真冬の幽霊に出逢った俺
俺の背中が、何か硬いものに触れた。
どうやら無意識のうちにじりじりと後ずさりを始めていたらしい。
「なんだ? 壺だったか……」
これで何があっても大丈夫──背中の感触にほっとした俺は、ステージの上に浮かぶ光のもやを凝視していた。
たぶん俺がこの部屋に入った事に反応したんだと思うけど……
「……聞こえたか?」
微かにだけど、なにか人の声みたいなもの。
小さすぎて、何を言っているのか分からないけどさ……
あと、光のもや。なんか大きくなってないか?
──ユーマ… 妾のユーマ……
「うひいぃいいい!」
ききき聞こえたよ、今度ははっきり聞こえたよ?
間違いなく女の人の声… だよね。そこにいるのは誰? って言わなかった?
『んー…… 良く聞こえないなぁ。リ・スィはどう?』
『何か聞こえました… 感度の調整をすれば、はっきり聞き取れそうです』
なんだとぉ? 声が聞こえるのかよぅ……
『音声ではないですね。脳髄から放射されている有意信号に酷似しています』
ってことはなにか? マジで何かがいるって事じゃないかよう……
人間がそんなことするが出来るはず無いじゃないか。
……って、事は……
『う~ら~め~し~やぁあああ……』
「やめろおぉおおおお!」
ひゅーどろどろって、効果音までつけて何を言い出すんだよぅ。
なあホロン、マジで幽霊がいるなんて言わないよね?
頼むからいないって言ってくれよぅ……
『さあ、どうだかねぇ?』
だーかーらー、そういうの止めろって!
──やっと… 来てくれたのねぇ?
ぎぎぎぐぅぅ!
光のもやが、大きくなるとだんだん人に姿になっていくじゃないか。
みるみるうちに、細かい所まではっきり見えるようになってきたぞ……
「うわあああっ!?」
俺は実体化──実体化で良いよね?──した奴の姿を見た途端に壺の中に飛び込むと、頭を抱えてしまった。
ヤバイヤバイヤバイヤバイ……
なんで、アイツがいるんだよぅ……
なんで俺の正体を知っているのか知らんけど、これはヤバいよ。
そ-だよ! 誰がどう言おうと、あいつは幽霊だよ、ユーレイ!
あばばば… どうすりゃいいんだよぅ……
──そこにいるのは、ユーマでしょう? 顔を見せてくれないこと?
あの時の事を何と言ったら良いかな……
幽霊のじわり… と沁み込んでくるような甘い声を聞いているうちに、俺は頭の芯まで蕩けるような感覚に陥って……
「チガイマス。ボクハ、ゆーまナンテ、シリマセン」
つい問いかけに答え… しまった! つい釣られて会話してしまった……
そう思った時には後の祭りだった。背中にぞくりとした感覚が忍び寄ってきた。
壺のふちから、冷気が流れ込んでくるような… そんな気配がしてきたよ。
なんか周りの空気の温度が下がってきた、のか……
──ねえ、ユーマ。恥ずかしがらないで… こっちに… 来て。
うわわわわわ…… なまんだぶ、なまんだぶ。
幽霊だよぉ。マジもんの幽霊が出たよぉ!
だって、あいつ死んだはずだもん。俺も遺体を見てるもん。
太陽の表面温度なみの超高温を浴びた上半身は(自主規制)だったもん。
だってだって、この温度なら地球上でもっとも融点が高いタングステンだって一瞬で沸騰… いや、そんなの通り越して蒸発すんぞ?
そいつを至近距離で浴びたから、例外なく(けんえつ)だよね……
俺はひょこっと目のあたりまで顔を上げると、幽霊に話しかけてみた。
「……どんなにダメージを受けても一瞬で治るオクスリちょうだい!」
そんなオクスリは、少なくとも地球では存在しない事になっているんだ。
だってこれ、エリクサーの事だもん。
前に泥門家の誰かから聞いた事があるんだけど、エリクサーは賢者の石がネタにされるよりも古い時代から伝えられてきた神々が使う万能薬なんだ。
つまり人間には過ぎた──すごく強力で、効果があり過ぎる──モノだから、当然レシピは封印。
神々としてはエリクサーの存在自体を有耶無耶なものにしたかったらしい。
だけど、エリクサーの存在を嗅ぎ当てた錬金術師もいたんだな。
何故かは知らないけど、そいつらはが妙な事を言い出したお陰でエリクサーや賢者の石は『うさん臭いもの』に成り下がっている。
それを、ちょーだい… って言っちゃう俺も、ワルよのう……
目の前の幽霊には、そんな事情なんか通用しなかったけどな。
──何を妙な事を仰るの? さあ、ユーマ。はやく、こっちに来て頂戴。
ちょっとでも気を抜いたら、あいつの所に行っちゃうだろうな…… 今でも体のあちこちがヤバい事になっている。
特にヤバいのは(自主規制)が(けんえつ)しちゃった事だ。
さらに(さくじょ)なんて事になったら…… この時期の洗濯──生地を傷めないようにするには手洗いしかない──は、きついんだ。
ううっ、だめだ。まるでラインラントの妖精… セイレーンの歌声だよ。
あいつの声に逆らえなくなって… 意識がどこかに持って行かれそうだ。
とても壺の操縦どころじゃない。
リ・スィ、ホロン…… 俺は… もう…
美しい歌声で人々を魅了する妖精の話は、ハイネの詩が有名ですね。
さらにこの妖精が住む岩山の下には、黄金が眠っているとか……