忌み地コンビニにご用心
やだなぁ、恐いなぁ……。
琴畑紬は暗い農道で自転車を漕ぎつづけていた。
妙に静かな夜だった。
街灯もまばらな田舎道、秋も深まり賑やかだったカエルも虫も鳴いていない。
いつもは左右に雄大な田畑が広がっている道は、今はただ漆黒の海原のように濃密な闇が広がっている。
やがて車が通る県道が見えた。
店の看板が煌々と光っていてホッとする。まるで集蛾灯のごとき強い光、そこが目指す村でひとつだけのコンビニだ。
冷たい風が髪をすりぬける。どうせなら頭の中から不安と嫌なことも消してくれたらいいのに。
『紬! つまみ買ってこい。コンビニがあるだろ』
『えぇ? 暗いしヤダよ』
家から自転車でも十分以上かかる。
『いいから行ってこい。釣りはやるから』
『……もぅ』
お父さんは最近お酒の量が増えた。
お母さんは何も言わない。
遠野郷に引っ越してから一年。お父さんは町役場に採用され、害獣処理の仕事をしているらしい。けれど今年は猛暑せいか、シカの食害やクマの出没による被害が相次ぎ、目の回る忙しさなのだとか。
大変なのはわかるけど、帰るなり酒を飲みツマミが足りなくなると紬に買いに行かせるのだ。
――女の子がひとりで夜に買い出しとか、心配じゃないの……?
すぐ脇を黒いワンボックスカーが妙に速度を落とし通りすぎてゆく。
フルスモークの車内からじっと舐めるような嫌な視線を感じるが、車はやがて先に進んで交差点を曲がっていった。
「……うぅ恐い」
時折通る車のヘッドライトが頼りの暗い道を抜け、ようやくコンビニにたどり着いた。
コンビニといっても田んぼの真ん中、周囲は寂しく人通りも無い。
細い県道沿いに二年前に出来たコンビニは、駐車場があるのにガランとしていた。周囲に建物も無く民家も遠い。まるで田んぼの中にポツンと浮かぶ島だ。
「ギャハハ……それでよ」
「マジかよ……ヒヒッ」
横に一台フルスモークのワンボックスカーが斜めに停車していた。さっき追い抜いていった車だと直感する。
コンビニ横の喫煙コーナー、ダンボールやコンテナが雑多に放置された場所の前で、二人の男性がしゃがみこんでこっちを見ていた。
いかにもガラの悪い、恐い感じの人たち。むき出しの腕にはタトゥ。その二人はタバコをふかしながらお酒を飲んでいた。
カンチューハイとビールの空き缶を潰し、足元に転がしている。タバコの吸い殻もそのままだ。
存在自体が不快。
関わりたくない。
やだなぁ、恐いなぁ……。
「……」
紬は離れた位置に自転車を止め、男たちと目を合わせないようコンビニに入った。
「……いらっしゃい」
妙に薄暗い店内に、ボソッと主の声が陰鬱に響く。酸化した脂と揚げ物の臭いが鼻につく。
「いっ」
床でバタバタと蛾がもがき、天井では切れかけた蛍光灯が明滅している。
今にも潰れそうな雰囲気。
店主らしい白髪交じりの中年男性はうつむいて、虚ろな目でじっとしている。
以前はこんなだっただろうか?
確かここは家族経営で、奥さんと娘さんが手伝っていた気がする。けど半年ほど前からずっと店主さん一人きりしか見かけていない。
やつれた店主、乱れた商品陳列棚に、掃除されていない床。
店の前ではガラの悪い客が飲酒し、喫煙しようが知らんぷり。
ううん、関係ない。
とっとと買い物を済ませて帰ろう。
外にいる男たちが窓越しに自分を見ていることに気がついた。
紬はトレーナーのフードで顔を半分隠し、お酒のおつまみコーナーへ。
うぅ嫌だ。帰りが恐いよぅ……。
と、そのときだった。
表に勢いよく一台の車がやってきた。
ガォン! とエンジンに思わず視線を向けてしまう。赤いスポーツカーが勇ましいエンジン音を響かせて停車する。
また怖い人が来たのだろうか。
琴畑紬は胃の奥が冷たくなった。
コンビニ前にいたガラの悪い二人組も首をスッポンのようにのばし、派手なスポーツカーを眺めている。
紬が商品を手に取りレジに向かおうとすると、店内に女の子が二人はいってきた。
「……いらっしゃいませ……」
赤い車から降りてきた少女たち。運転手は車に乗ったままだ。
表でガラの悪い男たちがギラギラした目付きで二人の少女をつけ狙うように、じっと見ているのがわかって嫌な気持ちになる。
「とあ、あの方たち……」
「人間に見えるけど違うよ」
二人組を見て、紬ははっと息を飲んだ。
「あっ……」
店に入ってきたのはクラスメイトの冬羽と留学生のロリスだった。
「あれっ、奇遇だね、こんなところで」
「こんばんは、またお会いしましたね」
名前を口にしない配慮に察する。冬羽とロリスも外の二人組を気にしていたのだ。
二人は同棲というか同じ家で暮らしているといっていた。こんな時間に二人でコンビニにくるなんて、やっぱり本当なんだ。
「ふたりとも買い物? あの赤い車……」
「あれはお母さんの車! さっき峠で『ターボババァ』とバトルしちゃってさ。さすがに酔いそうだったら飲み物買いに寄ったの」
冬羽はスパッツにパーカー、サンダル履き。黒髪だけど明るい表情には華がある。
「え? ぇ? ターボ……ババァ」
けれど紬は戸惑った。
ターボババァというのは峠に出ると噂される「走り屋を煽りまくる」妖怪のはず。
都市伝説だと思うけど、バトルって?
