俺の頭をぽんぽんと、軽くたたいた。

 その瞬間に、俺は……


 俺の心の中にあった何かが溢れ出した。

 それこそ、堤を切ったように…… 心の奥底から噴き出す感情の波が。

 まるで、俺さえもを流し去ってしまうかのように。


 あとからあとから、途切れる事が無いかと思うくらいに……

ええと、エンテリンと言うのはドイツ語でアヒルの子という意味です。

世の中を舐めきったような顔とか、ころっとした姿とか。

うっふっふー、やっぱり実寸大のぬいは良いなぁ……

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