【短編】白い結婚なのでさっさとこの家から出ていきます
「今日でこの家ともおさらばね」
私は部屋を見回し忘れ物がないか念のため確認をする。まぁほとんどこの家には何も持ってこれなかったし、買い与えられた物もないので忘れ物の心配はないのだが。
「お嬢様。三年間お疲れ様でした」
「ノーラもね」
ノーラは私の侍女でこの家の唯一の味方だ。
「もう行きますか?」
「ええそうしましょう。ここにいてももうすることなんて何もないしね」
私は机の上に置いておいた書類を手に取った。
今の時間ならまだ寝室にいるであろうあの人にサインをもらわなければ。そしてサインをもらい次第この家からさっさと出ていくのだ。
もう三年待った。
一分一秒でも早く自由になりたい。
「さぁ、行きましょうか!」
私は部屋の扉を開け、三年過ごした部屋を後にしたのだった。
◇◇◇
私の名前はヴァイオレット。マクスター伯爵家の娘だ。
マクスター伯爵である父と伯爵夫人の母は私が十歳の時に事故で亡くなった。あまりに突然のことでまだ幼かった私は両親の訃報を聞き意識を失ってしまったのだが、その時に前世の記憶を思い出した。
ここで前世の記憶を思い出せたのは今思えば幸運だった。
なぜかと言うと父と母が亡くなってすぐに父の弟である叔父がマクスター伯爵家を継いだからだ。本来であれば私が継ぐはずであったが、当時私はまだ十歳。爵位が継げるのは十八歳と決まっており、八年間も伯爵位を空けたままにするわけにもいかず、私が十八歳になるまでの間叔父が代理で継ぐことになったのだ。
ここから私は貴族令嬢にとって不遇な生活を送るようになる。まぁ私は前世の記憶のおかげでそこまで不遇な生活ではなかったのだが。
叔父夫婦には私より一つ年下の娘がいる。名前はメリア。叔父夫婦はメリアをとても可愛がっていた。私も同じ屋根の下で暮らす家族なのだから仲良くした方がいいと思い笑顔で挨拶をしたのだが…
『はじめまして、ヴァイオレットです。これからよろしくね』
『…メリア、この子きらい!』
(は?)
私はメリアのこの一言で使用人と同じ扱いを受けるようになる。もしもこれが生粋のお嬢様であれば耐えられなかったかもしれないが、前世庶民である私には大した問題ではなかった。
メリアより問題だったのは叔父夫婦だ。叔父夫婦には浪費癖があり、父が伯爵だった頃にはたくさんあったはずの資産をあっという間に食い潰していった。それでも叔父夫婦の浪費は止まらず、さらに残念なことに叔父には領地経営の才能が全くなかった。そうなれば当然マクスター伯爵家は傾く。さすがにまずいと思った叔父は資金援助をしてくれる家を探した。そして見つかったのがラシェル侯爵家だ。
ラシェル侯爵家には私より三つ年上の息子が一人いる。侯爵家の嫡男なら間違いなく優良物件であるはずなのに、その息子はいまだに独身で婚約者もいない。それはなぜか。答えは平民の恋人がいるからだ。
貴族と平民は結婚することができないとこの国の法で決められている。だがこの息子は平民の恋人を連れ『私たちは真実の愛で結ばれているのにどうして結婚できないんだ!』とどこかの社交場で宣ったらしい。いくら侯爵家の嫡男で優良物件だとしても、国の法に噛みつくような危険人物には関わりたくないと思うのが当然で。
父親のラシェル侯爵は困った。このままでは息子に嫁が来ないと。息子は侯爵が四十歳と遅い歳に生まれた子で、そのせいかずいぶんと甘やかして育ててしまった。今さら息子の性格を矯正するのは難しい。しかし嫁がいなければ跡継ぎができない。平民の女との子を跡継ぎにするわけにもいかない。
そこで侯爵は考えた。お金に困っている家に援助をする代わりにその家の娘を嫁に貰おうと。そしてその条件にぴったり当てはまってしまったのがマクスター伯爵家である。伯爵家には年頃の娘が二人もいる。跡継ぎを生んでくれるのであればどちらの娘でもいいと侯爵が伯爵に言った。それでどちらが選ばれるかなど最初から分かっている。それに叔父のことだから私が家からいなくなれば当主の座は自分のものになると思ったに違いない。そんなわけあるはずもないのに。
そうして私は十七歳の時にラシェル侯爵家にあっさりと売られたのだった。
◇◇◇
ではラシェル侯爵家に嫁入りして子を生み幸せに暮らしたのか、というとそんなことは当然あるはずもなく。
「俺はお前を愛することはない!」
これがラシェル侯爵の息子モーリスに初夜で言われた言葉だ。
「お前が俺のことを好きでも俺の心と体はすでにエリザのもの!お前はただのお飾りにすぎない!だから大人しくしているんだな!」
