森の姫君と帝国の騎士
私はネポロ。ポールク家の嫡男にして、栄えあるゼムル帝国の騎士だ。
所属は帝国近衛第2軍第3連隊。位階が10人隊長に上がる頃には皇帝陛下の玉体を御守りする役目を担うことになっていた。
そんな私に、ひとつの栄誉が与えられることになった。
皇帝陛下自ら、私にお声をかけられ、同時に勅をも賜ったのだ。
私に、部下を率いて魔の森へ向かえと。
そこは一夜のうちに突然現れた世界の脅威だった。森の致命的な濃度の瘴気は精神と肉体を蝕んだ。さらに強力な魔法をも使いこなす獰猛な生物の存在。
このまま森が拡がったら──人類に取り大きな脅威になる事は間違いない。
そのために世界各国で森の討伐が始まったのだ。
世界各国の戦士たちは多くの犠牲を払いながらも森に攻め入り、その全てを焼き払ったもの。だが帝国領内に出現した森の規模は、小国のそれにも匹敵する。
とても討伐出来るようなものではなかった。
数万人もの兵を投入して森の討伐に向かったにも関わらず、ごく僅かな領域を焼き払ったに過ぎぬのだ。だがそれが全くの無意味であったわけではない。
森からは生物の姿が消え、瘴気を孕んだ樹々だけが残る事となった。
さらに一時は領域を広げ──広がりを見せ始めていた森は、沈黙した。
だが、その森がここ2か月ほどの間に再生を、再び広がり始めたという。
我々の任務は、その様子を調べよというものだ。
食糧を満載た荷車3台を従えた我々は、森に到着するとすぐに調査を始めた。
森に到着した我々は、すぐに調査を始めたのだが…… たしかに森は爆発的な勢いで復活を始めていたのだ。
まるで森がひとつの生命であるかのような錯覚すら覚えるほどに。
傷口の周りから肉が盛り上がり、傷を癒そうとするように。
急に森の樹々が芽吹き始めたのだ。それは僅か3か月という短い期間で雑木林のような姿になっている。これを異変と言わずして何と言うべきであろうか。
我々は森の変化を詳しく掴むベく、行動を始めたのだが。
「騎士ネポロよ、騎士マスタとアルドの班を見かけただろうか」
騎士イペリからそう聞かれたのは、森の調査を始めてから3日ほどが過ぎた夕方の事だった。
「彼らは魔の森の深奥部から街道沿いに…… こちらに戻ってくる筈だが?」
地図を見るまでもない。あのあたりは最も森の木が増え始めた所だ。
だから森林戦の経験がある2人を向かわせたのだが……
「たしかに距離はあるが、そろそろ帰ってきてもおかしくは無いだろう?」
そうは言うが、何か気にかかる事でもあったのだろう。もうしばらく待ってみてはどうだろうか。暗くなるまでには戻ってくると思うのだ……
「そうだと良いのだが……」
……結果から言おう。
彼らは翌朝になっても、拠点に定めたキャンプ地に戻ってこなかった。
この森に何が潜んでいるのか、誰でも知っている事だ。だから森の中に決して入らずに──森の外側を調査を進めるように厳命したのにも関わらず、だ。。
彼らに何があったのだろうか……
「今日は騎士マスタとアルドを探す事にしよう。昨日から帰ってこないのは、何かトラブルに巻き込まれたのかも知れん……」
私は、部下全員に騎士マスタとアルドの捜索を命じた。彼らが辿る事になっていたコースを中心にだ。
そして、時刻は昼を少し回った頃に、その異変は起きたのだ。
そう、それこそ異変としか言いようがない……
「騎士イペリ、なにか匂わないか?」
「……貴殿もそう思うか。ズロゥ砦から… いや、それはないか」
その異変とは物の燃える匂いだ。それも木の燃える匂いだ。
中央大陸には火を噴き上げる山があると聞いた事があるが、この東大陸にそんな山はない。だから森の木が燃えるようなら落雷くらいしか考えられないが……
「それなら嫌でも気が付くだろう?」
「では誰が火を… 騎士ネポロ、ポル・クゥエの残党がいるのかも知れぬぞ」
最後まで残っていた騎士ザーリンも、そう言って出かけたのだが……
たしかにおかしい。煙の匂いに、あり得ない物の匂いが混ざり始めているのだ。
それは、パンが焼きあがる時の匂いだ。
私は騎士イペリを連れて匂いを辿る事にした。森に近付くと、うっすらと煙が立ち上っている場所がある事言はすぐに気が付いた。
そして、そこで見たものに驚きを隠せずにいた。
「あれは… どう見ても人が住んでいるように思うのだが」
「間違いなかろう。煙突からは、うっすらと煙が出ているぞ」
それは1軒の… 決して大きくはないが庶民のものにしては出来の良い──まるで貴族の別荘のような建物だった。
だがここは魔の森だ。危険地帯であるばかりか立ち入りは制限されているはず。
あってはならない物を前に、我々はどうしたものかと悩んでしまったのだ……
それもわずかな時間であったのだが。
「そこの2名の騎士に問います。何用で森に参ったのです?」
小屋から出てきたのは、見目麗しき女性であったのだから。身に着けている装束からは、彼女が身分の高い御方である事は分かる。
洗練された所作も、それを裏付けている。
しかし、どこの貴族家の御令嬢が…… ?
「無礼な! ……と、言っても栓がありませんね。
妾の名は、スカリット・ケイティ・ゼムル。あとは… 分かりますね?」
あの女性が…… 第1皇女殿下… だと?
私は殿下の御姿を存じ上げているが、それは貴女ではない。
たしかによく似てはおられるようようようだが……
「それは、妾の影武者に過ぎませんことよ。さあ、立ち話も難ですから小屋にいらっしゃらないこと? 丁度、パンが焼ける頃合いですの」
皇女殿下のご希望であれは、我ら騎士に取り命令にも等しいもの。
だが目の前にいる小柄な女性が、本当に皇女殿下であれば… だが。
いや、それ以前にこのような危険地帯に女性が独りで暮らしているのを見過ごすわけにはゆかぬ。それこそ騎士の名折れというものだ。
騎士の誉にかけて彼女を魔の森から救い出さねばならぬ……
うんうん、騎士ってそういうモノだよね?
私たちが知ってる騎士物語だと、必ずそう書いてあるだもん。