終戦歴1214年五ノ月六日 ルーク=バラン 上
終戦歴1214年五ノ月六日 ルーク=バラン 上
カーテス子爵領の都市バルハー。そのバルハーの冒険者ギルドに併設された酒場は、普段にない歓声と熱気に包まれていた。
本来、冒険者ギルドの酒場は、冒険者どうしが情報交換をしたり、パーティーを募集したり、待ち合わせ場所として用いる場であり、一般の酒場のとは違い酔っ払って騒ぐための場ではない。
しかし、この日は例外であった。バルハーの冒険者が一丸となって対処にあたった、【百獣の眠る草原】の魔物の侵攻の防衛戦が終結し、その祝宴会が開かれているためだ。
「いや~、やっと終わったなぁ」
祝宴会で盛り上がる酒場の片隅で、防衛依頼に末端ながらも参加を許され、初の魔物の侵攻を体験したD級冒険者ルークは仲間と共に祝杯を上げていた。
「ああ、全くだな。まさか二週間も昼夜を問わず襲撃があるとは思わなかった。魔物の侵攻がこれ程苛烈だったとは……」
そう追従して答えるのは、『狩人』の少年ラジイル。犬の耳と尻尾を持つ犬人族という種族で、ルークと同年の十五歳の駆け出し冒険者だ。
「でも、みんな大きな怪我もなく魔物の侵攻を乗り越えられて良かったわね」
そう言ったのは『高原を疾走る神風』の信者であり、『魔法使い』のルシラだ。ルークとラジイルよりも一つ年上の十六歳だが、男好きのする豊満な身体付きと母性を感じさせる朗らかな笑みから、良い意味で年齢以上に見える容貌をしている。
三人は数ヶ月前に冒険者になったばかりの新人で、ギルドの紹介によって知り合った仲だ。付き合いは短いが、三人ともバルハー周辺の農村出身であり、自然と話が合った。依頼も順調に熟すことができたこともあり、初めて組んだパーティーとは思えないほど良好な関係を築けていた。
彼らはバルハーの冒険者ギルドから期待の新人として将来を待望されており、本来ルーク達の階級では受注できないはずであった、C級の防衛依頼に参加を許される程であった。
とはいえ、流石に実力だけで特例扱いをしてもらえるほどの才はなく、今回の特例参加は高ランクの冒険者からの強い推薦があったためであり――端的に言ってコネによるものであった。
「おー、ルーク!楽しんでるか?」
「あ、オキセントさん。お疲れ様です」
酒場の端に居た三人のもとに、軽装鎧を纏った二十代中頃の男が声をかけた。彼こそが、三人を今回の防衛依頼に推薦したA級冒険者、“迷宮マニア”のオキセントだ。
オキセントはルークと同じ村の出身であった。オキセントはルークが五歳の時に、冒険者として村を出ていったため、二人の間にそこまで関わりが有った訳では無いが、この世界において、同郷の誼というのは非常に強い縁として働く。オキセントの人の良さと面倒見の良さもあり、ルーク達は良く世話を焼いてもらっていた。
三人の冒険者活動が順調なのは、本人達の実力や相性の良さもあるが、オキセントや彼のパーティーメンバーの助言や指導に依るところも大きかった。
「三人とも今回の防衛戦の動きはなかなか良かったぞ。特にヘビー・オークと接敵したときに、防戦に徹して直ぐに他の冒険者に救援を求めたのはいい判断だった」
「「「はい、ありがとうございます!」」」
「最近、ギルドから色々言われて天狗になってるんじゃないかと心配していたんだが、ちゃんと冷静な判断ができているようで安心したよ。何度も言ってきたが、迷宮では臆病すぎるくらいが丁度いいんだ。これからも忘れないようにな」
「「「はい!」」」」
オキセントは“迷宮マニア”の「二つ名」で呼ばれる程の大の迷宮好きであり、迷宮の知識や調査能力を認められA級に昇格した冒険者だ。その薫陶を受けられることは新人冒険者にとって非常に得難い経験であり、三人は一言も聞き逃すまいと、真剣な表情で話を聞いていた。
「――ところで、お前達は今後もバルハーで活動していくつもりなのか?」
一通り今回の防衛依頼の総評が終わったところで、オキセントは三人に問いかけた。
「はい、もう暫くは【百獣の眠る草原】で実力を付けるつもりです」
「魔物の侵攻後も、迷宮浅層の環境は変化なかったそうなので、今まで通り雪毛兎と幸運鳥の狩猟依頼で金策を続けて」
「みんなの装備を更新したいねって、話してたんです」
ルーク達は冒険者を始めてまだ半年も経っていないが、オキセント達の指導により効率的に依頼と戦闘を熟し、大きな怪我もせずに継続的に迷宮探索を行えたため、既にレベルが17にまで上昇していた。
それによって身体能力も上昇したため、それに合わせて武器や防具をより重装な物に買い替えようと考えていたのだ。
