異界へようこそ
「スマホに……霊が憑りついてたの?」
琴畑紬は受け取ったスマホを恐々と眺めた。
「スマホに怪異が宿ったというより、アプリの『生成AI』が怪異そのものに変化したのかも」
冬羽が放った「気合い」のようなパワー。それを向けられたスマホから氷のような冷たさを感じ、手を離してしまった。保護ガラスに少しヒビが入っている。
「あ……」
¶a■f〓ーA№……ォ
だが『AIフレンド』はエラー表示、文字化けして機能を停止していた。
「アプリを通じて呪詛を送り込んで擬似的な悪霊を生成、メモリに『常駐』させる仕組みだったのかも」
冬羽は「うーん?」と少し考えながら言った。
艶のある黒髪を耳にかきあげ、普通の事のように呪詛や悪霊と口にしたことに、琴畑は驚いた。
「降霊術のようなものでしょうか?」
北欧少女のようなエルフが小首をかしげる。
いやまって、エルフ!?
琴畑は自分の頭がバグったのかと疑う。異世界ファンタジー住人であるはずのエルフが目の前にいる。それも同じ高校の制服を着ているなんて。
目の前で起こっている事が信じられない。情報量が多くて頭が処理しきれない。
ここは日本、皇紀2683年――西暦2023年の日本皇国。なのにこんなことが……。
「ロリスの言うとおり降霊術に近いかも。このあたりの呼び方だと『くちよせ』とか『イタコ』みたいなことを、スマホのアプリが代理実行していたのか」
「そんなことが『すまほ』で行えるのですか?」
エルフ少女ロリスのややグリーンかかった銀髪が光を浴びてきらめく。
「あ……あれ?」
琴畑はハッとする。
まるで憑き物が落ちたような気分。
清々しくて、気分が晴れている。さっきまでの「自殺願望」が消えていた。
空は青く、小鳥がさえずっている。体育の授業中、校庭からはボールを追う声と笑い声が聞こえてくる。
どうして、さっきまであんなに「死にたい」って考えていたっけ?
屋上は数年前に生徒が飛び降り自殺してから立ち入り禁止。誰だって知っている。なのに琴畑は『死にたい』と思い悩み屋上へと足を踏み入れた。
そもそもおかしい。
クラスメイトの誰かにイジメられていたわけでも、親に「気味が悪い」と罵られた事もない。
あの辛い「記憶」はいったい何?
悲劇的で絶望的なイメージが焼きついて、自分の経験だと思い込んでいた。
だから死にたいなんて思った。
確かに小さいころから「霊っぽいモノが見える」ことはあった。でもそれは遠野郷で暮らす者なら別に珍しいことじゃない。
怪異や霊的なモノなどいて普通、それぐらいの土地柄なのだ。
霊を祓えるような力は無いけれど、自分は普通の人間とは少しだけ違う、特別なんだって。密かにそう思えたときもあった。つまり琴畑にとって悩みではない。むしろ密かな自信、自慢でさえあった。
なのに――。
「私……スマホに『AIフレンド』っていうアプリを入れてたの。おしゃべりの出来る、自分の趣味の話題に合わせてくれる友達みたいなの。それで……いろいろ聞いてくれて」
スマホの『AIフレンド』と会話を試しているうちに、気がつくと秘密を話していた。
聞きたがりのAI、聞き上手な仮想のフレンドに誘導された。
そして意識に刷り込まれた。いつのまにか「霊能力をもつ自分を周囲は妬み、嫌っている」「白い目で見られている」「死んだほうがいい」「楽に死ねる」「死んで異世界にいけばいい」「素敵な世界がまっている!」そんなふうに思考を誘導されて……死にかけた。
原因はそう。
冬羽さんの言う通り、スマホのアプリだ。
「ほー? ダウンロードしてみるね」
指先で冬羽はスマホを操作しはじめた。
背面に『扶桑』の刻印入りの見たことの無いメーカーの機種だった。
「あ、危なくない?」
「平気よ」
明るさと深い闇が同居したような笑み。
凄みを感じる。
圧倒的な霊圧? ううん違う、もっと異質な力だ。
さっきの「破!」の一言。
あれだけで悪霊めいた怪異も、呪いのような思考の呪縛さえも綺麗に消し飛ばしてしまった。
彼女の名は……冬羽。
寺林冬羽。
知ってる。
クラスにいた。
でも……何故? 半年もいて気づかなかったの?
