悩める皇帝陛下と侯爵閣下
ゼムル帝国の首都セトラニー。
都市は、10キロ四方はあるだろう。幅の広い道路で区画分けされた市街地には集合住宅がびっしりと立ち並んでいる。その中心にある──小山ひとつを要塞化した──ザモク城こそが帝国の中枢なのだ。
そのザモク城の主の名はイデオート・タルマーク・ゼムル。
新年の祝賀行事も終わり半月もすれば、城内に浮かれている者などいない。
怒号飛び交う厨房は夕食の仕込みの最中だし、練兵場では兵士たちが訓練に汗を流している。
そして、皇帝の執務室は……
まるで真夜中の墓場のごとき静けさに包まれていた。
「儂がセトラニーを留守にしているうちに、こんな事になっておるとはな」
「余も、こればかりは想定外の出来事で……」
マグカップ片手にカウチに座り、皇帝と話をしている老人はミャーヴァ・ホルログ・ゼムルという。
ゼムルという苗字で分かる通り、彼は皇帝の親戚筋にあたる人物だ。
「森の討伐に失敗した挙句に、再生を許すとは。だからあの時に進言したのだ。魔法兵団を投入して、森に火を放てば良いとな!」
「我が兵が焼き払った面積は、セトラニーの旧区画が……「そんな事はどうでもいい!」……はぁ。では何ゆえに?」
「それよりもズロウ宮で何があった? 随分と派手な事になったようだが、スカリットは無事か? 無事に帰ってきたのだろうな?」
ミャーヴァは答えを促すように、イデオートをぎろりと睨んだ。
彼はすべてを知っている上で、ズロウ宮に何が起きたのかを皇帝の口から言わせようとしているのだ。
だがそれは結果であって、老人の目的は別の所にあるのだが。
「叔父上も知っている通り、西部戦線は膠着状態にあるのだが」
「知っておる。トロイめ、あんな子供だましの策に嵌るとは…… 本当に大丈夫なのか? あれでも皇太子になったのだろう? 行く末が心配よの……」
東大陸の大半を手中に収めたゼムル帝国は、中央大陸への進出を決定した。
最初の目標は、東大陸と中央大陸をつなぐスチュリア地峡を帝国のものとすること。海路を使った方が合理的ではあるが、悲しいかなゼムル帝国は陸軍国だ。
船の運用など川や湖を移動する程度の経験しかない。
そのため、何があってもスチュリア地峡を手中に収めなければ、東大陸から出る事が出来ない……
「そこで問題になったのが、ポラーナ王国と言いたいのか」
ポラーナ王国は中央大陸──スチュリア地峡を越えた先にある。国土は狭く、決して豊かな土地でもない。総人口も50万人にも満たない小国だ。
皇太子となったトロイ皇子が率いる第1軍の兵力は10万人。あっという間にスチュリア地峡に到達した。
だが、帝国軍の快進撃もそこまでだった。
それまで破竹の勢いで進んでいたゼムル帝国による世界制覇は、この半年は足踏み状態だ。地形的な優位を占めた小国の軍隊が、ゼムル帝国軍の進撃を完全に食い止めてしまった……
帝国の国内向けの公式発表では、そういう話になっている。
だが現実には、それほど景気の良い話ではない。
の攻撃は、智将として名高いピーチョ将軍の率いるポラーナ王国軍に翻弄され、少しづつ戦力を削られているというのが実情だ。
以前の帝国軍なら、このような状況に陥る事は無かっただろう。
「あの自信の塊のようなトロイが『姉上さえ、いてくれたら……』と、泣き言を言う始末だからの」
だが帝国は主だった魔道士──特にスカリットを失った今、大規模魔法攻撃は事実上、封じられたといってもいい。
この状況を打開するために、帝国は征服民によって編成された部隊を差し向ける事にした。帝国からしれば、この部隊がどれだけ消耗を強いられても、些細な事でしかなかった。
現場指揮官の多くは、むしろ好都合と考えていたのかも知れない……
それは彼らが生き残って、帝国に対する反乱、もしくは他国へ逃亡するくらいなら始末したほうが良いと考えていたからだ。
だからと言って、他国への手前、彼らを虐殺をする訳にもいかない……
こうして故郷に家族を残したまま、絶望的な突撃を始めた彼らの後ろには完全装備の帝国兵が続く。このいかなる損害をも無視した力攻めで、ポラーナ王国の王都近郊まで軍を進める事は出来たのだが……
「そこでも頑強な抵抗にあっているのであろう? これ以上は兵の消耗も抑えたいところだな。それで… なのか」
「いかにも。それゆえ余はスカリットには勇者召喚を命じたのだが……」
「残念ながら召喚は失敗に終わったな。それと同時に都市国家ポル・クゥエの残存兵力が現れたという訳か」
都市国家ポル・クゥエ軍の残存兵力は1万にも満たぬが、それでも帝国には追加兵力を振り向ける余裕など無い。部隊を差し向けたくとも、一進一退の攻防が続く西部戦線から兵を割くわけにはいかなかった。
残存兵力の掃討は占領軍にすべて任せるしかない……
「勇者召喚に成功していれば、簡単に打開出来たものを……」
娘もつくづく運の無い事だ。
だが、余は知っている。まだまだ状況を打開する手立てが残されている事を。
それは賢者オウフの進言によるものだったのだが。
「陛下、大量の贄が必要となりますが、儀式魔法を行なえば皇女殿下の魂は冥府よりお戻りいただくことが……」
「我が娘が… 死んでしまったスカリットが蘇るとでも言うのか?」
「……絶対確実という訳ではございませぬ。皇女殿下の亡骸があれば…… 魂をお収めする器があれば、可能やも知れぬ…… その程度ではございますが」
召喚に失敗した事を知った余がトロイをズロウ宮に差し向けたのは、生存者の救出と、スカリットを連れ帰る事だった。たとえそれが遺体であってもだ。
スカリットの亡骸に魂が戻った所で強力な回復魔法を施せば、我が娘は死の直前の状態に戻る事になろう。
なに、贄など幾らでもいるではないか。周辺諸国から集めれてくればよい。
「まさにその事なのだ、わが甥よ!」
すっくと立ち上がったミャーヴァは、皇帝を指さして叫んだ。
「いつになったら儂はスカリットに合えるのだ? 蘇りの儀式は、間違いなく成功したと聞き及んでいる。
そのために… スカリットの顔を見るためだけに……
儂は前線から戻ってきたのだぞ!」
ミャーヴァ侯爵は、先代皇帝の実弟。だから叔父という事になります。
そして、スカリット皇女とアンナベル姫を、自分の孫のようにでろでろに溺愛しているという…… 孫馬鹿?