「あー、それなんだがな。今回の魔物の侵攻でダークウルフの毛皮とゴブリンの武器――矢なんかが大量に手に入っただろ?だから毛皮と矢羽根の需要が下がっていてな。雪毛兎も幸運鳥も今までほど高くは売れないぞ」
「え!?でも、雪毛兎の毛皮と幸運鳥の羽は、質が良い上に狩れる冒険者が少ないから、いつでも高値で売れるって……」
「確かに前にはそう言ったが、魔物の侵攻直後は別でな。普段は迷宮から持ち帰れる素材の量なんてたかが知れてるが、魔物の侵攻だと倒した魔物の素材がほぼ全て回収できるからな。普段では考えられないくらい物価が変動したりするんだよ」
この世界にも、所謂マジックバックと呼ばれるような、大量の物資を収納できる魔具も一応存在する。しかしそう言った空間拡張系の魔具は、素材に迷宮核を必要とするため非常に希少であり、一般には出回っていない。
必然、冒険者は危険な迷宮内で魔物の解体する必要がある。そのため、魔獣種の魔物が大量に湧く【百獣の眠る草原】を擁するカーテス領といえど、魔物素材が市場に溢れ返るなど普段であれば考えられないことであった。
「でも、今回の魔物の侵攻では、雪毛兎も幸運鳥も出現しませんでしたよね?それなのに、そんなに買取価格が変わるものなんですか?」
「代替品が普段の数割引の値段で、しかも大量に出回れば、いくら高品質な物で敵わないからな。どうしても需要が下がるんだよ。特に毛皮は長期保存するなら大量の塩が必要だからな。今は何処の鞣し工房でもダークウルフの毛皮優先で、雪毛兎は依頼そのものが出されないんじゃないかな」
「そうなんですか……。なら、装備の更新は暫くは難しいですね……」
ルーク達三人はガックリと肩を落とした。オキセントの言う通りであれば、他の魔物素材の買取りも軒並み値下がりしているだろう。そうなれば当然他の冒険者達も収入が下がるわけで、報酬額の変わらなかった依頼の取り合いになることが簡単に予想できたからだ。
防衛依頼の報酬もあるが、今回三人は戦力というよりも、「若者に大規模戦闘を経験させる」という目的での雇用であったため、報酬額はそれほど高くなかった。
「そこで提案なんだが、お前達バルハーを離れて別の迷宮に移る気はないか?」
項垂れる三人に対しオキセントはニヤリと頬を吊り上げながら言った。
「別の迷宮……ですか?」
「ああ、そうだ。実は俺達も近い内にバルハーを離れて、近くの新しい迷宮に挑もうと思っていてな」
もともとオキセントは、様々な迷宮を巡るため、一処に留まらず次々と活動場所を移していた。十年かけて王国中の迷宮を渡り歩き、当時低レベルだったため深部まで探索することができなかった【百獣の眠る草原】を再探索しようと戻ってきたところにルークと鉢合わせたのだ。
「この近くの迷宮と言うと【ネイザリス不死火山】か【老蛇の海蝕洞】あたりですか?」
「でも確か、オキセントさん達はどっちの迷宮にも潜ったことがあるんですよね?『新しい迷宮』、と言うことは別の迷宮ですか?」
「俺達路銀が無いんで、あんまり遠くには行けないんですけど……」
ルークがそう言うと、オキセントはニヤけた顔を更に歪め、興奮が抑えきれないといった様子で言った。
「フッフッフ、この“新しい迷宮”って言うのは文字通りの意味でな。実は近くのモルズ男爵領で、新たな迷宮が発見されたんだ!まだ“名”すら判明しておらず、深層には誰も足を踏み入れたことが無い、前人未踏の新迷宮が!!」
「冒険者」…外域での魔物の間引き、資源採取を行う職業。必然的にレベルが上がり一般人よりも高い戦闘力を誇るため、武力が必要な仕事全般も請け負う。冒険者ギルドは国家間を超越した超巨大組織――っという訳ではなく、各国にそれぞれの冒険者ギルドが存在している。今後“冒険者ギルド”と言う時は、基本的に“ケトロンティア王国の冒険者ギルド”のことを指す。
「職業」…冒険者ギルドのギルド証に記載する要項の一つ。自身の技能とパーティでの役割を簡単に紹介するためのものであり、世界システム的に『職業』要素があるわけではない。『○○流剣術』だとか『剣・斧・盾』のように、自身の流派や使える得物を列挙するだけの者もいる。あくまで自称なので、『剣聖』や『賢者』を名乗っても良いが、実力と乖離した大仰な職業を名乗れば、当然ギルドや他の冒険者からは嘲笑される。また、魔素は概念に影響を受けるため、気持ち程度だが名乗った『職業』に応じたスキルを習得しやすくなる効果もある。
「二つ名」…冒険者は完全実力主義かつ個人主義であり、家や親族の威光に頼らないという意味を込めて家名を名乗らない風習がある。代わりに一定以上の実力を持つ冒険者には“二つ名”が付けられる。