「とあは特別ですから」
「えへへ、愛いやつめ」
肩を抱き寄せるとエルフの彼女、ロリスさんが耳を赤くする。
ロリスさんもそうだ。同じクラスにいたはずなのに、やっぱり認識できていなかった。
確か会話もしていたはず。思い起こせば同じ班でグループワークをした記憶さえある!
どうして「特別な存在」だと気づけなかったの?
認識を阻害、攪乱されていた?
おそらく全員、クラスメイトも先生も。
すっと肝が冷えた気がした。
彼女たちこそ……怪異?
それも特別に強大な。
次元の違う、存在。
「琴畑紬」
不意に名を呼ばれ息が止まりそうになる。
「な……に?」
「流行ってるの? AIフレンドって」
「どうかな……何かでたまたまみつけて」
「ふーん。AIが呪詛を生成する時代になったのねぇ。あたしらの結界じゃ防げないよ、素通りだもん。困ったなぁ……」
冬羽がスマホにダウンロードを終えて『AIフレンド』を起動したらしい。
「結界を……素通り?」
「そ。昔ながらの自然発生する怪異や、人間の集合意識が生み出す現代怪異、妖怪。それなら結界少女の領域で防げる」
「結界少女?」
「でも、これは新しい怪異。いまのところ『陰陽寮』の『霊的火焔防壁』で無害化できるみたいだけど……。結界少女向けスマホ専用だし、民間には解放されてないもんね。そのへん国も陰陽寮もワキが甘いっていうかさ」
はぁと肩をすくめる冬羽。
琴畑紬は戸惑った。
いったい彼女は何を言っているの?
弱い霊感があるからオカルトは好きだ。
興味ももっている。本やネットでそれなりに触れて知識もあるつもり。だからわかる。単語はなんとなく理解できる。
だが冬羽のいうことはまるで別の世界、次元の違う話だ。
「あとで調べてみるか。でも、あたしのスマホで試すのヤだなぁ」
「ですね」
苦笑する冬羽とロリス。
「あの、あなたたちは一体」
何なの?
「体育サボって、ロリスといちゃいちゃしてたんだ! でへへっ。だって体育の鬼塚センセ、厳しいんだもん」
「……とあ、栗畑さんが聞きたいのは、そういうことではないのでは」
照れるロリスさんが「んっ」と冬羽さんの腕から逃れる。
「自己紹介してないか。あたしらは『結界少女』って呼ばれてる。このあたりの土地の霊的な《要》を悪いモノから護ってる感じ。例えば他所から来る悪霊や、呪詛、怪異の類を、ブンなぐって祓う!」
びゅっと拳で見えない何かを殴り、屈託の無い笑みを浮かべる。
「結界少女……!」
聞いたことがある。
親類の叔母さんから聞いたことがある。
里を守る霊的な守護者、それが結界少女。
古来より10歳未満の童は神性を有する存在とされる。特にも少女は特別に清らかで悪いものを寄せ付けない。
存在そのものが「結界」だから。
美しい少女には近づきがたい。眩しくて目をそらしてしまう。そんな感情に通じる一種の呪術なのだ。
けれど自分とおなじ高校一年。15歳か16歳のはず。天然の結界効果を発揮できるのは幼い子供に限定されているんじゃ……。
「あたし強化人間みたいにバキバキに強いから悪霊なんてワンパンだし、異世界から来た怪物も宇宙人も倒したからね、何でも相談して」
「冬羽はいろいろ面倒ごとを解決するエキスパートなのです」
エルフの彼女がにっこり微笑んだ。
「す……すごい」
言葉がでなかった。
雲が流れ屋上に影がさす。
「よろしくね、琴畑」
「う、うん」
でも瞬間、悟ってしまった。
並行して存在する「異界」を覗き、知ってしまった以上、もう逃げられない、と。
<つづく>