帝国の後継者
どうやら余は、寝台に寝かされているようだ。
ズロウ砦に入城した余は、ユーマとやらの首を刎ねようとして、大剣で斬りかかったのだ…… そして逆に返り討ちにあった事は憶えておる。
だが… 奴もまだまだ甘いな。
それは、胸甲を破壊された鎧を見れば分かる。次の一撃で余の心臓を引きずり出すのも容易であろう。だが余の生命を奪わなかったのは……
いや、奪えなかったのであろう。
それが奴の心の弱さ…… いや、場数を踏んでおらぬのだな。
「気が付きましたか、お父様」
枕元にいるのは、スカリットか。
「……ここは、どこだ?」
「あのピラミッドの中ですよ。この部屋にいるのは、父上と妾だけですわ」
「なん、だと? 余はユーマとやらに囚われたと言うのか!」
なんたる屈辱! 皇帝たる余を殺す事さえせず、囚われの身に落とすとは!
武器はどこだ。今度こそ、ユーマとやらを……
「無茶な事はおやめなさいませ、夫は勇者でございますゆえ」
「勇者であろうと関係な…… なにぃ!?」
そこまで言いかけて、余は気が付いたのだ。いや、気付かされてしまった。
ユーマは余の斬撃を受け止めたばかりか、余の大剣を砕き、鎧を破壊したのだ。
こんな事が年端もゆかぬ子供に出来る事であろうか。
「では異世界召喚は成功していたと、そなたはそう申すのか?」
「ええ、最初の出逢いこそ最悪でしたけれど」
娘と話しているうちに、ユーマがとんでもない人物だという事が分かった。
あの者は魔の森の巨木を素手でへし折り、森に巣食う魔物の王を従える武威の持ち主だと言う。それだけでもユーマが人間とは思えぬのだが。
いや、娘の語る事を信用していない訳ではない……
そこで、思い出したのは魔の森で見つけたという魔導書の一節だが……
いかなる敵をも、その身にまとう図り知れぬ力をもって叩き、砕く。
決して戦いの場で倒れる事もなく、ただひたすらに戦う無敵の戦士。
いかなる戦場においても、勝利する事のみを目的に戦う完全な戦士。
それが、それこそが……
「そう、ユーマは間違いなく勇者ですわ。それよりも、ご気分はいかが?」
そう言われてみれば、随分と身体が軽くなったような気がする。それから、妙に娘の声がはっきりと聞こえるが…… 何が変わった?
そうか、長い間苦しめられていた甲高い音が聞こえなくなったからだ。
その時、扉をたたく音がに気が付いた。
かなり控えめに叩いているのであろう。さほど大きな音ではないのだが、今ならば聞き落とす事などあり得ぬ。
「入るがよい」
余の応えを受け、扉はきしみ音ひとつたてずに開かれた。
「どうやら回復魔法が効いてるようだな。さっきまでとは大違いだ。
それと姫様。さっきの演説で騎士たちは落ち着いてきたよ。援かった」
「……そなた、ユーマと申したな。何を考えておる?」
そうだ。部屋に入ってきたのは、ユーマだ。片手に紙の束を持っているが、随分と質の良いものを使っているようだな。残念ながら帝国の紙職人は、あれほど白い紙の製造には至っておらぬ。製法の秘密だけでも持ち帰りたいものよ。
だが、それ以前に問う事がある。
「ユーマよ、余を殺しておけば良かったと、後悔するやも知れぬぞ」
「いいや、それは無いと思うけどね」
自信たっぷりにユーマは言い放つと、部屋の隅から椅子を運んできた。
「それで、ユーマ。結果は出まして?」
「ああ、予想通りだよ。あの王冠を作った奴は、とんでもない悪人だな」
「まあ…… それは、お仕置きが必要ですわねぇ」
ユーマが持っている紙束の内容がちらりと見えた。
ふん、魔方陣とはな。なかなか魔法を心得ているものよ……
「見てみるかい、皇帝陛下?」
余の呟きを聞きとめたのか、ユーマは手に持っていた紙を渡してくれた。魔方陣なら、余の得意とするところだ。父や祖父は反対をしておったが、余は皇太子となる以前より魔方陣学に興味があったのだ。
真夜中にこっそり書庫室に忍び込んでは、ひとり研究を進めていたものよ。
それにしても雑な魔方陣だ。無駄だらけだし、精神干渉系がほとんどとは。
もしもこの魔法陣が全て動き出したら、精神が破壊されてしまうぞ。
それに縮小の魔方陣にはリミッターすら付いておらぬではないか。
「それさ、ぜーんぶ、この王冠に刻まれていたんだよね」
「なんだと? 偽りを申すではないぞ。余の王冠にそんな仕掛けが施されている筈がなかろう?」
ユーマは、何も言わなかった。だがその目の奥に煌めく怒りの炎は、この者の言葉に偽りはないと訴えておるのだ。
しかし王冠を誂え、献じてくれたのはミャーヴァ… 我が叔父上であるぞ。
「同じような仕掛けが、皇女サマのティアラにも仕込んであったんだが?」
なんということ…… 我ら親子は、謀られていたという事なのか……
我らを亡き者にして、何の得があると言うのだ。
「お家乗っ取り… って奴だろうね。証拠なら、他にもあるよ」
ニヤリと笑ったユーマが軽く右手を振ると、何もない空中に一枚の絵図が浮かび上がった。これは… これには見覚えがあるが…… そうだ、地下聖廟だ。
ザモク城の地下に広がる地下聖廟で見たものに似ているが……
「これは、神の目から送られてきた絵図であるな」
「うん、そうだけど…… こっちは、この砦で起きた出来事の一部始終だ」
お、おぉおおおお…… 何と言う事だ……
この軍勢は… 我が息子、トロイが率いる親衛隊に間違いない。スカリットの召喚魔法の失敗したという報せを受け、急きょ出発を命じた時のものであろう。
だが、奴らが為した事は一方的な虐殺だった。その行ないは砦に暮らす全ての生命を徹底的に滅ぼさんとする、まさに悪魔の所業だ。
「残念ながら、これは真実だ。王冠の呪縛から解放された、今のあんたなら分かるだろ。侯爵閣下と皇太子殿下サマが、何を考えているのかを、さ」
そなたに言われるまでもないわ!
余とスカリットを亡き者として、帝位の簒奪を企んでおるのだろう。
だが、そうはゆかぬぞ。
ユーマよ、異世界より来る我が息子よ。余に力を貸してくれ。
逆賊に奪われつつある帝国を、我が手に取り戻すのだ!
悪家臣によるの主家乗っ取りが、皇帝にバレた瞬間でした。