冗談?
いやでも、先日悪霊を一撃で祓っていたし……。
「はぁ、地獄でした。魔法の馬車だってあんなに速くは走りません」
げんなりした様子の北欧美人のロリスさん。エルフ耳がしゅんと下がっている。
二人には恩がある。
先日うっかり自殺しかけたところを救ってもらったばかりなのだ。
それから友達になれた。
教室でも学校でも二人とよく会話を交わすようになった。以前は印象がまるで無かったのに。今こうして出会ったのも不思議な縁だろうか……なんて考えてしまう。
「よかった。ちょっと……心細くて、どうしようかって思ってたの」
ちらっと外を気にする。
「オッケー、皆まで言うな、大丈夫! お母さんに頼んで自転車の後をついてくよ」
「冬羽、あの車はゆっくり走ることもできるのですか!?」
ロリスさんの驚きっぷりが可笑しい。
思わず三人でくすくす笑う。
買い物を終えた紬は、冬羽とロリスと一緒にコンビニを出た。
まだ黒いワンボックスカーは停車している。するとカラカラとチューハイの空き缶が足元に転がってきた。
「ぁ……」
ドキリとする。
わざとだ。
極力顔を合わせないように、無視するように通りすぎる。
『キキッ!』
『ゥキィ!』
「え……?」
紬は声にギョッととした。
猿だ。
二匹のサルがいる。
ガラの悪い男二人がサルに変わっていた。
いや、でも違う。そんなわけない。
なんだろう、この違和感。
目が離せない。
見てはダメだと思いつつ視てしまった。
『キキキッ!』
呼吸が浅くなり心音が高まる。
恐い、なにあれ、ふうつじゃない。
『ンキヒィ!? スッか、ルルァ』
赤ら顔の「猿」二匹は下卑た視線と、人語らしき言葉を投げ掛けている。
でも言葉がわからない。
意味がわからない。
牙を剥き出し気持ちの悪い顔……。
『シャァアァ? ッぺァ』
コンビニ前でウンコ座りの反社的クズ二人組は異形の「猿」にしか見えない。
「いっ!?」
姿が変わった?
それとも「正体」を見せられている?
一見すると猿に思えるのに、腕の悪趣味なタトゥ、耳や鼻と唇にピアス。特徴的なウンコ座り。散らかったタバコの吸い殻、チューハイの空き缶。社会のゴミとしか形容できない二匹は猿の姿に「変換」されてしまっている。
嘘、嘘、なにこれ……!?
「……気にしないで。そういう場所だから」
「と……?」
冬羽の声にゾッとする。
冷たい声。
「もともと忌み地だったの。なのに無理にコンビニをたてて、要石……道祖神を壊して穢したから。もうダメかも」
感情のない淡々とした語り口。
全てを見透かし憐れむような視線。
忌み地に道祖神、どちらもコンビニの明るさとは無縁のもののはず。なのに、押し寄せる違和感の中に自分は立っている。
紬は油の切れた人形のようにコンビニを振り返った。
死人のような表情の店主、明滅する蛍光灯。店は寂れ、表でたむろするのは異形の人間かどうかさえ怪しい連中……。
ゴクリと生唾を飲み込む。
まるで異界の入り口のように思えた。
「暗いですから気をつけてくださいね」
ロリスの声が通りすぎる。
キーキー喚く猿たちの存在を完全に無視、敢然なるスルーで髪をエルフ耳にかきあげる。
「自転車に乗ったらあとは絶対に後ろは振り返らないでね。前だけをみて。いい?」
冬羽が耳元で、紬の両肩に優しく手をのせて、ささやいた。
「わ、わかったわ」
紬は無我夢中でサドルにまたがると、深い闇に包まれた農道へと漕ぎ出した。
言われた通り振り返らず、脇目もふらず。点在する街灯を頼りに家を目指して。
やがて後ろからブォンと勇ましく、頼もしいエンジン音が近づいてきた。ヘッドライトの明かりが前方を照らしてくれる。
黄泉の国から戻るような気分だった。闇切り裂く光の道をひたすらに進む。
やがて家の明かりが見えた。ほっとして自転車の速度を落とすと、車は途中で曲がったのかいつの間にかいなくなっていた。
「ありがと……冬羽さん」
<つづく>