そして続けざまに言われたこの言葉でラシェル侯爵がモーリスにこの結婚をどのように説明したのか理解した。きっと侯爵は私がモーリスのことを好きで嫁いできたのだと説明でもしたのだろう。ここまできても息子を甘やかす侯爵は親として失格だと思う。それに恋人の名前もどこまでの関係かなど興味もないのにわざわざ自分から言ってしまう浅慮さ。残念な頭の持ち主である。
「分かりました」
(この家も長くはもたないわね)
私は早々にこの家から出ていく計画を立てることにした。
本当のことを言えば前世の記憶を思い出した私はマクスター伯爵家の当主になることなど全く興味がなかった。父と母には悪いとは思うが。だから売られたこと自体は構わなかった。自由に動くことができるようになるのであれば。
伯爵家では叔父夫婦のせいで給金が払えず年々使用人の数が減っており、それに比例して私の仕事が増えていき自由な時間を捻出するのに苦労していた。そんな時にラシェル侯爵家に売られ嫁入りすることになったのだ。これでようやくやりたいことに集中できるかもしれないと思った矢先のあれだ。時間はできたがこの家に何かあれば私にも被害が及ぶ可能性がある。それは避けたい。だから私は最速でこの家を出ていくことに決めた。
その方法が白い結婚だ。
結婚してから三年間、モーリスに抱かれることがなければ白い結婚を証明して離婚することができる。ただ結婚自体は無かったことにならないのが残念ではあるが、このまま侯爵家に居続けるよりはマシだ。侯爵は口うるさく後継はまだかと言ってくるだろうが息子があれではどうにもならないと言ってやるつもりだ。どうせ息子の名前を出された侯爵はそれ以上何も言えなくなるのは目に見えている。
「ふん!分かったのならこれ以上俺を煩わせるなよ!」
そう言ってモーリスは夫婦の寝室から出ていった。
「ノーラ」
「はい、お嬢様」
「私は三年後にここを出ていくわ」
「かしこまりました。ケビンには私から伝えておきますね」
「頼むわ。それとリオに手紙をお願いできるかしら」
「直接お会いにならなくてよろしいのですか?」
「うーん、それはこれからの計画に支障が出るかもしれないからやり取りは手紙だけにするわ。頼める?」
「もちろんです。お任せください」
「それにしてもよかったわ。ノーラだけでも一緒に付いてきてもらえて」
「ケビンも一緒に付いていきたかったと嘆いてましたよ」
「まぁそればかりは私が決められることではなかったもの。でもノーラもケビンと離れて寂しいのではない?」
ノーラとケビンは夫婦である。祖父の代から夫婦そろってマクスター伯爵家で働いてくれていた。
今回の嫁入りの際に一人だけなら使用人を連れていけることになりノーラを連れてきたのだ。ケビンは今頃マクスター伯爵家を辞めているはずだ。叔父も祖父の代から仕えているノーラとケビンがいなくなり清々しているだろう。
「寂しくなんかありませんよ。どうせこれからも頻繁に顔を合わせるんですからね」
「まぁそれもそうね。ケビンとノーラには苦労をかけるわ」
「いえ、私どもはお嬢様の元で働けて幸せですから」
「ふふっ。そう?それならこれからもよろしく頼むわね」
「はい、お任せください」
そうして私は結婚初日にここを出ていくことを決めたのであった。
◇◇◇
そして三年後。
――コンコン、ガチャ
「旦那様、おはようございます」
「きゃー!」
「なっ!貴様、ぶ、無礼だぞっ!」
私は夫婦の寝室へとやってきた。本来なら私と旦那様であるモーリスが使う部屋であるが、そこには必死にシーツで身体を隠そうとしている私ではない女性がいた。そうこの女性こそがモーリスの真実の愛の相手であるエリザだ。
一年前に父親が亡くなり爵位を継いだモーリスは、私が何も言わず大人しいのをいいことに恋人を侯爵邸に住まわせたのだ。
そこからはよくある話で恋に現を抜かし当主の仕事などせずに恋人と遊び呆け、さらにその恋人は高価な贈り物をねだるようになり、日に日にラシェル侯爵家は傾いていった。むしろ一年でここまで家を傾けるなど才能なのではと思うほどだ。気づいていないのは本人たちだけ。私がいなくなることで給金が払えなくなり、使用人が一気に辞めていくのが目に見えている。まぁ私はもうこの家から出ていく身。モーリスとその恋人がどうなろうと知ったことではないが。
「お楽しみのところすみません。旦那様にお願いがあるのですが」
「い、今はお前の願いなど聞く暇がないことくらい見て分かるだろう!?」
(まぁ二人とも裸ですからね)
「分かっていますが私も急いでいるのです。なのでこの書類にサインをお願いします」
「お、お前に恥じらいというものはないのか!」
「ええ、ありませんので今こうしてここにいるのですよ」
「なっ…!?」
「さぁ早くこの書類にサインしてください」
私は二人がいるベッドへと近づき旦那様の顔の前に書類を掲げた。
「り、離婚届、だと…?」
勢い余って顔に書類を近づけすぎて文字が見えていないかと思ったら、どうやら見えていたようでよかった。
「はい。これでお互い晴れて自由の身です」
「だ、だが、お前は俺のことが好きで嫁いできたんじゃ…」
「あぁ、あの初夜の時におっしゃっていたことですか?勘違いしているようですが、私は全く旦那様のことなんて好きじゃないですよ?ただ訂正するのも面倒でしたので言わなかっただけです」
「な…」
「だってどこに旦那様を好きになる要素があるのですか?私の好みは仕事ができてお金持ちの、旦那様とは正反対の男性ですもの」
「なん、だと?」
「まぁ今はそんなこといいじゃないですか。さっさとこちらにサインしてください」
「しかし…」
「こちらにサインしない限り旦那様の隣にいる彼女はずっと日陰者のままですよ?」
「くっ…!た、確かに…」
「今や旦那様は侯爵様です。うまくやればそちらの彼女を奥方にすることもできるかもしれませんよ?」
(まぁ実際には無理だろうけど)
貴族と平民は間違っても結婚することはできない。それでも方法がないわけではない。一つは平民がどこかの貴族家の養子になること。もう一つは貴族が平民となること。前者は養子にすることにメリットがない限り難しい。それに後者はプライドの高い旦那様には無理だろう。
「…」
「モーリス様ぁ~」
真実の愛のお相手であるエリザが期待を込めた声で旦那様の名前を呼んだ。彼女はここが重要な局面だと思ったのだろう。だから私は彼女を援護することにした。
「旦那様。私と旦那様は白い結婚ではないですか。何を躊躇っているのです?それにすでに白い結婚であることの証明は済んでおります」
私は懐から別の書類を取り出す。これは白い結婚であることを証明した書類だ。本来貴族同士の結婚は離婚するのが難しい。しかし白い結婚が証明されれば三年で離婚できるのだ。ありがたい。
「真実の愛で結ばれる二人…、素晴らしいじゃないですか!そして二人が結ばれるために邪魔な私。賢い旦那様ならどうするべきかもうお分かりですよね?」
「っ、そ、そうだな!本当なら私とエリザが結ばれるべきだったんだ!」
「ええ、ええ、その通りです。さすが旦那様です」
「よし!ならばその紙にさっさとサインしなければな!」
「ペンも用意しておりますのでどうぞ」
私はベッドの上に離婚届とペンを置いた。モーリスはペンを手に取りサインをする。机の上ではないので汚い字がさらに汚い。一応読めるからまあいいだろう。
「ほら!これでいいんだろう!」
「ええ、ありがとうございます」
「これで私がモーリス様の奥さんになれるのね!」
「ああそうだ。これからはエリザがこの家の女主人だ」
「うふふ、おめでとうございます。それでは邪魔な私は失礼しますね」
「…あぁそうだ。出ていくのは勝手だがこの家の物は何も持っていくなよ!当然金なんて渡さないからな」
「分かりました。私が嫁入りの際に連れてきた侍女だけ連れて出ていきますからご安心ください」
「ふん!さっさと出ていくんだな!」
「…では最後に一言だけ。きっとこれから困難が待ち受けていると思いますが、真実の愛で結ばれたお二人なら乗り越えられると私は信じております。それではごきげんよう」
「なっ!?それはどういう…」
――ガチャン
私は急ぎ寝室から出る。旦那様が何か言いたそうにしていたが知ったこっちゃない。あとのことは自分たちでどうにかするしかないのだから。
「ノーラ」
「はい。準備はできております」
「ではさっさと出てってやりましょうか」
私は颯爽と屋敷の廊下を歩いていく。そんな私をすれ違う使用人たちが驚いた顔で見ているがそんなこと気にせずに進む。大人しかった私が堂々と歩いているものだから驚いているのだろう。
屋敷から出ると外に一台の馬車が停まっている。私は停まっている馬車の御者に声をかけた。
「王都までお願いね」
「かしこまりました、オーナー」
ノーラと共に馬車に乗り込む。そして馬車がゆっくりと動き始めた。
「今日からが私の本当の人生の始まりよ。これからは好きなことをして生きていくんだから!」
離婚届を提出すれば私は晴れて自由の身。ラシェル侯爵夫人でもなければマクスター伯爵令嬢でもない。ただのヴァイオレットになる。そしてここから私の新たな人生が始まるのだ。
「ふふっ、これからが楽しみね!稼いで稼いで稼いでやるわ!」
私の名前はヴァイオレット。バツイチの二十歳。好きなものはお金、趣味はお金を稼ぐこと。好きな言葉は時は金なり。
そんなお金大好きヴァイオレットの新しい人生がまもなく始まる。